窪美澄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
すっきりとしない梅雨空のような、曖昧でそして生々しい心情描写がリアルで鋭かったです。
それぞれに雨が登場する5つの短編。震災に触れる章もある。
突拍子もないというわけでなく、自分に沸き上がったかもしれない感情、身近に起きてるかもしれない、という分かる気がする物語。結末というより、いつの間にか心情を解釈して入り込んでいたというか。決して明るくない話、出口が見えない現実だけれど、目を反らさず、やっぱり幸せを求めようとしている姿に救いをみたようでした。
逃げたい思い、もっとすっきりしないものか、人間臭さとか、人の純粋な感情から、著者の気迫が伝わりました。一編一編がずしりとくる。個人的には窪美澄さん、短編好き(連作が多い中、こういうの)です。ラストの章、主人公の気持ちが読み込めず二度読みしました。
それぞれラストの一文にぐっとくる。雨の音とともに、静かに感情を揺さぶられた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
窪美澄さんの、日常に溢れた描写や感情が丁寧に繊細に言葉にされている感じ、そしてそれが優しく、時にガツンと胸を打つ感じ、とても好き。
島本理生さんの解説が今まで読んだ"解説"というものの中で1番好きだった。一気読みおすすめ。
p.71 誰かときっちり縁を切りたいときは、お金をたくさん払ったほうがいいんじゃないかな。身銭を切るって、本当はそういうことなんじゃない。
p.93 仕事に貴賎は無いのよ。それに仕事をしているからってえらいってもんでもない。自分以外の生き方や仕事を貶める人に、いい写真なんて撮れないよ。
p.98 しおりの体とは違う華奢な体に抱きしめられながら、絵里子はみなものを印象が、この部屋に来た時から、柔らかくなっていることを感じた。人を愛して、愛されている人間の体は、あたたかく、柔らかい。さて、自分はどうだろうか、と、玄関で2人に見送られながら、絵里子は思った。
p.129
父の看病に疲れているとは思いたくなかったが、父の声の終わりを見つめる役目を自分だけが果たしているのかと思うと、頭に重い石を置かれたような気分になる。それでも、このお店で一息ついて、明日、また父の病室に行くのだ。孤高給水場にしよう。長いマラソンの給水所のような場所に。ゆっくりカクテルを飲み終わる頃に、絵里子から少し離れた席に人が座る気配がした。誰かが店に入ってきたことすら恵理子が気づいていなかった。
p.138 火曜日か木曜日にこの店に来れば、酒井さんに会えるのだ。長距離マラソンの給水所に決めた。この店に、話を聞いてくれる誰かがいること。そう考えたら、重苦しい思いに満ちた絵里子の胸の中に、小さな明かりが灯るような気がした。そして、そのことを絵里子はありがたく思った。
p.227 夫と自分の関係は今や、伸びきったゴムのようだ。みなもが言うように、離婚や慰謝料をもらうなどと言う考えは、頭の片隅にもないが、絵里子と夫はこの出来事に、まっすぐ向き合わないといけないのではないか。
p.236 私の夫は、俊太郎さんは、いつから、こんな人になってしまったのだろう。絵里子のとりとめのない話でも、視線を逸らさず、最後まで聞いてくれるあの人はもういない。いや、私たちはいつからこうなってしまったんだろう。夫婦、と言う関係性に安住して、水も肥料をあげてこなかった。萌が生まれた頃までは、みずみずしかった若葉は、今は枯れ果てて、私たちはまるで他人のようだ。
p.246 まるで私はケーキみたいね。この家の空気みたい。無色透明で目には見えない…でもね、そんなこと、自分でも数子感じていたの…。萌のために、あなたのために、って自分なりにいろいろやってきたつもりだったけれど、それは萌にとってもあなたにとっても、良くないことだったのかもしれないね。愛情の修理。私は、今ね、自分が何したいとかって何が好きとかも、もうよくわからないの。そういう人間は、子供からも夫からも興味を持ってもらえないよね。…でもね、今、少しわかったの。自分が何したいのか。
