筑摩書房 - 社会学作品一覧

  • 増補 民族という虚構
    4.4
    “民族”は、虚構に支えられた現象である。時に対立や闘争を引き起こす力を持ちながらも、その虚構性は巧みに隠蔽されている。虚構の意味を否定的に捉えてはならない。社会は虚構があってはじめて機能する。著者は“民族”の構成と再構成のメカニズムを血縁・文化連続性・記憶の精緻な分析を通して解明し、我々の常識を根本から転換させる。そしてそれらの知見を基に、開かれた共同体概念の構築へと向かう。文庫化にあたり、新たに補考「虚構論」を加えた。
  • 一揆の原理
    4.3
    一揆といえば、虐げられた民衆が農具や竹槍を手に極悪非道な領主たちに立ち向かう、そんなイメージを抱きがちだ。しかし、それは戦後歴史学が生み出した幻想に過ぎない。史料を丹念に読み解くなかで見えてくるのは、革命や暴動といった固定観念とはほど遠い、権力者とのしたたかな折衝のあり様だ。一揆とは、暴発的な武装蜂起ではなく、既成の社会関係では対応できない危機に直面した人々が「契約」によって生みだした、新たな社会的つながりなのだ──。これまで語られてこなかった一揆の実像と、現代の社会運動にまで連なる結合の原理を、新進の中世史家が鮮やかに解き明かす。
  • ゲバルト時代 ――Since 1967~1973
    4.0
    1967年から6年間、著者は末端活動家として常に現場にいた。羽田闘争から東大安田講堂の攻防、三里塚闘争を経て連合赤軍のリンチ殺人事件。日本中が「熱く、激しく、燃えた」季節だった。飛び交うガス弾、絡み合うゲバ棒に囲まれる日常。そして革命幻想と現実の間で揺れる心理、疾風怒涛の時代の極私的ドキュメント。
  • ふるさとを元気にする仕事
    4.2
    さびれた商店街、荒れた森林、失われた伝統…。転換期にあるふるさとのために、できることは何か。人と人とがつながり、元気を取り戻すために、どうするか。これからの「ふるさとの担い手」に贈る再生のヒント。
  • 地方消滅の罠 ――「増田レポート」と人口減少社会の正体
    3.7
    「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する」とぶちあげ、「すべての町は救えない」と煽って衝撃を与えた日本創成会議の「増田レポート」。だがその警鐘にこそ、地方を消滅へと導く罠が潜んでいる。「選択と集中」などという論理を振りかざす本当の狙いは何か。「棄民」への政策転換がなされたように見せかけているのはなぜか。限界集落問題が「つくられた」ことを示して話題となった社会学者が、増田レポートの虚妄を暴き、地方を守るために必要な論理と、再生に向けた道筋を示す。
  • 「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか
    3.7
    安保関連法を成立させ、原発再稼働を進める自公政権。十万人以上を官邸前へ国会へ集めても勝てなかったデモ。若者を巻き込んだ楽しくかっこいい社会運動を礼賛し歓迎したメディアと知識人たちは、論点を巧みにすり替えていなかったか。丸山眞男、柄谷行人、小熊英二、高橋源一郎、SEALDsらの言説から、リベラル勢力を劣化させる病巣を徹底摘出。これは勝ちたいリベラルのための真にラディカルな論争書だ。
  • 「資本」論 ――取引する身体/取引される身体
    3.7
    「私的所有」が制度化され、市場経済が発展し、資本主義の秩序が支配する世界は、それ以前の「自然」な状態よりも、おおむね有益である。だがそうした世界は不平等や労働疎外をも生みだす。それでもなお、私たちはこの世界に踏みとどまるべきであり、所有も市場も捨て去ってはならない。本書はその根拠を示し、無産者であれ難民であれ「持たざる者=剥き出しの生」として扱われることがないよう、「労働力=人的資本」の所有者として見なすべきことを提唱する。「所有」「市場」「資本」等の重要概念を根本から考察した末に示されるこうした論点は、これからの社会を考える上で示唆に富む。
