斎藤環のレビュー一覧
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今までに読んだ著者の本(主にひきこもり関連のもの)は、今一つ患者を客体化・対象化するような著者の視線が気に入らなかったが、この本に関してはそういうことはなかったので印象が変わった。
ただ、人との関わりを通してうつ病(新型うつ病)が軽快したという事例がよくあったから他者とのつながりは大事だよね、という本書の主な主張に関しては、それって昔からある自助グループやセルフヘルプの考えと同じだし特に目新しいことでもないんじゃ?とも感じた。
最後の方に書いてあった、声楽のレッスンを行った結果うつ症状の改善が見られたという内容は面白かった。「身体のレベルでの自己愛の修復」が本当にあり得るなら自分ももっと運動とかしようかしら。 -
Posted by ブクログ
対談であるからこその、面白さと受け入れやすさがあったのかな、と思う。大学、大学院なんて承認ビジネスと同じようなものでもはや意味はないという與那覇氏に対して、「いや、そこまで自虐的にならなくても」と斎藤氏が苦笑して応じるような、ね。與那覇氏の発言はなるほどとうなずきながら進んでいると、いつのまにかちょっと引いてしまうくらい攻撃的になっていることがあり、ちょっと怖いんだよね。斎藤氏がそこをうまく、方向転換したり、和らげてくれていたんじゃないかと思う。「え?それはどういうことですか?」と疑問を提示して、それを受けて與那覇氏がもう少しわかりやすく説明したり、話を展開してくれるのも良かったと思う。
印象に残っているのは、お金がたくさんあればみんな働きたくないんじゃないか?という疑問に対しての斎藤氏の答え。ひきこもっている人に、突然遺産とか相続して働かなくてよい身分になったらどうする?と問うと、安心して働けると答えるのだとか。失敗して、首になっても生活に困らないから、と。なんか、考えさせられたなぁ。
いろいろと問題提起があり、ちょっとふだん考えないような視点で話を展開してくれる。面白かったし、また読み返してよく咀嚼したいところだと思う。 -
Posted by ブクログ
様々な分野で見られる「社会の心理学化」という現象を、精神科医の斎藤環氏が解説・批判している本。
社会の心理学化とは、“教育・福祉・家庭など社会の様々な領域で心理療法の技術が多く使用されるようになり、文化の中で心理療法的言説の比重が大きくなってくるような事態”のことである。Ⅵ章までは、文芸やサブカルチャー・事件報道といった分野における社会の心理学化を紹介している。例として、ファッションと化した「トラウマ語り」や事件報道に精神分析が担ぎ出される現状、心理学ブーム・脳ブームなどが挙げられている。2003年に書かれた本なので、今読むと多少時代遅れ感があるのは仕方がないだろう。もっとも、心理学ブームというのは日本でも遅くとも大正時代には見られた現象らしい。
という訳で、本題は、社会の心理学化の理論的な解釈を試みた終章 「心理学化」はいかにして起こったか である。筆者によると、社会の心理学化というのは“精神分析のシステム論的応用”のことである。つまり、精神分析の知識が人口に膾炙し、それが自己言及的に使われる状況のことを言う。本書に挙げられている例として、ある人が「自分は母親が好きではない」と言うのを聞き、「それなら彼はよほど母親が好きなのだ」と「分析」したりするが、実は、言っている本人が聞き手にそう思われることを期待して言っていることがあり得る。このように、精神分析(擬き)を自らに対して行うことによって、自身に潜む僅かな狂気も掬い取られ、臨床心理学と精神医学への需要が上がったのが、社会の心理学化だという訳である。
最近でも俗流の心理学や脳科学の本はよく売れているようで、そのような「マニュアル本」・「取り扱い説明書」には何処か違和感を感じていた(そういう本に全く価値がないとまでは言わないけど)が、本書に述べられている「心の身体化」、或いは「心のモジュール化」という観点から考えると分かりやすい。
読んでいてハッとさせられたのが、“誰にとっても「自己分析」は不可能”(p.171)ということだった。分析の本質はあくまで治療行為であって、自己分析は一般論にならざるを得ない。平たく言えば、自己分析なんて言っても、畢竟自分に都合の良い解釈でしかないということだ。
“断っておくが、ネガティブな解釈のほうが「都合のいい」ことだって珍しくない。たとえば自罰的なことばかり言う人が、ぜんぜん謙虚じゃなくて、むしろかたくななことが多いのは、その人にとって「自罰」のほうが「都合がいい」事情があるからだ。(p.171)”
これは(特に精神科医の口から)言われると確かに頷けることで、我が身を省みて無闇矢鱈な自己分析には気をつけなければと思った。その一方で、このこと自体も結局はメタな「自己分析」、すなわち自己分析の自己分析、自己分析の自己分析の自己分析、…に回収されてしまうのではないかとも感じた。自己の内面を探る、みたいなことがもはや染み付いてしまっていて、この点に関してどう考えれば良いのか難しい(これも自己分析なのだろうか?)。 -
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不登校は学校生活における選択肢の1つと言う流れもある。
不登校を選択した結果、ずっと家にひきこもっている状態になると、ひきこもっていること事態が現状を悪化させる可能性もある事は念頭に入れないといけない。
ひきこもりの背景や、どうすれば良いか?なども描かれている。
タイトルは「社会的ひきこもり」となっているが、Twitterなどのweb上で色々な人とのコミュニケーションが容易に取れる中、社会的にひきこもっているとは全ての場合言えないのでは無いだろうか?「働く事のみが社会的関わり」と考えてるのなら別だが。
別に必要がなければ働く必要も特に無いかな、と思ってます。その思い込みで、現状ひきこもっていて苦しんでいる人もいるかと思います。そんな人たちは「考え方を変えれば良いんじゃないのかなぁ」とは思いました。