山崎ナオコーラのレビュー一覧
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人物名などの詳しい説明がほとんどなく、妻の看護中に感じた違和感や出来事を淡々と語った小説でした。名前を呼び合わないっていうのが家族っぽいなぁと思いました。
亡くなった奥さんに手を合わせることなどできない、と固まってしまった場面は泣けました。
自分も死ぬときは妻と同じがんがいいと思い始めている、というのは看病する中でもはやがんは妻の命を奪った憎いものという存在ではなくなったんでしょう。
故人との距離は死後も遠くなったり、近くなったりする。距離が変化することは悪いことではない。悲しい話なのに悲観的ではなく、先の未来も感じられる静かな小説でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「人を嫌いになりそうなときは離れるのが一番だ。距離は人を好きにさせる。〜」
「私は加害をする人間だとあきらめる」
「理解されなくても愛さえあれば平気らしいのが意外だった」
「楽しいのは、宇宙にいるからではない。自分にいるからだ。」
「火星まで来て、やっとわかったことだった。自分の中が、一番遠い。」
「じぶんの中を見るだけでも、すっごくおもしろいんだよ。歩きながら考えるとね、あたまの中にいるのがたのしいの。自分の中って広いんだよ。」
「言葉が先で、そのあとに気持ちが動く。考えが変わっていく。」
「下山を選ぶことができた自分が誇らしいっていうか。」
「自分をあきらめる。こうやって、これからも生きていくんだ。」
「人生は何もしなくていい。何も成し遂げなくていいんだ。」
「登山をしてよかった。下山ができるから。」 -
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まさに自分はこの本の中で言う「家事をやりたかったのにできなかったかわいそうな人」だ。
少数派かもしれないが、専業主夫を「仕方なく」でなく、積極的に希望している。
「「限られた人だけが家事を楽しみ、特定の性別の人を外に追い出して悪かった」という悔い」が社会に浸透してほしいと願っている。
女性の大黒柱が物珍しくない世の中希望。
とゆうか、外でお金を稼ぐ仕事の方も、つまらない、意味のない、社会に影響も及ぼさないような内容も多々ある。
その中で必死にやりがいや面白みを見いだして心に折り合いをつけている人も多い。
家事の中にも裁縫や料理など面白みを見いだしやすいものもある。
単純に「生きていくためにやんなきゃいけないこと」の全体があってそれを仕事とか家事とか名前を付けて性別で分けたりしちゃってるだけだ。
なるべく柔軟に偏見無しに「やんなきゃいけないこと」を状況に応じて選択しやすい世の中になってほしい。
自分は「6000万円の機械装置2台をドイツから運んで日本のお客に納品して稼働させる」という仕事をしたことがあるが、
「生涯賃金約2億円を稼いで、且つ多額の納税もする生き物を約20年かけて育て上げて、且つその生き物と人生を共有する」という仕事の方がずっと有意義でやりがいがあると考えている。
お金の問題じゃないし単純比較できる対象でないことは分かってはいるが、家事を持ち上げるために敢えてこういう言い方をした。
「買い物時の判断が、環境破壊にストップをかける。
SNSでの発信で、どの企業が育っていくかが決まる。
備蓄が非常時の混乱を穏やかにする。
洗濯が社会を清潔にする。
水まわりの掃除が病気の蔓延を食い止める。」
まったくその通りで、社会的な仕事だと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルがいいな。
40代で癌を患って人生の終わりに向かっていく夫婦の物語。夫目線で、弱っていく妻を見ている。さらりとしていて、病室に「きたよ」「きたな」とやりとりしながら入っていく。妻がどう考えているか、胸の内で憶測しながら、もちろん会話も重ねながら日々が過ぎていく。
