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現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。現代社会に欠落しはじめた「待つ」という行為や感覚の現象学的な考察から、生きること、生きていることの意味に分け入る。臨床哲学の視点からの認識論。
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Posted by ブクログ
待つということに関して様々な視点から鷲田清一の考えがまとめられている。 最初の導入から社会的な待つということに関することかと思ったが日常や私たちの生活、ケアに関する所まで述べられている。 私も仕事柄待つということが多くある。人が急に変わることはないし、変えることはできない。ただひたすらに自分がで...続きを読むきることをして相手が変わるのを待つしかないのである。 これに対する自分の気持ちのあり方について考えることができた。
自分はまさに「待つ」をしているな、という自覚をしているところだった。そんなとき、この本を読んだ。 この本は決して、"つまり「待つ」とはこれこれこういうことである"のような解説でも、"「待つ」ことがつらかったらこういうふうに考えよう"のようなハウツーでもない。「...続きを読む待つ」という行為をしているときの心情、ジリジリした焦がれややるせなさのような、ひとつのことばではどうも表せない、得体の知れない気持ち。いま私が抱えてるこれって、つまりどういう状態なの?という分からなさ。「待つ」に関するエピソードや引用を各方面から連想のように書き連ねられている。同じようなことを繰り返している部分、難解すぎる部分(噛み砕けず吐き出してしまった)部分も多々ある。が、この気持ちはなんなのか、なぜこういう行動をとらざるを得ないのか、を、必ずしも理路整然としていない言葉で意味づけしようとする姿勢、ことばを尽くそうとする姿勢に触れたことで、私が「待っていた」ものは、ことは、ひとは、ずっとここにいたな、と気づくことができた。決定的な救いや解決策を求めて読むものではない。読み進め、自分と照らし合わせ、回り道をして、ああこういうことかもしれない、と巡り、泳ぐ過程を通して、頑なで敏感なそれは少しずつ融解していった。自分ではない誰かが定義した答えを無理くり当てはめるのではなく、あくまで頼りにしながら自力でたどり着いた景色は、ずっと見てみたかったものだった。少しだけ成長した私がいた。 読むという行為がこんなにも「癒し」だと思ったことはなかった。出会えてよかった本。
あとがきとまえがきは読めるけど、本文はかなり重い内容です。でも歳をとれば感覚で読めるようなところはあるし、若い時は分からないと思う。
自身が「待つ」事が必要になった時に手に取りました。私は哲学等には明るくないが、著書はそんな人間にもわかりやすく書かれており、むしろ哲学というより人間本来の「機能」に回帰する事が正に待つという行動なのかと感じた。本当に聡明な方の言葉は、誰にでもわかりやすく小難しくないものだと感銘をうけた一冊。
「待つ、ひたすら待つ。その姿は痛々しいものである。」 僕は今、明確な期限を持たない”待つ”という状況に置かれています。そんな中でこの本と出会い、学ぶことが多く有りました。この本を読み待つことの意味、そして待つことが人に何を及ぼすのか、待つことそれ自体のあり方を様々な側面から思考してみることで、今...続きを読むまでほとんど本質的な待つという行為を行ってこなかったのではないか、と気付かされました。 現代は常にスケジュール帳が埋まり、毎日、それをこなすことで待つことも無く次々とタスクやイベントがやってきます。気がつくと時は経ち、過ぎ去っています。グローバル化の中で土地、面積的に広い視野を私たちは容易に手にすることが出来ましたが、失われつつある時間的な視野も取り戻し、広く見渡して行く必要があると強く感じました。 待っている人にとっては、待つこともそんなに悪くはない、後もう少しだ、待てなくはない、と。待っていない人には、ちょっと待ってみようかな、待てば何か変わるかもしれない、そんなことを思わせてくれる一冊だと思います。
