鷲田清一のレビュー一覧
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最近本当に「大人」が減ってしまったように思う。
そんなことを考えていたら、本書に出会った。
大人について考えるところから始まって、どんどん派生していく。
本当に大人のいない国になってしまっては、困る。
今の日本は、システムが優れているため大人でなくても上手く回ってしまうというような記述があったが、確かにハードがしっかりしている分、ソフトはいまいちでもやっていけるところがあるのかもしれない。
社会環境に左右されないように、家庭や地域など小さなコミュニティで大人を育む必要があるのだろう。
成熟するためには、どうしたらいいのだろうか。
まず、自分が未成熟であることに気付くこと、そして成熟を目指して努 -
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京都の魅力とは。学生時代にひしひしと感じていたもの、なんとなくは理解できていたと思うが、ある程度鮮明となった。
よくいう京都が歴史都市であるというのはちょっと違う。歴史の深さなど時間軸で表現されること、つまりは《垂直的》なことっていうのは案外表面的な魅力なんだと。
それよりも、自分自身がひしひしと感じていたことは、本書に多数書いてあることもそうだが、古本屋が多かったり、喫茶店がいい感じだったり、JAZZに陶酔できたり、伝統的価値とか言いながらアバンギャルドであったり、どこかノスタルジックであったり、なんというか「幅」というか、「拡がり」というか、「つながり」というか、どこか《水平的》な価値 -
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縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである。新しい市民のかたちを考える。
「BOOKデータベース」より
リーダーになりたいなんて思ってないし、リーダーになれ、と言われても断るような自分には半分不要な本.働くときに傍(はた)を楽(らく)にしながら仕事をしようと思っている人にも半分不要な本.リーダーになれと無責任に言う側の人間が読むべき本.
自分に必要と思う半分は、頭ではわかってるんだけどね.という感じ.これほどまでに冠婚葬祭のみならず生きるに必要なことの大半がお任せにな -
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著者は、人間においての「自然」である身体が、過剰に観念化され硬直してしまっている現代の危機を「パニック・ボディ」と名づけています。
「幸福とはなにか」という問いに対し、著者は「幸福について考えずにすんでいること」と答えます。同様に、身体もそれが機能しなくなってはじめて、その存在が意識されるようになります。ところが現代人は、健康や美容の観念にとりつかれ、身体をみずからの意識の支配のもとに置こうと努めています。これは、「身体」が自然にもっていたはずの適度な「ゆるみ」が失われてしまっていることを意味していると著者は考えます。
さらに、身体はその振る舞いを通じて、われわれが世界とつながることのでき -
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書店で何の気もなく、鷲田さんの本だということで
手に取った本。しかし20年近く前の本でした。
しかし、なかなか読みごたえがあり、非常に本質的な
内容であり、鷲田さんの本質的な問いがある内容だと
思います。
「自分とは何か」という問いは、すでにこの年になった
自分にとってはすでにあまり問うことがなくなった
問いではあります。他者の他者である自分という
想いはすでに感覚的にあって。。
結婚して息子ができた時点で、自分とは何かという
問いに、素直に息子の父親であるという答えを
得た気がしました。
会社で回りの上司や部下と接しているときや、社会で
様々な人と接する時に、自分の意義や問いを積極的に
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ネタバレしんがりの思想 鷲田清一
1章 成長とは別の途
成長の予感が安心をもたらす社会、縮小へとなかなか反転できないしゃかいというのは、実は未来をあなどる社会ではないだろうか。
柳田邦男 80年前、貧困と病による自殺の急増を見て思ったのは「説くにも忍びざる孤立感」というもの
顔にも貧窮が苛烈であったとき、それでも人々は協力して救済に当たった。つまり共同防貧の仕組みがあった。ところが
「われわれの生活が思い思いになって、衣でもも焼苦渋でもまたその生産でも、個人の考えが次第にククに分かれるようになった時代が来ると、災害には共通のものがおいおいと少なく、貧は孤立であり、したがってその防御も独力でな -
