「『才能と努力があれば夢は実現する』というわけではない。時代背景と周りの理解、そして、何より十分な予算も必要なのだ。」
これがこの本の全てになる。
この身も蓋もないような現実は「才能があり、努力さえあれば実現する」と思っている人たちは、この本を読むと良いだろう。
私も含めてそうであった。
ライト兄弟は有名だが、二宮忠八は世界で有名ではない。それはなぜか?
世界初飛行を行ったことを認められていないからである。
いくら練習時にベストタイムが出たとしても、公式な大会でその記録が出さなければ、アスリートとしての記録は認められない。
現在では割と道具が揃っているので、その証拠が残されるであろうが、夜中に一人で 練習している時に、百メートルを八秒で走ったとしても、誰にも認められないことにも似ている。
「理系的な夢の実現」というのは、とにかくお金がかかる。
夢を追うことの純粋さに対して、資金面における応援がなければ、実現が厳しいという現実を突きつけられる。
さて、主人公である二宮忠八は、独力でカラス型模型飛行機を完成させ、日本で最も早く有人飛行の可能性を見出した人物である。
個人的には「浮田幸吉(うきた こうきち)」の小説を是非、同作者に書いて欲しかった。
備前国出身の表具師であった幸吉は空を飛ぶことに憧れ、鳥の羽を研究して竹と和紙でできた「翼」を制作した。
本当の意味で、世界初の空を飛ぶことのできた人間だからである。
彼は、1785年(天明5年)、岡山城の近くにある旭川の橋(京橋)や岡山後楽園から翼を広げて飛び立ち、数十メートル滑空したと伝えられている。
しかし、これが「人を惑わす行為」「不届き者」とみなされ、藩の役人に捕縛されてしまった。
「この小説をこそ読みたかったな」という気持ちでいると、途中でその文章が見られる。
そして、その他にも飛ぶことにチャレンジした人々が描かれていた。
我が国では、江戸時代に「空を飛びたい!」と試みた人物は多かったらしい。
さて、彼が資金集めに奔走し、外国製のエンジンさえ手に入れば、世界初の大偉業を成し遂げられたであろうという事実があった。
しかし現代でもそうだが、部下の出す内容を理解できない上司が、開発者の案を握りつぶすということは、いつの時代にも存在する。
上司が必ずしも、部下よりも全ての能力が勝っているということはないのだ。
これは現代でもよくある悲劇であろう。
彼の「飛行機への研究」(作品中では飛行器と表記)は上層部から理解されず、彼は開発を断念せざるを得なくなる。
成功を確信していたとしても、できるかどうかわからないようなものに多額な予算を割くわけにはいかない。
そんなものより、目の前の戦争でどう勝つことかが重要視される。
しかし、彼のすごいのは「このまま軍隊にいても飛行機の研究ができない。そうであるならば、サラリーマンとなって、自分で研究資金を貯めて飛行機を作ることに専念しよう!」としたところである。
この強い精神力には脱帽する。
シュリーマンが「トロイの遺跡」を発見するために、一定の年齢になるまでは、経済的成功を求め、その遺跡調査資金を貯めていたことにも似ている。
私は「夢は努力すれば必ず叶う」という言葉はとても好きだが、才能と努力以上のものが、他にも要求される夢というものが現実的にある、ということを改めて認めることとなった。
ある意味での悲劇なのかもしれないが、主人公の忠八は「仕事のできる人間であり、配慮のできる人間」であったのだ。
そのため「独立開業すべき時に、引き止めの説得に遭い、それをよしとしてしまった」ところに、大きく運命が分かれたところがあると私は感じた。
人間としては成功なのだが「世界初の開発者」としては、その選択は失敗だったのだ。
やはりあの時、製薬会社の申し出を断り、自分で独立し、その自由になる時間でもって、開発に勤しむべきであったのだ。
さらに言うならば、妻に働かせてでも、木の根っこを食べてでも、開発に没頭すべきだったのだと思う。
そして、エンジンの構造はわからないと匙を投げるのではなく、自分でエンジンを作るぐらいの情熱が必要であったと感じる。
天才と馬鹿は紙一重と言われる理由が、ここにあるように感じる。
馬鹿であるからこそ、利益損得も考えず、 他人の迷惑も顧みることなく、将来のことも考えることなく、一心不乱に研究のみを行うことができる。
