ユヴァル・ノア・ハラリのレビュー一覧
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面白かった。
他の本では狩猟採集民族が人間らしい豊かな暮らしをしている人々として引用される本もあったが、善し悪しがあるもわかり、ユートピアはないことに気づく。
想像上のヒエラルキー、貨幣や帝国の話において、文体から罪の意識を感じさせて、ヘビーだった。
「サピエンスの集合的な力の劇的な増加と表の向きの成功が個体の多大な苦しみと密接につながっていたことを私たちは今後の生で繰り返す目になることだろう。」システムの成功がその構成員の幸福を保証しないことは留意しなくちゃいけない。現在のAI革命においても同じことが言える。
途中の世界史の話はついていけなかった。 -
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「ネクサス」(NEXUS)とは?「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意で、人間は「情報ネットワーク」で途方もない力を身につけた。それにもかかわらず、生態系の崩壊や世界戦争など、存亡にかかわる数々の危機に直面している。現代、新たなAIにより発展を遂げた人類は、AIにより没落(暴走・破壊)する宿命なのかも知れない。本書では歴史と宗教の面からの洞察が多く、いずれも必須なのが「自己修正メカニズム」であるという。だが、現実、ロシア、イスラエル、米国でさえも政治家による決定は多数派による独裁的方向に激変しており、どの国も止めることができない危険状態だ。裁判所の権限、報道機関を含めた機関でさえ敵、強豪で脅威とみなすと無力化しようと多数決で正当化させる行為などだ。ネタニエフは「民主制は路面電車のようなもの、乗って目的地に着いたら降りればいい」と、一旦権力を持った人物は独裁権限を手放すことはないと言うことか。世に「完璧な人はいない」、しかし権力の濫用を暴いたり、正当性を問い是正させる人もいなくなる。これは私的な予測だが、近未来の世の中は、進化した自律AIが人間より先に権限を濫用、世界経済を混乱させ、AIによる政治支配者になることも読めないことはない。
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上巻を読んで、人間は時に情報の虜になり、凄惨な事態を引き起こしかねないということを理解しました。下巻では、情報が人為を超えてAIによって生み出されていることの危険性を想像させられ、これまで自分なりに漠然と抱いていた危機感を、よりはっきりと思い知らされました。
歴史、経済、政治、宗教、哲学など、あらゆる分野の知識をもっと身につけたいと思いました。しかし、私がどんなに勉強してもAIは私よりも確実に頭がいいので、あらゆる問題に対してAIは私よりも正しい答えを出すでしょう。そこで重要なのは、AIが出した答えを鵜呑みにしないこと。AIが信じる「正しさ」が、私の「正しさ」と合致していなければ、それはけっして「正解」ではないのだから。
今後の読書姿勢に変化をもたらすような本でした。読みながら、さらに読むべき本が次々と思い浮かびました。流行りの新書に見境なく手を出す前に、本書を読んでおいた方がいいと思いました。内容の密度が新書よりも濃かったです。そして、読書ももちろんしたいのですが、外に出て人助けしたいとも思いました。AIよりうまく助けられるかは分かりませんが…なんだかそうせずにはいられない気持ちになりました。 -
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上巻を非常にざっくりまとめると、認知革命によってサピエンス=私たちは虚構を信じれるようになり、それがより大人数での協力体制を可能にしてネアンデルタール人を圧倒した。農業革命は私たちを定住化させた結果、自分の土地や富という概念を生み、生活を豊かにした一方、支配層と被支配層という格差を生んだというところか。
「全史」というだけあって話が多岐に渡るので、少なくとも自分には非常に難しい。認知革命→農業革命と来て、三大革命の最後の科学革命の話には行かずに帝国の話になったり、農業革命の話だったのに男女格差の話に結びついたりする。下巻を読み終わるまでにどれぐらいかかってしまうか。。 -
Posted by ブクログ
21世紀の世界を読み解くために考えるべき21の重要テーマを、稀代の碩学が説くということで、これはぜひとも読まなければと思って手に取った。
著者はイスラエルの哲学者・歴史学者で、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』というベストセラーで知られる。本作は2018年に書かれ、2019年に邦訳が出た。
脅威的なAIの発達にどう対処するかということが、今現在、人類が直面する最難題のひとつだと考えられている。本書では冒頭第Ⅰ部「テクノロジー面での課題」で、この問題が取り上げられる。
展望は暗い。テクノロジーの発達によって、アルゴリズムが人間を支配し、雇用はAIに奪われ、思想の自由は侵害され、格差が広がる。第Ⅰ部の4つの章を読むのはとても辛かった。21世紀の人類(つまり自分)がたどる道はこれほどまでに絶望的なのか?
