寺地はるなさんの『いつか月夜』を読み終えた。ページを閉じた後も、心の中で余韻が静かに波紋を広げている。そんな読後感に包まれる作品だった。
タイトルに込められた意味
『いつか月夜』──このタイトルは「いつも月夜に米の飯」という諺から来ている。月明かりに照らされた夜、温かい米の飯。何不自由ない生活、満足のいく暮らし。しかし、人生はそう上手くは行かない。そんな現実への洞察が、このタイトルには込められている。
美しくも切ない、この諺の響き。寺地さんが選んだこのタイトルは、物語の本質を見事に言い表している。
深夜のウォーキングが導く「人生の旅」
主人公の實成が歩くのは、深夜の街。
静寂に包まれた時間帯に、彼は一歩ずつ足を進める。そのウォーキングを通して、實成は多くの人々と出会い、そして別れを経験する。
亡き父が遺した教え──「善く生きよ」。
この言葉の意味を、實成は深夜の道を歩きながら、出会った人々との交流を通して、深く考えることになる。それはまさしく「人生の旅」そのものだった。
歩くという行為が、同時に自分自身の内面を歩むことでもある。寺地さんの筆致は、そんな二重の旅を丁寧に描き出していく。
「善く生きる」とは何か──物語が問いかける生き方の本質
この作品の核心は、「善く生きる」とは何かという問いにある。
物語を通して、實成が、そして読者が辿り着く答えは、決して一つではない。しかし、その過程で示される数々の気づきは、私たちの日常に深く突き刺さってくる。
「まじめ」が悪口にならない世界があるべき姿だということ。現代社会では、真面目であることが時に揶揄の対象になる。しかし本来、誠実に生きることは賞賛されるべきことではないだろうか。
他人をコンテンツにして楽しまないこと。他人の事情や誰かの失敗や不幸を面白おかしく消費する風潮に、この作品は静かに「否」を突きつける。
慣れる必要のないものに慣れないこと。理不尽なことに慣れてしまえば楽になるかもしれない。でも、慣れてはいけないものもある。その境界線を見失わないことの大切さを、物語は教えてくれる。
他人の言葉に流されずに自分で決断すること。情報が溢れる現代だからこそ、自分の軸を持つことの重要性が際立つ。
関係性の中で見出される「善さ」
物語が示す「善く生きる」ことの指針は、多くが人との関係性の中にある。
自らの願望を他人に押し付けないこと。大事な存在を縛りつけないこと。愛する人だからこそ、その自由を尊重する。簡単そうで、実は最も難しいことかもしれない。
やってみることもせずにあきらめないこと。可能性を自ら閉ざすことの愚かさ。實成の旅は、そんな勇気を読者にも与えてくれる。
特に印象的だったのは、子どもの物分かりの良さを賞賛せず、わがままを言うことを許すという視点だ。大人の都合で「良い子」を求めることへの批判。子どもが子どもらしくいられる空間の大切さ。寺地さんの優しさと厳しさが同居する、鋭い指摘だった。
相手の考えを否定せず、脅かさないこと。相手の話を素直に聞くこと。コミュニケーションの基本であり、しかし私たちが日々忘れがちなこと。
現実を直視する勇気
物語は、耳障りの良い言葉だけを並べるわけではない。
嫌な目にあったのに、不幸中の「幸い」だなんて言うのはおかしい──この指摘は胸に刺さった。辛い経験を無理やりポジティブに解釈しようとする風潮への抵抗。嫌なものは嫌だと言える正直さの価値。
誰かのために行動することと、誰かが喜んでくれることが嬉しいことはイコールではないという認識も重要だ。善意の押し売りにならないための、繊細な感覚。
おかしい人に合わせて行動を制限するのはおかしいという当たり前の主張も、実際の社会では声高に言いにくい真実だ。
言葉は通じるのに話が通じない人がいる──これほど的確な表現があるだろうか。コミュニケーションの難しさを、この一文が端的に表している。
自分自身であることの自由と重さ
物語の終盤で示される視点は、さらに深い。
何を成し遂げても何をやらかしても自分自身であることからは逃げられないという現実。成功しても失敗しても、自分は自分。その事実を受け入れることの重さと、同時に解放感。
そして、何者にもならなくて良い自由。
現代社会は「何者かになれ」というメッセージで溢れている。しかし、何者にもならなくていい。ただ自分として生きていい。その自由を肯定してくれる言葉に、どれだけの人が救われるだろうか。
さびしさを自分のものだと言える自由も同様だ。孤独や寂しさを否定せず、それを自分の感情として受け入れる。そこから始まる自己理解がある。
「寺地メソッド」の結晶
今作も、いわゆる「寺地メソッド」が多く詰まった作品だった。
日常の中の小さな気づき。人との関わりの中で見出される真実。優しさと厳しさが同居する眼差し。そして何より、読者に「考えること」を促す問いかけの数々。
寺地はるなさんの作品を読むたびに思うのは、その誠実さだ。読者に媚びず、かといって突き放すこともなく、ただ真摯に「善く生きる」ことについて考え続ける姿勢。それが、多くの読者の心を捉えるのだろう。
深夜の静けさの中で
『いつか月夜』は、深夜の静けさの中で読むのがふさわしい作品かもしれない。
主人公の實成が歩いた深夜の街のように、静かな時間の中で、この物語は読者の心に深く染み入ってくる。
「善く生きよ」という父の教え。
その答えは、きっと一つではない。でも、この物語を通して、私たち一人一人が自分なりの答えを見つけることができる。それこそが、この作品の持つ大きな価値なのだと思う。
いつか月夜に米の飯を食べられる日が来るのだろうか。いや、そんな完璧な日々を求めるのではなく、不完全な日常の中で、それでも「善く生きる」ことを模索し続ける。そんな生き方を、この物語は静かに肯定してくれている。
寺地はるなさんの『いつか月夜』、多くの人に手に取ってほしい一冊だ。