わかりやすいはわかりにくい? ――臨床哲学講座

わかりやすいはわかりにくい? ――臨床哲学講座

ビジネス・実用
902円 (税込)

4pt

ひとはなぜ、自由が拡大したのに不自由を感じ、豊かな社会になってかえって貧しさを感じるのか。「自由」「責任」の本質は何か。哲学の発想から常識とは違う角度からものを見る方法を考える。人々と対話し思索を深める“臨床哲学”の立場から、複雑化した社会のなかで、自らの言葉で考え、生き抜いていく力をサポートする。

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わかりやすいはわかりにくい? ――臨床哲学講座 のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

     生きてゆくうえで本当に大事なことにはたいてい答えがない。答えではなくて問うこと、それ自体のうちに問いの意味のほとんどがある。
     大事なことは困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分のなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水しつづけるということなのだ。

     「受験勉強でついた頭の癖というのは存外しつこかった。」との鷲田さんの言葉に、自分自身の頭の使い方もそういうことかなと思った。短い時間で要領よく点数を稼ぐ方法を考える。わからなければ答えを見て、そこから解法を考える。常に答えをはやく探そうとしてしまう。
     意味、人格、責任、自由など13章に、身近な例を挙げながら優しい語り口で考えが述べられている。答えとして書かれているのではなくても、考えるヒントになることがたくさん書かれていた。特に、身近な人間関係について大きなヒントをもらった。
     少しずつまた読み返していきたいと思った。

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    2023年04月15日

    Posted by ブクログ

    自分がうだうだ悩んでることに対して先人たちはもうずっと前から深く考え続けていてその軌跡を遺してくれてたんだなあ
    鷲田清一さんの本、他も必ず読んでみよう

    意識はしばしば感覚のひだのなかに身を潜めている。重ねられた唇と唇のあいだ、閉じられた瞼、収縮した括約筋、拳をにぎりしめたときの手、押しつけ合った指、組み合わされた腿と腿のあいだ、一方の足の上に置かれた足といった場合がそれである。(……)皮膚の組織は自らの上に折り畳まれているのだと思う。肌は己自身の上に意識を持っており、また粘膜も自分自身の上に意識を持っている。折り畳まれたひだもなく、自分自身の上に触ることもないならば、真の内的感覚も、固有の肉体もないだろうし、体感も感じなくなり、(……)静止したような失神状態の中で意識もなく生きることとなろう。
    悔しくて唇をぐっと噛みしめるとき、気合いを入れようと括約筋をぐっと締めるとき、大事なひとの安全を祈ろうとしっかり掌を合わせる時、そのときその皮膚が合わさった場所にこころはあると、セールは考えるのである。

    顔を見つめあうとき、まなざしはすぐに金縛りにあったように、凍りつき、凝固してしまう。目がかち合うと、まなざしはたがいに密着してしまい、相手のまなざしを見るということ、つまり距離を置いて対象として見ることは不可能になる。見ることそのことが膠着するか、そのような膠着のなかで視線を無理やり引き剥がすか……。いずれにしても平静に相手の眼を見つづけることはできない。
    ……顔と顔のあいだは、言ってみれば、こうした粘着と引き剥がしという相反する力が交差する場、いわば磁場のようなものなのである。
    ……それは対象となることを拒む。それほどまでに顔は壊れやすい。じっと見つめられたときの居心地の悪さを思い出せばよい。視線が、見返す眼が、顔を壊し、歪める。かぎりなく近くにありながら、まさにそのときにもっとも遠ざかり、もっとも隔てられているというこのもどかしさを経験したことのないひとなど、たぶんいないだろう。

    つまり、人間の記憶というのは、縦並びから横並びへと徐々に変わってゆく。記憶は、若いあいだは何がどの年に起こったかが克明に記録されるクロノロジー(年代記)のかたちをとるが、やがてだいたいあの頃と言うふうに前後の秩序だけがはっきりしているパースペクティブ(遠近法)に移行し、最後は遠近もさだかでない1枚のピクチュア(絵)になる、というのだ。……ここには〈時〉をリニアに流れるものとしてとらえるのとは全く別の感受性がある。始めと終わりで区切られる直線の時間ではなく、ぐるぐる循環する円環の時間、輪廻転生の時間でもなく、別の「いま」が折り重なり、散乱している、そんな時間である。
    〈時〉がばらけていくと言うのは、自分が、いや世界そのものがばらけてゆくということでもある。世界がそのようにばらけていって、「1枚のピクチュア」のようになったとき、世界はきっと、自分にとって意味のあることばかりが充満していながら、しかしどこか不気味な光景として現れてくるだろう。じっさい、過去のあるイメージが意識の中に現れることを拒み、それを無意識の中に圧しつめてきたわたしたちのそれじたい無意識の操作が、ある時不意にむき出しになることがある。その時、異なる「いま」の散乱のなかで、壮年期まで必死で紡いできた物語がばらけ、これまで意識したこともなかった別の下絵が浮き上がってくる。そのことによって、わたしたちはこれまでの「わたし」の外に出る。

