【感想・ネタバレ】「待つ」ということのレビュー

あらすじ

現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。現代社会に欠落しはじめた「待つ」という行為や感覚の現象学的な考察から、生きること、生きていることの意味に分け入る。臨床哲学の視点からの認識論。

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Posted by ブクログ

待つということに関して様々な視点から鷲田清一の考えがまとめられている。

最初の導入から社会的な待つということに関することかと思ったが日常や私たちの生活、ケアに関する所まで述べられている。

私も仕事柄待つということが多くある。人が急に変わることはないし、変えることはできない。ただひたすらに自分ができることをして相手が変わるのを待つしかないのである。
これに対する自分の気持ちのあり方について考えることができた。

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2024年03月26日

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自分はまさに「待つ」をしているな、という自覚をしているところだった。そんなとき、この本を読んだ。
この本は決して、"つまり「待つ」とはこれこれこういうことである"のような解説でも、"「待つ」ことがつらかったらこういうふうに考えよう"のようなハウツーでもない。「待つ」という行為をしているときの心情、ジリジリした焦がれややるせなさのような、ひとつのことばではどうも表せない、得体の知れない気持ち。いま私が抱えてるこれって、つまりどういう状態なの?という分からなさ。「待つ」に関するエピソードや引用を各方面から連想のように書き連ねられている。同じようなことを繰り返している部分、難解すぎる部分(噛み砕けず吐き出してしまった)部分も多々ある。が、この気持ちはなんなのか、なぜこういう行動をとらざるを得ないのか、を、必ずしも理路整然としていない言葉で意味づけしようとする姿勢、ことばを尽くそうとする姿勢に触れたことで、私が「待っていた」ものは、ことは、ひとは、ずっとここにいたな、と気づくことができた。決定的な救いや解決策を求めて読むものではない。読み進め、自分と照らし合わせ、回り道をして、ああこういうことかもしれない、と巡り、泳ぐ過程を通して、頑なで敏感なそれは少しずつ融解していった。自分ではない誰かが定義した答えを無理くり当てはめるのではなく、あくまで頼りにしながら自力でたどり着いた景色は、ずっと見てみたかったものだった。少しだけ成長した私がいた。
読むという行為がこんなにも「癒し」だと思ったことはなかった。出会えてよかった本。

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2023年12月08日

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あとがきとまえがきは読めるけど、本文はかなり重い内容です。でも歳をとれば感覚で読めるようなところはあるし、若い時は分からないと思う。

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2016年07月31日

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自身が「待つ」事が必要になった時に手に取りました。私は哲学等には明るくないが、著書はそんな人間にもわかりやすく書かれており、むしろ哲学というより人間本来の「機能」に回帰する事が正に待つという行動なのかと感じた。本当に聡明な方の言葉は、誰にでもわかりやすく小難しくないものだと感銘をうけた一冊。

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2012年12月13日

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「待つ、ひたすら待つ。その姿は痛々しいものである。」

 僕は今、明確な期限を持たない”待つ”という状況に置かれています。そんな中でこの本と出会い、学ぶことが多く有りました。この本を読み待つことの意味、そして待つことが人に何を及ぼすのか、待つことそれ自体のあり方を様々な側面から思考してみることで、今までほとんど本質的な待つという行為を行ってこなかったのではないか、と気付かされました。

 現代は常にスケジュール帳が埋まり、毎日、それをこなすことで待つことも無く次々とタスクやイベントがやってきます。気がつくと時は経ち、過ぎ去っています。グローバル化の中で土地、面積的に広い視野を私たちは容易に手にすることが出来ましたが、失われつつある時間的な視野も取り戻し、広く見渡して行く必要があると強く感じました。

 待っている人にとっては、待つこともそんなに悪くはない、後もう少しだ、待てなくはない、と。待っていない人には、ちょっと待ってみようかな、待てば何か変わるかもしれない、そんなことを思わせてくれる一冊だと思います。

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2012年11月05日

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あとがきより。

『待つということにはどこか、年輪をかさねてようやく、といったところがありそうだ。痛い思いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、じぶんを空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときには忘れることもできるようになってはじめて、時が解決してくれたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思っていたようにはならなくて、それであらためて、独りではどうにもならないことと思い定めて、何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、でもじっと見るともなく見つづけることだけは放棄しないで、そのうちじっと見ているだけのじぶんが哀れになって、瞼を伏せて、やがてここにいるということじたいが苦痛になって、それでもじぶんの存在を消すことはできないで……。そんな想いを澱のようにため込むなかで、ひとはようやっと待つことなく待つという姿勢を身につけるのかもしれない。年輪とはそういうことかとおもう。』

