鷲田清一のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
私がしていることは「待つ」ということなのではないか、そんな気がして読んでみた本。
待つという行為が丁寧に紐解かれて、自分の心の中と長電話できたような時間だった。
目が洗われるような気持ちで読んだのは、ゴドーを待ちながらのくだりのところ。
暇つぶしのために待っている、というところ。
わたし、これだ、と思った。
毎日を潰していくように生きているから、待つものが必要なのだ。
それは、待つことで人生の気が紛れるから(私の場合)。
でも、そんな待ち方なんかいやだ。
だいたいそれは、待ってるのとは違うじゃないかとも思う。
そして最後の章にうっすらと、答えが書いてあったように思う。
開く、自分を。
それが本 -
Posted by ブクログ
大学は勉強するところではない。大学とは、知識を商品のように学生に売るところではありません。知とはデジタルデータではなく、身体と感情を持った人間一人一人が身につけ、実践し、対話し、試行錯誤する中でしか役立たない。
あらかじめ用意された正解をたくさん覚えることが優秀だというのは、いわば知識ベースの勉強です。しかし、非常事態に対処するには、そんな勉強だけでは限界があります。そこで力を発揮するのが、物事をいろいろな角度から観察し、今までに知った事実と組み合わせて、全体の構造を考えるという知性ベースの学びです。
まだ答えがない問題への対処については、先生と生徒の立場は対等です。 -
Posted by ブクログ
著者は哲学者みたいですから…少々難しかったけれどもまあ、分からんでもないところはありましたよ!
ヽ(・ω・)/ズコー
この本が出版されたのは2006年らしいのですけれども、当時よりも今の方がより、人々は「待てなく」なっているんじゃなかろうかと思います…誰もがスマホを手にする時代……買い物などもネット上で容易にできるのであって、わざわざ実店舗まで行ってレジに並んで買う必要などない…
便利ですけれども、その便利さに慣れすぎて待てなくなっている人が多くなっている…と著者は嘆いていましたね。待てない人というのは往々にしてイライラしているものですから、そんな人が多々増えたらどうなるか……きっと殺 -
Posted by ブクログ
自分とは何者か?を語ること、定義することって今までも本当に難しいと思ってましたが、その難しい問題をとことん色んな角度から考察して突き詰めようとする試み。
とてもいい思考の練習になりました。
私って何?自分らしさって?とアイデンティティに悩んでいる人は読んでみるといいですよ。著者がとことんその悩みについて付き合ってくれます。
そしてきっと、ちょっと気持ちが楽になって、家族や友人や会社や社会の人間関係の中にまた笑顔で戻って行けるのではないかなと思います。
最後に、個人的に「お〜!」と思った箇所を一つだけ引用。
“ちなみにドイツ語では、「ある」ということを「それがあたえる」( es gibt -
-
-
-
-
Posted by ブクログ
「わたしとは他者の他者としてはじめて確認されるものだ」
私とはだれか、1人部屋の中で考えていても答えは見つからない。この本は繰り返し語る、わたしとは他者の他者である。言い換えてもおり、他人の中にじぶんが意味のある場所を占めているか、だそうだ。なかなか理解が難しい言葉だ。極端な例を挙げるとボランティアで肉体労働を望む若者たち、ヒモとなっている交際相手に身を削ってまで働き奉仕してあげる人、のような人で義務ではなく積極的にそれを行なっている人である、本書ではポジティブな受け身と呼んでいる。他人と積極的に関わっていく中で自分というものを規定できていくことだろう。