鷲田清一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
〝ほんとのところよくわからない、とほんとうに思うようになるのが、ひょっとしたら老いのしるしなのだろうか。
死ぬ前に、理解できなくとも納得だけはしておきたい。自分がここにいる、いた、という事実を。
あるいは、ついに理解できなくても、このことがわからないという、そのことだけはわかっておきたい……。
近ごろ、しきりにそう希うようになった。〟
と、いう書き出しではじまるこの本は、「モードの迷宮」や「じぶん・この不思議な存在」の頃とはまったく異なる雰囲気を発している。
〝老い〟というものを見つめだしたからだろうか、その文章からは不思議な魅力が漂ってくるように思える。
文章が成熟しきっていて、一文一文を読むたびに感動してしまう。いつか自分もああいう文章を書けるようになりたい。
しかし、あまりに文章が上手であるということは、同時に大きな危険性をはらんでいる。
完璧な文章で書かれると、内容までなんだか完璧に思えてしまう。批判しようとする視点が失われ、無批判にそれを受け入れてしまいがちになるのだ。
その点は気を付けながら読まないといけないな…と常々思う。
(篠崎) -
Posted by ブクログ
哲学など縁がなかった僕が始めて読んだ臨床哲学試論だ。鷲田さんの言葉はまるで音符のように心に沁みこむ(音符は読めないが)瞬間もあれば、デジタルチックな難解な数学の公式の森を彷徨っているだけの瞬間もあった。兎に角最後まで読むことができた自分に拍手したい。
以下、気になった箇所、自分へのメモとして抜粋。
「臨床」とは「社会のベッドサイド」だそうだ。
「ことばは、聴く人の「祈り」そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。」
「そしてなによりも<わたし>はひとりで棺桶に入ることさえできないからだ。」
「だれかが、あるいはは何かがじぶんを「待っている」という確信、これしもがしかし奪われたとき、ひとはいかにして「なお生きる」ということに耐えられるのだろうか。」
「子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることである。」
「こういう贈り物ができるかどうかはm¥、ふたたびそのひとが、つまり贈る人自身が、かつてたった一度きりであっても、無条件でその存在を肯定された経験があるかどうかにかかっている。」 -
Posted by ブクログ
哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的原則が一個の事例によって揺さぶられる経験としての哲学を捉える。そのような姿勢を持つことで、哲学が「臨床」と結びつくのだということが解りやすく解説されています。「臨床哲学」を「明るいホスピタリティ」として位置づけ、哲学の新しい可能性を開示した桑原武夫学芸賞受賞作。