主人公の男性は、自分で自分を「心が狭いからいらいらしてしまう」と分析している。医師の一言やしぐさ、介護認定員の職員のおせっかい、見舞いの人の態度にいちいち傷ついたり、怒りを覚えたりする。妻を気遣い、「ちょっと…いやな思いしただろ?」と聞くと「え?いい人だったよ?」と返ってきたりして、「あぁ、自分の心が狭いからいらいらしてしまうんだ…」と感じる。
こういうところ、すごくすごく共感する。私も心が、というか、許容範囲が狭くて、そんな自分が嫌になることが多々ある。価値観が合わない、絶対に合いそうにない人たちと一緒に仕事しなくちゃいけないし、人を相手にする仕事だからどんな人も受け入れなきゃいけないんだけど、すごく拒否感感じたり、見下してしまったり(絶対ダメなのに)して、仕事に差しつかえることがある。
色々葛藤を抱えながら日々が過ぎていく。妻はだんだん弱っていく。
3つ病院を代わって、死に向かっていく。よくある闘病を描く小説やドラマなら、「一時帰宅しましょう」とか「思い出の場所に…」とかなることが多いけど、「家に帰りたいか?」と聞くにもすごく考えてしまってうまく聞けない。妻も家に帰りたいとか言わず、ただ静かに「今」を受け入れている。
最期の看取りのシーンはとても…なんというか、静かで、切なくて、でも淡々としていて、あとで主人公の夫が振り返るように、決してその「瞬間」が特別なものではなかった。人生は、どの瞬間も特別だし、病気にならなくたって、癌じゃなくたって、人は生まれたときから死に向かっていっている。
亡くなったあとの、妻の夢や、妻が遠くなっていくけど、その距離も美しいと感じる心持ちも、とても素敵だと思った。死をどうとらえるか、心に響きました。
ナオコーラさん、また読みたいと思います。 -
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受験対策として源氏物語の漫画を読んだことが出会いでそこから瀬戸内寂聴、田辺聖子などの現代語訳をいくつか読んできた。でも今の感覚で源氏物語を読むとこんなに捉え方、物語が違うんだという驚きを持って読み進めた。「え?そうかな?」と読み始め「あ、そっか。ほんとそうだ」と腑に落ちる。差別というのは無意識で善意の差別というのは生活の中で起こりうるし、お年寄りに対しての対応のくだんで膝を打った。自然としてるかも、、、と。源氏物語の登場人物を現代の感覚にあてはめて読むと新たな気づきがあるかもしれない?かな。山崎ナオコーラさんの源氏物語現代語訳を是非読みたいです。待ってます。
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カフェに併設された、本のセレクトショップみたいなところで見つけて購入。育児や幼児教育などのジャンルの棚にありました。山崎ナオコーラさんの本はあんまり読んだことはなかったけど、自分の本棚を検索したら「この世は二人組ではできあがらない」を読んでちゃんと☆5つつけていた。もっと読めばよかったな。
私とほぼ同じ世代で(3つ下)、同じ北九州生まれで、同じように流れで高齢出産のナオコーラさん。とても共感できる部分もあったし、私はそんな風に考えられなかった、尊敬する、あこがれるな、と思う部分も多かった。自分のライフスタイル(というほどではなくてもファッションの路線など)や、子どもとの向き合い方について、すごく悩んだりくよくよしたりしながらも、「私はこのように考えるようにしよう、今度からはこうしよう」と決断していく。その姿勢が、自信満々でもないし、信念を貫く感じでもなく自然で、決めたとおりにならなかったりもしている。のちのち、「こう決めていたのにうまくいかなかった、バカだ。」などと記述されており、そういうことあるなぁ!と共感した。
母ではなく、親として、なんなら親でもなく一人の人間として、赤ちゃんのことをすごく客観的に観察して「うちにいる赤ん坊は・・・」とその様子を綴っている。母親の愛情たっぷり目線ではないのに、なぜこんなに心温まる記述になるのだろう、と不思議に思った。
どうもそれは、赤ん坊を自分の所有物ではなく(←子育て中心の母親はこんな感覚に陥りがち)、一人とひとりの人間同士として赤ん坊を見ているからのようだ。