…少しね…離れてみたい。
p.250 長年務めてきたパートだ。正直なところ、クビになるのは辛い。新しい職場を探す気力も湧いてこないような気がした。けれど、それ以上に、今、自分は息ができない。1人になりたい。たとえ、パートをクビになっても、その後の事はその時になったら考えよう。そう思うようにした。
p.259 すぐにうすはりのグラスに注がれたビールが運ばれてくる。恵理子端端を取る前に1口飲んだ。おいしい、とはっきり思った。ここに来る前、列車の中で缶ビールを飲んだときには、おいしいとは思えなかった。このホテルに来て、音楽を聴きながら海を見ていた数時間で、少なからず恵理子の体と心はゆるくほどけつつあった。
p.271 いつか誰かが言っていたことを思い出した。風には悪いものを吹き飛ばす力があると。自分の中のもやもやとした薄墨のようなものが全部飛んでくれればいいと思いながら、絵里子は風に吹かれた。いつの間にかいなくなっていた鹿子さんが戻ってきて、小さな紙袋を絵里子に差し出す。
p.278 弱いですね、私。1日か2日、家族と離れた位で。
弱いんじゃない。優しいの。絵里子さんの今までの人生の事なんて、私はちょっとも知らないけれど、絵里子さんは今まで、もう十分に家族のために生きてきたんじゃない?あなたは確かに、優しい人だけれど、ご主人や娘さんのために一生懸命やりすぎたのかもしれないね。だから、あっちもつけあがるのよ。これからは、こんなふうに、ふらりと、どこかに出かけるとか、やりたいことやったら。あなたはもう十分に誰かのために生きたんだよ。…私はね、機嫌よく死にたいのよ。ただ、それだけ。この世からいなくなるときに、あんなことしておけばよかった、こんなことしておけばよかった、なんて、後悔したり、誰か恨んだりしたくないの。やり尽くしたー、生きたーって思いながら死にたいのよ。
p.295 男の人って弱い、本当に弱い生き物なんだと思ったんですよ。笑っちゃう位弱い。私はうんうん、て話聞いてるだけですけど、まじですか、て言う位弱い。私みたいな見知らぬ人間の前で子供みたいに泣いちゃう人がいるんです。普段はそんなに強がってるのか、つながらないといけないのか、そうしないと生きていけないのか、。だからって、それを肯定しているわけじゃないですよ。もっと自由に、楽に生きればいいのに、で私は思う。でも、世の中にはどうしても、それができない人がいるんですよね。風俗に行く人って、ただ強くを解消しているだけに見えるかもしれないですけど、みんな、なんていうか…うまく言えないけれど。
優しくされたいのは、男だけじゃないよ。男も女も、大人も子供も、みんなそう思って生きてるんじゃない?だけど、ちょうどいいタイミングで、優しさを受け取れない時もある。そういう虚しさを抱えて、人って生きてるんじゃないの。優しくされたいのなら、先に誰かに優しくすればいい。簡単なことだよ。そうすれば、いつか優しくされる日が来るかもしれないじゃない。自分だけ家族に隠れて風俗に行って、女に頭撫でられて、しくしく泣いて、優しくされたいなんて、甘えるにもほどがあるつーの!これだから男は。
性的な介護でもあり、精神的な介護でもあります。自分は性的な交わりを通して、人を介護しているんだって、それでお金をもらっているんだ、て考えたら、ほんの少しだけ、風俗の仕事への後ろめたさが消えたんです。絵里子さんのご主人がどんな気持ちで風俗にいかれたのか、私もわからない。ただの性欲だったのかもしれない。だけど、やっぱり家族以外の誰かにケアしてもらいたいって気持ち、少しはあったんじゃないですか。絵里子さんも、そういう気持ちになることがありませんか?誰かに体や心をゆだねたいって言う時が。
体や心をゆだねたいって思う相手は、いつだって夫だったんです。
