鈴木涼美のレビュー一覧
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JJを通らずに大人になった。
一瞬しか出てこないKERAとか、ゴスロリバイブル等、個性派通り越したサブカル界隈のファッションが好きな学生だった。
PUTOMAYOが好きで何度か買って、宝物に感じていた。
そんな訳で、雑誌が作り上げたお嬢様、上昇婚思考、男性編集長の元で描いた男に選ばれる"本命"という価値観も摂取しなかった。
(くそ田舎では社長も王子様も生身の人間としてイメージできず、自分にあったのはコメントが右から左に流れながらガビガビの質感で見る深夜アニメを、ただ普通にテレビで合法的に観たいという形の"都会への憧れ"だった。)
なので、似た時代を生きておきながら、違う世界を感じていました。
JJって今でいう「なろう系」みたいな、この世を無双しているかのような女を見ていい気分になるタイプの娯楽だったんだな、という印象を受けました。
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思春期を迎える女子に向けて書かれた本だが、私のような中年を迎えた男性から見ても共感できるような内容もあり、興味深いものでもあった。
私は著者のような経験はしていないし、彼女と比べれば平凡で、ありきたりな人生と言えるだろう。
それでも、自分が道を外れないでここまで来れたことは、彼女と同じようにやはり運と読書があったからだと思う。
読書によって救われた人の読書経験を知ることができるというのは、これまで多くの本を読んできた人に限らず、これから本を読んでいこうとする人にとっても、有意義なものになるではないだろうか。
その意味では、男女問わず、おすすめできる本であるような気がした。 -
Posted by ブクログ
ミッション系中高一貫校から高校受験しK大でキャバクラ嬢、パパ活、出前オンナなど経験。東大卒のバカなエリート自認が気持ち悪くなって切ろうとしたらストーカーされ、腹いせに「たった百万円で出た」AV出演歴を親にバラされたりした/大学4年マジメな学生が就活に血眼な頃、AV撮影のいとまに勧められた海外作家にドハマリして、それから濫読の時期が来た。大人になって教科書の面白さに気づくように。
サガンのデビュー作の芸達者。
37歳で果てた鈴木いずみへの共感
岡崎京子作品に思う、たいていの大人は矛盾したライフスタイル。優先事項のチェンジした世界、たとえばホストクラブ。『pink』で小学生の義妹は「お金が欲しければカラダを売ればいいのに」と本質的な言葉をいう。
岸田秀『性的唯幻論序説』「男と女が同時に満足するのは、もともと無理なのである。」
ルーキアーノス『遊女の対話』手練のホスト/ホステスは、たとえ他の異性といちゃついてるところを見られても、「きっと自分が一番だ」と思わせる…お客は欲しいものが全て手に入ることはなく、しかし通ってお金をつかうのをやめるほど一切手に入らない訳でもないという状態になり
(宗教に没頭するのと似ている)
内田百閒『大貧帳』昼職と夜職の金銭感覚
佐野洋子『シズコさん』
井上ひさし『私家版 日本語文法』
斎藤美奈子『モダンガール論』現在盛り上がっている女性たちの気分を歴史的に位置付けるのに便利
鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』
橋本治『桃尻娘』
エンデ『モモ』
『風の谷のナウシカ』
「ヒト♀の一般的貞淑に対しアバズレの戦略が有利たりうるが一定の割合を超えると社会が崩壊する」ことを数学的に証明した『利己的な遺伝子』を加えたい
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ネタバレなかなかパンチのあるタイトルしてるので人目を憚りながら読んだ本。不倫というと世間一般ではしてはならないものだという価値感がある一方で大人になれば多かれ少なかれ耳に入ってくる事象であり案外身近なものである。しかし、基本的にいけないことなのであまり真正面から真剣に考えたりすることはないのではないだろうか。他者はわからないが私はそうだったので本書は非常におもしろかった。多様化が推し進んだ現代社会では様々な理由で結婚に苦しんでいる人や縛られている人がわりといるような気がする。きっと結論はでないけれど愛するってどういうことなのか考えていきたい。