本書の全体的なトーンは悲観に傾いていると思う。しかし、現実を直視すればそう感じざるを得ないのだから仕方ない。人類を脅かすものはAIばかりではない。グローバルな気候変動がある。テロや戦争がある。この本が書かれたのは2018年で、世界がコロナ禍に見舞われる前だったが、感染症の恐怖も取り上げられる。
とはいえ、どこかに「希望」のようなもの、生き残るための方策のようなものが提示されていなければ、歴史学者・哲学者としての使命は果たされないし、価値のある本ともいえないだろう。私は第14章「世俗主義」と第21章「瞑想」のふたつから希望を見出した。
著者は世俗主義的な理想として6つのキーワードを挙げている(pp.331~338の文中に太字ゴシックで示されている)。それは「真実」「思いやり」「平等」「自由」「勇気」「責任」ということだ。世俗主義は神を否定することではない。同時に、世俗主義は宗教的信条としてこれら6つの言葉で表される行為を重んじるわけでもない。日本語で言う「人として」それらを重んじるということだ。当然のことながら、ここでいう「世俗主義」をポピュリズムなどどいうものと取り違えてはならない。
この本の最終章「瞑想」は著者の個人的な経験をもとに書かれている。大学生だった著者は、インドのヴィパッサナー瞑想の講座を受講した。これは何も特別な修行のようなものではない。指導者はこう言った。「息をコントロールしようとしたり、特別な息の仕方をしようとしないでください。それが何であれ、この瞬間の現実をひたすら観察するのです。息が入ってくるときは、今、息が入ってきていると自覚するだけでいいのです。息が出ていくときには、今、息が出ていっているとだけ自覚します。そして、注意が散漫になり、心が記憶や空想の中を漂い始めたら、今、自分の心が息から離れてしまったことを、ただ自覚してください」(p.492)。
「物事をありのままに観察する」(古代インドのパーリ語「ヴィパッサナー」の意味)ことが、「どう生きればよいのか」という問いに対して著者が提示するひとつの答えであると思った。 -
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「認知革命」という単語を初めて聞いたのがこの本。
結構有名やったから読んでみたけど、面白かった。通常の言語を操る動物やったりとか、人に類するものと違って、人類を人類たらしめているのが「虚構を信じられる(ストーリーを作れる、あるいは神様という存在を作れる)」という点。そういう観点はなるほどと思いながら、結構面白く読み進められた。
この本で知ったことを踏まえて、「それで?」という先を考えるのは結構難しいかも。
この知識が日常生活にどう生きるかという観点より、「人間って地球上の生命の中でこういう観点から特別なんや」とか「こうやって今まで繁栄してきたんや」という事実を認識できる本、という感じ。 -
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ネタバレ序盤は共感できることも散見され、テーマも興味深く読んでいたが、同時に、初めて「(悪い意味での)ずいぶんナラティブなレビューだな」という感触も付きまとっていた。
これまで読んでいるレビューのほぼすべてがナラティブレビューであり、それに否定的なわけでは全くない(むしろ天才や専門家の深い知見を知れるので大好き)のだが、本書からは「根拠としている部分にどこまでコンセンサスが得られているのだろうか?」や「引用がかなり恣意的な気がする」という疑問が浮かぶことも多く、自説へ引っ張りすぎているのではないかと思っていた。
決定的に「おかしい」と感じ、著者の背景を調べたのは『男女間の格差』の節であった。
この話題の前節までの「(人種)差別とそれに伴う待遇の違いが実際に格差を生み、差別をさらに強化していく」という論旨は明解で説得力があるものであった。しかし、男女の違いを論じ始めると倫理を無視したような無理筋な主張を繰り広げ始め、首をかしげた。
社会を維持するためのルールを破壊しても「生物学的に可能だから」で良いわけがない。例として心理的抵抗感のある殺人や犯罪、生命倫理ではなく同性愛を持ってくることも詭弁のように思えた。また、「生物学的に可能」は、実は万能な表現ではない。交雑種のように「可能だが普通はしない」ことが多くあり、著者の主張に反する「生物学的に可能だけど不自然」があることを無視している。
