江戸川乱歩のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
中絶作『悪霊』を読むと確かに『孤島の鬼』級の畢生の大作になりそうな雰囲気がありますね。当時の読者が完結を待ち望んでいたことが容易に想像できます。
序盤の密室殺人、異様な猟奇殺人、奇妙な暗号、乞食の謎、記述の不可解さなど広げすぎた風呂敷のほぼ全てに辻褄を合わせるだけでなく、乱歩の嗜好を真相の核に持ち込み、尚且つ『悪霊』の真の中断動機を荒唐無稽ながら提示しています。半端なデキでは許されなかっただろうし、恐ろしく高かったハードルを芦辺先生は見事に飛び越えたのではないかと率直に思います。
大作家の中絶作に90年の時を経て挑むという偉業と偉大なる大作家へのリスペクト精神に星4 -
Posted by ブクログ
まず装画が怪しげで綺麗!いわゆるジャケ買い
あとタイトル『疵の迷楼』別世界へと誘い込まれるような魅惑的な感じに加え、名だたる文豪たちの作品に興味を引かれてしまう。
まだ、このとき耽美という言葉の意味を理解していなかった。ただ「美しい」くらいにしかとらえていなかったので読んでみたら本当の意味を思い知らされ、常軌を逸した世界への入り口だった。
なかなか普通の感覚では理解、共感し難い作品ばかり。どの作品も何かに心を奪われていたり、病的にのめり込んでいたりと現実からかけ離れていて危うい空気が漂っている。
抗いがたい好奇心や欲望、まるで[パンドラの箱]を開けてしまったようなそんな感じだ。
収録されている一部の作品の感想
『鏡地獄』 江戸川乱歩
鏡や凹レンズの魔力の虜囚となっていくKの話。
自宅の実験室で奇妙な物を作りその後Kは…
Kが見た世界は何なのか?鏡に纏わる話はたくさんある。異界の入り口、魂を抜き取られる、神の依り代。そんな鏡の持つ神秘性、恐怖感とあわせ、鏡に耽溺していく狂気の過程とKの末路が常人には理解し難くカオス。極めてはいけないものを極め、見てはいけないものを見た。
そしてKの見たものも語られていないから一層恐怖心と好奇心がわいてくる。
『妙の宮』 泉鏡花
少年士官が肝試しに妙の宮という神社を訪れ不可思議な光景に遭遇し不可解な結末を迎える。
明治28年の作品とあって文体が古臭くて読みづらい、けれどどこか美しい文章。たった四頁の中にはたくさんのメッセージが詰まっていた。
寂れた山中の神社が醸し出す妖しい雰囲気、夢か現実か幻か。いったい全体どこへ引き込まれてしまったのか?曖昧で幻想的な世界観にゾクリとさせられる。
金時計が意味するものは何なんだろう?時間を盗られた?
『死後の恋』 夢野久作
美しい宝石に魅入られ元貴族の男が罪悪感に耐えられず死後の恋というロマンスに変え自己正当化しようした?
宝石が持つ魔力と呪いが彼を狂気に導き歪んだ愛に発展させたのか。そもそも語り手の男の話がどこまでが真実かも曖昧。
実は敵軍に殺されたのではなく語り手の男が殺し話を美化したのかも。
戦争の狂気、宝石の魔力が男を狂わせたのか?
結末も曖昧なので読み手に委ねられる。
「強制的な肉体の結婚」という言葉が衝撃的だった。
『疑惑』 芥川龍之介
芥川らしい繊細な男の物語。
罪の意識、良心の呵責から「本当は妻を殺したかったから殺した」のではと悩み苦しむ男の話。そもそも本当に殺したいと思っていたら、そんな長期間悩まないのではないだろうか。
妻を愛していたが故に自分を罰するために「愛していないから殺したことにしたかった」という風に思いたい。
どうもこの物語の主人公の男が芥川自信の心の葛藤を投影しているように思えてしょうがない。
「今日私を狂人と嘲笑っている連中でさえ、明日私と同様な狂人にならないものでもございません」最後の台詞がこころに妙に残った。
耽美文学は面白いとか面白くないではなく
耽美的、幻想的な世界観を楽しむもののように感じた。
たまにはこういう変わった世界観を味わうのも良い読書経験になった。
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有名な『黒蜥蜴』を読みたくて、手に取りました。
面白い!黒蜥蜴!
この『江戸川乱歩全集9』は、乱歩先生の自作解説も読めるのが、いい!!
自作解説は、各話に続けて掲載されています!さすが、全集!!
666ページからの解説は、新保博久。これを読んだら、三島由紀夫作の『黒蜥蜴』戯曲版も読みたくなってきた!演劇も観たい!!
ケレン味がある、とは『黒蜥蜴』のためのことばだ!
678ページからは、評論家・唐沢俊一の解説 私と乱歩『もっとも恐ろしいトリック』解説も面白い!
解題(p614~)、註釈(p647~)も必見!
出版社ごとに違う表現を、全集にする際にどう扱ったのか、歴史を感じます!