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序章
鈴木敏夫 スタジオジプリプロデューサー
鈴木敏夫は「風の谷のナウシカ」の制作背景やそのテーマについて語っている。彼は、作品が発表された当時の社会的・環境的状況がどのように影響を与えたのかを考察し、ナウシカというキャラクターが持つ強い意志や優しさが、現代においても重要なメッセージを持っていることを強調している。
風の谷のナウシカの題材は『新諸国物語』(NHK ドラマ1952年)。
ナウシカが旅をして、見聞きしたものによって、読者が世界の秘密を知っていく。宮崎駿は「勧善懲悪」が好きで、それが「自然を守る人がいいひとで、自然を破壊するのは悪人」と言う物語にした。
赤坂憲雄の『ナウシカ考 風の谷の黙示録』を読み、宮崎駿は「おもしろいね。俺ってこんなもの書いていたんだ」と言った。他者からの深い考察が、作者に新たな気づきを与える。
映画では「腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う」と謳ったのに、第7巻で「腐海や王蟲が、実は人間の文明が作り上げた人工的な生態系だった」ことが明らかになった。物語全体の構図がまるで変わってしまった。
ナウシカは、本来、風の谷の500人のために闘った。そして、もののけ姫のアシタカは「個人的な理由で戦う主人公」となった。宮崎駿は、どんどんと変わっていく。
杏 俳優
時間の経過とともに死生観や価値観が大きく変わる。そういう時代に生きている。ナウシカは「母は決して癒されない悲しみがあることを教えてくれましたが、私を愛さなかった」という。母は絶対的な存在でなくていい。巨神兵は、ナウシカを母親と思い込んだ。そして王蟲はナウシカを守って死んだ後、「母は私を愛さなかったけれど、オーマは私を愛してくれた」とナウシカはいう。母と娘の関係が全く違うものがある。
叶精二 映像研究家
アニメーションが前提でない『風の谷のナウシカ』、コミック版。なるほど。
連載中に、東西冷戦の終結、ユーゴースラビアの内戦など衝撃的な事件があり、影響を受けている。
小泉悠 軍事アナリスト
現実のウクライナとナウシカの世界、戦争の「ネイチャー」は変わらない。核戦争による世界の破滅は、ウクライナでは現実のものになるかもしれない。戦争を経験した世代、戦争を経験した世代を親に持った世代、戦争を知らない世代。世代によって、大きく戦争の捉え方が違ってくる。
『宇宙戦艦ヤマト』『ウルトラマン』は、作り手の戦争体験が塗り込められている。
庵野秀明は、『宇宙戦艦ヤマト』『連合艦隊』に影響を受け、『エヴァンゲリオン』を作っている。
戦後の日本では、戦争の悲惨さや反戦が訴えられたが、戦争そのものを真正面から描きにくかった。それがサブカルチャーの一部がになった。日本人には「敗戦で自分たちの国は、一度滅びてしまった」という感覚がある。
ナウシカによって、「滅びはやってくる可能性がある」「文明が滅びた後はこうなる」を知らされる。小泉は、戦争が、悲惨であるにもかかわらずかっこよさがある。「人間は本来、こんなひどいことをするはずはない」と小泉は言いたくもないという。宮崎駿は、兵器や飛行機の時として持つエロティックな美しさに魅了されているところがある。戦争の実相は、巨大な悲惨が人々を襲い、世界が破滅の淵に追いやられていくこともある。
川上弘美 作家
ナウシカは不思議な人。自分を傷つけるクシャナ、敵国の人々、深井の動植物など自分の周囲に来たものを全部守ろうとする。ナウシカは、物語の中でみんなを繋ぐ絆になっている。ちょっとした破綻、なんでこんな文章がという驚きや作者自体が制御できないものが雑音としてあっても、ノイズがあることは避けられない。それも受け入れることだ。
精一杯生きること、自らの死を認めることは、両立する。原発の使用済み核燃料は10万年も危険な放射能を出し続ける。その間、人類が確実に存続し、責任もって保管し続けられると考えること自体がおかしい。「滅びはあり得ない」と信じ込もうとしているのではないか。
