斎藤環のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
アインシュタインとフロイトという、海外に亡命したユダヤ人の二人がこうやって書簡をやりとりしていたことが驚き。
1932年の出来事を調べてみる。世界恐慌の余波が残る。日本は和暦で昭和7年。五・一五事件で犬養毅が殺害される。ドイツはナチスが第一党になる。
二人のやり取り、書いてある内容は、そこまで古さを感じさせない。
アインシュタインからの、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」という問いかけから始まる。国連のような中立的な組織が介入して解決しなければならないだろうという持論とともに投げかける。国際連盟ウケを狙った感じもある。
フロイトからの返信は、人間は歴史的に見ても利害の対立の解決には暴力が使われて来たことから話す。難しいところも多いが、以下要約。というか、私のメモ。
社会が発展するにつれ、暴力の支配から法の支配へと変わっていく。法は一人の暴力に対して連帯した人たちの力で勝ち取ったもの。しかし、これに歯向かうものにはやはり暴力に訴える。そのうち共同体の中に他の人より優れた人が出てきてまた独裁的な状況が作られ、それを共同体が打ち負かすと言うことが繰り返される。
過去の戦争には平和を目的としたものも多いことも事実。永遠の平和のために、戦争は不適切な方法とは言い切れない。しかし戦争しても永遠の平和は実現されていないのはなぜか?暴力で小さな集団を繋いでもその状態が長続きしないから。また大きな集団同士での戦争が始まるから。小さな戦争の頻度は下がっても、ひどい惨状を招く巨大な戦争が起きるようになった。
皆が一致団結して中央集権的な権力を作り、利害の対立が起きたときにはこの権力に裁定を委ねるべき。ただ、条件が揃わなければならない。
人間が自分の欲動をあますところなく理性コントロール下に置くことができれば人間の社会はいつまでも完全な一体化がされるかもしれないが、そんなことは無理。できたとしても時間がかかりすぎる。
平和主義者はなぜ戦争に強い憤りを覚えるのか?戦争は自然世界の掟に即しており、生物学的なレベルでは健全であり、現実には避けがたいものなのに。
文化の発展が、人間の心のあり方に変化を引き起こす事は明らか。ストレートな本能的な欲望に導かれることが少なくなる。文化が生み出す最も顕著な現象は2つ。1つは知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールし始める。2つ目は攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていく。
本の後ろ半分は養老孟司と斎藤環の解説。数十年前の書簡に対する現代的な解釈が面白い。
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Posted by ブクログ
大学の先生が書かれた本ということで拝読。
✏こういう場合の「正解」は、いわゆる「アイ・メッセージ」、「あなたが自分を責めたい気持ちはわかったけれど、私は同意はできないよ」と言うことです。
✏繰り返しますが彼らは、「自分がダメであることに関しては、誰よりも自信がある」ので、その自信までも否定され傷つけられたくないのです。こういった人々は、自己愛が弱いのではなく、むしろ自己愛が強いのではないか。つまりこれらの発言は、自己愛の発露としての自傷行為なのではないか。その根拠の一つとして、彼らが自分自身について、あるいは自分が周囲からどう思われるかについて、いつも考え続けているということが挙げられます。
✏この社会には成熟によって避けられる苦痛がたくさんあるとは考えています。
✏コフートによれば、自己愛の発達のもっとも望ましい条件は、青年期や成人期を通じて自己を支持してくれる対象が持続することです。特に青年期には、たとえ一人でも、無条件で支持してくれる人の存在が重要です。
✏自傷的自己愛の一番わかりやすい構造は、この「高いプライドと低い自信」というギャップです
✏万能感はその本質からして開かれた幻想なので修正機会がありますが、無力感は徹底して閉じた幻想なので、修正がきわめて難しい。つまり自傷的自己愛は、徹底して閉じているという点で、もっとも完結した自己愛と考えることもできます。
✏別にキャラいじりをされたわけでもいじめられたわけでもないのですが、「そう思われているだろうな」という思い込みだけで、その経験はトラウマ化するようです。
✏「同一化」とは、簡単に言えば、母親が娘に「自分の人生の生き直し」を求めることです