あとがきより。 『待つということにはどこか、年輪をかさねてようやく、といったところがありそうだ。痛い思いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、じぶんを空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときには忘れることもできるようになってはじめて、時が解決してくれ...続きを読むたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思っていたようにはならなくて、それであらためて、独りではどうにもならないことと思い定めて、何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、でもじっと見るともなく見つづけることだけは放棄しないで、そのうちじっと見ているだけのじぶんが哀れになって、瞼を伏せて、やがてここにいるということじたいが苦痛になって、それでもじぶんの存在を消すことはできないで……。そんな想いを澱のようにため込むなかで、ひとはようやっと待つことなく待つという姿勢を身につけるのかもしれない。年輪とはそういうことかとおもう。』
くりかえすが、未来があるというのは、だから、希望をもてるということである。何かを待つことができるということである。V・E・フランクルによれば、強制収容所ではクリスマスから新年にかけて、いつも大量の死亡者が出たという。これは、過酷な労働条件によるものでも、悪天候や伝染症疾患によるものでもない。「クリス...続きを読むマスになったら家に帰れるだろう」という、素朴な希望に多くの収容者が身をゆだねた結果だというのである。過酷な毎日が続くなかで生き延びるには、ありえないような極小の希望にそれでも身をあずけるようにほかない。(鷲田清一)
待たなくても良くなった時代に敢えて「待つ」について哲学をする。「待」が含まれているのは「待機」だけだけど、他にもいろいろな状態がある。自分が「待っている」ときにそのときの「待つ」どんな意味でどれに分類されるのかが興味が湧いてくる。
「待つ」ことの失敗は、本当にたくさんある気がする。その人の中の何かを結局信頼できないし、待っているその時間が煩わしいと感じるからだろう。 閉じ続けないと不安だ。その場にも空間にも溶け込み、相互に流れるものを自由に享受できるようになるためには何が必要なのだろうか。 何かを「待つ」ことの放棄が、真の「待...続きを読むつ」に繋がるとのことだった。期待と絶望の狭間で社交ダンスを躍り続けらるために必要なものとは何であろうか。 1つ大切なのは、「論じる」のではなく、「吟じる」ことだと思う。そのマインドセットが、ここへ繋がる道となるように思う。 「聴く」こと…の続編とのこと。読む順番逆だったな。まあいいや。
私は迎えにいくのでなくただ待つという行為に意義を見出したいらしい。哲学者であるからロジックの正偽説明もあるが興味ないのでそこは読み飛ばした。以降は本からの引用です。//待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。偶然を待つ、じぶんを超えたも...続きを読むのにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。なんの「応え」もないままそれでも「応え」を待つということ、それはその「応え」をいつか受け容れるものとして、それまで身を開いたままにしておくということである。何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ…。意識が緊張すればするだけ、ひとはサブリミナルな刺激に対して無防備になるということだ。待つほうは信頼していればいい。待ちきれなかったらそれは自壊である。しかし待たせるほうは、待つ者のその信頼を試練にかけてしまう。親を、友人を、恋人を、ひとが終生求めつづけるのは、「待たれる」ことがじぶんの存在の最後の支えのひとつになりうることを知っているからである。いつ止むとも知れない日常のくりかえしのなかに身を埋めるというのは、ひとがやむなく選びとった天然の知恵なのかもしれない。〈聴く〉とは、どういうかたちで言葉がこぼれ落ちてくるのか予測不可能な〈他〉の訪れを待つことである…。痴呆」ケアにおいて重要なのは、問題の解決ではなく、問題の転換ないしは消失なのであって、そしてそれには、ふとしたはずみで起こってしまう「偶然のケア」が大きな意味をもつということである。「場を整えるための小さな行為の積み重ね」を交換する時間が、場を徐々に変化させていく。ケアの「場」の底流にあるのは、「ていねいなお付き合い」ともいうべき共有されたプロセスである。祈り。忘れる、あるいは忘れたことにするというのは、じぶんが思い悩んでいる事態の脈絡のいくつかを外すということである。〈わたし〉が絡めとられている脈絡のいくつかを消す、つまりはじぶんを押し殺すということである。彼らが期待しているもの、それは、じぶんの現在を意味づけてくれる最終項である。相手がおのずから発酵しはじめる…。場の信頼感。
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