あらすじ
主体と存在、そして所有。著者の重ねる省察は、われわれを西欧近代的思惟が形成してきた「鉄のトライアングル」の拘束から解き放つ!
「ほかならぬこのわたし」がその身体を労して獲得したものなのだから「これはわたしのものだ」。まことにもっともな話に思われる。しかし、そこには眼には見えない飛躍があるのではないか……? ロックほか西欧近代の哲学者らによる《所有》の基礎づけの試みから始め、譲渡の可能性が譲渡不可能なものを生みだすというヘーゲルのアクロバティックな議論までを著者は綿密に検討する。そこで少なくともあきらかにできたのは、「所有権(プロパティ)」が市民一人ひとりの自由を擁護し、防禦する最終的な概念として機能しつつも、しかしその概念を過剰適用すれば逆にそうした個人の自由を損ない、破壊しもするということ。そのかぎりで「所有権」はわたしたちにとって「危うい防具」だという根源的な事実である。主体と存在、そして所有。著者の重ねる省察は、われわれを西欧近代的思惟が形成してきた「鉄のトライアングル」の拘束から解き放ち、未来における「手放す自由、分ける責任」を展望する。
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Posted by ブクログ
著者は母校の大学に在学中、総長をつとめていて、学生の間でも話題にのぼることもあったし、なんかいまだに印象に残っている人なのだけれど、そういえば本は読んだことなかったと思い、目についた本書を読んでみた。
本書はロック、レヴィナス、ヒューム、ヘーゲルらの「所有(権)論」を重ね読みするように展開される哲学的な議論になっている。
正直、哲学は専門でもなく、全然理解できたとは言えないのだが、
「《所有権》は、歴史のある段階で、個人の(場合によっては組織や団体の)自由と独立と安全とをぎりぎりのところで護る権利として措定されたはずなのに、現代社会ではそれが過剰なまでに強迫的にはたらきだして、逆にそれがその自由と独立と安全にとって足枷や桎梏として立ちはだかる、そのような場面が増えている。」との指摘は、仕事の中でも感じるところがあるし、
プラットフォームを巨大な私企業が所有することが問題とされたり、シェアリングエコノミーも注目されている中で、《所有(権)》について、考え直してみるのもいいのかもしれないと思った。
Posted by ブクログ
長い、そして難しかった…。
近代以降の国内外の膨大かつ複雑な「所有」をめぐる哲学・思想から、「所有」とは何かを精緻に定義しようとする試み。
本書の内容を正確には理解できていないが、「所有」は「わたしのもの」ではなく、過去あるいは現代の人から適切に配置された「受託」にすぎない、これを「わたしのもの」って国、社会、個人が誤解しているところに収奪、搾取や戦争、紛争が起きるってことなのかなあと。端的に言えば、人は他の人と共生し世代的に連続してるんだよ、そのことを忘れて好き勝手しちゃだめだよってことだと思う。それはおそら著者の思想的・価値的な核だと考えられる。この点には共感できるところもある。
一方、法律上の「所有権」についてはほとんど触れられていない。著者の専門外なので仕方ないが、法律上の所有権は「わたしのものはわたしのもの」って「伝統」を前提としている、という風に理解されているのかもしれない。しかし、憲法は「財産権」の不可侵性を認めつつ、その内容は「公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」としている。これを受けて民法も(所有権を含む)「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。」とし、「権利の濫用」も禁止している。すなわち、法律上も所有権は他の人たちのことも考えて「適切に」用いるべきことが前提となっている。この意味で、実は「所有(権)」をめぐる著者の主張と法理とはそれほど離れているわけではないと思えた。憲法、民法の研究者からの本書の書評を期待したい。