ボーヴォワールは「人おのおのは死にますが、人類は死ぬべきものではないことを我々は知っています」というが。川上弘美は「人類の未来を自然に委ねる」という選択をする。確かに、『風の谷のナウシカ』は、単純な物差しで測れるようなシロモノではないのだね。
福岡伸一 生物学者
老いるからこそ、死ぬからこそ人は美しい。環境の全体のバランスを考え、人間に害を及ぼしかねない存在とも共存していく。ナウシカは人類のことを「大地を傷つけ、奪い取り、汚し、焼き尽くすだけの、もっとも醜いいきもの」としている。
竹宮恵子 漫画家
物語が始まった時「これから何かが違う世界が始まるんだ」ナウシカはあまり言葉で説明しない。ナウシカの世界でも、たとえ人工的に作られたものでも、生命は常に変化し、創造主の意図を超えていくとして描かれた。素晴らしきディストピアの拒絶があり、それでも自分の意思で生きようとする。
鈴木涼美 文筆家
『娼婦の本棚』を書いた著者は、夜の街=腐海に生きている。腐海に生きる蟲たちは美しい。闇があって光がある。悪の方に魅力を感じる。ナウシカは生に執着せず、死の恐怖がない。
河野真太郎 英文学者
ナウシカは戦う力と、腐海の真実に気づく科学的知識を持ち、包み込むような母性とカリスマ性のない混ぜになった女性。族長の父は「男であったら何もいうことはない」という。
クシャナは、母親が、王家の陰謀の犠牲、家父長制の犠牲になって心を病んだことへの怒りを動機に、父王や兄王子たちと戦ってきた人。女性性を捨て、男性性を獲得しなければならなかった。
ナウシカの物語は、「自然を守ればそれでいい」という考え方とは、異なる思想。
大木毅 現代史家
戦争では多くの住民が飢えや病気で死んでいく。ナウシカは「なんという戦争、いかがわしい正義すらかけらもないなんて」という。戦争はそのような残虐性を持っている。
赤坂憲雄 民俗学者
ゴジラは1954年に発表された。ゴジラの映画には、科学やテクノロジーへの信頼がある。ゴジラを最終的に葬るのは、一人の科学者の自己犠牲。それは宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の主人公の姿と重なる。ナウシカは、最先端テクノロジーが暴走し、地球環境を破壊してから1000年後の世界。科学や文明への信頼が裏切られていく時代を予感しながら作られている。「何が起こるか分からない」という不気味さ、不安の中に置かれている。ナウシカの世界が、とてもリアルに感じられる時代へ運ばれつつある。
ナウシカの物語は、宮崎さんの巨大な無意識が充満している。それが最大の魅力。宮崎駿はいう「こういうふうにしたい、じゃなくて、こうなっちゃう、ものを作る主体というより、ただ後ろ方くっついていっただけ」
権力に善意は期待できず、権力そのものを無化する仕掛けを作り出すしかないという作品。
王という存在は必然ではない。首長というのは、部族の人々に隷属を求める権力ではなく、むしろ、言葉によって自分の権力を絶えず無化していくことを求められ、それを理念や義務として積極的に引き受ける。ナウシカは、人々に命令を下すことはなく、権力を持たず、深い思索に裏打ちされた言葉だけで人々を励まし、なだめ、導き、ひたすら調停者としての役割を果たそうとする。宮崎駿は「虫愛づる君」に、自らの知性と探究心で腐海の謎を解き明かす役割を与えた。
民主主義は、権力の毒や腐敗を知る人が作り出した暫定的なシステムである。愚かにして美しい人間を完全にコントロールはできない。ナウシカの物語は、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニー(多声音楽)が本質なのだ。いやはや。ナウシカを読み解く力の深いことよ。
もう、ナウシカの物語は、実に多面的な見方ができる。いろんな問いかけがあり、考えるきっかけになるいい本である。なぜか、頭の中の芯を熱くする。 -
購入済み
読むのに気力のいる本だった
息子が中学にあがり、性教育を考えると男性視点の情報では難しいと思う事が多々ある
SNSでこの本のことが流れてきて書評を見た時、長男の女性に対する理解に何かしら寄与するかと思い、つい反射的に購入した。
男より女性の生き方はある意味で難しいが、性を持ち出すと安易に楽な選択を選ぶこともできる。