    つまり、苦しみや鬱ぎを当初あったのとは別の地平と移し変えるところに、他者を前におのれについて語ることの意味はある。語るということは、相手に回答をもらうということではない。見えない自分の姿を移すために、その鏡の役を相手にしてもらうことであるのだ。
    ……言葉というのは不思議なもので、交わせば交わすほどたがいの違いが際立ってくる。たがいに理解しあうということ、相手のことをわかるということは、相手と同じ気持ちになることだと思っているひとが多い。しかしそれは理解ではなく合唱みたいなものであって、同じものを見ていても感じることがこんなにも違うのかというふうに、違いを思い知らされることが、ほんとうの意味での理解ではないかと思う。
    ……聴くというのも、話を聴くと言うより、話そうとして話しきれないその疼きを聴くということだ。そして聴き手の聴く姿勢を察知してはじめてひとは口を開く。そのときはもう、聴いてもらえるだけでいいのであって、理解は起こらなくていい。
    ……こうして一つ、たしかなことが見えてくる。他者の理解とは、他者と一つの考えを共有する、あるいは他者と同じ気持ちになることではないということだ。むしろ、苦しい問題が発生しているまさにその場所にともに居合せ、そこから逃げないということだ。

    むきだしの〈個〉
    できないことを「できる」ことの埋め合わせるべき欠如と考えるのではなく、「できない」ことそのことの意味を考え、そこからあえて言えば、「できなくなることでできるようになること」というか、かならずしも「できる」ことをめざさない、そういう生のあり方をこそ考えねばならないであろう。

    家族とは葛藤のるつぼである。しかもそこから下りることを許さない関係である。よほどのことがなければ解消できない関係である。

    では、思考のその肺活量とは何か。それは、いますぐわからないことに、わからないままつきあう思考の体力と言ってもよいし、あるいはすぐには解消されない葛藤の前でその葛藤にさらされつづける耐性と言ってもよい。
    ……「これはこれです」
    曖昧なものを曖昧なままに正確に表現する、一箇所もゆるがせにしないで、正確に、これしかないという表現へともたらすこと、これが画家の力量である。
    ……大事なことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分のなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水しつづけるということなのだ。それが、知性に肺活量をつけるということだ。目の前にある二者択一、あるいは二項対立にさらされつづけること、対立を前にして考え込み、考えに考えてやがてその外へ出ること、それが思考の原型なのに、そうした対立をあらかじめ削除しておく、均しておくというのが、現代、ひとびとの思考の趨勢であるように思われてならない。

    哲学の仕事は、だれもが仄かに感知しているのにまだよく摑めていない、そういう時代の構造の変化に、概念的な結晶作用を起こさせることにあるはずだ。未知の概念をそこに挿入することで、その変化にある立体的なかたちを付与するものであるはずだ。時代はつねにそういう発見的な言葉を求めている。
    そういう視界を概念によって開くためには、「わたしたち」の生のうんと外側に光源をとって世界を見るようなまなざしが必要である。「わたしたち」の思考のなかに安住していては、そういう補助線は引けない。ひとが見たいと思っているのは、その視野のなかで最良のものでしかない。ひとは「わたしたち」の外輪山のさらにその外側に視点をとって、いわばもっと「大人げない」夢を見なければならない。
    →プロレタリア、無意識、狂気、飼い慣らされていない生の芸術(幼児や精神障碍者の描画)、過去の社会

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    2021年12月01日

    Posted by ブクログ

    responsibilityとかhospitalityの意味についての話が、なるほどなぁと思った。意味をただ探すのではなく、保留してみるというのも一つなんだなと思う。特に意図したわけではないけど、医療や子育てにつながる話があったのが大きな収穫でした。