✏健康な自己愛こそは親が子に与えうる最上のプレゼントではないかとすら思います。ここで私が「親」というのは、「子どもの身近にいる人」という意味なので、必ずしも母親であるとか肉親を意味するわけではありません。いかなる家庭環境でも健康な自己愛を与えることができますし、あえて言えば「コスパ」も最高です。成人してから自傷的自己愛の修復にかかるコストを考えるなら、健康な自己愛を育む価値はいくら強調してもしたりないほどです。
✏ 母との関係に問題があると気付いた娘が、こうした母娘関係から自立するには、どうしたらいいのでしょうか。先述の著書で私が提案した解決策は、第一に「問題の存在に気付くこと」でした。私がほとんど極論のように「すべての母は毒母であり、すべての母娘関係は支配関係である」と主張しているのは、かなりどぎつい表現を用いないと、当事者にこの問題に気付いてもらえない、という危機感があるからです。
✏問題の存在に気づいたら…
①母親の権威を相対化する。母親は娘のあなたにとって特別な存在だけど、その前に一人の不完全な人間であることを理解する。結婚前の話を聞くのもおすすめ。
②両親の前で一回全部吐き出す。親の何が嫌だったか繰り返し語っていく。繰り返し口に出すことで思いが緩和され関係が修復されることがある。
✏最も高度に達成された自己愛は透明化する、という考え方もあります。経済的にも養育的にも恵まれた環境の中で育った人の中には、そういう人がいます。自己愛の最も健全で望ましい形は、それが空気のように透明化することかもしれません。もはやいちいち「自分が好き」とすら思わないほど、安定した自意識の基盤になってしまうわけです。
✏それに比べれば、常に「自分大好き」の人は、いくぶん不安定のように思います。常に内省的に自己愛を確認している人は、わずかな傷つきにも動揺しやすい。その意味で「自分が好き」であることが誰の目にもわかりやすい人は、その自己愛も案外盤石ではないのかもしれません。
✏対話でなされているのは基本的に「主観と主観の交換」です。対話の相手がどんな主観の世界に住んでいるか教えてもらうわけです。その世界がどんなにおかしなもので、間違ってるように思えたとしても、いったんは受け入れます。反論や説得、批判はタブーです。
✏もし社会がひきこもる自由を容認してくれたら、ひきこもりへの偏見は減少し、自分自身への偏見故にひきこもりをこじらせる人も減るでしょう。その意味で、ひきこもりの容認こそが、ひきこもり対策の究極の解とも考えられます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルの帯についている「コロナ禍が教える新たな人間関係の極意」が本書の総括な気がしている。
人に会うことには暴力性(人に対して何らかの力を発揮するという意味)があるというのは本当にそうって思う。何かしら伝えたいことがある、ビジネスにおいてはゴールがあるということは、他者がどう思っていようがその方向にベクトルを向かわせることになるから。ビジネスにおいては暴力をいかに効率的に出すか、でもいいけどプライベートとかならいかに受け止められる優しい暴力を振るうか、考えないとなぁ…。
あと最近の脳科学ブームについても確かにと思ってしまった。最近心理学というワードが下火になって、脳科学に置き換わっているけど、脳科学にすることで、自分ではどうしょうもないと問題を外在化させるのか…。人間の脳は自分の指導範囲内なのか外なのか、ちょっともやもやしている。あと、脳と心はイコールなのかについても、脳が外在化しているという面で心も一緒、だからイコールだと言われるとちょっともやもやする。もやもやするから心と脳は違うんだろうなぁと思ったり思わなかったり。 -
Posted by ブクログ
著者の別の書籍を読んだことがあり、個人的に読みやすい文章だったことを思い出して購入。今回もどんどん先に読み進められた。
日頃から自分を卑下して止まない自分、あるいは知人のことも考えながら読み進めた。自分をこき下ろしながら、でも変わることをしない/できないのは、結局のところ自分を守るためである。らしくない行動はしたくない。自分らしくありたい。この書籍で言うところの「自己愛」は肯定的に使われていて、自分が精神的にざわざわと落ち着かなくなった時に書き散らす日記のようなものを見返して感じる、何だかんだ今の自分を肯定している、恐ろしくて行動に移れない時の自分を守るためなんだと言う言い訳をしている時の自分の在り方に名前をもらったように思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「カルトの子」に衝撃を受け、何度も読んでいる身としては読まずにいられないテーマ。