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「ファッション考現学」というサブ・タイトルがつけられているように、さまざまな雑誌に掲載されたファッション論を集めた本です。
著者は本書の冒頭で、次のように述べています。「ファッションにぜんぜん気がいかないひとはかっこよくないが、ファッション、ファッション……とそれしか頭にないひとはもっとかっこわるい。このふたつ、一見反対のことのようで、じつは同じ態度を意味している。他人がそこにいないのだ」。他者の視線を浴びる衣服は、われわれが世界と出会い、両者が互いにせめぎあう最前線にほかなりません。人びとは着飾ることで、他者の注目を集めたり、他者のまなざしを拒絶したりしながら、自己の輪郭をかたちづくってい -
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「私とは何か?」という哲学の問題を、やさしい言葉で論じた本です。
著者は、固有の「私」というものを自己のうちに求めても、何も得られないと主張します。われわれはこの世界に生まれたときから、さまざまな他者とのかかわりのなかに存在しています。そうした他者とのかかわりを通して、ありえたかもしれない自分のあらゆる可能性を捨てていくことで、固有の「じぶん」は成立するというのが、著者の考えです。
著者は、R・D・レインの『自己と他者』から、ひとりの患者のエピソードを紹介します。彼は、看護婦に一杯のお茶を入れてもらって、「だれかがわたしに一杯のお茶を下さったなんて、これが生まれてはじめてです」と語りました -
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鷲田さんの本。バリバリの哲学関連の内容では
ないものは読みやすい。
強いリーダーではなく、しんがりを務め、フォロワーシップ精神にあふれた人が大切であるということ。
我々は、顧客・消費者ではなく市民であるべきということ。
右肩下がりで成長神話のみを追いかける時代ではないこと。
それぞれ非常に大事なことだと思います。
企業に働いていても、資本主義・成長至上主義ってもう無理ではないのかという思いを抱えながらという状態であり、これらの考え方がイノベーションを起こすのではと思います。
最後の一言『請われれば一差し舞える人物になれ』
これが一番大事なことだと思いました。 -
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ネタバレ哲学界のたこ八郎、鷲田先生による言葉の拾遺集が朝日新聞の連載で始まったのは、この春の喜びである。まだ一週間ほどだけど、八面六臂の参照先は、先生らしくもあり、意外にも感じられたり、とにかく行く末が楽しみです。
確か東北震災後のことだったと思うが、あるシンポジウムで科学者が集まるなか、鷲田先生ひとり人文系として出席されていて、議論が科学者の専門家としてのありかたというようなあたりに及んださい、先生が発言されたことがいまでも強く印象にのこる。
「何でも答えてくれる人というのはあまり信用がおけないわけです。自分の持ってる知識の範囲内で言ってるだけだろうと思うから。思考の限界まで考えに考えてる人は、あ -
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「ほしいものが、ほしいわ」。糸井重里が西武百貨店のために制作した広告コピー、哲学者の鷲田清一さんによると、時代の根源語と云う点で哲学と相通じるものがあるのだと云う。時代の大きな変容、しかし感触としてはあっても何なのか判らない、そのもやもやを一瞬にして結晶させるもの、それが哲学の言葉であり、広告のコピーと云えるのだ、と。
確かに、この「ほしいものが、ほしいわ」のコピー、これは単純に「欲しいものが欲しい」というただの反復語ではない。今、この刹那に欲しいと思うものが欲しいのであって、翌日にはもう欲しいと思っているとは限らない。例えば、女子学生がルイヴィトンのバッグを欲しいと思うその瞬間が欲し -
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非常に難解。特に中盤あたりはとりわけ難解で
理解するのが一苦労でした。まだ全部がわかったわけ
ではないと思いますが。また哲学の本質的な書物を
読みたいと思います。
”答えがすぐにでない、あるいは答えが複数ありうる、
いや答えがあるかどうかもよくわからない、
そんな問題群が私たちの人生や社会生活を
取り巻いている。そんなとき大切なのことは、答えが
まだ出ていないという無呼吸の状態にできるだけ
長く持ち耐えられるような知的耐久性を身につけること”
このことは非常にいい文章だと思います。が。。
本の中で哲学的殺し文句として紹介されている文書
『自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係する
ところの