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2012年10月23日

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くりかえすが、未来があるというのは、だから、希望をもてるということである。何かを待つことができるということである。V・E・フランクルによれば、強制収容所ではクリスマスから新年にかけて、いつも大量の死亡者が出たという。これは、過酷な労働条件によるものでも、悪天候や伝染症疾患によるものでもない。「クリスマスになったら家に帰れるだろう」という、素朴な希望に多くの収容者が身をゆだねた結果だというのである。過酷な毎日が続くなかで生き延びるには、ありえないような極小の希望にそれでも身をあずけるようにほかない。(鷲田清一)

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2017年08月30日

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待たなくても良くなった時代に敢えて「待つ」について哲学をする。「待」が含まれているのは「待機」だけだけど、他にもいろいろな状態がある。自分が「待っている」ときにそのときの「待つ」どんな意味でどれに分類されるのかが興味が湧いてくる。

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2024年12月08日

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「待つ」ことの失敗は、本当にたくさんある気がする。その人の中の何かを結局信頼できないし、待っているその時間が煩わしいと感じるからだろう。
閉じ続けないと不安だ。その場にも空間にも溶け込み、相互に流れるものを自由に享受できるようになるためには何が必要なのだろうか。
何かを「待つ」ことの放棄が、真の「待つ」に繋がるとのことだった。期待と絶望の狭間で社交ダンスを躍り続けらるために必要なものとは何であろうか。

1つ大切なのは、「論じる」のではなく、「吟じる」ことだと思う。そのマインドセットが、ここへ繋がる道となるように思う。

「聴く」こと…の続編とのこと。読む順番逆だったな。まあいいや。

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2024年02月15日

Posted by ブクログ

私は迎えにいくのでなくただ待つという行為に意義を見出したいらしい。哲学者であるからロジックの正偽説明もあるが興味ないのでそこは読み飛ばした。以降は本からの引用です。//待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。なんの「応え」もないままそれでも「応え」を待つということ、それはその「応え」をいつか受け容れるものとして、それまで身を開いたままにしておくということである。何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ…。意識が緊張すればするだけ、ひとはサブリミナルな刺激に対して無防備になるということだ。待つほうは信頼していればいい。待ちきれなかったらそれは自壊である。しかし待たせるほうは、待つ者のその信頼を試練にかけてしまう。親を、友人を、恋人を、ひとが終生求めつづけるのは、「待たれる」ことがじぶんの存在の最後の支えのひとつになりうることを知っているからである。いつ止むとも知れない日常のくりかえしのなかに身を埋めるというのは、ひとがやむなく選びとった天然の知恵なのかもしれない。〈聴く〉とは、どういうかたちで言葉がこぼれ落ちてくるのか予測不可能な〈他〉の訪れを待つことである…。痴呆」ケアにおいて重要なのは、問題の解決ではなく、問題の転換ないしは消失なのであって、そしてそれには、ふとしたはずみで起こってしまう「偶然のケア」が大きな意味をもつということである。「場を整えるための小さな行為の積み重ね」を交換する時間が、場を徐々に変化させていく。ケアの「場」の底流にあるのは、「ていねいなお付き合い」ともいうべき共有されたプロセスである。祈り。忘れる、あるいは忘れたことにするというのは、じぶんが思い悩んでいる事態の脈絡のいくつかを外すということである。〈わたし〉が絡めとられている脈絡のいくつかを消す、つまりはじぶんを押し殺すということである。彼らが期待しているもの、それは、じぶんの現在を意味づけてくれる最終項である。相手がおのずから発酵しはじめる…。場の信頼感。

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2021年10月17日

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おそらく鷲田さんがこの本を書いた当時よりもずっと、現在は「待てない」社会になってしまった。「待つ」ことにそれほど思いを馳せる機会も少なくなってきた中、非常に興味深い内容だったと思う。

