安原和見の一覧
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ユーザーレビュー
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1959年にロシア西部のウラル山脈で起きた遭難事故を、50年あまりの時を経て、アメリカ人の映画作家が再捜査する。彼は自ら事故現場の山に赴き、自国のみならずロシアの知識人たちにも協力を仰ぎ、事件当時にはなかった科学技術や新しい理論を駆使して、事故の真相を究明する。
当時考えられていた雪崩説、強風説
...続きを読む、殺人説、地球外生命隊の襲撃説などをひとつずつ消去法で否定していくが、その結果、最後には考えられる可能性が何も残らず、著者は途方に暮れる。しかし、事件から50年を経た2013年、世界には新しい理論が多く出現した。そのうちの一つ「カルマン渦列」という現象に、ずっと求められていた答えがあることに一人の科学者が気付く。これを元に著者は、本書の最終章で、事故当日のトレッカーたちの状況を再現することについに成功する。
この本は、全体が3つのストーリーに分かれている。一つめは、遭難してしまったロシア人学生のグループの、出発から事故当日までの足取り。二つめは、下山予定日を過ぎても一向に帰ってこない彼らを探す家族、捜索隊、警察、ロシア当局の動き。三つめは、2013年にこの本を書くに当たって行った著者の捜査。この三つが順番に並行して語られることにより、すべてのストーリーがそれぞれ少しずつ核心に近づいていくという画期的な構造だった。文字を追っているだけなのにドキュメンタリーを見ているかのような臨場感があって、すごく分厚いけれどあっという間に読み終わった。もし著者による最終的な再現が誤っていたとしても、少なくとも大きな矛盾は孕んでいなさそうな可能性がひとつ提示されたことにより、残された遺族や関係者たちが少しでも報われていればいいと思う。
Posted by ブクログ
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何万年・何十万年前には、今の人類=ホモ・サピエンス以外にも、ホモ・エレクトス、ホモ・デニソワ、ホモ・フローレシスエンシス、ホモ・ネンデルターレンシスたちが存在して、生息していた。
火の使用は人類と他の動物を隔てる最初の大きな溝になった。
この力はいつどこで使うか選べるから、無数の仕事に利用すること
...続きを読むができた。
さらに重要なのは、肉体的な限界が関係ないってことだ。
火打ち石があれば、女性1人でも数時間で森を丸ごと焼き払うことだってできる。
火を手なずけたのは先触れだった。これが原子爆弾に到る最初の重要な一歩だったんだ・・・
7万年ぐらい前、サピエンスは急激に世界中に広がっていった。
でもアフリカを出たときには、ユーラシア大陸のいたるところに別種のそれらのヒトたちはどうなったのか。
交配説
ヨーロッパ~中東ではネアンデルタール人と、東アジアではその地域のエレクトスと交配した。
交替説
それらの種はまじりあうことなく、ネアンデルタール人が絶滅した(つまり皆殺しにされた)
交替説が正しければ、人種間の差異がないに等しいことになる。
しかし交配説が正しいとすれば、アフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間には、何十万年も前からの遺伝的な差異が存在する可能性がある。
2010年、ネアンデルタール人の骨からDNAを抽出することに成功。
現代のヨーロッパ人とアジア人のDNAのうち、2%はネアンデルタール人に由来することがわかった。割合としてはかなり低くても、間違いなく混じっている。
