鷲田清一のレビュー一覧
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ネタバレ日本人の書く哲学入門書というのは、とかく、西洋の哲学のおおざっぱな解説に終わりがち。
本書は哲学は学問のみに終わらず、人間や世界のあらゆる問いを立てるという活動すべてが哲学になる、その対象領域は科学,倫理、芸術、政治、経済さまざまに及ぶ。哲学が近寄りがたいのは、ときに一般人をけむに巻く難解な言術のせいであるが、社会生活を営むうえで欠かせないものである。
臨床哲学者というだけであって、社会のさまざまな身近な事象やときには村上龍のようなエンタメ文学からも素材をとり、哲学への入口へと誘う。
すべてをまったく理解するのは難しいが、この著者には読者を難解な用語で遠ざけるよな俯瞰的な思考が感じられず、 -
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服装ひとつで人の印象はガラッと変わる。
ファッションは自分を表現する手段のひとつ。
どちらもその通りだと思うのだが、「印象(impression)」の反対語は「表現(expresssion)」である。ファッションは元々、夏に着物に薄地の絹織物をはおることで見る人の目を涼ませたり、艶やかな色の服で見る人の心を明るく楽しませたりする、ホスピタリティの精神から来るものであった。だが昨今では、「自分をどう見せるか」という表現の手段として捉えられることがほとんどである。また、その「どう見せるか」という点についても、自分らしさを追求しつつも、流行に乗った結果、結局周りと同じような格好をしているというどうも -
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哲学者鷲田清一の哲学エッセイ最新刊。前作の『大事なものは見えにくい』『おとなの背中』などと同様、著者が新聞や雑誌で発表したエッセイを収録したものである。短い文章で易しい言葉で書いてあるので読みやすいと思いきや、一編ずつその意味する所をきちんと理解し、自分なりの考えをまとめながら読み進めていくためには結構頭を使う。
例えば昨今「自分探し」「本当の自分」などという言葉が流行っているようだが、鷲田は「自分らしいとはどういうことかという問いかけはそもそも奇妙だ」とし、「ありのままの自分」「本来の自分」という言い回しが奇妙なのは、その問いが他者の存在を考えず、自分の中だけでの閉じた状態にあるからだと説く -
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「待つ、ひたすら待つ。その姿は痛々しいものである。」
僕は今、明確な期限を持たない”待つ”という状況に置かれています。そんな中でこの本と出会い、学ぶことが多く有りました。この本を読み待つことの意味、そして待つことが人に何を及ぼすのか、待つことそれ自体のあり方を様々な側面から思考してみることで、今までほとんど本質的な待つという行為を行ってこなかったのではないか、と気付かされました。
現代は常にスケジュール帳が埋まり、毎日、それをこなすことで待つことも無く次々とタスクやイベントがやってきます。気がつくと時は経ち、過ぎ去っています。グローバル化の中で土地、面積的に広い視野を私たちは容易に手に -
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あとがきより。
『待つということにはどこか、年輪をかさねてようやく、といったところがありそうだ。痛い思いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、じぶんを空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときには忘れることもできるようになってはじめて、時が解決してくれたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思っていたようにはならなくて、それであらためて、独りではどうにもならないことと思い定めて、何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、でもじっと見るともなく見つづけることだけは放棄しないで、そのうちじっと見て -
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推薦理由:
阪神・淡路大震災を経験した著者が、東日本大震災から1年経った時点で著した本である。哲学者の立場から被災者の心のケアについて考え、現代社会の問題を指摘し、これから私達がどう生きるべきかを示唆している。柔らかい語り口で、心に響く言葉が紡がれている。
内容の紹介、感想など:
人生とは、自分がこういう人間だという物語を自分に向けて語り続け、語り直していくプロセスである。大震災により、家族、友人、家、職場、地域など、自分の存在の根拠となっている大切なもの(アイデンティティ)を失った人々は、破綻した自らの物語の語り直しに取り組まなければならない。その時、その人達に「話したかったらいつでも -
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成安造形大学の近江学研究所の特別公開講座の講師になった著者の講演を聴いたばかりです。生老病死という基本的能力を「士」という専門家に任せることで発展した社会が、未曾有の震災に対処することができないことが分かった。専門家なしで何もできなくなった。子供が隔離された社会のなかで、大人の視線から守られなくなった。という状況を読み解くのは哲学者である著者の知性である。
もっとも、なんでも資格社会のなかでアーティストたけが資格がいらないというときの著者の話し振りは楽しい。アーティストだけが目的を持たない。すでに誰かに決められた社会に生きている我々はどうするのか。アーティストとともにゼロからのプロジェクトを体 -
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子どものころからの、評価される自分は偽の自分である、という感覚と、仕事をしていてその意味づけに苦労したり、誰かの役に立っているという実感をもとめたりすることが無関係ではないと気付きました。
仕事について書かれた本だけど、これからどうやって生きようか、整理して考えることができます。
阪神大震災の後に書かれた本なので、ボランティアのことも書かれていて、311のあとで感じた、何かしなければ、という感覚と、でも理性ですぐに被災地に乗り込んでいくのを抑えていた時の感じがどこから来ていたのか、分かってすっきりしました。
ここから先、成功も失敗もするだろうけど、自分が仕事に求めることの軸は失わずに、丁寧