鷲田清一のレビュー一覧
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「何かを伝えようとする時に発する言葉、見つめる視線、そして沈黙」 誰かとコミュニケーションをする際に、当然のように行っている筈の「聴く」という行為を、「他人を受け入れる」という行為としてあらためて考えている本です。 また、「他人を受け入れる」行為を職業としている人達 - 医者、看護婦、カウンセラー、教師……etc,etc - にとって、日常化している「他人を受け入れること」「ホスピタリティ」とどうつきあうか、それによって生じるストレス・問題をどうするべきなのか、といった問題に真っ向から取り組んでいます。 哲学にあえて「臨床」の名を冠し、あくまで現場(職場というだけでなく、介護や家族の問題もふく
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独特のひらがなの使い方で読みやすい風なのだが、どうしてなかなか難しい
この本を読むことでよりじぶんが不思議な存在になるかもしれない
たぶん時期をおいてもう一度読む
この世に一つの固有の存在という思いこみ
じぶんの可能性を捨てていくということ
清潔シンドロームによって内部(アイデンティティ)が脆弱化しているにでは
情報の減量
人生をまっすぐな線のように思い浮かべるくせから離れる必要がある、同一の存在でいなければならないことが不安に駆り立てる
じぶんになりたいのか、じぶんを降りたいのか
独自性とは本当に独自性か? 作ったイメージと自分たちの一致か?
睡眠という休息と忘れるという稀有な能力 -
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ネタバレ内容は難しくないが独特な文体で頭に入ってきづらかった。
じぶんが誰なのかはじぶんでは決められず他者との関わり合いを通じてそれを確認していくこと。本書ではそれを「他者の他者としてじぶんを確認していくこと」と言っている。そしてそれは受け身の姿勢では実現できない。
ボランティアに身を置く人たちがその一例。
また面白かった話としてオウムの例が挙げられていた。信者たちは常に受け身の存在としてしか語られてこなかった。信じたいというより信じさせてほしいという意識、じぶんのこれからを決めてほしい、なにをしたらいいか言いきってほしいという願望があり、それ故に抜け出せなくなっている。
一方で事件を見る側にとっ -
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長い、そして難しかった…。
近代以降の国内外の膨大かつ複雑な「所有」をめぐる哲学・思想から、「所有」とは何かを精緻に定義しようとする試み。
本書の内容を正確には理解できていないが、「所有」は「わたしのもの」ではなく、過去あるいは現代の人から適切に配置された「受託」にすぎない、これを「わたしのもの」って国、社会、個人が誤解しているところに収奪、搾取や戦争、紛争が起きるってことなのかなあと。端的に言えば、人は他の人と共生し世代的に連続してるんだよ、そのことを忘れて好き勝手しちゃだめだよってことだと思う。それはおそら著者の思想的・価値的な核だと考えられる。この点には共感できるところもあ -
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ネタバレ読書メモ&感想
わたしってだれ?
顔・身体こそ自分が1番知らない
性格や性の差異は社会の中で形成される
「わたし」という言葉も社会に認められて適応する
→個人の私的可能性を捨て社会秩序の中に入れ込んでいる
成長で属性を身につけている訳ではなく、色々な可能性を失っているのでは。これが生きるということ
私たちは物事を解釈し区別して生きている
自分を他者ではないものと認識する
「ふつう」とは世界の解釈を共有していることにすぎない
自分は「非わたし」と差異化して分かることなのに、内部に問う
「アイデンティティはn個の属性によるn次空間上の座標」って良いね
他者にとって意味のある存在とし -
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ネタバレ自分が存在するためには、他者に他者として認められなければならない。だから、親族のためにする家事、介護では、奉仕が当然と受け止められてしまい、自分の存在価値を認めることが出来ない。
しかしながら、自分という存在がぼやけることにはある種の快感があり、他者への異常な献身が例にあたる。(近年の推し活ブームもこれかも)
じぶんになるということは、ありえたかもしれない自分を棄てること。
親に「子供とは気が合わない」と言われたら、親は子を他者として認めたということであり、こちらの勝ちである。
〜ここまで本の内容〜
人生というものを一貫したストーリーとして捉えるのは間違っているが(筆者の主張)、昨今自分の人生 -
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現代は待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。現代社会が失った「待つ」という行為や感覚の現象学的な考察から、生きること、生きていることの意味に分け入る、臨床哲学からの哲学エッセイ。(紹介文より)
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まえがきでグッと惹き付けられた。
けれど、本文はまさに哲学的な内容で、
理解したり共感したりする部分もあるけれど
私には難しかった。
(まえがきより)
・「待ち遠しくて、待ち構え、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ち焦がれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず…。誰もが -
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・様々なテーマから、「表層」への享楽が浮かび上がる
哲学教師の職を得た三十代には、ひとが科学の基礎づけなどという「重い」仕事をやっているときに、顔や皮膚というもっとも表層的な主題に没頭した。そのあと、二十世紀の思想史から消え、だれも見向きもしない二つのテーマ、所有と幸福の問題に取り組んだ。 こだわる対象は刻々と変わってきたけれど、こだわりそのものは全然変わっていない。が、そのかたちには心なしかうらぶれたところがないではない。そう、洗い場の使い古したスポンジのように。
>>>本書、p214
この部分で出てくる、「表層」が、ケアや政治の言説、デザインからファッション、ブラン -
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日本社会が全体として老成し、あるがままの個人を受け容れる寛容さを持つようになった一方で、そのことが個人の「甘え」を助長している側面もありそうだ。「多様性の受容」というのは本来、異なる価値観や意見を積極的に理解し、折り合いをつける営みであり、日本ではそれが「相手を否定しないこと」として形骸化している部分がある。
結果として、対立を避け、深い議論に至らないまま、それぞれの価値観が並列的に共存するだけの状態になっているのかもしれない。ネット社会の影響も大きいだろう。SNSでは、多様な意見に触れる機会が増えたはずなのに、実際にはアルゴリズムの影響で似た価値観の人々とつながりやすくなり、「連隊意識」の -
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死について考える哲学エッセイ。
死について考えても、客観的な答えは出ないので、自ら言い聞かせるような観念や言葉の選択という類の話であるという気がしている。つまり、その事を空想や伝承に頼るか、宗教に頼るかという違いはあるが、自分自身で信じ込めるような答えを見つけるしかないのだ。本書が、その答え探しのヒントを幾つか提供してくれる。
なぜ、他人を殺してはいけないか。なぜ、今まで、殺してこなかったのか。本書の問いの一つとして掲げられる。だが間違っている。人は、他人を殺してきたのだから。本書もこの問いには答えられないというが、同感だ。あらゆる生きものは他の生きものを殺さずには生きていけない以上、殺す -
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「待つ」という行為について、考察した本です。
本書は、重要な事柄において、待つ以外の選択肢がない場合の「待つ」を対象としています。本書を引用すると、以下の様な場合です。
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意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、自分を超えたもの、自分の力ではどうにもならないもの、それに対しては、ただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなく、ただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込め直し、幾度となく繰り返されるそれの断念の中でもそれを手放すことなくいること、おそらくそこに、<待つ>ということが成り立つ。
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なの