さらに現代のメラネシア人と、オーストラリアのアボリジニの場合、最高で6%のDNAがデニソワ人に由来していた。
だから、交替説と交配説のどちらとも言えない。
サピエンスは寛容ではない。現代でも、肌の色が違うとか言葉や宗教が違うというささいな理由で、別の集団を皆殺しにしたりしている。
大昔も寛容だったとは思えない。
サピエンスがネアンデルタール人と遭遇したとき、史上初にして最大規模の民族浄化作戦が始まったのかもしれない。
この3万年間、ホモ・サピエンスはずっとヒトの唯一の主だった。だからそれ以外の可能性は考えることすら難しい。同種の親戚がいないんだから、どうしても自分たち造化の頂点だと考えたくなる。動物界の他の動物たちとの間には、越えがたい断絶があるからね。
でもネアンデルタール人が生き残っていたら、人間は別格だとは考えにくかったんじゃないかな。サピエンスの先祖ネアンデルタール人をなかったことにしたのはそのせいだろう。無視するには似すぎているし、受け入れるには違いすぎたんだ。
フローレス島の小柄なヒトは5万年ほど前に消えた。ホモ・ルゾネシスはルソンから姿を消した。
昔の人類はチンパンジー たちにそっくりだった。
残念ながら今の人類も残念なぐらいチンパンジー たちに似ている。個人でも家族でも。
本当に違うのは大勢で協力できるって言うところ。
身体的な面では サピエンスの道具作りの能力は3万年前から大して変わってない。
だけど、大勢の他者と協力する能力は、劇的に向上してる。
7万年くらい前に 獲得した言語能力のコミュニケーション能力のおかげだ。
社会的に協力し合うことが生存と繁栄の鍵。
陰口をきくのは良くないことだし、意地悪な行動だけど、実は大人数で協力するのには必要不可欠。
言語能力を獲得したサピエンスは何時間も噂話ができるようになった。誰が信用できるかという確かな情報があれば、群れの規模を拡大できる。それでサピエンスはより緊密で高度な協力関係を築けるようになった。
現在でも人間のコミュニケーションのほとんどは 噂話。
人はごく自然に噂話を始めるからね。言語はそもそもそのために発達してきたんじゃないかと思うぐらい。
悪いことをすると人に噂されるから、噂は社会規範を強化したり、集団の結束を保つのに役立つんだ。
150人以上の相手と本当に親しく付き合うことはできない。150人はマジックナンバー、限界点。
サピエンスが世界を支配してるのは、自分で生み出した虚構を信じるなんて、そんな動物が他にいないから。みんなが同じ虚構を信じていれば同じ規則に従うことができる。
みんながその話を信じればみんなが同じ法や規則に従うから、全然知らない相手でも協力し合える。サピエンスだけが何百万人もの協力ができる。
法体系の根っこにあるのは法律にまつわる共通の神話。弁護士は見ず知らず 同士 協力しあって 赤の他人を弁護するまる。これは法や政治や人権やついでに報酬としてもらう現金の価値を信じているから。
未開部族はありもしない政令を信じることで社会秩序を保ってるって聞くと人はすぐに納得する。なのに、現在の社会体制もまったく同じだってことに気づかない。
現在の企業は昔の部族とそんなに違わない。起業家や法律家はいわば強力な呪術師。
7万年ほど前に登場した認知能力。これは認知革命。
言葉を紡いで想像上の現実を生み出す能力のおかげで人間は大勢の他人と協力してやっていける。
200万年前遺伝的変異によってホモエレクトという新種の人が生まれた。と同時に新しい石器が登場して今ではそれがこの種のエレクトスの目印になっている。
それ以上の遺伝的変異が起こらないうちは 接近 もほとんど変化がなかった…なんと200万年近く も!