でも、それを選ぶと多くの場合、後でツケがまわる。だから、安売りするな、という言葉を親の世代は言う。
でも、若い世代が持て余す感情は大人の説教なんて聞き入れない。で、大人になって、同じように若い世代に言う。
そこに使える武器があってもそれを使わないって難しいこと。男が腕力で相手を従わせる選択をなかなか選べないのにどこか似てる。
それでも、男は無言の圧力を与えてる。そして、女性も無言の魅力を巻き散らかしてる(人もいる)
本当に、性というものは複雑で厳しいものだ。
女性の、子を成す性の役目は特権でもあり重しでもある。セックスは多様な価値を持ち、時に持て余し、崇高なものにもなり娯楽にもなりうる。。
そんな世界で、女性は男にどう見られるかに迷い陳腐化する。パンツを売り、安易に自己承認も得ている一部の女性を男が「女はずるい!」と叩く。
でも、そんな事ができる性の生き方は辛いだろうな、とも思う。
男と女、どちらが辛いと比較するものじゃないけど、男よりも女性の辛さは複雑で、どれを選ぶにしても(選ばないにしても)自己責任を押し付けられる生き方は厳しいと思う。男の辛さも簡単ではないけども、女性は年齢とともに役割と身体がめまぐるしく変わり、それにつられて求められ方も変わる。
僕は、見ず知らずの女性に数万円払えるほどお金もないし、あったとしても自分の為か家族の為にお金を使おうと思う人だけど、世の中にはお金で女性を買う事に躊躇のない人がいるのも知ってる。ひょっとすると僕がいつも遊んでいる連中にもいるのかもしれない(彼らがそんなにお金をもってると思えないが)
それだけのお金があるのは一部の男なんだろうけど、多かれ少なかれ男は性の対象として女の人を見てるというのは分かる(逆に比べればその対比のバランスの悪さが本当に悲劇でしかないと思う)。そして、女性は男性の欲望を当たり前として受け止める事に疲れ果てて諦めて、で、今、怒りを示している。
いろんな価値観がアップデートされている。「ねーちゃん、えぇケツしてんな」は失礼な事。
そのアップデートがで -
Posted by ブクログ
筆者は元AV女優で、慶應卒、東大院卒、そして日経の記者という、一見異色の経歴を持つ作家さん。人と自分を比べて卑屈になるのではなく、特殊な経歴をもてはやされても決して思い上がらず、相手を尊重しつつ自分にも自信を持つ。ごく普通で何の変哲もない人生を送った人に対しても敬意を払う、そんな筆者のサッパリとしたスタンスが心地良い。
そして、語彙力の豊かさは人としての魅力に比例するものだと思う。自分だけにしか経験出来ない物事とボンヤリとした感覚や想いを、その場その場で言葉にして記録する。刹那的な快楽の瞬間も、苦しく惨めな日々も含めて、生々しい現場と感覚を鮮明に残しておく。その繰り返しにより、言葉の一つ一つが血肉となって残り、自分の人生が厚みを持ち、後々になって生きてくるのだろう。
意外にも、AV業界では読書家が沢山いるという記述が興味深い。筆者のその方々に出会い、影響を受けているわけである。心身共にハードな仕事をこなす中で、文学によって自分を保っていたとも予測できる。けれども、日本の古典名作(源氏物語はじめ平安文学)に、色恋や逢瀬シーンが多かったことを考えると、古来から感性豊かな人達がその経験を言葉で記録していたという事実に納得がいく。 -
Posted by ブクログ
著者のことを乱暴に表現すると、とても拗らせている人という印象。でも、何か満たされなかったり惨めな思いをすることって、自分を客観的に見つめたり、世の中を冷静に捉えることに繋がって、大事なことなんだなと実感する。そんな拗れた思いを抱いた経験こそが人を強くするんだなと実感した。
就活において自己分析と業界・企業研究は基本だけど、人生においても同様に、自分のことと他者および世の中のことを考えるのは、いろんな矛盾や理不尽や退屈やストレスに折り合いをつけて逞しく生きていく上で大事だと思った。
そして、自分のこと、世の中のことを考えるきっかけとか材料として、やはり読書はとても効果的だと実感した。
我が娘たちに対しても、力強く生きていってほしいと願うからこそ、ときには不満を抱いたり惨めな思いをしたり悔しい気持ちになる経験もたくさん積んでいってほしいと思う。