  • 告発の正義
    5.0
    告発によって企業不祥事や談合が発覚、または政治汚職や脱税などが明らかにされ、捜査がはじまることが増えてきた。告発をしやすくするための法的・制度的な環境も整備されつつある。けれど起訴するかしないかの判断は、従来、検察が独占するものだった。そのため「検察の正義」と「告発の正義」は、たびたび衝突・対立を繰り返してきたし、現在でも相克は続いている。本書は、告発とは何であるかをさまざまな事件や法的観点から腑分け。その問題点から可能性まで、考えるべき論点を提示する。
  • 〈自分らしさ〉って何だろう ――自分と向き合う心理学
    4.3
    思春期になると誰しも“自分らしさ”の問題に頭を悩ませる。答えを見出しにくい現代において、どうすれば自分らしく生きていけるのか。心理学者が自分自身と向き合うためのヒントを説く。
  • 死刑肯定論
    3.4
    死刑論と言えば、これまで存廃論議に終始していた。存置にしろ廃止にしろ、正義論を根拠に語ると、結局は優劣を比較したり、感情論に終始したりするなど、相対的なものでしかなかった。従来強調される「人的道な見知」「犯罪の抑止効果の有無」「誤判の可能性」…には、大きな錯誤があるのだ。本書は、これまでの議論や主張をコンパクトに整理。人はなぜ死刑を求めるのか、あらたな視点で死刑の究極的論拠をさぐり、罪と罰の本質をえぐりだす。
  • 考えあう技術 ――教育と社会を哲学する
    3.6
    「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。
  • 新・批評の事情 ――不良のための論壇案内
    4.0
    格差、00年代、この国のゆく道、ライフスタイル等をキーワードに現在の社会や文化を語る論客40人を批評する。「この国のゆく道」の章は内田樹、小熊英二、藤原帰一ら、「格差社会」の章は湯浅誠、雨宮処凛、赤木智弘、金子勝ら、「00年代カルチャー」の章は宇野常寛、前田塁、安藤礼二、岡田暁生らについて語る。
  • 女子校育ち
    3.5
    私たち、どこか違うんですか? 伝統の儀式、いじめ事情、お嬢様ヒエラルキー、プラトニックラブ、文化祭で禁断の……、男性教師の鬱憤……。女子100%の濃密ワールドで洗礼を受けた彼女たちは、卒業後も独特のオーラを発し続ける。文化祭や同窓会潜入も交え、知られざる生態をつまびらかにする。LOVE女子校!
  • 社会学の名著30
    3.9
    わかりやすそうで意外に手ごわい社会学も、良質な入門書に導かれれば、見慣れたものの意味が変容し、知的興奮を覚えるようになる。著者自身が面白く読んだ書30冊を通して、一員でありながらとらえるのが難しい「社会」を見る目を養う最良のブックガイド。
  • 地域再生の戦略 ――「交通まちづくり」というアプローチ
    3.5
    これまで地域を再生するために様々な施策が取り組まれてきた。しかし、現実には衰退は変わらず続いている。地方では自動車利用を優先した都市計画により、中心市街地の空洞化、路線バスの廃止が進み、衰退は加速した。この悪循環を止め、地方を復活させる鍵は、鉄道・バスといった「公共交通」の見直しである。そこからコンパクトな街が再生される。日本でも注目を集める「交通まちづくり」というアプローチを紹介し、本当の地方創生の方法を提案する。
  • フェミニズム入門
    3.7
    男性の、男性による、男性のための思想体系がいかに虚構と欺瞞にみちているか。フェミニズムの問題提起によってなんとあっけなく揺さぶられるものにすぎないか。近代主義から近代批判、イリガライやクリステヴァなどのポスト・モダンに至るまでのフェミニズム思想の破壊力の変遷をたどりつつ、さらにリプロダクション、性暴力、国家と性など最も現代的なテーマに果敢に挑戦する。現代の生と性の意味を問いなおす女と男のための痛快なフェミニズム思想入門。