認知革命以後のサピエンスは行動をパッと切り替えることができて、遺伝子や環境の変化がなくても次の世代に行動を伝えることができた。
サピエンスは数十人の集団で狩りをすることを学んだ。複数の集団がまとまって数百人になることもある。
認知革命以前 サピエンスは動物の一種でしかなかった。世界に属していたから、政治学の理論で理解することはできる。
しかし、認知革命以後のサピエンスは架空の物語 を次々に発明していき、奇妙な行動様式をいくつも生み出して今でいう「文化」を築きはじめた。
狩猟採集民は定住していませんでした。毎月どころか毎日移動することもあります。所持品は全て 担いで運んでいたわけです。引っ越し業者や荷車はもちろん駄獣すら存在しませんから。ですから 必要最低限でやっていくしかなかったんです。
つまり、宗教的情緒的社会的な活動にはほとんど 道具を使っていなかったと結論してよいのでしょうか。
現在は生きるのに必要な知識の大半を人は無自覚に他人に頼ってる。でもその他人の方だって自分の狭い専門分野のことしか知らない。集合的に見れば現代社会の知識量は石器時代の共同体を大きく凌駕しています。でも個人のレベルで言ったら歴史上一番知識や技能が豊かなのは昔の狩猟採集民なんです。
正直に言って、20世紀は史上最悪の戦争と民族条項から行われた時代だが、その20世紀ですら人間の暴力によって殺された人間はたった5%。
動物界が産んだ歴史上最悪の殺人犯。
猫が車が走ってくるのを見るとよく突っ立ったまま動かなくなる。あれはバカだからではなく車 という危険に適応する時間がなかったから。
Posted by ブクログ
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1959年冬の遭難事故の謎を解くノンフィクション。著者がロシアに飛んで謎に挑む過程に恐る恐る同行するような気分になった。
この事故については全く知らなかったが、謎にぐいぐい引き込まれて読んだ。
スターリンの抑圧が去った時代のロシアの学生たちが山旅を謳歌する姿も描かれていて、山が好きな自分は興味をそそ
...続きを読むられた。
Posted by ブクログ
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中学3年生の「課題図書」の一つとして紹介された書籍です。
「女性が手から電撃を出せるようになる」という設定ひとつで、ここまで現代社会を風刺した小説を書くことができるのか、という驚きに満ちた読書体験でした。
力を得た女性が、それまで自分たちを征服し、虐げてきた男性社会にたいして叛旗を翻すという流れ
...続きを読む自体は想像できるものですが、今の世の中に「当たり前」にあると考えられている「女性ならではのやさしさ」という幻想を打ち破るような激しい攻撃性を目の当たりにすると、私自身、男として居心地の悪さや一抹の恐怖を感じます。
大いなる力には「責任」が伴い、それを無視して濫用すると「歪み」が生まれること。人間は理性よりも感情を優先することがままあること。復讐は復讐しか生まないこと。他者を信じたとしても、その信頼が裏切られることもありえること。この世の中の「不条理」な現実がありありと描き出されているところも、本書の魅力の一つだと思います。
この物語は、女性が男性よりもはるかに強く、女性が男性を「支配」するようになってから数千年を経た時代に、とある男性作家が書いた「過去の男が強かった時代から転換したとき」を描いた歴史ファンタジーという位置づけの小説になります。
この作中の小説を読んだ女性作家からの手紙に「『男性の支配する世界』は……きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあって……」という記述がありましたが、これこそ現代の社会への痛烈な批判でしょう。
現実には女性が、そしてこの作品の中では男性が、その性別ゆえに「生きづらさ」や「恐怖」を感じながら生きてゆかねばらならないという現実があります。もちろん、そのような状況は変えていかねばなりませんが、その前に「どのような困難があるのか」ということを自分事として理解することが必要でしょう。
その助けとして、とくに男性読者にこの本を読んで欲しいと思います。
作中の小説で、一人の男性が次第に「ただ生きているだけなのに男性であるという理由で恐怖を感じるようになる」という描写があります。これが、女性が抱く(抱かされている)恐怖なのだと思いますし、それを追体験することができるというのは、貴重な経験だと思います。
Posted by ブクログ
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チャールズアダムスの原作にアクセスする機会がほぼなくて、この本で初めて触れたのだけれど、アダムス・ファミリーが最初から全員がファミリーだったわけじゃないこととか、時と場合によってはビジュアルさえ異なっていたこととか、意外な事実がたくさん載っていて最高だった。
ハリウッドの映画を観たあとによんだので、
...続きを読むその違いとか共通点とかを探しながら見ることができて嬉しかった。
原作のイラストにあるシーンが映画にも使われてるのがあって、ちゃんと原作リスペクトしてるんだ〜と思った
Posted by ブクログ
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