鷲田清一のレビュー一覧
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期待して開いただけに、最後まで読んでも「死なないでいる理由」の大した理由を得られなかったのが残念。新聞の掲載分を継ぎ接ぎしてある文章が多く、タイトルの壮大なテーマに対し、その回答である内容は小題が矢継ぎ早に変わり、とりとめなくようやく核心に迫ったかと思うと今度はまた別の話題へと移っていってしまう。もう少しテーマを絞り、深化させて欲しかった。
孤独について、h.アレントさんのprivacyとは「他人によって見られ聴かれることから生じるリアリティを奪われる事」という言葉を引用しているのがおもしろい。その後、社会を織物に喩え、織物の組成の一要素であった筈の個々が途絶し浮遊した時孤立してどうしようも -
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近代において成立した労働と余暇の二項対立を乗り越え、他者とのつながりのなかで生きる自己のあり方に注目しながら、「働くこと」の意義について考察している本です。
フランクリンに代表される近代人は、勤勉・勤労に何よりも大きな価値を認めました。一方、1960年代以降に青年たちを中心に広がったカウンター・カルチャーのムーヴメントでは、「モーレツからビューティフルへ」ということばに象徴されるように、「労働」よりも「余暇」に大きな価値を見ようとしました。しかし著者は、こうした「労働」と「余暇」の二項対立そのものが問題だと考えます。
勤勉・勤労に価値を置く近代においては、つねに前方を見つづける「前のめり」 -
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大人のいない国
内田樹22冊目(鷲田清一との共著)
・教養についての考察が面白かった。なぜ自分はこのことを知らずにきたのか、知ることを拒んできたのかという、自分の無知の構造に目を向けられた瞬間に教養が起動するということや、教養とは自分のわかっていないことについてわかるということということがうなずけた。自分の経験から照らしてみても、さらに、この人ならこのことについて知っているかもしれないという風なセンサーが働いて、お願いできれば、たいていのことは何とかなるとも思う。
・人がそのかけがえのなさに気づかず、ないがしろにしているものに対して注意を促して、その隠された価値を再認識させる言葉の働きを「祝 -
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ネタバレこれからを生きていく人へ贈るメッセージ。
日本の現状に危機感を抱いた内田樹が,中高生へとメッセージを送るために様々な人へ文章を書いてくれるよう依頼をした。統一感はあるような,ないような。しかし,皆,日本の現状に(というか,現政権に)危機感を覚えている人たちである。出版されたのは2016年7月なので,書かれたのはその少し前とすると,その後,イギリスEU離脱が国民投票で決まり,トランプ大統領が誕生し,また日本は重要法案を急いで通そうとしている。危機は加速しているのでは。
戦後の,戦後すぐの平和主義がそろそろ機能しなくなっている,そう感じる。軍隊を持たない,平和を守る国でありたい,でも,他国に攻 -
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「臨床哲学」を提唱する著者が、震災以後の問題について論じた本です。
ところどころに著者らしい繊細な精神のきらめきが見られますが、意外にも紋切り型の意見が多く目につくように感じました。とりわけコミュニティの崩壊について論じている個所は、少なくとも表面的には、保守派の懐旧と重なってしまいます。
確かに、「語りきれないこと」というタイトルが表わしている問題は、どこまでも重く受けとられるべきでしょう。著者自身、震災からの復興のプランを声高に語るメディアや評論家を批判しながら、みずからの言葉が「語ることができない者に代わって語る」という身振りを反復していることを自覚していないはずはないと思います。そ -
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目もくらむようなスーパー秀才エリートだった人たちが、声をそろえてもはや反対することができない空気があったと言っている。ドイツ語で日記を書けるような、言葉を自由自在にあやつることができるエリートたちが、一億人の運命を左右するような決めごとを、最後には言葉でなく空気を読んで身を委ねたと語っている。
福島の原発事故直後の危機を回避するための政府首脳の重大会議、40年以上も続いた政府の憲法解釈を内閣の形式的合議だけで大きく変えてしまった経緯、いずれも議事録が残っていない。それが僕たちの国の致命的な欠陥だ。これはもう病気と呼んでもさしつかえないと思う。かつて有名な政治学者はこれを壮大なる無責任体制と呼 -
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この本さえ読めば素人でも哲学の使い方、仕方がわかると
いうようなハウツー本、マニュアル本ではないので要注意。
この現代という時において哲学とはどのような役割を果たす
べきか、どのようにあるべきか、そもそも哲学は意味ある
ものとして存在しうるのかどうか。哲学者が哲学者として
哲学と向き合う上で発せざるを得ない「悲痛な叫び」として
私はこの本を受け止めたのだが、さほど間違ってはいないと
思っている。
日本の教育には宗教教育(ある一つの宗教の教義を教え込む
のではなく、人間として宗教というものとどう向き合うか
を教える教育)が欠けているのが大問題であるのと同様、
哲学教育も欠けているのは大問題で -
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面白いタイトル。
サブタイトル「哲学者の都市案内」とあるように、京都をぽつぽつとカメラのように辿りながら、そこから「まち」とは何かという考察に昇華する。
すうっと一本道を歩いていたかと思いきや、深い思索の世界に飛んでいく、不思議な文章である。
暮らしをビジネスに破壊された町並みを空襲と例え、どこも均質化していく都市を非難する。
舞妓と坊主、三奇人、隙間、孔。
そういったきわもの、場末が確立しているからこそ、その中で人は学び移ろい、生きることが出来る。
なんでも平等主義、見え透いた善だけを頼りにしている人たちが読めば、なかなかのショックを受けるのではないか。
都市の孔は、そんな人たちによって