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2021年06月27日

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「生き方」シリーズ。渡辺和子さんの著書に「エレベーターの閉ボタンを押さないようにしようと思う」という記述があり、「待つ」ってことを考えてみようと購読。確かに現代は、スマホやアプリのおかげで待たなくて良い時代になっている。確かに便利なのだが、待たされる=価値がないと短絡的になっていないか、待つことの価値もあるのではないか、ということを考えさせられる。例えば、子育ては待つことの方が多いが、待ったことの結果として(笑った!言葉を話した!歩いた!大きくなった!)などの大きな喜びがある。傾聴というのも「相手の発言を待って聴く」というもので、信頼関係を築くコミュニケーションに必要な姿勢である。著者は、「みみっちいほどせっかちな人、待てない人が増えた結果、多くの人が未来に想いが至っていないのではないか。」と警鐘をならす。環境、教育、文化醸成など、待つことが必要なことほど本質的なことが多く、認識をあらためる良いきっかけとなる一冊。

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2022年04月11日

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ネタバレ

待つのが苦手、というか待てるけどすぐにイライラしちゃう性格で(自覚あり)、おだやかに待てる人になれるヒントを求めて読んでみた。
時の流れとか、待つの対象だとかガチ考察(臨床哲学)に触れてみて、少しだけ冷静に待つことができるようになった気がする。
「待つ」って、もはや人生のテーマ。

p.14~15 香月泰男のシベリア抑留中の随想の文章があって、テンション上がった。

p.41には、武蔵と小次郎の引用があって、山口県民ちょっと嬉しい。  

p.16 「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと」映画『沙羅双樹』より

p.25 「いま」の幅についての考察。「いま」エモい!

p.66~71 カウンセリングや傾聴もまた「待つ」を事とする。言葉を迎えにゆくのではない。言葉が、不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つのである。

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2025年05月23日

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現代社会では待つことがほとんど無い
待つことは自分のコントロールの埒外にあるから、皆待つことに耐えきれない
しかし子育てや介護を含む人間同士の関係のすべては待つことが基盤である

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2020年09月22日

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結構骨があり簡単には読み進められないが、かと言って歯が立たないという風でもない。蔵書にしてこれから何度か開いてみたいと思わせる何かを感じる。

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2018年11月14日

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待っても仕方がないとじぶんに言い聞かせ、待つことを放棄するなかではじめて、待つということのほんとうの可能性が到来する。

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2014年01月07日

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待つ。待ちこがれ、待ちかまえ、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、待ちくたびれて、…。
もう常に人は何かは待ってるんじゃないかと思うくらい、いろんな待つが出てくる。期待と待機ってすごくわかりやすい。いろんな例が出てきておもしろいけど、気を抜くと迷子になりそう。

あと表紙の写真の待ってる感がたまらない。

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2013年01月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

鷲田清一さんの待つという定義が大変興味深い。

P16 待つということには期待、希い、祈りが内包されているというのはまさにその通りで、期待をするがゆえに苦しみが伴うと深く理解することができた。

期待等の自己を中心とした概念がなくなって初めて、待機という状態で待てるのかと思いました。

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2012年06月27日

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現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。現代社会が失った「待つ」という行為や感覚の現象学的な考察から、生きること、生きていることの意味に分け入る、臨床哲学からの哲学エッセイ。(紹介文より)
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まえがきでグッと惹き付けられた。
けれど、本文はまさに哲学的な内容で、
理解したり共感したりする部分もあるけれど
私には難しかった。

(まえがきより)
・「待ち遠しくて、待ち構え、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ち焦がれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず…。誰もがひそかにもってきたはずの「待つ」に関する思い」
・現代人はスマホを持つようになり、待つとはなしに時間を潰せるようになった。
・短い期間で成果を求められ、音楽はサビばかり、子どものいたずらや成長も肝要に待てなくなった。

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2025年07月23日

Posted by ブクログ

「待つ」という行為について、考察した本です。

本書は、重要な事柄において、待つ以外の選択肢がない場合の「待つ」を対象としています。本書を引用すると、以下の様な場合です。

***

意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、自分を超えたもの、自分の力ではどうにもならないもの、それに対しては、ただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなく、ただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込め直し、幾度となく繰り返されるそれの断念の中でもそれを手放すことなくいること、おそらくそこに、<待つ>ということが成り立つ。

***

なので、かなり真摯に対象と向き合っている場合に限定して論じています。本書には「祈り」という言葉が頻出しますが、確かに、この場合の「待つ」は、「祈り」の類語になるのかもしれません。

個人的には、本書で語られていない、もっとカジュアルな「待つ」、例えば、「雨宿りをして、通雨が過ぎるのをぼーっと待ってみる」というような場合の、「待つ」についても興味がありました。こういう時は、待っている対象を強く想うということはないのですが、強制的に空白の時間を与えられ、色んな思索が頭の中で勝手に動き出すので、自然に自分の考えが整理されていく貴重な時間だったのかなと思ったりします。特にスマホを持つ様になってから、「待つ」という行動を単体で行うことは激減しましたが、(本書が対象としていないカジュアルな「待つ」も含めて、)一見無駄な「待つ」という時間が、どういう機能を持っているかを考えさせられました。