p.353 それでも、今、萌が自分押したって、こうしてここにやってきてくれるだけで良い。車検から見れば通りの良い親子関係じゃないのかもしれない。でも、世間なんて、一体どこにあるんだろう。あるように思っているだけで、それには実態が無いのかもしれない。
p.361 何か特別なことをしなくちゃ、人は生きてたらダメなのかな?この写真のモデルさんの中には、専業主婦の人だっているよ。独身で、子供もいなくて、仕事をしてない女性だっている。車検から脚光浴びたり、ミラーボールみたいにピカピカ輝いている人ばかりじゃないんだよ。この子みたいに、世間には大っぴらに言えないような仕事をしていた子もいる。
悩んでても、恥ずかしくても、自分のことを卑下したりしない。私はそういう女の人が撮りたいんだ。みんな真剣で、一生懸命で、自分の人生を生きている。だから、みんな、私はただのおばさんです、なんて言わないよ。自分の人生で、いつも戦ってる、どんな時でもバッターボックスに立っている、いつも土俵に立って。そんなお相撲さんみたいな人はいないか。だけどね。私は絵里子さんに会ったとき、本当のことを言えば、絵里子さんのこと嫌いだった。いつだって誰かが自分のことを決めてくれるのを待っている。子供みたいだったもの。旦那さんの事だって、いじいじずっと悩んで、しおりに泣き付いて。だから、恵理子さんを取りたいなんて思わなかった。だけど、恵理子さん、しおりのマンションに暮らすようになってからどんどん変わっていた。この人、やっと、自分の人生を歩き出したんだ、と思ったの。最初に会ったときには知らなかった顔を絵里子さんはするようになった。私が絵里子さんと言う女性を取ってみたいと思う顔をしていた。だから撮ったの。良い女の顔だよ。
p.403 解説ー島本理生
白髪を通して、女性同士は多くのことを語る。年齢の事、女性であること、世間の自然と自分がどうありたいか。外見に手をかける。気力が体力の低下とともに失われること。純粋のおしゃれのためだけではなく、社会との折り合いや加齢による様々な影響が、白髪染めと言う行為には反映される。
本書の冒頭で、主人公の絵里子は、白髪染めについて考える。染めるのは好きじゃない。が、「世間に対して物申しているような雰囲気を醸し出す」のも抵抗があるから、と言う消極的な選択は、とてもリアルで、今の絵里子の生き方も象徴しているようだ。そんな絵里子にとって、友人のしおりは、まるで別世界の住人だ。おそらく学生時代に親しくならなければ、今になって交わる事は絶対になかった。逆に言えば、学生からの友人と言うのは、唯一、過ぎ去った時間を飛び越えられる存在なのかもしれない。同窓会で再会した。しおりは、絵里子に失恋と政経の理由を包み隠さずに語る。これは私の想像だが、しおりは整形前も年齢相応に綺麗だったのだろうと思う。ただ、自分の一方的な恋愛感情に年齢と言う思いが加わった時、その対象となった年下の女性には、恐怖でしかないと言うのもよくわかる。なぜなら、それは多くの女性が若いときには違う感覚だからだ。
私はこの場面を読んだときに、どうして人が小説に救われるか、わかった気がした。それは誰にも言えないことこそを、小説の登場人物たちは、良さをさらけ出して打ち明けてくれるからだ。恵理子は「心を開いて、自分の本当のことを話してくれる。しおりの存在がありがたいと思った」と感じるが、私も同じ気持ちになった。しおりの店の下着を初めて身に付けた時、絵里子は「なんて醜いおばさん」と悲しみを覚える。その肉体は昨日も一昨日も絵里子のものだったはずなのに、時間の止まっていた。彼女の目には「魔法にかかったみたい」に映る。でも、それは母親の世界においては、珍しいことではないのだ。しおりがみなもから見れば、絵里子は古風な女かもしれないが、どんなに時代が変わっても、子育ては自分よりも優先する命を20年近く世話し続けることだから。動物の子のように産んで、すぐ立ってくれたら良いが、人間の成長には物理的に時間がかかる。そこにずっと手をかけてきた絵里子が今になって「自分でもどうしたいのか、よくわからないの」仕方ないと思う。私はむしろ絵里子が醜いと思った肉体に、深い優しさを感じた。それは私のために積み重ねた時間を内包している肉体だ。そう、絵里子は優しいのだ。一人きりで、癌の父親の世話をし、父の死後に、母親から再婚を告げられた時も、絵里子とっさに責めることができない。どうしてそこをはっきり言ってしまわないのだろう、閉じるたく思う時もあるが、1人で生きていけるほど強くないと言う母親に対して絵里子は考える。「なぜ、哀れむ気持ちが湧いてくるのか」と。