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    2011年11月16日

    Posted by ブクログ

    〝ほんとのところよくわからない、とほんとうに思うようになるのが、ひょっとしたら老いのしるしなのだろうか。
    死ぬ前に、理解できなくとも納得だけはしておきたい。自分がここにいる、いた、という事実を。
    あるいは、ついに理解できなくても、このことがわからないという、そのことだけはわかっておきたい……。
    近ごろ、しきりにそう希うようになった。〟

    と、いう書き出しではじまるこの本は、「モードの迷宮」や「じぶん・この不思議な存在」の頃とはまったく異なる雰囲気を発している。
    〝老い〟というものを見つめだしたからだろうか、その文章からは不思議な魅力が漂ってくるように思える。

    文章が成熟しきっていて、一文一文を読むたびに感動してしまう。いつか自分もああいう文章を書けるようになりたい。


    しかし、あまりに文章が上手であるということは、同時に大きな危険性をはらんでいる。
    完璧な文章で書かれると、内容までなんだか完璧に思えてしまう。批判しようとする視点が失われ、無批判にそれを受け入れてしまいがちになるのだ。
    その点は気を付けながら読まないといけないな…と常々思う。
    (篠崎)

    0
    2011年06月11日

    Posted by ブクログ

    わかりにくい問いをわかりやすい形にパッケージングし答えを出すことが知的な営みと思われる節があるが、わかりやすくする中で削ぎ落とされてしまうものの中に本質が宿っているかもしれない。
    本質を失った問いは解いても解いても解決には向かわない。
    まずはそのまま受け入れる、向かい合う事が良く生きる為の第一歩かもしれない。

    0
    2022年01月29日

    Posted by ブクログ

    苦手な鷲田さんに少しでも慣れるため、
    意識して彼の著書を読むことにする。

    でも、わかったような、わからないような。

    まったくわからないのなら、
    こんなに苦しまなくてすむのに・・・
    自分の読解力不足に打ちのめされるわ。

    0
    2016年06月04日

    Posted by ブクログ

    大学受験を控えた者が必ず通る道にいる鷲田さん。
    現代文の問題で苦労した記憶があります。
    心に余裕をもって読んでみると感じられるところが多くあります。

    高校時代の自信のなさからくる焦り。言いようのない不安。自分の存在意義のゆらぎなど…。
    私は落ち着かないまま高校時代を過ごしました。どうすれば、焦りから解放されるのか、何をすれば自信がつくのか…。
    こんなことを感じる人がいたら読んでみてほしいと思います。
    考え方の根本から見直すことができます。

    きっと心の処方箋になります。

    0
    2014年12月31日

    Posted by ブクログ

    【目的】
    学生時代の知識欲を取り戻す

    【引用】
    ・幼子から青いひとまで、共通しているのは、ことがらには1つしか真理がないこと、そしてその真理はいまあきらかに「われ」の側にあるという確信だろう。
    ・人間の弱さはそれを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。
    ・…いま起こっている理解困難な問題、その本質が誰にもまだ見えていない問題を、自分がこれまでに手に入れた理解の方式で無理やり解釈し、歪めてしまうというのは最悪の対処の仕方であろう。

    【感じたこと】
    鷲田清一を追いかけて10年以上経つ。どこかで読んだことのある文章だと思いながらもどこで読んだか思い出せない。
    自分は成長しているだろうか。同じ場所をぐるぐると回っているだけではないだろうか。このように問うこと自体が、この本の言わんとするところなのだろう。

    【学んだこと】
    問い続けること。問いの答えを探すことよりも問いの意味を考えること。
    自立とは1人で立つことでもなく、支えあうネットワークの中で「助けてくれ」と声を上げれば、すっと手を差し伸べてくれる。そして自らも差し出すことができるようになること。見ず知らずのなじみのない人とも上手くやってゆけるように自分を鍛えること。

    【行動】
    問いを発し続けること。
    問いの意味を考え抜くこと。

    0
    2011年05月10日

    Posted by ブクログ

    旅のお供の一冊。
    さくさく読める本でした。
    「ネガティブ・ケイパビリティ」につながる内容だったので、今の私にぴったりでした。

    0
    2017年09月16日

    Posted by ブクログ

    NHKラジオ『こころをよむ』の講義テキストを加筆訂正した本です。「意味について」「ふるまいについて」「人格について」など、13のテーマをめぐって議論がなされています。

    「臨床哲学講座」というサブタイトルが示すように、われわれの生活に密着したところから著者らしいしなやかな知性が静かに歩みを進めていきます。哲学的エッセイですが、池田晶子のような力みは感じられません。そこに、少しもの足りなさを覚えてしまうこともあります。

    0
    2017年11月29日

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