笑うようになったときも、最初は「表情を真似しているだけだな」などと冷静に分析していて、過度に「笑った笑った!」とはしゃがない。(実際ははしゃいでいるのかもしれないけど、文章ではそうなっている)
子育てとは別のテーマだけど、不摂生で病気になった人の社会保障費を社会が負担するのはオカシイという論調についての文章も好きだと思った。
そのような主張も、わからなくはないが、何かおかしい。じゃあどう反論すればよいのだろうと思っていたけど、ナオコーラさん曰く、「成熟した社会では、理由を問うべきではない」。理由がなんであれ、困っている人がいれば助ける社会が成熟した社会なのだと。
そうよね。私、「成熟した社会」っていうフレーズ好きだな。私は家事が苦手ですぐアウトソーシングしてしまうのだけど、いちいち心の中で「成熟した社会は分業がすすむのよ」と思っている。
ナオコーラさんは片づけは嫌いだけど料理は好きで、片づけはお掃除ロボットなどにお任せしているらしい。素敵だな。
夫さんとの関係もいいなと思った。やたら「夫は収入が少ない」「金は私が出している」というのが出てきて笑えた。私も言いたい(言わないけど)。なんで言えないんだろう?結局、妻の方が稼いでいるなんて体裁が悪いからあんまり言わない方がいいな、という固定観念から逃れられていないのだ…。
最後、満開の桜の下を、ベビーカーを押しながら歩いていて、「もう死んでもいいな」とふと思う。涙が出た。もちろん死んじゃダメなんだけど、ふとそんな気持ちになる瞬間があること、ほんとにわかる気がする。ナオコーラさんの本をこれからもっと読みたいと思いました! -
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写真家のニキと、アシスタントの加賀美の恋愛の物語。
仕事中は昭和なカメラマン然とあろうと(中川家のコントに出てきそうなああいうやつ)厳しく当たるのだけれど、とあるときに言い返されたことをきっかけに、恋愛関係に発展し、そして別れるまでが描かれる。
『自分の写真とは何か』を見つけ、制作に没頭し、ある時、加賀美は師匠を超えた存在になる。(師匠というのものは弟子を育て、弟子に超えられる存在ではあるよね)
それとは別に、ニキのような女性にとって女性性って難しいよね、っていう話でもあると思った。
素直に女性性を受け入れられればいいのだろうけど、それを拒否してしまうと、愛する人との関係がうまくいかなくなってしまうし、女性性を弱さと捉えると仕事がうまくいかなくなる、みたいな。
女子カメラ写真問題みたいなところにも繋げられそうな話でした。 -
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表題作よりも、最後の「社会に出ない」がとても好きだった。
P.158
スマートフォンで住所を調べよう、ということを言いださないのと同じように、私たち全員が心の中で思いながら、何年も誰も言わないことがある。
それは、山崎くんがおそらく、働いていないだろう、ということだった。
大学にいるとき、山崎君は就職活動を一切していなかった。大学を出たらバンド活動をする、と言っていた。卒業後にライブが三回あって、私は三回とも聴きにいった。
しかし、そのバンドは一年ほど経つと、メンバーのひとりに子どもができて、その人が就活のために音楽をやめると言い出した、という理由で、解散してしまったらしい。その後の山崎くんの足取りを、私たちは知らない。ただ、もしも何かしらの形で音楽を続けているとしたら、連絡をくれるような気がする。だから、今は音楽活動をしていないのではないか。そして、あの山崎くんのことなので、アルバイトはもちろん、金を得るような活動はしていないのではないか。音楽活動、あるいは金を得る活動をしていない。そのせいで、私たちに会いたくなくなってしまったのではないだろうか。(略)
「山崎は、僕らからも、プレッシャーを感じるのかね」
杜屋くんが話を戻した。
「俺らは、山崎に会いたいだけなのにな。俺らは山崎に対して、どうあって欲しいとか、こうなっていて欲しいとか、そういうのはなんにもないのにな」
面長が言う。
「そうだ」
