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ひとは他者とのインターディペンデンス(相互依存)でなりたっている。「わたし」の生も死も、在ることの理由も、ひとや社会とのつながりのなかにある。日常の隙間からみえる「問い」と向き合う思索のエスプリ。
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Posted by ブクログ
鷲田清一の単独著書を読むのは本書が初めて。 臨床哲学を標榜するだけあって、日常にマッチした柔らかな語り口で鋭い視点を投げかけてくれる。
鷲田清一さんの最新刊。『噛みきれない思い』の文庫版です。 本書を読んで思ったけど、やっぱり、自分はこのひとが考えているようなことを考えるのが好きなんやなあと。 やさしくて、深くて、思考を促される。いつの間にか「うん、そうやんな」って頷いてしまうような、そんな感覚。 むずかしい部分もあるけど、鷲田さん...続きを読むの著作のなかではいちばん好きかな。やっぱり、鷲田さんはエッセイやなあ。 文庫版のあとがきで書かれている、エッセイ『むこうも降っとる』はほんまに書かれるんやろうか…?ひそかに楽しみにしておこう。
高校の頃に知ってから度々読んでる鷲田清一さんのエッセイ集 『間合い』『違い』の章が特に楽しかった 所々当たり前に進められる論理に?となることがあっだけど多分それは世代による価値観の違いか自分の教養が足りないんだろうなって思いながら読み進めた 身近にこんな堅苦しいおじさんがいたらたまに会いたくなるんだ...続きを読むろうな
哲学者、鷲田清一さんのエッセイ集。 わたしは「いない」より「いる」ほうが本当に良かったの…60歳近くまて生きてきて、この問いからわたしはまだ放たれていない。いまは、じぶんの存在をそのまま肯定することが難しい時代なのだと思う。 最初の方だけでも一読の価値ありです。 別書『岐路の前に立つ君たちへ』もオス...続きを読むスメです。
ケアする側の職業に就いている一人として、身の引き締まる思いというか、自分の価値観を読みながらまた再構築していくような気持ちだった。全体的に批判が多いような気がしたが、腑に落ちる部分もあり。この人の考えに全て納得するわけではないが、「これからの日本、どうなるのかなあ、自分たちが少しずつ変えていかなけれ...続きを読むばいけないんだよなあ」と読んでて思わされる文章が多かった。
まだ、読みかけだけど… 私が存在している理由って何? という長年悶々と考えているテーマが語られていて 面白い。
哲学書。自分とは何か、死とは何か、今の教育とは、言葉とは、など、じっくり物事を考え直す機会を与えてくれる本。水筒の話が好きだった。
・様々なテーマから、「表層」への享楽が浮かび上がる 哲学教師の職を得た三十代には、ひとが科学の基礎づけなどという「重い」仕事をやっているときに、顔や皮膚というもっとも表層的な主題に没頭した。そのあと、二十世紀の思想史から消え、だれも見向きもしない二つのテーマ、所有と幸福の問題に取り組んだ。 こだ...続きを読むわる対象は刻々と変わってきたけれど、こだわりそのものは全然変わっていない。が、そのかたちには心なしかうらぶれたところがないではない。そう、洗い場の使い古したスポンジのように。 >>>本書、p214 この部分で出てくる、「表層」が、ケアや政治の言説、デザインからファッション、ブランド、果ては教員としての試験との向き合い方や恋愛にまで、その語りの紡ぎ方を決めていたように思う。 これは、千葉雅也『勉強の哲学』で語られていたところの「享楽」、つまり偶然の出会いの痕跡として反復されるテーマであり好き嫌いの基準であると感じた。 こういった享楽があることで、多くの人が見逃してしまうであろうキザなイタリア野郎の仕草からも哲学が紡がれる >>> 空を向いて、イタリアらしいまぶしいばかりの陽射しを久しぶりに顔いっぱいに浴びるはずが、ふと、ひとりの男に眼を奪われてしまった。顔にではない。支配人のくせに仕事は店員にまかせ、壁にもたれたり、外の風景をぼんやり見つめたり、下を歩いているらしい顔見知りに手を振ったり……。きざなのである。が、優美なのである。そのぶらぶら歩き、しどけなさが。 (中略) ふと、家の犬のことをおもった。離れにつながる通路のところで、犬がお座りをして、じっと庭を眺めている。その姿が妙に高貴に見えるのである。そうか、イタリア野郎もそうだったが、人間的であるという以上に、動物的であるということのその先にこそ高貴さが漂うのではないか。 フランス語のコスメティックが、コスミックから(英語ならコスメティックスがコズミックから)きていることをご存じだろうか。化粧はもともと宇宙へのご挨拶といった意味をもっていて、あのきらびやかな色に染め上げられた鳥や花に対抗するかのように、空や土に溶け込むかのように、あるいはもっと激しく、しばしのあいだ獣や鳥に変身しようとして、からだに色を塗り、皮膚を刻み、羽根を身につける……。ところがいまの化粧ときたらどうだろう。視線は宇宙ではなく、社会に、他のひとびとに向いている。そしてひとびとのあいだでじぶんがどんなふうに映るか、じぶんの存在をもっと「上等」に見せるにはどう装ったらいいか、つまりそのためのセルフ・イメージの演出や微調整にかまけている。みすぼらしいコスメティックである。 動物的であるというのは、社会よりも宇宙に感応するということなのかもしれない。その微細な気配の変化に感覚を研ぎ澄ませているということ。平原にひとりたたずむ鹿の、あの、ぴぴっと動く耳のように。 >>>p178 イタリア野郎から、動物的であることや化粧へ飛躍する足場としての「表層」という享楽。あるいは、『フローとストック』の枠組みで言えば、単に「イタリア野郎」とラベリングすることで常識的=具体的ストックとして処理するのではなく、特異な一例=具体的フローとして世界を解釈しなおし楽しむための表層の哲学という弛緩剤。 エッセイは平易な言葉で語られるからこそ、哲学者が書いていても人間らしい部分が浮き立つのだなと思った。
すごく久しぶりに再読 つらつらと書かれたエッセイ集 一つ一つの文章は短いので、一つの主題をそこまで掘り下げない さらりと読めてしまう 考えることの取っかかり集といったかんじ
「実績をあげてから、モノを言え」 職場の上司に、こう言われたことがあります。 それ以上、何かを話したい気持ちになれず。 上司の話を、適度に聞いて流してしまいました。 実績って、何だろう? 売り上げ? 企画立案の数? たしかに、数字で示せる実績は、大事。 でも、 正直なところ、私は、「実績をあげ...続きを読むる」という目標に、あまり気持ちが燃えない。 どこか、冷めて見ています。 そういう姿勢を見透かされているから、「実績あげてから、モノを言え」と、言われてしまうのかなぁ…。 私の話は、愚痴や文句のように受け取られたのかな? と思い、 少し、凹みました。 最近、読んでいる鷲田清一さんの著書「大事なものは見えにくい」の中に、 次のようなことが書かれてありました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何をするわけではないが、 じっとそばにいるということがもつ力を評価することを 私たちの社会は忘れている。 例えば、昨今、いろいろな機関で義務付けられている「評価制度」。 そこでは、どんな計画を立て、それがどれほど達成されたかばかりが問われ、 どれだけじっと待ったとか、 どれだけじっくり見守ったかなどということは 評価の対象にはならない。 評価されるのはアクティブなこと、 つまり、何をしたかという行動実績ばかり。 パッシブなこと、 あえて何もしないで、ひたすら待つという受動的なふるまいに注目されることは およそない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 営利企業であれば、売り上げをあげなければ継続が難しいし、 社員が何もしないでは成り立たないと思います。 でも、アクティブなことばかりを評価していると、 上面だけのぎすぎすした組織になりそうです。 それは、結局、めぐりめぐって、組織の発展にはならないと思うんだけど…。 私が言っても、説得力ないかな。 そもそも、人と人を比べて評価する(される)方法が好きではないので、 会社という組織は、ちょっと窮屈なのかもしれません。
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