しかし、懇願されたことに対して、自分の考えを曲げてしまい、資金集めの方へ方向転換したことが、結局「世界初の飛行機の操縦者」という称号を得るかどうかの分かれ目になったように感じる。
少なくともライト兄弟は飛行機バカであったのだ。
忠八はその後、飛行機事故で亡くなった人々の霊を慰めるため、日本初の「飛行神社」を建立した。
「自らの夢の残骸を神として祀り、新しい時代へと空を譲った彼の心境は、挫折という言葉だけでは片付けられない静かな決意に満ちている」とされている。
しかし、私はそうは思わなかった。
本当に空を飛ぶことだけに執着し、夢を描いていたのであれば、ライト兄弟が先に飛ぼうが全く関係ないのだ。
しかし、その記述を新聞で読んだ時、絶望し、作り続けた飛行機を破壊している。
その事実から鑑みると、誰よりも「世界初の 飛行機操縦者」という名目に彼がこだわり続けていたことがよくわかる。
本当に飛行機が大好きであれば、誰が開発しようが、先に飛ぼうが関係ないのだ。
せっかくそのために生涯を捧げていたのだから、自分は自分で研究すれば良い話になる。
「世界は世界であって、日本では自分」でも良いのだ。
そういう事実から考えるならば、小説に描かれていた二宮忠八の人物像はずいぶん 異なっていたのではないかとさえ思う。
本当は誰よりも悔しく、その消化されない、煮え切らない気持ちがありながらも、 怒り狂って暴れるような非常識さも持ち合わせていなかった。
それが「神社を作る」というような、不思議な形となって現れていたような気がする。
飛行機の研究を周りを構わず、狂ったように行うだけの非常識さはなく、家族を思い、会社を思い、配慮のできる彼だったからこそ、そこまで飛行機に集中することができなかった。
それが「世界初という称号」を得るかどうかの要ではないかと感じる。
この小説を通して、冒頭に掲げたような現実を感じるが、巡り巡って、やはり最後に残るのは「情熱」ではないかと思う。
もっと言うならば「狂ったような情熱」である。
周りの人はとても迷惑し、困ったことになるかもしれないが、そのぐらいの情熱がなければ、世界初の偉業というものはなし得ない。
サラリーマンとしての有能な常識人は、世界初の偉人にはなれなかったという本であった。
※ この下に書いてあるのが、初めに投稿した文章です。
リアルとは実に厳しいものである。
フィクションであればこうした展開には、けしてならないだろうという流れになった。
徹底的資料に基づいて、史実に忠実に書いていこうとする「吉村昭氏のスタイル」がふんだんなく発揮されている作品である。
主人公の二宮忠八は、こうした小説には珍しいほどの「非の打ち所のない性格」である。
しかしそれは、あまりにダメな兄によって築かれたところも大きい。
ネタバレにならないように注意しながら書くが、どんなに優れた才能と情熱があったとしても、それが簡単に理解されるわけではなく、国として持つ時代背景が制限された場合、その実現は難しいというおよそ小説にはないパターンの展開となった。
もっと飛行機に対する、つきっきりの研究があるかと思いきや、案外そうではない。
背景の説明がほとんどであり、飛行機から離れざるを得なかった彼の生きるということへの大変さと、研究には莫大な予算が必要であるというところがネックになった。
今で言えば、個人が宇宙ロケットを作るようなレベルであろう。
それこそイーロンマスクぐらいお金を作り出せていなければ、そうした事業に個人が参入することは極めて難しいのだ。
才能のあるものが、どんなに上奏したとしても、それを上司が理解してくれるとは限らない。
むしろそうしたものを顧みることなく「下らない」と、簡単に捨ててしまうというのも組織では多くあることである。
忠八のように、ここまでやった上で、これだけの活躍をしてもなお、というような公明正大で、なおかつ組織に対して、大きな利益と実績を生み出すものも少ないであろう。
生まれるべき場所を間違えたという天才が、他の能力においても極めて優れていた場合、どういう展開になっていくのか?ということが、史実に基づくため、かえって、読者の中で小説的予想もつかない展開となって目が離せなくなる。
明治から大正へと移行する懸命な良き日本の空気が感じられた。
「上司がわかってくれない」と嘆くサラリーマンは、是非、読むべき 一書である。