鷲田清一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
"芸術は何か人びとの鑑賞にたえる美しいものを創り上げる活動というより、日々の暮らしの根底にあるべき一つの〈態度〉のようなものかもしれません。死者をどう弔うのかという態度。他者の悲しみにどう寄り添うのかという態度。人びととどう助けあうのかという態度。政治的なものにどう参加するのか、さらには自分自身とどう向き合うのか、生き物としての、あるいは身体としての自分の存在にどうかかわるかについての態度、それらを貫く一つの確かな〈態度〉として芸術はあるのです。"(p.65)
"わかっていることよりもわかっていないことをきちんと知ること、わからないけれどこれは大事ということを知ることが重要なのです。そしてそのうえで、わからないものにわからないまま的確に対応する術を磨いてゆかなければなりません。"(p.117) -
Posted by ブクログ
"人生にも仕事にも、これをやったら終わりという瀬戸際があります。跨いではならない敷居といってもいいです。小さな過ちをくり返しているうちに、この敷居の意識がだんだんと鈍ってきて、ついにそれを跨ぎ越したことにすら気づかなくなります。" 65ページ
"ずっと同じ列車の同じ席に並んできたと思っている夫婦が多いが、本当は同じ速度で並行して走っている別の列車にたまたま乗っていて、ずっと車窓の向こうに同じ顔があっただけのことだと言ったフランスの哲学者がいます。" 93ページ
"ある感情は別のもっと強い感情でしか押し退けられないものです。" 133ページ
人生相談の回答は直接的には自分と同じ悩みではないのだけれど、大変参考になった。
それのまとめともいうべき最後の「二枚腰のすすめ」は、生きる指針になると思う。まぁなかなかそううまくはいかないのだけれど。頭でわかっていても実践はそう簡単ではない。
「アングルを手前に退く」「自分と自分の置かれた状況を俯瞰する」「別の視点を持つ」「弱さを強さへと裏返す」
こう並べて書いてみると、そう目新しくもないけれど、何度でも確認しておきたい。 -
Posted by ブクログ
中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは『なんとなく、身にしみ入る言葉』と『なんとなく、違和感がする言葉』を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。」(p14:内田樹)
「『わかった』というのはあまりいいことじゃないんです。人間同士では、『わかると、コミュニケーションが終わる』ということになっている。」(p38:内田樹)
「物理を専門にしておられて、科学についてすばらしい本を何冊も書いておられる山本義隆さんは、何のために勉強するのですかと尋ねられて『自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです』と答えられました。これは、勉強だけでなく、科学という言葉にも、ぴったりとあてはまります。」(P184:仲野徹) -
Posted by ブクログ
1つ1つが短く、新聞などの連載が多かったので、とても読みやすかった。でも、何度も何度も途中で考えながら読むので、速く読めたわけではない。
内田樹先生の本より、ずっと前から鷲田さんの本に親しんでいたなぁと改めて思い出した。いつからか出版点数の違いからか、ブログやTwitterの影響からか、ワッシーからタッツーに流れて行ったのだった。内田先生のものをたくさん読んで、鷲田さんの本に戻るとき、共通の考え方が書かれていることに気づき、この考え方は内田先生、鷲田さん独自の考えというより、哲学界?の基礎知識みたいなものなのかなと気づくことも多い。
哲学を身近なものにしてくれた、日常遣いにしてくれた、私自身を生きやすくしてくれたお二人だとしみじみ感謝する。
"わたしたち一人一人が、できるだけながく、答えが出ない、出せない状態のなかにいつづけられる肺活量をもつこと、いってみれば、問えば問うほど問題が増えてくるかに見えるなかで、その複雑性の増大に耐えうる知的体力をもつこと。いま一つは、迷ってもいつもそこに根を下ろし直すことのできるたしかな言葉、そこから別のさまざまなことばを紡いでゆける明らかな言葉と出会うこと。" 7ページ
"自立というのは、他人の助けが必要でなくなることではなく、むしろ、いざとなっとら「助けて」と声を上げれば、だれかがすぐに駆けつけてくれるようなネットワークが編めているということだ。" 64ページ
"デペイズマン。居心地の悪いこと、異郷にあること、立ち位置をずらされること。見晴らしの良い場所に出るためには、さしあたってここが確かな場所でなくなることが前提となります。" 240ページ
"以前、岸和田の知人から「別に声に出さんでもいいんですけど、文章を読むとき、関西弁のイントネーションで読んではりまっか」と聞かれたことがある。即「あたりまえでしょ」と答えたのだが、知人は「やっぱり・・・。東京の人がそんなん考えられへんていわはりますねん」という。" 241ページ
こんなこと考えたことなかったが、意識してみると、関西弁のイントネーションで読んでたことにビックリ!そりゃそうか。
"病気、事故、被災、失職、事業の行きづまり、大事な人の死・・・。そういう思いがけない出来事に遭遇するたび、ひとは人生の語りなおしを迫られる。それまで人生の前提となっていたものが崩れるからだ。
人生の語りなおしとは、別の言葉でいえば、希望の書き換えでもある。じぶんが生きるうえで軸とするものを
これまでとは少し違うものに移し変えるということである。
そのとき必要になるのが新たの学びである。これまで考えもしなかったが、世の中にはこんな問いもある、世界にはじぶんが知らない領域が想像をはるかに超えて広がっている・・・。それを知ることが、じぶんが生きるべき世界を拡げる。ふんづまりになっていたじぶんを助けるのである。生き延びるために、学びはそれほど大切なのである。" 250ページ
あとがき冒頭
"人と人のあいだには、性と性とのあいだには、人と人以外の生きもののあいだには、どれほど声を、身ぶりを尽くしても、伝わらないことがある。思いとは違うことが伝わってしまうこともある。〈対話〉は、そのように共通の足場をもたない者のあいだで。たがいに分かりあおうとして試みられる。そのとき、理解しあえるはずだという前提に立てば、理解しえずに終わったとき、「ともにいられる」場所は閉じられる。けれとも、理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。"
347ページ
-
Posted by ブクログ
中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
鷲田清一と内田樹の大人のいない国を読みました。
日本は、人が成熟せず、大人にならなくても生きていける国になってしまった。
クレーマーやモンスターペアレントが横行する国になってしまった、ということが議論されています。
面白いと思ったのは、内田樹の以下のような主張でした。
SNSなどでの匿名のメッセージは本人が正しいと思っていてもそれは呪いのメッセージである。
なぜなら、呪いはその発信源が特定されるとその効果を失うからである。
表現の自由というのは、他の人が認めようと認めまいと自分は正しい、というメッセージを発信することではない。
メッセージはその受信者に対して発せられるものであり、受信者に対する「敬意」が必要である。
そのような呪いのメッセージが充満する世界で、少しでも呪いを中和することができるのは「祝福」のメッセージである。
少しでも、祝福のメッセージを発信できるようになりたいものだと思ったのでした。