鷲田清一のレビュー一覧
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「たたかう」「にげる」。ロールプレイングゲームのコマンドのような選択肢を武器も道具も持たない原始社会で求められたら、人類はどうしていただろう。敵は猛獣だ。本書もそうだし、私もそうだと思ったが、とにかく工夫しながら「逃げる」しかなかったのではないか。
この問いから考えていく時、人類が逃げ切れる確率はどうだったか。逃げ足の遅いヤツから食われていく。そうなると男女の身体機能差、大人と子供の身体能力差により、女性や子供が不利になりやすく、人類は世代継承できずに滅びてしまう。
何もせず、ただただ駆けっこを続けていれば、子供の生存は運頼み。子の数を増やす必要が生じるが〈妊婦と子供〉のいずれかが犠牲にな -
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内田樹篇の平成を振り返るエッセイ集。最初に内田氏が言っているように、自由に書いてもらったので統一感はないが、それぞれの書き手の専門分野に応じて、いろいろな平成の断面が見える。中には内田氏ファンである読み手の存在を忘れているのではないかと思われるものもあったが、総じて興味深く読めた。面白かったのはブレイディ氏の英国的「ガールパワー」と日本的「女子力」が全く真逆の意味になるという指摘だった。前者は、女が、女たちの支持を得て女たちをインスパイアすることだったが、後者は、女が、男たちの支持を得て男たちに愛されてほかの女たちより上に立つことだという、なるほど、双方の国民性の一端を垣間見せてくれている。
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『13歳のハードワーク』がいちばん興味深くわかりやすい内容。これを最初の章に持ってくるべきでした。本当に中学生に読んでほしいと思うなら、まず読みやすい文章から載せるのがいいと思います。「こんな難しいこと書いてるオレってすごいでしょ、みんなついてこれる?」って思ってる大人の文章から始められると読もうとする気持ちがなくなります。
中学生は小説以外の文章を読む機会が少ないし、意外とまじめなので本は常に最初から読もうとします。興味のあるところから読もうとは思いません。
そしてこれを書いているおじさんたち、子どもがいるなら精一杯育児に関わったでしょうか?中学生、高校生の息子、娘にしっかり向き合ったとい -
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鷲田さんの著作は「読むとは、読書とはこういう営みだった」ということをいつも思い出させてくれる。スラスラと、流れるようにページを捲ることなどまあできない。何度も同じ文章を行ったり来たりして、一度顔を上げて頭を休めて、また戻ってくる。そうすると、さっきよりもほんの少しだけ言葉が宙を舞わなくなる。「読む」ということ「分かる」ということ、その手触りを思い出させてくれる。
コロナ禍や戦争があったこの時代、社会が何も変わっていない訳などなく、「変わっているのに何にも気づけない」人、日々の瞬間瞬間のスピードに飲み込まれ、考えることを放棄せざるを得ない人が、自分を含め本当に増えているのだと思う。
そのことに -
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わたしが〈わたし〉でありうるためには、わたしは他者の世界のなかに一つのたしかな場所を占めているのでなければならない。(略)……《他者の他者》としての自分の存在の欠落なのである。p27
(自己主張なしでいると相手に飲み込まれる)
電車内……みんなが同じ意識の拘束を受けている。p30
世界に自分を充満させるか、世界から自分を消し去るか。
ぼくたちの日常生活はまさにこの種の強迫観念によって仕立てられているからだ。p47
(ルールという強迫観念)
ディーププレイ 鶏との同一化p59
マイクロフロー活動 マルチチュード
「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ」『河童 -
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1 前のめりの生活
・「時は金なり」という言葉で表現されるように、現代では時間を無駄にしないことが重要だとされる。ジョンロックは、生命と財産の保全のために所有権の理論を構築し、累進的増大を徳目とする思想を提唱した。また、労働は価値ないしは富の源泉とした。資本主義を支えるこの勤勉・勤労というエートスが、人間の活動はたえず価値を生産しなければならない、それもつねにより多く、より速やかに、つまりはより効率的に、という強迫観念を生み出してくる。結果として、現代人は、未来をよりよくするために、今を効率的に生きなくてはならないという思想に縛られるようになった。
2 インダストリアルな人間
・現代では、 -
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著者は母校の大学に在学中、総長をつとめていて、学生の間でも話題にのぼることもあったし、なんかいまだに印象に残っている人なのだけれど、そういえば本は読んだことなかったと思い、目についた本書を読んでみた。
本書はロック、レヴィナス、ヒューム、ヘーゲルらの「所有(権)論」を重ね読みするように展開される哲学的な議論になっている。
正直、哲学は専門でもなく、全然理解できたとは言えないのだが、
「《所有権》は、歴史のある段階で、個人の(場合によっては組織や団体の)自由と独立と安全とをぎりぎりのところで護る権利として措定されたはずなのに、現代社会ではそれが過剰なまでに強迫的にはたらきだして、逆にそれがその -
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古代ギリシャ、ソクラテスの時代には存在していた、「『わたし』とは何か」という問いに、易しい言葉で切り込んでいく、哲学的思考の入門書。
「わたしたちは普通、成長するということは様々の属性を身につけていくことと考えているが、ほんとうは逆で、年とともにわたしたちはいろいろな可能性をうしなっていくのではないだろうか」とは、宮崎駿先生も言っていた。
「わたしがだれであるかということは、わたしがだれでないかということ、つまりだれをじぶんとは異なるもの(他者)とみなしているかということと、背中合わせになっている」とは、ソシュール先生の一般言語学講義に似ている。
「『自分らしさ』などというものを求めてみ -
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「待つ」ことの失敗は、本当にたくさんある気がする。その人の中の何かを結局信頼できないし、待っているその時間が煩わしいと感じるからだろう。
閉じ続けないと不安だ。その場にも空間にも溶け込み、相互に流れるものを自由に享受できるようになるためには何が必要なのだろうか。
何かを「待つ」ことの放棄が、真の「待つ」に繋がるとのことだった。期待と絶望の狭間で社交ダンスを躍り続けらるために必要なものとは何であろうか。
1つ大切なのは、「論じる」のではなく、「吟じる」ことだと思う。そのマインドセットが、ここへ繋がる道となるように思う。
「聴く」こと…の続編とのこと。読む順番逆だったな。まあいいや。