註釈をつけてくれてありがとうございます!令和に生きる我々に、註釈は必要! -
Posted by ブクログ
ネタバレ推理小説のなかでも「読者への挑戦」に特化した犯人当てアンソロジー。今後シリーズ化されるようなので楽しみが増えた。
【◯看破 △引き分け ×お手上げ】
×高木彬光「妖婦の宿」
名作とは聞いていたが自分にはピンとこなかった
気づかない伏線があったのかな
〇坂口安吾「投手(ピッチャー)殺人事件」
イージー
△土屋隆夫「民主主義殺人事件」
冒頭の横読みは気づいたが犯人を間違えた
×江戸川乱歩「文学クイズ「探偵小説」」
穴埋め問題。昔に流行ったらしいが目新しさがあった
〇飛鳥高「車中の人」
イージー
×佐野洋「土曜日に死んだ女」
部屋に、足が引っかかるほどのガス管が?
×菊村到「追悼パーティー」
動機の弱さも仕込みもしっくりこなかった
思惑通りに行っていたら、すぐに犯人は特定されそうだけど
×山村正夫「高原荘事件」
脚本仕立てのミステリーは面白いが内容が頭に入ってこなかった
〇陳舜臣「新・黄色い部屋」
ベリーイージー
×笹沢左保「愚かなる殺人者」
まずまず
著者名を見ても分かる通り、全体的に時代を感じさせるものが多かったので内容的には星3つ。
令和時代に犯人当てアンソロジーという趣旨には星4つ。 -
Posted by ブクログ
江戸川乱歩の理知性と怪奇性を堪能できる短編集。全ての作品において理論とサイコパスの要素が見事に両立しており、その世界観は非現実と現実の境界のギリギリを描き出している。
超常現象ではなく、人間の内に湧く無限の想像や異常さを源泉として、理知的プロットに丁寧に納めている。
知的好奇心を高めた先にある異常性と推理探偵的性格という2つの側面を全く違和感なく両立させており、この空気感こそが江戸川乱歩作品であろう。
恐ろしさや気味悪さの奥にある、味わい深さや奥ゆかしさはクセにならずにはいられない。ファンが多いことにも頷ける。
小学生時代の怪人二十面相以来久しぶりに江戸川乱歩作品をきちんと読んだが、本当に面白い。 -
Posted by ブクログ
「押絵と旅する男」を読むためだけに購入。それしか読んでいない。
とにかく面白かった。蜃気楼の描写から双眼鏡、覗きからくりと「レンズ」で貫かれたイメージの連鎖がきれい。乱歩は、他に「二銭銅貨」と「怪人二十面相」のシリーズをいくつかしか読んだことがないけど、登場人物が一人で語っているだけのところが面白いのが面白い。
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったなら、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに違いない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰いちがった別の世界をチラリとのぞかせてくれるように、また、狂人が、われわれのまったく感じえぬものごとを見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野のそとにある別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかもしれない。(p88)
素朴に考えれば、生きているはずのない押絵を「兄」だと言い張り、その「兄」に外の風景を見せて旅をする男が、どう考えても「狂人」である。けれども、もしかしたら、「夢」か「一時的狂気の幻」でなかったかもしれないと思い、「別の世界の一隅を、ふと隙見した」と思うくらいには、男の話を聞くだけの価値があるものだと思うのである。けれども、押絵=「兄」という荒唐無稽な話を、それだけ説得力のあるものにしたものは何だったのだろうか?
「これを、この遠目がねで一度ごらんくださいませ。いえ、そこからでは近すぎます。失礼ですが、もう少しあちらの方から。さよう、ちょうどその辺がようございます」(p98)
娘は動いていたわけではないが、その全身の感じが、肉眼で見た時とは、ガラリと変って、正気に満ち、青白い顔がやや桃色に上気し、胸は脈打ち(実際私は心臓の鼓動さえ聞いた)肉体からは縮緬の衣裳を通して、むしむしと若い女の生気が蒸発しているように思われた。(p101)
押絵が「生気に満ち」、まるで生きているかのように見えるのは、「遠目がね」を通して見たときだけである。考えてみれば、物語の冒頭、語り手の「私」が魚津で見たという蜃気楼も、「大気のレンズ仕掛け」が見せたものであった。蜃気楼は、幻覚のように見えるが、その「レンズ」の向こうには、蜃気楼の元になった現実がある。この物語は、「レンズ」を通して見た世界が、その向こう側に真実を感じさせる物語なのである。
それは、「狂人」と言われた男の兄にしても同じことである。
(前略)そして、『お前、私たちが探していた娘さんはこの中にいるよ』と申すのでございます。
そういわれたものですから、私も急いでおあしを払って、覗きの目がねをのぞいてみますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。(p113)
兄が一目惚れした女の正体は、八百屋お七の「覗きからくり」であった。そして、兄が最初に一目惚れしたのも、「遠目がね」だった。兄は、「レンズ」を通して見た姿を真実として見て、自分も「レンズ」で通して見た世界の中に入ることを望む。兄にとっても、「レンズ」で通した世界こそ真実の世界だったのである。
語り手の「私」は、顕微鏡や遠眼鏡の見せる世界がきらいだったという。「レンズ」というのは、科学が生んだ、ものをよりよく見るための道具である。だからこそ、その「レンズ」を通して見せる世界が、もう一つの真実の世界なのではないかというリアリティを生む。一見ありえない出来事が別の世界であるかもしれないと、語り手に思わせるのは、そうした「レンズ」の生み出すリアリティだったのではないかと思う。