この『同性愛』というテーマも性急に現れており「男女間の”身体的差異”は多くのことに無関係という主張ではなかったのか?そこへなぜ同性愛を?」と論旨のブレに引っかかりを感じ、また論調が”男性”同性愛への感情的な訴えにすり替わったことにも強い違和感を感じた。
そもそもフォーカスしていることが、性的少数者でも、両性愛や同性愛ですらなく、”男性”の同性愛という極端な部分であることが非常に奇妙(というより論理構造のあまりの偏りに気持ち悪さを感じたという方が近い)であった。 後に著者を調べてみてゲイであることがわかり、極端な選択をした理由の一端が分かった気がした。
著者の性的嗜好についてははっきり言ってどうでも良く、また、ゲイに対する差別的な考えが本書の発想の大元になったようである(= 個人の体験に基づく問題提起)という点も特に咎め立てる事ではないのだが、
問題は自身の特殊な立ち位置を本文中で一切明かさず(そもそも原著出版時に公にしていたかも怪しい)に、巧妙にゲイだけを擁護する表現を紛れ込ませている点だ。触れられているのが”男女”間の差異の節であり、併記できる文脈があるにもかかわらず”女性”同性愛を一切記さないという点も印象が悪い。
正々堂々と節を分けて性的少数者の是非をバランス良く論じてやればよいだけで、そうすれば次節の『生物学的な性別と・・』との接続も良くなり性別に対する見方を揺らがせる効果も上がるだろう。妙だと思った「生物学的に可能」に関する主張も綺麗に収まる。現状の書き方、対象の選択のまずさが周辺の節にまで歪みを生じさせているように思えた。
前述の「悪い意味でのナラティブレビューだ」という感覚と合わせると、著者は人類史の帰結に見せかけながら本書の各所で自身の考えに有利な方向へ誘導しているのではないかという疑念が強くなった。
そのため、本書は「著者の鋭い感性によって得られるものも多いが、そのまま丸呑みしてはいけない書籍」という見方に変わった。
本書に対して懐疑的な見方をしながら終盤部分を読み進める(ふり返ってまで数え上げる気にはならない)と、「不当な議論をしている」と感じる部分がいくつかあった。
男女間の差異、特に男性が優位な条件を論じていく内容は、どうも議論の歯切れが悪い。
本書前半部分で散々遺伝子とそれを乗り越える共同主観の話を繰り返しているので、男性が優位となることに遺伝的因子が関係している(:家父長制遺伝子の淘汰で説明するのではなく、サピエンスの基本的なプログラムとして家父長制を採る遺伝子を持っている)可能性を論じないのは不自然である。
この議論ではボノボやゾウを例として女性優位型の社会を例示しているが、これまで例として扱ったチンパンジー(:チンパンジー属のチンパンジー = ナミチンパンジー)を扱わないのは不公平であると感じた。そのチンパンジーはアルファ“オス”を頂点とする群れを築くと何度も本書中に出てくる。彼らがメスを支配する様子についても併記して良いはずだ。
チンパンジーもボノボもサピエンスと遺伝的な距離に差がないとはいえ、その生態は明瞭に違いがある。この節だけチンパンジーについて触れず、ボノボ(チンパンジー属ボノボ = ピグミーチンパンジー)のみを例に出すのなら、明確な理由と説明が必要である。
また、著者に懐疑的になっているので、広義の意味のチンパンジー(:チンパンジー属 = チンパンジー + ボノボ)と狭義の意味のチンパンジー(チンパンジー属チンパンジー)の違いに敢えて触れておらず、わざと混同させているのではないかとも思ってしまう。
男性が優位に立った理由に関しては男-女間での比較と男性間での比較、あるいは労働と知識、戦闘についての観点を都合良く出し入れして理由を有耶無耶にしようとしているように感じた。
「女性が男性より平均的に優位であってもどこかに致命的に弱い部分があり、男性はやや劣るが大きな弱点がない。また、一度リーダーになると覆すのが難しい(:本書、黒人差別の部分と同じ)」とするだけで特に男性が優位でなくとも世代交代するほど女性政権が消えていくのは簡単にシミュレートできるだろう。
弱い部分がどこかはわからない(本書、『筋力』中にあるように、リーダーは過度に若い個体ではないだろうから妊娠は積極的な理由になり得ないだろう)が、男性優位という現象が起きることは不思議ではない。
この弱い部分は単純に筋力差でも説明がつく。
先史時代、数十人規模での戦闘では指揮官が戦陣にあるのはそれほど珍しいことではなく、古代の貴族なども先陣を切り、命を張ることで尊敬される地盤を作った。著者の「指揮官は前線に立たない」という論は、部隊の規模が一定以上に大きくなり、戦術、戦略が重くなる場合、より時代が下った時のみである。
