鷲田清一のレビュー一覧
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市バス循環206番の沿線の景観・風俗を題材にした京都論、都市論、コミュニティ論、哲学、そして一風変わった京都案内の本であり学者さんの本。本書自体が万華鏡のような切り口によって様々な表情を見せ、至る所にあやかしの異界が顔をのぞかせる京都を体現しているように思える。
などと難しいことを考えなくても、素直に206番に乗って京都をぐるりと回る前に予習しておく本として読めば良いのではなかろうか。ただし実際に206番に乗るときには本書を持っていくような無粋なことをせずに、読後の記憶をたどりながら回るのが京都や本書の楽しみ方だと思う。
「おもろい」本としてオススメです。 -
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ネタバレ「実績をあげてから、モノを言え」
職場の上司に、こう言われたことがあります。
それ以上、何かを話したい気持ちになれず。
上司の話を、適度に聞いて流してしまいました。
実績って、何だろう?
売り上げ?
企画立案の数?
たしかに、数字で示せる実績は、大事。
でも、
正直なところ、私は、「実績をあげる」という目標に、あまり気持ちが燃えない。
どこか、冷めて見ています。
そういう姿勢を見透かされているから、「実績あげてから、モノを言え」と、言われてしまうのかなぁ…。
私の話は、愚痴や文句のように受け取られたのかな? と思い、
少し、凹みました。
最近、読んでいる鷲田清一さんの著書「大事なもの -
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【目的】
学生時代の知識欲を取り戻す
【引用】
・幼子から青いひとまで、共通しているのは、ことがらには1つしか真理がないこと、そしてその真理はいまあきらかに「われ」の側にあるという確信だろう。
・人間の弱さはそれを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。
・…いま起こっている理解困難な問題、その本質が誰にもまだ見えていない問題を、自分がこれまでに手に入れた理解の方式で無理やり解釈し、歪めてしまうというのは最悪の対処の仕方であろう。
【感じたこと】
鷲田清一を追いかけて10年以上経つ。どこかで読んだことのある文章だと思いながらもどこで読んだか思い出せない。
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ネタバレ[ 内容 ]
ピアシング、拒食・過食、あるいは性。
本来なら、ひとを癒し快くする行為が、身体への攻撃として現象している今。
わたしたちは、なにか身体に深く浸透しているはずの「智恵」と「想像力」を失いつつあるのではないか。
医療システムを通してしか関与できない非人称の身体と、フィットネスなどによって完璧に支配されるプライヴェイトな身体。
引き裂かれた身体の状況をさまざまな角度から論じながら、他者との関わりにおいてこそはじめて存在する「身体」の本質について考える。
[ 目次 ]
第1章 パニック・ボディ―身体がアブない。
第2章 からだの経験―身体はいつもアブない。第3章 からだの幸福(間奏1) -
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ファッション心理学(?)の本です。
流行に乗っかるも乗っからないもスタイルの一つではあるんだなぁと思いました。
モードは自身を裏切ることを宿命としていると言われると、そうだなぁと思うと同時に
じゃあ確かなファッションというものはあるのだろうかと考えてみたり。
他者を慮るファッションという考え方も私には新しいものでした。
京都生まれで舞妓さん(ドレスアップの極み)とお坊さん(ドレスダウンの極み)を
見て育ったことが著者に影響を与えたそうです。
ちょっと新しい発見が多すぎて何を書こうか迷うくらい面白い本でした。
「モードは、いまなにかが終わり、別の新たななにかがはじまりつつあるという感情を煽 -
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著者:鷲田清一(角川ソフィア文庫・700円) 評者:山崎正和
毎日新聞 毎日の本棚より
サブタイトル:とつおいつ、ラディカルに
人はみな、選択権を行使して生まれてくるのではない(※)。
自らの意思で生まれたのではない命。
とはいえ、生まれ落ちたそのときから、否、受精したその瞬間から、
細胞レベルでは、そこに宿った命を存続させようとするエートスが
備わるといってよいだろう。
だが。
生を選択するということは、他方の選択肢に死が存在することと
表裏を為す。
死も一つの選択肢として存在するのに、なぜ殆どの人はすべからく
生を第一義とし、死を選ばないのか。
死を選択するということに、どの