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2024年11月26日

Posted by ブクログ

「待つ」ことを億劫に感じるのは寂しい気がしていたけど、その気持ちがくっきりした。
待ったなしのこの時代に、待つことにとらわれず暮らすなんてなんだかかっこいいじゃないか。

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2024年08月29日

Posted by ブクログ

前書き、後書きあたりは端的でわかりやすく、共感できる。
しかし、本文が難解、というか、伝えようというより、自分が納得いくように書こうとしすぎているように感じた。
言葉を独自に定義していて、指示関係を丁寧に見ないと何を言っているか分からなくなる。
現国の試験問題をやっている気分。
ちょっと読み続けられなくて、途中まで読んで、断念。
残念。

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2023年08月01日

Posted by ブクログ

「待つ」ことについての考察。

哲学的であり、認知症ケア現場の話であり、演劇ゴトーを待ちながらの解説であり…。
角川書店広報誌で2年にわたっての連載

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2023年07月25日

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ネタバレ

「待つ」ということを、哲学的に深く掘り下げてゆく本。
臨床での考え方も出てきます。
待つからにはまず時間軸が出てくるが、最終的にはその時間軸さえも超越してゆく。
ここまでくると、禅問答的で難解です。

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2021年07月19日

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すぐ行動することが尊ばれる時代に待つというテーマで気になった。哲学の話など、少し読むのに力がいるかもしれない。

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2021年03月05日

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私がしていることは「待つ」ということなのではないか、そんな気がして読んでみた本。
待つという行為が丁寧に紐解かれて、自分の心の中と長電話できたような時間だった。
目が洗われるような気持ちで読んだのは、ゴドーを待ちながらのくだりのところ。
暇つぶしのために待っている、というところ。
わたし、これだ、と思った。
毎日を潰していくように生きているから、待つものが必要なのだ。
それは、待つことで人生の気が紛れるから(私の場合)。
でも、そんな待ち方なんかいやだ。
だいたいそれは、待ってるのとは違うじゃないかとも思う。
そして最後の章にうっすらと、答えが書いてあったように思う。
開く、自分を。
それが本当に待つということ。
別に待つ必要のない人は待たなくてもいいんだと思うが、わたしはどうせ待つなら、自分を開いて積極的に待つとこまでいきたいと思った。

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2021年02月12日

Posted by ブクログ

読み始めは、なるほどと思いながら読み進められたが、後半から難しくなってきて、?な感じでした。
待つことを多角的に詳細に分析しているようです。

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2020年12月12日

Posted by ブクログ

著者は哲学者みたいですから…少々難しかったけれどもまあ、分からんでもないところはありましたよ!

ヽ(・ω・)/ズコー

この本が出版されたのは2006年らしいのですけれども、当時よりも今の方がより、人々は「待てなく」なっているんじゃなかろうかと思います…誰もがスマホを手にする時代……買い物などもネット上で容易にできるのであって、わざわざ実店舗まで行ってレジに並んで買う必要などない…

便利ですけれども、その便利さに慣れすぎて待てなくなっている人が多くなっている…と著者は嘆いていましたね。待てない人というのは往々にしてイライラしているものですから、そんな人が多々増えたらどうなるか……きっと殺伐とした世の中になると思います!

ヽ(・ω・)/ズコー

とりま、この本で紹介されていた太宰治の「待つ」という短編が気になりましたね。機会があれば読んでみますか…。

さようなら…。

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2020年06月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

技術進歩により、簡単に人と繋がることができ、情報をとることができる現代社会において、待つことに対する耐性が著しく低下している。待つことより待たなくても良いものを選択しがちであり、想定外の出来事により待つことを余儀なくされたときの精神的動揺は殊更大きなものとなる。こうした現代社会における待つことのストレスを再認識するきっかけとなった良書だと思う。「聴くこというのは待つということである」という言葉を日常生活の中でも意識していれば、コミュニケーション能力が向上するかもしれない。後半からは自分の中で消化不良であり、いずれ再読したいと思う。

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2012年09月09日

Posted by ブクログ

鷲田さんのなかではそこまで好きではないかも。答えの見つからない、同じところをぐるぐると循環し続けるかんじ。

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2012年05月01日

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