絵里子はいつもそうやって、自分の感情の前に、相手を慮る。父親の浮気や夫の風俗通いに傷つきながらも、つい「哀れ」を感じてしまう。それは、真実を知ることに対する恐れもあるかもしれない。でも、やっぱりそこには誰よりも優しさがあって、周囲は絵里子に当たり前のように甘えていた。だからこそ、彼女は変わるべきだったのだろうと思った。1人旅に出てから絵里子の心に増えたものがある。それは、美味しい、だ。そんな恵理子に旅の楽しみ方を教えてくれる鹿子も魅力的だ。絵里子よりも年上の女性の口から「私はね、機嫌よく死にたいのよ」と言うセリフが飛び出した時、私、と言う単語とは、裏腹に、その前向きな力強さにはっとした。人は必ず死ぬ。でも、死を待つように生きるか、生きたいように生きるかは、少なからず、自分の意思が左右する。絶望も希望も、私ではなく、生き方の中にあるのだ、と思った。そして、母親の再婚相手の隆の葬式で、絵里子は腹を立てる。私は彼女がようやく正当に怒れるようになったことを嬉しく感じた。絵里子は、夫に風俗通いについても尋問する。「長く一緒に立って共有できないものがある」ことを、頭ではなく、体で知った絵里子は決して絶望の中にはいないように思える。なぜならそれを知る事は、真の意味で他人を知ることだから。
一方で、それを突き付けられた、夫の俊太郎はこう言い返す。「君はこうと決めたら、誰の言うことに耳を貸すことは絶対にないものな」夫の目には、絵里子がそんな風に映っていたのか、と愕然とする。もしかしたら俊太郎は、自分の言葉に耳を貸してくれない、失望して夜の世界に癒しを求めたのかもしれない。そういう男側の弱さに対するみなもの、「ちょうどいいタイミングで、優しさを受け取れない時もある。そういう虚しさを抱えて、人って生きてるんじゃないの」と言う批判は秀逸だ。一方で、絵里子の母は言う。「親なのに、恵理子のことが怖かったのよ」と。そして「俊太郎さんも絵里子に対して、この人には話せない、と思うことがあったのかもしれないね」と。それはずるい言い方ではあるけれど、正しい人には、理解されない感情を抱えた時、意識的に避けてしまう気持ちもわかる。実際、絵里子は、妹の芙美子の理子も理解できず、それだけで家庭を壊す事ができるものなのだろうか、と腑に落ちずにいるのだ。楓を前にして、風俗に勤める女性のことをどこか見下していたことにも気づく。正しさは大切だけど、安易に物事をジャッジする側に回る危うさもはらんでいる。何より、目の前の人を、一個人として見なくなってしまう。恵理子が自分を失った時、彼女自身もまた、周りの人の中にも「自分」があることを忘れていたのかもしれない。善でも悪でもない輪郭まで鮮明になることで、私は絵里子と言う女性を心に知ることができたように感じた。
そんな恵理子に、しおりの店の客は、心を開いてうちあけ話をするようになる。あれ、と思う。これってよく考えたら変わる前の絵里子の身にも起きていたことだ。そう、絵里子の言い分は変わっていないのだ。彼女はずっと優しい。ただ、そこに強さと意志が備わった。そして1人の人間になった彼女のもとにメールが届く。「僕が悪かった。君にとても会いたい」と。それは俊太郎もまた1人の男性に戻ったからこそ出た言葉だと思った。以前の絵里子にとって、一人旅もシャンパンも寂しく不謹慎なことだった。これは、古い考えに見えて、多分今も家庭がある大半の女性にとってはそうなのだ。バージニアウルフの『自分ひとりの部屋』の中に、若い女性に向けた「ワインを飲んで、自分1人の部屋を持ちなさい」と言う一文がある。日本の多くの女性は、家庭を持つと、自分の部屋を失う。子供じゃなくなったら、今度はプライベートな空間を失うと言うのは、皮肉なことだと思う。そして家族と離職、すべての境界が曖昧になっていく。それは問題さえ起こらなければ、幸福の1つの形かもしれない。一方で、先程の本には、こんな続きがある。「お金を稼いで、自分1人の部屋をを持ちなさいと申し上げる時、私は皆さんに現実を見据えて生きてくださいとお願いしています」その言葉の意味を、本書とともに、今改めて考えたいと思う。