  • サバイバル! ――人はズルなしで生きられるのか
    3.8
    日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食糧は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や溪谷を越えてゆく―。生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。“私”の、“私”による、“私”のための悦びを取り戻す、回復の書。驚異の山岳ノンフィクション。
  • 社会思想史を学ぶ
    3.7
    九〇年代以降、明日への不透明感は増す一方であり、人びとの抱く閉塞感も高まるばかりだ。社会思想史を学ぶとは、まさに、過去の思想との対話を通じて現代世界を眺める座標軸を獲得することにほかならない。近代啓蒙からポストモダンまで、重要思想の核心をクリアに一望する入門書決定版。
  • 若者はなぜ「決められない」か
    3.5
    八〇年代以降、フリーターの数は増え続け、今や就業人口のなかで無視できない存在となった。現代のフリーターは、先進国のなかでも特殊な今日的現象である。なぜこうした現象が生じたのだろうか? 自らも「オタク」として職業選択に際し違和感を抱いた著者が、仕事観を切り口に、「決められない」若者たちの気分を探る。
  • 死者に語る ――弔辞の社会学
    -
    人が死んだとき、残された者は、去っていった者にどのような言葉をおくるのか。弔辞はまず、なによりも弔辞を読む人間による文章作品である。しかし、そこにあらわれるのは、故人の人柄、故人への思いだけではない。それは短い伝記であり、短い現代史でもある。また、「死者」の存在をどのように扱うか、という文化的な問題をうかがうにも好個の資料である。政治家・経営者・宗教家・文学者などの弔辞を精緻に読み解き、「日本人の死生観」を捉えなおす論考。
  • スポーツを考える ――身体・資本・ナショナリズム
    4.0
    イギリスで誕生し、アメリカで変容・拡大した近代スポーツは、いま大きな転換期を迎えている。現実には個々のネーションのなかでの「非暴力モデル」でしかなかったスポーツは、いまや国境を跳び越え、あたかも高度資本主義のモデルであるかのごとき様相を呈している。スポーツと現代社会の謎を解く異色の思想書。
  • 検察の正義
    3.7
    無理やり引きずり込まれた検察の世界で目にしたものは、刑事司法の「正義」を独占してきた検察が社会・経済の構造変革から大きく立ち後れている姿だった。政治資金問題、被害者・遺族との関係、裁判員制度、検察審査会議決による起訴強制などで大きく揺れ動く「検察の正義」を問い直す。異色の検察OBによる渾身の書。
  • ほんとはこわい「やさしさ社会」
    3.8
    現代社会は「やさしさ」「楽しさ」が無条件に善いとされ、人間関係のきびしいルールになっている。しかし、それは本当に生きやすい社会なのだろうか。なぜやさしいひとばかりが増えてしまったのか。その根本から丁寧に解き明かし、しんどさやこわさをなくして気楽に生きるための智恵を探る。
  • 社会学を学ぶ
    3.3
    社会学とはどういう学問か。また、社会学を学ぶ理由は何か。これらはそのまま、「社会」とは何かという問いにつながる。本書では、著者自身の経験に即しながら、パーソンズの行為理論、マルクスの物象化論、レヴィ=ストロースらの構造主義、フーコーの言説分析、ルーマン/ボードリヤールのシステム論、柳田国男の習俗の思考、ベンヤミンのパサージュ論などを通して、これらの問いに答えてゆく。社会学の本質に迫る、渾身の入門書。
  • 子どもが減って何が悪いか!
