鷲田清一のレビュー一覧

  • 「待つ」ということ
    「待つ」という事をテーマにした考察。

    「待つ」必要がない世の中になってきた。
    ・・・というより「待つ」事を極度に嫌うような世の中になってきた、と言うべきか。
    そういう自分も飲食店で行列ができていたら、それだけで行く気が失せてしまうクチなので、偉そうな事は言えた義理ではない。

    すぐ理解できたり、役...続きを読む
  • 悲鳴をあげる身体
    これまで私が読んできた本とは相当に傾向の違うものです。  とても参考になりました。

    身体には、遊び、ゆるみ。すきまが必要という主張には共感しました。
  • 「ぐずぐず」の理由
     「ぎりぎり」「ぐずぐず」などなどオノマトペ(擬態語)を、九鬼周造やメルロ・ポンティ、川田順造などの引用を交え、様々な視点から分析したもの。
     しかしながら、時おり駄洒落も挟みながらアレコレと語る様は、いっそのことエッセイとして楽しむべきかもしれない。
     語に対するフェティッシュな感性にグッときつつ...続きを読む
  • わかりやすいはわかりにくい? ――臨床哲学講座
    responsibilityとかhospitalityの意味についての話が、なるほどなぁと思った。意味をただ探すのではなく、保留してみるというのも一つなんだなと思う。特に意図したわけではないけど、医療や子育てにつながる話があったのが大きな収穫でした。
  • 死なないでいる理由
    家族論、教育論、生命倫理、幸福論、全てを平易で、なおかつ綺麗な日本語で綴っている。ただ途中、西洋倫理思想史に触れる部分が少し難しかった。蛍光ペンで線引きしながら読まずにはいられない。心の底から人に薦めたい哲学エッセイ。
  • 「待つ」ということ
    くりかえすが、未来があるというのは、だから、希望をもてるということである。何かを待つことができるということである。V・E・フランクルによれば、強制収容所ではクリスマスから新年にかけて、いつも大量の死亡者が出たという。これは、過酷な労働条件によるものでも、悪天候や伝染症疾患によるものでもない。「クリス...続きを読む
  • わかりやすいはわかりにくい? ――臨床哲学講座
    〝ほんとのところよくわからない、とほんとうに思うようになるのが、ひょっとしたら老いのしるしなのだろうか。
    死ぬ前に、理解できなくとも納得だけはしておきたい。自分がここにいる、いた、という事実を。
    あるいは、ついに理解できなくても、このことがわからないという、そのことだけはわかっておきたい……。
    近ご...続きを読む
  • 「聴く」ことの力
    求められるということ、見つめられるということ、語りかけられるということ、ときには愛情のではなくて憎しみの対象、排除の対象となっているのでもいい、他人のなんらかの関心の宛て先になっているということが、他人の意識のなかで無視しえないある場所を占めているという実感が、ひとの存在証明となる。寺山修司も先の文...続きを読む
  • 「聴く」ことの力
    弱さだって 力だ。
    なにもできなくても 寄り添うことはできる。

    本当に傷ついた人の隣で 自分は相当に無力だけど
    この本を読んだから 自分を責めずに済んだ。

    わたしの お守りのような本です。
  • 「待つ」ということ
    2006年に出てるとしって、知らなかった6年間、損したと思った。

    暮らしと仕事に追われ、本にタイするアンテナ低かったな~と、馬鹿みたいな自己反省ばかりしている。

    「待つ」ことができなくなってる自分を感じ、この震災の後、もう一度自分の暮らし方と向き合いたい。

    みみっちいほどのせっかち..このこと...続きを読む
  • てつがくを着て、まちを歩こう ――ファッション考現学
    服だけでなく身体、粋、他人への思いやりについて書かれている
    それらを身につけた上でのファッション
    はずし、余裕、美学
    「おしゃれ」と「個性」という言葉になにか違和感を感じる人には特に読んでほしい
    人と違う服を着るのだけがおしゃれじゃあ、ないんだよねぇ
  • 「聴く」ことの力
    哲学など縁がなかった僕が始めて読んだ臨床哲学試論だ。鷲田さんの言葉はまるで音符のように心に沁みこむ(音符は読めないが)瞬間もあれば、デジタルチックな難解な数学の公式の森を彷徨っているだけの瞬間もあった。兎に角最後まで読むことができた自分に拍手したい。

    以下、気になった箇所、自分へのメモとして抜粋。...続きを読む
  • 「聴く」ことの力
    哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的...続きを読む
  • てつがくを着て、まちを歩こう ――ファッション考現学
    着飾りすぎるのは、格好わるい。そこには他人がいないからである。

    ドレスアップと同時にドレスダウンも大事。
  • まなざしの記憶――だれかの傍らで
    深い。どこまでも、澄んでいるのに、底は見えない。思索の深淵を、そっと覗きこませてもらう。さすがだ。植田正治の写真は感光紙の上でこそ最大の魅力を放つけれど、それでも。なんて豪奢な組み合わせだろう。贅沢な読書をした。「死ぬことがわかっていて、それでも死なないでいる理由とは何か。」
  • てつがくを着て、まちを歩こう ――ファッション考現学
    「現代の若い子は、なんで寒いのにミニスカートなんかはいてるんだろうなぁ」という素朴な疑問が解決した。
  • まなざしの記憶――だれかの傍らで
    まるで肌理もないように見える滑らかな肌が
    触れてみたらとても温かかったような

    空気の隙間から湧き出る恵みのような


    誰かに助けて欲しい時に傍に誰もいなかった時には
    この本に傍にいて欲しい

  • 「聴く」ことの力
    聴くこと・・に関してどう位置づけされているのかがとても知りたかったので購入。臨床哲学試論という言葉もはじめて耳にした言葉。ここから何がみえるかな?と思いながら私は読みましたが、この本の中にでてくる数々の精神科医、哲学者たちの引用文も参考になります。
  • まなざしの記憶――だれかの傍らで
    まるで肌理もないように見える滑らかな肌が
    触れてみたらとても温かかったような

    空気の隙間から湧き出る恵みのような


    誰かに助けて欲しい時に傍に誰もいなかった時には
    この本に傍にいて欲しい
  • 臨床とことば
    河合隼雄先生と、臨床哲学を提言する鷲田清一先生の対談方式の本です。お二人のお話に自分も加わって議論するような感じで、考えながら読んでいける本だと思います。