鷲田清一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
高校2年生の時に一度読み、
自分の価値観に影響を与えた本。
当時は不明確な箇所が多かったのを覚えている。
今回、久々に自分の成長を感じる期待も込めて再読。そして2周した。
内容としては『じぶん』とは何?という問いに対しての著者の思考の流れが描かれた本。
(以下、あらすじ)
まず、自分の身体は自分ではよく分からない。医者や機械に診てもらわないと何が起きてるのか不明確。また、身体は他人や別のもの(義足など)と取り替え可能であるし事故などで喪失しうる、しかしその場合でも『わたし』は変わらない。では『わたし』とは物理的・身体的な特徴ではないのだろう。
(紆余曲折と少しの飛躍を行い)『わたし』と -
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Posted by ブクログ
私がしていることは「待つ」ということなのではないか、そんな気がして読んでみた本。
待つという行為が丁寧に紐解かれて、自分の心の中と長電話できたような時間だった。
目が洗われるような気持ちで読んだのは、ゴドーを待ちながらのくだりのところ。
暇つぶしのために待っている、というところ。
わたし、これだ、と思った。
毎日を潰していくように生きているから、待つものが必要なのだ。
それは、待つことで人生の気が紛れるから(私の場合)。
でも、そんな待ち方なんかいやだ。
だいたいそれは、待ってるのとは違うじゃないかとも思う。
そして最後の章にうっすらと、答えが書いてあったように思う。
開く、自分を。
それが本 -
Posted by ブクログ
大学は勉強するところではない。大学とは、知識を商品のように学生に売るところではありません。知とはデジタルデータではなく、身体と感情を持った人間一人一人が身につけ、実践し、対話し、試行錯誤する中でしか役立たない。
あらかじめ用意された正解をたくさん覚えることが優秀だというのは、いわば知識ベースの勉強です。しかし、非常事態に対処するには、そんな勉強だけでは限界があります。そこで力を発揮するのが、物事をいろいろな角度から観察し、今までに知った事実と組み合わせて、全体の構造を考えるという知性ベースの学びです。
まだ答えがない問題への対処については、先生と生徒の立場は対等です。 -
Posted by ブクログ
著者は哲学者みたいですから…少々難しかったけれどもまあ、分からんでもないところはありましたよ!
ヽ(・ω・)/ズコー
この本が出版されたのは2006年らしいのですけれども、当時よりも今の方がより、人々は「待てなく」なっているんじゃなかろうかと思います…誰もがスマホを手にする時代……買い物などもネット上で容易にできるのであって、わざわざ実店舗まで行ってレジに並んで買う必要などない…
便利ですけれども、その便利さに慣れすぎて待てなくなっている人が多くなっている…と著者は嘆いていましたね。待てない人というのは往々にしてイライラしているものですから、そんな人が多々増えたらどうなるか……きっと殺 -
Posted by ブクログ
自分とは何者か?を語ること、定義することって今までも本当に難しいと思ってましたが、その難しい問題をとことん色んな角度から考察して突き詰めようとする試み。
とてもいい思考の練習になりました。
私って何?自分らしさって?とアイデンティティに悩んでいる人は読んでみるといいですよ。著者がとことんその悩みについて付き合ってくれます。
そしてきっと、ちょっと気持ちが楽になって、家族や友人や会社や社会の人間関係の中にまた笑顔で戻って行けるのではないかなと思います。
最後に、個人的に「お〜!」と思った箇所を一つだけ引用。
“ちなみにドイツ語では、「ある」ということを「それがあたえる」( es gibt -
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