私は、ふいに気がついた。山崎くんには自信をもって自分たちに会って欲しいと思っているのに、私自身ができていない。
「ん?」
面長がこっちを見る。
「私、この前、赤ちゃんができたの。わあ、やったあ、と思ってたんだけど、しばらくしたら流産って診断されて、手術しなくちゃならなくなって…」
私は話した。
「稽留流産?」
杜屋くんが、特に驚いたふうもなく聞く。
「よく知ってるね、そんな言葉」
私は言った。
「まあ…。うちの姉にもその経験があって」
杜屋くんは言う。
「え?俺、よくわかんない。手術したってことは、おろしたってこと?」
面長はきょとんとして尋ねる。
「いや、赤ちゃんが欲しくて作って、妊娠できてすごく喜んでいたら、とても悲しいことに途中までしか育たなかった、ということ、かな?」
私は説明をしながら、面長の言葉に少し傷ついていた。稽留流産の手術は、中絶と同じような作業だ。そのことが妙に辛く感じられていた。しかし、ここまで混同されて相手に伝わるものだということは初めて知った。それでも、伝えたことに対する後悔は湧いてこなかった。よく考えたら、意思によって生まれなくなることと、生物学的な理由で生まれなくなることに、線引きの必要はない。線を引きたがっていた私はあさましかった。
「ふうん。俺にはよく理解できないけど…。それは、辛かったね」
面長は言った。
「うん。ありがとう」
私は笑った。
「それで?」
面長が言う。
「いや、あのさ、今回、杜屋くんから恒例の飲み会のお誘いメールをもらったとき、『みんなに会いたくないな』って、ちょっと思ったんだよね」
私は続けた。
「ふうん」
杜屋くんは、街路樹の葉っぱを手で弄んだ。
「あと、こういう話はしちゃいけないだろうし、顔にも出したらいけないだろうから、会うとしても頑張らないと会えないな、とか」
私は坂をとんとんと下りていく。
「なんで?それって、人に話しちゃいけないことなの?」
面長が私の隣を歩きながら尋ねる。
「うーん、『気を遣わせる』から、かな?」
私は顎に手をやった。
「まあ、気ぐらい遣わせてよ。いいんじゃねえの。みんなで生きているんだし」
面長が言う。
「うん、うん」
杜屋くんが頷く。
「亡くなった人の話をさ、『暗い話は、もう止めときましょうか』って切り上げることあるけどさ、亡くなった人の話を、もっと普通にしたい、っていう気持ち、俺あるよ」
面長は言った。
「次の赤ちゃんができてから、『実は、前に流産してしまったことがあって』と、告白する人は結構いるよね。うちの姉の話も、僕は、姪っ子が生まれたあとに、昔話として聞いたんだよ。ただ、僕は姉とかなり仲良いからさ、そのときに聞かせてもらっても、こちらとしては良かったのに、っていうかさ…。いや、本人が話したくないことなんだったら、もちろん話さないのがいいに決まっているんだけど、たんに僕を気遣って、とか、雰囲気を暗くしないように、とかっていう理由でそういう順序で話したんだとしたら…」
坂を下り切り、左に曲がろうとしながら、杜屋くんが言う。
私は、電柱柱の住所表記を指さした。
「僕さ、一度転職してるでしょ?最初の会社がしんどくて辞めたんだよ。ブラックで、辛くてさ。それで、休職中の時、嫌で辞めたからさ。それも、そのときは、『本当は、もうちょっと頑張れた。我慢が足りなかった』『残してきた同僚に悪い』とかくよくよ考えていたし」
表記を確認して頷いてから、杜屋くんが喋る。
「そういえば、一年くらい、飲み会が開催されなかった時期、あったな」
顎を掻きながら面長が呟く。
「あ、あったかも。じゃあ、杜屋くん、一年ほど、働いていない期間があったんだ?」
私は言った。
「そうなんだよ。再就職が決まって、今の会社でなんとかやれるようになってから、やっと、『みんなに会いたい』って思えたからね。だからさ、まあ、僕もなんだよ…」
杜屋くんは頷く。
「友だちのはずなのに、いつの間にか、社会になっちゃっていたんだね」
面長が、今度は耳を掻きながら、言った。
宙ぶらりんな今の私にとっても刺さる文章。私も、みんなが山崎を思うように、友達に対しては「ただ会いたいだけなのに」と思うのに、自分は一区切りついてから、とか思ってしまっている。
私たちはみんな社会の中に生きているんだなぁ。