村上春樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹がどんな人なのかを知りたくて手に取った本。
ランニング、執筆への向き合い方がメインで書かれているのだが、習慣化のtips が散りばめられており、学びも多かった。以下引用
このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合と違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させることができる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。
村上春樹の小説以外がいつも面白いのは、この継続の賜物なのだとひしひしと感じた。
-
Posted by ブクログ
『ねじまき鳥クロニクル』第一部を読んでいると、
物語を追っているだけのはずなのに、
心が勝手にこれまでの人生を整理し始めるような感覚に陥った。
猫の失踪、仕事を辞めた主人公の日常、
奇妙な電話や不可解な人物たち。
表面的には淡々とした出来事が続いているだけなのに、
読み進めるほどに、
自分自身の内側が静かに揺さぶられていくのを感じた。
第一部でとりわけ印象に残ったのは、
間宮さんが語るノモハンでの体験である。
涸れ井戸の底に落とされ、
一日に数秒だけ差し込む光を浴びた瞬間、
彼は「自分の人生はそこで終わった」と感じたという。
助かった後の人生は、
生きているのに生きていない、
死んでいるのに死んでいないような感覚だったと語られる。
その一節を読んだとき、
それは決して極限状況に置かれた他人の話には思えなかった。
大学時代や精神科病院で働いていた頃、
私自身もまた、
何かに全身全霊で打ち込めるものを見つけられず、
心を燃やす対象もないまま、
ただ「死んでいないだけ」の状態で
日々を過ごしていた時期があったからだ。
第一部に登場する主人公もまた、
仕事を辞め、目的を失い、
どこか世界との接点を見失ったような状態にある。
本田さんから受け取る中身のない箱は、
彼の空洞化した生を象徴しているように感じられた。
また、加納クレタの語る
「痛みを失った瞬間から、生を実感できなくなった」
という言葉も強く印象に残っている。
痛みから解放されたはずの彼女が、
引き換えに世界の手触りそのものを失ってしまったように見えたからだ。
間宮さん、加納クレタ、そして主人公。
第一部に描かれる彼らの姿は、
形こそ違えど、
「生きているのに生を実感できない」という一点で
静かにつながっているように思えた。
私はもともと、
自分の感情に敏感な人間ではない。
面倒な感情には蓋をして、
深く考えずにやり過ごしてきた。
それでも第一部を読み終えたとき、
その蓋が少しずつこじ開けられ、
押し込めていた感覚が
表に浮かび上がってくるのを感じた。
『ねじまき鳥クロニクル』第一部は、
不思議な物語というよりも、
自分の中にあった
「生きているのに生きていない感覚」に
輪郭を与える読書体験だった。 -
Posted by ブクログ
視点からの話が印象的だった。エリの部屋に満ちている空気、場の乱れ、静けさなどが肌で感じられるくらいリアリティをもっていた。
タカハシとマリの会話に癒されつつ、白川との温度差を感じた。
アフターダークは人の無意識の世界を書いているという河合隼雄さんの紹介を読み、「白川」もひとりの人間の中に存在しており、誰しも部分的には逃げられないものを抱えているのだろうかと思った。
人の心のやるせなさを現実味をもって書きつつも、マリとエリの心の交流が、書かれていないストーリーの裏でしっかりと感じられ、最後のシーンはあたたかい気持ちになった。
村上春樹さんの長編にしては珍しく落ち着いた気持ちで読めた。笑 -
Posted by ブクログ
ネタバレなかなかに酷いことをする主人公だった。終盤、それが彼自身の欠落というパーソナリティであることが自身の口から述べられるのだけれども、周囲の人物からしたら本当にたまったもんじゃない。彼のいう吸引力をお互いに感じているであろう有紀子は彼の過ちとその欠落を踏まえても許すことができたけれどもイズミはそうではなかった。彼女は主人公のことを好きだったかもしれないけれど吸引力は感じていなかったのかもしれない。そしてその後は、傷をいやすような出来事や人物に出会えず、死を内包して生きているのだろう。島本さんですら、ボーリング場の廃墟では死を瞳にのぞかせていた。
死について述べる場面は村上春樹の筆力?を強く感じた。主人公に肉薄した死の恐怖を村上流に描写していた。
今作のテーマは死なのだろうか。どうやらイズミとの再会の後、主人公には変化が訪れた。内面の何かが死んで新たな彼のペルソナが作り上げられようとしているっぽい。有紀子も主人公を許す会話の中で、彼女のうちでなにかが死んで失われてしまったことを伝える。それはおそらく自殺を図ったあの時なのだろう。彼女は無い面だけでなく肉体も死に近づいた。
ラストシーン、海に降る雨のことを考える主人公のもとに、誰かがやってきて手を添える。どうして「誰か」なのだろう。娘たちは起こさなければならない存在として描写されているからここでの誰かは有紀子としか思えない。島本さんは主人公の前から完全に姿を消した。それは間違いのないことだろうに。有紀子との関係を新たに作り上げることを決意した主人公の前に有紀子が姿を見せるのはここが初めてだからだろうか。主人公は有紀子と初めて出会うのであって、まだ有紀子のことを知らないから。と考えたら割と合点がいった。 -
Posted by ブクログ
文学賞について書いている章で、芥川賞を取ることがすごいことと思い込んでいる人が多いから、村上さん賞を取れなくて残念でしたねとか来年はきっと取れますよ!とか言われるけど、村上春樹がそもそもその前提を同じくしてないので面倒くさかった、というボヤきにクスッとした
今、毎年ノーベル賞候補とか言われてるから、またボヤいてるかもww
In the chapter about literary awards, he writes about many people assume winning the Akutagawa Prize is an incredible achievement, so he has often heard things like, “I’m sorrys you didn’t get it,” or “You’ll definitely win next year!”
I laughed at his little grumble about how annoying that was, since he didn’t share that premise to begin with.
Now that people keep saying Hariki is a Nobel Prize contender every year, I can’t help but wonder if the same thing’s happening again. -
Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹の小説は学生時代には何冊か呼んだことがあり、どの小説も当時はよくわからなかった。
反面、このエッセイはとてもわかりやすく、共感できるポイントが多くあった。
他人の批評や徹底的な推敲を大切にしているところが意外であった。もっと自己中心的なスタイルで書いているという先入観があったからだ。
どんな文章にも必ず改善の余地はあるという謙虚な姿勢と、フィジカルな営みとして小説を書くという忍耐強さは好感が持てた。
学生時代が終わり10年以上が経った今なら、村上春樹の小説も面白いと思えるかもしれない。『田崎つくる』が興味を引いたので、手に取ってみようかと思う。