リーダーが腕っ節が強いわけではないという指摘も「従う者が強い」で片がついてしまう。この従う者は息子であったり、歳の若い親族であろう。日本にも子飼いや一族郎党という言葉があるが、血縁やそれに準じる絆は時代が下っても残るほど強力である。
仲間を指揮することが巧みで勇敢な者がリーダーになり、老いてはその息子や近親者が勇を示す。それだけで男性による支配権の継承が見えてしまう。
女性は筋力差により戦闘での働きができないため、狩猟採集時代から農耕の初期までに男性優位が決定し、覆せなかった。という単純なモデルは誰でも思いつきそうである。
このような皆が思いつきそうな内容を触れずに、より複雑な議論をしたうえで答えが出ない、というのは検討不足に感じる。
『悪の帝国?』の終盤、カレドニアの族長カルガクスについて触れている部分では異論がある部分を巧妙にごまかしている。
カルガクスの演説が創作だという点は異論が出ないと思われるが、人物が完全な創造(実在性)という点については一致をみていないようだ。
前後の文脈からも発言内容と人物の実在性を最大限の強さで言い切る必要が無い(見解の一致している「発言が虚構」ということだけ述べておけばよく、すべてが創造だと『学者が一致している』などと強調する必要性が全く無い)。
本書は一般向けにわかりやすく断定口調で述べられているが、それでも諸説ある部分を意図的に切り捨てることとは別である。ここまで感じ続けていた「引用が恣意的ではないか」などの感覚を省みれば、このような小さなねじ曲げを行っている箇所はここだけではあるまい。
「一見、人類史から導かれた公平で包括的な問題の提起に見えるが、その実、著者自身の問題意識や仮説に強く方向付けられている(ということに注意して読まねばならない)書籍」というのが上巻を読み終わった際の感想だった。
コンセンサスを得られていない知見を恣意的に引用していたり、証拠として挙げるものを自身の議論に都合の良いように出し入れしていること、自身に都合の悪い部分は話題からそらすなどの行動は無意識的に行うことではない。
これをトレーニングを受けた学者が自らの専門分野で行うのはかなりの不誠実に思えてしまう。
読みやすく流れるような文章と断定的な書き口の心地よさという優れたナラティブの才能を持っており、常識を覆し目を見張るような視点を創造することにも長けているのだから、過剰な装飾などせず堅実な根拠や自説の立ち位置を明確にして誠実に書けば良いのにと思ってしまった。 -
Posted by ブクログ
上巻では主に、下巻で書かれるであろう本題を理解するために必要な予備知識が書かれていました。新たに知ることや新たな視点が多く、読んでいる間ずっと脳が活き活きとして、集中を切らすことなく読み通せました。モヤモヤと自分なりに考えていたことが、読みながら整理されスッキリしていく感じがしました。
いくつか意味を知らない用語が出てきて、その都度Google検索をしながら読みました。また、「可謬」と「不可謬」という慣れない言葉が頻出し、その度に止まって意味を考える時間を少し要しましたが、読み進めるうちにだんだん慣れてきて瞬時に理解できるようになりました。脳が活性化しているうちに、そして上巻で得た知識や考えたことを忘れないうちに、すぐに下巻を読みたいと思います。 -
Posted by ブクログ
情報は物事を結びつけるものである。
情報の複雑な見方では、情報は真実と秩序を作り出し、それぞれが力を持つが、真実だけが知恵を創造する。
人類の情報との関わり合いはこの真実と秩序のバランスをとることの歴史ともいえる。
不可謬の幻想を保った全体主義の悲惨な歴史を概観するが、かと言って民主主義を礼賛するのではなく、どちらもそれぞれの問題を潜在的にはらんでいることを説く。
下巻では人間のものとは異質の知能「エイリアンインテリジェンス」がもたらすものについて可能性を探る。
(本書での「官僚制」って言葉はもっといい日本語の訳があったんじゃないか?) -
Posted by ブクログ
映画「悪は存在しない」の主人公のセリフをずっと思い出していた。すべてはバランス次第だというセリフ。漫画「チ。」の理不尽も。真実/秩序、科学/宗教、革新/保守、すべてそれぞれに正義があるんだよな、それがどれだけ醜悪に見えても。
誰もが、何もかもを、AIに聞ける今日において、バランスをとってくれるものは一体なんなんだろう。
メモ
・情報ネットワークは、真実と秩序のバランスを取ろうとする綱渡り
・情報テクノロジーの速度と効率を増すだけでは世の中は必ずしもより良い場所にはならない
・社会を一つにまとめている高貴な嘘
・秩序は虚構を通していた方が維持しやすい