宗教と発達障害の関係については考えたこともなかったけど、人生がうまくいかずに宗教に助けを求めることを思えば、生きづらさを感じやすい人たちがはまってしまうのはなるほどと思う。当事者のインタビューは読みやすかったけど、専門家のところはちょっと読み飛ばすところも。信田さよ子さん、久しぶりに読んだけど、やっぱ分かりやすかった。斎藤環さんとの対談のとこも。こういう本を読むと、あの高校時代のエホバの子を思い出す。今どうしてるんだろうなぁ。エホバの個別訪問が辛い思いをさせて、コミュニティへの帰依を高めるためだという意見にはなるほどーと思った。しかし、こういうのって誰が仕組んでいくんだろうな。金なのか権力なのか性的なものなのか、絶対どこかの少数がうまい汁を吸ってると思うんだよな。
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Posted by ブクログ
ネタバレ宗教者、精神科医、ジャーナリストなどこの問題に向き合っている様々な専門家との対談や取材と2世当事者の声を集めた章が秀逸。
むしろそこだけでも良かったのでは、と思うくらい。
最後の方の章は著者自身の著作や宗教関連の文学や映像作品の紹介と見解が多く、興味を惹かれるものもあったが映像に関してはほとんど見ることのできないものが多いこともありちょっとうるさく感じてしまった。蛇足感がある、と言ったら言い過ぎだろうか。
p253で著者が創価学会について、エホバの証人のように2世問題を唱えてる人や宗教被害を受けたと言っている人が実数からすると多いと思えない、ゆえにエホバが2世問題を生み出しやすい宗教と言えるかも、という趣旨のことを言ってます。2世問題というくくりの中で共通する困難さや生き難さなどもあるでしょうが、宗教の中身によって確かに問題の深刻さや複雑さはかなり違うだろうと思います。
一括りでは解決できないところにどう対処していくかというところにまだまだ全然現状はたどり着いてないと思います。
鈴木エイトさんが懸念するようにこの問題がコンテンツとして消費されてもやもやと終わらされないことを願っています。
斎藤環さんが言うように、宗教をR20にするというのはかなり名案だと思います。私自身も子供のころから親の入信した宗教に結婚後も振り回され(本書に出てくる当事者の方々とは困難さは比較になりませんが)「何故自分に意志で入信したものでない宗教にこれほど神経をすり減らされなければならないのか」とその理不尽さに怒りをずっと抱いていたので、本当にそのような法律ができてくれたらどんなにいいだろうと思いました。
…まぁ現実にはほとんど無理だとは思いますけども。 -
Posted by ブクログ
佐藤優・斎藤環 両氏の対談本。
コロナ禍において感じた日本人のメンタルについて、様々なトピックから語られています。
特に興味深く読んだのが、「鬼滅の刃」の主人公は”からっぽ”という説と、『会うことは「暴力」である』、というところです。
全体的に面白いなーと思いながら読み進めましたが、個人的に気になってしまったのが、『心の中に「逃げる自由」を確保しよう』という小節での斎藤さんの発言についてです。
果たして女性は、逃げようと思って「逃げている」のか? 果たしてそれは本当に「逃げ」と言えるものなのか?
そのあたりについては、斎藤さんも佐藤さんも深追いすることなくさらりと流し、次の話題に移っているので何とも言えないのですが、もし弱者に対して理解を示しておられる斎藤氏が、女子は「逃げている」(しかも簡単に)と思っておられるのだとしたら、残念だなと思いました。
このことについて、他の点で「社会システムに問題がある」と繰り返し述べておられるお二人がノータッチなのには驚きましたし、社会システムじゃなくて「女子の側に問題がある」と思っている可能性もあるのかな? と思うと(他の説の説得性を考慮してみても)ぞっとします。
簡単に逃げているように見えるのでしょうかね?
それくらい、男性に「逃げ」という行動は恥の意識が染みついていて大変だ、ということを言いたかっただけなのかもしれませんが、女性としては心外に思いました。
どうか私の勘違いであってほしいと願うほど。
それ以外の点では本当に良かったので、
・コロナ禍での人間関係の距離
・人に会えないことで「楽になる人」「萎れた人」
・リモートワーク
・シンギュラリティ論争
・優生思想
・弱者男性
・自助・公助・共助とコロナ禍
・旧態依然とした日本型組織
・マイルドヤンキー
上記キーワードを見て「面白そう」と思った方には、お勧めします。