恵理子の現実の中で、一貫して他の男性ではなく、俊太郎と向き合いたがっていた。自分が変わったからといって、必ずしも愛が消えるわけではないのだ。同時に、人の感情は、半永久的に所有しておけるものではない。だから、恵理子と俊太郎がそれを望む限り、何度でも出会い、直せばいい。変わった分と変わらない部分頭を擦り直すために。そんなふうに私は思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ久々にこんなに引き込まれる本に出会った。
戦後の激動の日本を生き抜く3人の女性。
ひょんなことから3人のうちの1人、鈴子の孫が3人の過去を知っていく話。
戦後の変わっていく日本 有名で事件の名前など知っていたがそれがより詳しく書かれてる場面などもある。その時の日本に自分もタイムスリップしてるかのように読んでいった。
3人の女性は共に出版社で働く
イラストレーター ライター 出版社の事務員
それぞれ異なるが人生の分岐点に3人が一緒にいる場面も多々ある。
けして明るい話ではないし、どちらかというと切なくなる場面の方が多い。死ぬもの狂いで働いて守りたいものを守った女たちが果たして幸せだったかと問われると分からないところだが、確かに生き抜いた女性たちはカッコいいという言葉では軽すぎるほど強く芯のある女性たち。
立見と妙子の最後の場面は思わず涙が出ていた。
最後まで目が離せず、最後も自然と涙がこぼれてとまらなかった。
素晴らしい本で読めたことに感謝した本でした。 -
購入済み
迷える者、含む私
いくら頑張ってもかなわないこともある。
都会でも田舎でもそれぞれに苦しみがある。
クジラもたとえ海に戻っても
生き延びられるかはわからない。
人間も遅かれ早かれ死ぬともいえる。
でも、たとえ死がすぐそこに近づいていても
別の生き物でも、
見知らぬ人でも
誰かが少しでも自分がいることを
ほんとに少しでも認めてくれたり
ちょっとでも意義を感じてくれたら
しのげる。
誰かに自分を否定されても
また誰かが自分の何らかの面の
良さに気づいてくれることもあって
しのげることがある。
人間は弱くて正しくないから
自分や他人を不幸にするけれど
そのくせ、また自分や他人を求めたり
気にしたりする。
それに
その肩に乗っているとも思える
すでに死んでしまったり
別れてしまった人たちを感じながら
自分たちの弱さに
本当に怒りを覚えて
生きている者の役割を
思い出したりする。
短絡的な性や生の描写には
そんなに馬鹿ではないとも思うが
といっても自分もそんなに正しくない、
違った種類の似た効果の失策を
したりされたりしている
とも思えるから
この迷える人たちと
自分は同じ面を持っていると
思う。
迷える者、含む私、だ。 -
Posted by ブクログ
仕事、結婚、男、子ども…いつの時代であっても、女性にとってこの4つをすべて満足ゆくレベルで満たすことは難しい。
改めてそう考えさせられた一冊。
仕事ができるからとて、そこに注力することは本当に幸せなのか。仕事を切り捨て家庭に注力することが本当に満足ゆく生活になるのか。仕事と家庭を両立させることは可能なのか。
いま女性平等が叫ばれている中、女性が仕事を男性並みにできるようになったからとて、昔より幸せが増えたとは考えにくい。昔から状況は何も変わってないから。
いつになってら私たち女性は、全てを満足に熟るようにのか。それは永遠に不可能なんだろうか。
…何度か読み直し、考え直したいと思った。