鷲田清一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
良い本だった! ファッションそのものというか哲学の本で、時代に廃れぬまなざしがある。身にまとうものを含めた自分というおしだしについての哲学。
その人がそのまま表出されているすがたというのが一番魅力的なんだと語るような場面(ちょっと受け取り方に語弊があるかもしれないけど)が何度となくあって印象的。あるがままのシワとか、そのひとの人生史(時間の澱という言葉が心に残る)をいつわらぬ顔というものに価値を見いだすこと、それはやはり豊かだよな、かくありたいね、と思える。
そしてなにより言葉選びがつくづくツボで、非常につやっぽい。読んでて無性にどきどきした。乾いた肌に湿り気を取り戻すような読書体験だった -
Posted by ブクログ
「死ぬ」ではなく、「死なれる」事が、<死>の経験のコア
今は、何かをする中で、ではなく、何かをする前に、自分にどんな個性があるのかを自問する時代。
ケア:一方が他方の世話をしながら見返りは求めない。一方的な搾取の関係。
家族の形は多様化している。婚姻の形にとらわれないペアや共同家族の存在。核家族を社会のユニットとは思わなくなっているが、住居の方は相変わらず核家族を前提に作っている。核家族に代わる社会的なユニットの可能性が見えておらず、定形を失った家族の多様なあり方をゆるやかに受け入れられる空間構成のモデルがない。
生老病死への対応、ほとんどすべてを外部サービス機関に委託するようになった近代家族は、生活過程を公共の機関に寄生させるホームレスとおなじ形態をとるようになっている。
死は、本人や関係者のイニシアティブの及ばないところで処理される出来事になってきている。
教育とは、人として生きる上で編み出したやむにやまれぬ知恵を世代から世代へと伝えること。
学級崩壊は、子供たちがみえなくなったわけでもなく、子供たちが荒れ出したのでもなく、教師の質が落ちたのでもなく、ここまで放置し続けてきたシステムn不具合がついに臨界点まできてしまった結果。同調性の高いクラスを解体して、不確かだが、生きる喜びと確実に結びついたパーソナルな営みとしての学びの方式を探る事が必要。
生きる上で最も基本的な出来事が最も見えにくい仕組み(汚物処理、精肉)
高齢化社会:仕事や子育てを終えてからの人生が長い、というのは人類が初めて経験する人生の段階
わたしのいのち、は、わたし、のものか、否。しかし、わたし、は、わたしのいのち、なしには存在しない。
いのちがつながりの中にあることをきちんと覚え込ませる日常生活の中の先人たちの工夫。いただきます、ごちそうさま。
かつては人は立ち止まって考えたが、現在はそれが難しい。走りながらでしか、時代に距離を置けない。孤独になれるのも、そういう時だけかもしれない。ぶらぶら歩きも難しくなって、今はぶらぶら乗り、が宝の時間。 -
Posted by ブクログ
過去の哲学者の引用を用いながら展開される幸福論と、身近なストーリーで語られる「生きること」や「わたし」。
自分の今までの人生と重ね合わせて、そうかもなあ。と思うようなこともあり、この本で学ぶ。というより、この本で自分を振り返る。ことができる気がする。
タイトルを見たときに想像していた内容とは違ったが、よしなんとか生きようかとかも思わなかったが、自分に閉じこもらないようにしようとは思えた。人としての成熟とは何か、幸福とは?、自分のいのちをどう考えるか?。理論武装でこうあるべし、と語らず、ある意味作者の頭の中で「これはこういうことかあ」と語られる文章に、ほっこりさせられた。てかこれが「エッセイ」なんだろうな。 -
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内田樹『身体に訊く』-言葉を伝えるということはどういういことか
加藤典洋『僕の夢』-中高生のための「戦後入門」
高橋源一郎『表と裏と表』-政治の言葉について考える
平川克美『人口減少社会について根源的に考えてみる』
小田嶋隆『13歳のハードワーク』
岡田憲治『空気ではなく言葉を読み、書き残すことについて』
仲野徹『科学者の考え方』-生命科学からの私見
白井聡『消費社会とは何か』-「お買い物」の論理を超えて
山崎雅弘『「国を愛する」ってなんだろう?』
想田和弘『「中年の危機」にある国で生き延びるために』
鷲田清一『社会に力がついたと言えるとき』
以上11人の寄稿文
内田樹氏の以下の呼びかけに対応して書かれたもの
『刻下我が国の政治・経済・メディア・学術・教育・・・どの領域を見ても、「破綻寸前」というのがみなさんの現場の実感ではないかと思います。・・・・私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は「今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか」を責任をもって語ることだと思います。』
各11編の寄稿は、それぞれとても意義ある内容だと思いました。 -
Posted by ブクログ
「今の日本には成熟した大人はいない。メディアに出てくる官僚、政治家、経営者の言動は呆れる程幼稚だが、それでも何とか社会が回っているのは、幼稚な大人でも統治できる社会を長年かけて作ってきたからだ」。こう指摘する著者たちが、幼稚な大人とは何か、なぜ今の日本には幼稚な大人しかいないのか、その幼児性を脱却し成熟した大人となるためにはどうするべきかを語る。
「幼稚な大人」とは、自分の属する社会の現状に自らは全く責任がないと信じ、不満があれば「自分は純然たる被害者である」という立場で責任者探しに走ったり、あらゆるものを費用対効果でしか吟味できない消費者マインドに支配されていたり、ディベートは得意だが対話ができず、他人と連帯することが不得意だったりという、言われてみればよく見るタイプの人々だ。
著者たちは、そんな日本が「成熟した大人のいる国」になるための道として、個人の中に多様性を持つこと、人々が本物と偽物を見分ける力を身につけること、自分と意見を異にする「不愉快な隣人たち」を受け入れることなどを論じているが、それぞれ納得のいく見解で大変面白い。
哲学者の鷲田清一と思想家の内田樹という知識人二人による「大人とはどうあるべきか」の議論は、正に大人になりつつある皆さんにとって大いに参考にしてほしい内容だ。