    4.1
    少子化が進んでいる。このままでは日本が危ない。そう危ぶむ声もある。これに対し、仕事と子育ての両立支援などを行い、男女共同参画社会を実現させれば少子化は止まる、と主張する人たちがいる。本書は、こうした主張には根拠がないことを、実証的なデータを用いて示してゆく。都市化が進む現代にあって少子化は止めようがなく、これを前提とした公平で自由な社会を目指すべきだと主張する本書は、少子化がもたらす問題を考える上で示唆に富む一冊である。
  • 友だち幻想 ――人と人の〈つながり〉を考える
    4.2
    友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に“つながり”を築けるようになるための本。「みんな仲良く」という理念、「私を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」という幻想の中に真の親しさは得られない。人間関係を根本から見直す、実用的社会学の本。
  • 日本文化の論点
    3.5
    情報化の進行は、二〇世紀的な旧来の文化論を過去のものにした――。本書は情報化と日本的想像力の生む「新たな人間像」を紐解きながら、日本の今とこれからを描きだす。私たちは今、何を欲望し、何に魅せられ、何を想像/創造しているのか。私たちの文化と社会はこれからどこへ向かうのか。ポップカルチャーの分析から、人間と情報、人間と記号、そして人間と社会との新しい関係を説く、渾身の現代文化論。
  • 群衆――モンスターの誕生
    3.8
    群衆とは何か。近代資本主義の誕生とともに、歴史と社会の表舞台に主役として登場してきた群衆。二十世紀のナチズムもスターリニズムも群衆社会がつくりだした全体主義の脅威であったことは記憶にあたらしい。一体われわれは、激流のような群衆化傾向に対して抵抗できるのだろうか。ポー、ボードレールやニーチェ、メアリー・シェリーらの群衆への驚き、カネッティやモスコヴィッシの群衆分析、トクヴィルの民主主義論、ルボン、タルド、フロイトらの心理学的考察など、さまざまな視点からその怪物的性格を明らかにし、現代人の存在のあり方を根源から鋭く問う群衆社会批判。
  • 若者と現代宗教 ――失われた座標軸
    3.4
    「宗教ブーム」といわれてひさしいが、それは真実ではない。宗教を「アブナイ」ものとして忌避する無知な警戒心と、摩訶不思議な世界へのやまれぬ好奇心が、同時に強まっているのが現状なのだ。伝統と歴史の価値が失われていく現代、われわれをとりまく精神世界のフレームワークは、どのように変わっていくのか。オウム真理教やインターネット上のバーチャル宗教など、新興宗教が自由競争を繰りひろげて混迷する、宗教の最前線と未来を見据える。
  • 不良少年
    3.5
    不良とは何だろうか。世間から社会的な劣等者ないしは犯罪者予備軍というレッテルを貼られる存在でありながら、一方で息の詰まりそうな管理社会に風穴をあけるトリックスター的存在。かつてこの両義性によって不良精神が輝いてみえる時代もあったが、それもいまはノスタルジーとして語られるのみである。恐るべき若者たちに対する近代国家の管理と保護の動向を鳥瞰しつつ、トリュフォーの映画や戦後日本のマンガ・劇画に登場する不良少年たちの反抗と運命を共感をもって描くもうひとつの若者文化論。
  • 不安を生きる
    -
    私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。そんな思いを抱く人が増えている。こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、もう後戻りすることはできない。不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。この問いを多角的に追究した本書は、現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。
  • つっこみ力
    3.5
    世の中をよくしていくために、「正しい」議論をしていこう! ってそれは大いにけっこうですけど、でもその議論、実は誰も聞いてなかったりなんかしてません? ちょっと、エンターテイメント性に欠けてない? そこで本書でおすすめするのは四角四面な議論や論理が性にあわない日本人におあつらえ向きの「つっこみ力」。謎の戯作者パオロ・マッツァリーノによる本邦初の「つっこみ力」講演(公演)会、おせんにキャラメルほおばりながら、どうぞ最後までお楽しみくださいませ。
  • 隣のアボリジニ――小さな町に暮らす先住民
    4.2
    独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然の中で生きる「大自然の民アボリジニ」。そんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた多くいる。伝統文化を失い、白人と同じような暮らしをしながら、翻弄されて生きる人々……その過去と現在を描く。多文化主義オーストラリアのもうひとつの素顔。

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