鷲田清一のレビュー一覧
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ネタバレ「実績をあげてから、モノを言え」
職場の上司に、こう言われたことがあります。
それ以上、何かを話したい気持ちになれず。
上司の話を、適度に聞いて流してしまいました。
実績って、何だろう?
売り上げ?
企画立案の数?
たしかに、数字で示せる実績は、大事。
でも、
正直なところ、私は、「実績をあげる」という目標に、あまり気持ちが燃えない。
どこか、冷めて見ています。
そういう姿勢を見透かされているから、「実績あげてから、モノを言え」と、言われてしまうのかなぁ…。
私の話は、愚痴や文句のように受け取られたのかな? と思い、
少し、凹みました。
最近、読んでいる鷲田清一さんの著書「大事なもの -
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【目的】
学生時代の知識欲を取り戻す
【引用】
・幼子から青いひとまで、共通しているのは、ことがらには1つしか真理がないこと、そしてその真理はいまあきらかに「われ」の側にあるという確信だろう。
・人間の弱さはそれを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。
・…いま起こっている理解困難な問題、その本質が誰にもまだ見えていない問題を、自分がこれまでに手に入れた理解の方式で無理やり解釈し、歪めてしまうというのは最悪の対処の仕方であろう。
【感じたこと】
鷲田清一を追いかけて10年以上経つ。どこかで読んだことのある文章だと思いながらもどこで読んだか思い出せない。
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ネタバレ[ 内容 ]
ピアシング、拒食・過食、あるいは性。
本来なら、ひとを癒し快くする行為が、身体への攻撃として現象している今。
わたしたちは、なにか身体に深く浸透しているはずの「智恵」と「想像力」を失いつつあるのではないか。
医療システムを通してしか関与できない非人称の身体と、フィットネスなどによって完璧に支配されるプライヴェイトな身体。
引き裂かれた身体の状況をさまざまな角度から論じながら、他者との関わりにおいてこそはじめて存在する「身体」の本質について考える。
[ 目次 ]
第1章 パニック・ボディ―身体がアブない。
第2章 からだの経験―身体はいつもアブない。第3章 からだの幸福(間奏1) -
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ファッション心理学(?)の本です。
流行に乗っかるも乗っからないもスタイルの一つではあるんだなぁと思いました。
モードは自身を裏切ることを宿命としていると言われると、そうだなぁと思うと同時に
じゃあ確かなファッションというものはあるのだろうかと考えてみたり。
他者を慮るファッションという考え方も私には新しいものでした。
京都生まれで舞妓さん(ドレスアップの極み)とお坊さん(ドレスダウンの極み)を
見て育ったことが著者に影響を与えたそうです。
ちょっと新しい発見が多すぎて何を書こうか迷うくらい面白い本でした。
「モードは、いまなにかが終わり、別の新たななにかがはじまりつつあるという感情を煽 -
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著者:鷲田清一(角川ソフィア文庫・700円) 評者:山崎正和
毎日新聞 毎日の本棚より
サブタイトル:とつおいつ、ラディカルに
人はみな、選択権を行使して生まれてくるのではない(※)。
自らの意思で生まれたのではない命。
とはいえ、生まれ落ちたそのときから、否、受精したその瞬間から、
細胞レベルでは、そこに宿った命を存続させようとするエートスが
備わるといってよいだろう。
だが。
生を選択するということは、他方の選択肢に死が存在することと
表裏を為す。
死も一つの選択肢として存在するのに、なぜ殆どの人はすべからく
生を第一義とし、死を選ばないのか。
死を選択するということに、どの -
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「何かを伝えようとする時に発する言葉、見つめる視線、そして沈黙」 誰かとコミュニケーションをする際に、当然のように行っている筈の「聴く」という行為を、「他人を受け入れる」という行為としてあらためて考えている本です。 また、「他人を受け入れる」行為を職業としている人達 - 医者、看護婦、カウンセラー、教師……etc,etc - にとって、日常化している「他人を受け入れること」「ホスピタリティ」とどうつきあうか、それによって生じるストレス・問題をどうするべきなのか、といった問題に真っ向から取り組んでいます。 哲学にあえて「臨床」の名を冠し、あくまで現場(職場というだけでなく、介護や家族の問題もふく
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「待つことは、待たれているものとのあいだの、切っても切れない、しかしけっして埋めることのできない距離を、いたみとともに、しかしあくまでもいつくしみともに、ひきうけること」という文句に強烈に引かれた。大好きな人を失い、返事が来ないのに縋るようにメールを送り続けてしまう今の私に、必要な本だと思った。
本書は「一切の希望がついえ、できることがなくなり、憔悴しきり、それでもなお『待つ』とき、それはいかなる行為なのだろう?」という問いに貫かれていた。
やっぱり哲学書は難しく、理解できなかった部分もたくさんあるけど、私はこの答えを、「祈りや希いを超越し、自分のイニチアシブを一切放棄し、ただ何が起きる場を -
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オノマトペは、表現しがたい思いを表出するための発明のようなものなんだなと感じました。心と言葉を繋ぐ、とても興味深いオノマトペ論でした!
前半のオノマトペの例の文章を読んでいる時、どうしてはっきりとした定義を習った訳でもないのにも関わらず、ころころとごろごろなど少しの違いしかないオノマトペを多くの人は使い分けができるんだろう?と思っていました。
読み進めると、以下の文章がありました。
「オノマトペとして表出されるのは、意味として分節される以前の、言語の原体ともいうべき感覚である。これらはたしかに〈わたし〉の身体の奥深くに潜む感覚の記憶ではあろうが、けっして私秘的なものではない。」p157
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あとがきにもあるが、「哲学」と「エッセイ」をひとつに編んだ文章であり、決して小難しく考えるものでなく、身近に哲学することが存在していると感じさせてくれる。
個人的に印象に強く残ったのが”対話ワークショップ”であり、平田オリザ氏が開かれた対話ワークショップに著者が参加された時の話になるのだが、なるほどと思わされた。
ワークショップの内容自体は省かさせていただくが、平田オリザ氏云く「何をイメージしているかが問題なのではありません。どのようにイメージしているかというコンテクストをきちんとつかまないと、コミュニケーションにならないのです」と。
最後に著者の言葉で締めくくられるのであるが、ここでも