川上弘美のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレタイトル、すごく明るい意味だったんだなぁ
「今度は二人で一緒に、同じ森に行きましょう」って、最上級の愛だ 愛おしさだ
ままならない
人生の中には生きているだけで選択肢が山ほどあって、自分だけの選択ではなくて環境で決まってしまうことや、後になってからそれが選択肢だったのだとわかることもある。どういう道を選んでいても間違いではないし、どうなるかは誰にもわからない。自分でどうにかできる部分もあるし、できない部分もある。
よくあるゲームみたいに、ハッピーエンドルートとバッドエンドルートの2つしかゴールがないのと人生はやはり違っていて、不満もあるけどまあ、幸せかな、みたいなそういう人生になっていく。
という感覚
すごく分厚い本だったから時間はかかったけれどつらくはなかった
殺人の本を書いた話のあとに、殺人をおかすルートの主人公がでてくるのは、目が覚めるというかゾワッとしたのだけど、よくできているな…と思った
-
Posted by ブクログ
ネタバレある商店街の魚屋、そこに少し関わる人たちと、更にその人たちにちょびっと関わる人たちのそれぞれの物語11編。
こういう、ある場所でのさまざまな人のあれこれ的な連作短編が好きだ。
電車で長距離移動すると、見える家々のほぼすべてに人が暮らし、それぞれにそれぞれの時間があることに、うわーって気持ちになるけど、それの規模小さく高解像度で見ている感じ。
商店街で少しだけ関係している人たちにも、当たり前だけどそれぞれに色々なことがあり、他の人が思いもよらないことを経験し、自分が1度も気にしたこともないことを考えながら生きている。
それらを俯瞰的にみることは、通常ない。それぞれ色々なことは事実としてわかっているし、幾つかのエピソードを知っていても、そのときの心情とか細かいところまで考えが及ばない。
しかし、事実として、すべての人にそれぞれ違う色々があり、考えていることはわからない。
川上弘美さんの小説の多くで感じることだけど、この人の本に出てくる人(人以外も)の言葉にドキっとさせられることが多い。
日常の中ではすぐ消えてしまう、そう思ったり感じたことすら忘れてしまうふわふわと曖昧な気分を言葉にしてくれる。
そういう言葉に触れるたびに、言葉にならなかった感触に言葉を与えられた気持ちよさを感じる反面、自分も感じていたそういう感覚を忘れてしまっていて、そのちょっとしたひっかかりとか気づきについて考えたり言葉にしたりすることをやめていることに気づかされ、さぼっているのがばれたみたいな気持ちにもなる。
毎日同じようなことをして、同じようなことを考えているようで、実は微妙にちがうことを感じたり思ったりしている。毎日同じ、とすることで楽になる部分もあるのだろうけど、毎日微妙に違ったり、言葉で分けられない感情や感触を実は毎日味わっている、というか、分けられないその場かぎり、しか実はない。
雑に言葉を当てることで、毎日が同じになってしまう。
そんなようなことを思ったり。
あと、女性の名前がなんだか味わい深い。
佐羽 時江 あけみ 衿子(えりこ) 央子(なかこ)など。 -
Posted by ブクログ
さらっと(それでいてわくわくして)読んだが、今までの中で一番心に残ったエッセイだと思う(著者の中で)。
川上弘美さんが小説を書かれるとき、まずはじめに全体の「雰囲気」を決められていることを知った。
内容や筋道については曖昧なままでいいのだが、雰囲気が決っていないと書き始められないと。
笑えばいいのか悲しめばいいのか判断のつかない微妙な、
道端の空き缶を蹴ってみたが外れて気まずい、
世の中の全部を許してしまいたくなるうきうきした、
例えば、そういう様な雰囲気。
著者の小説を読むと、それぞれ独特の空気がある、と伝わってくるのはそのせいなのだと思った。ふわふわして掴みどころがなく、時々奇妙でそれでいてその中には現実の問題、その先に希望が見える。一つ一つ違う雰囲気。
背筋がぴんと伸びておられ真面目でそれでいて、(天然系の)面白さ、ときに少女のような可愛らしい雰囲気(私などがいうのはとても僭越なのですが)。少し向こうから微笑んでおられるような川上さんのイメージがそのまま表されているエッセイだと思った。
セーター 霜月
毛玉ができた男の子のセーターのお話。(私も)男性がセーターを着ることがなんかいいな、と思っている。のでとても印象に残った。
スランプのお話
時々スランプはやってくる。仕事、人間関係でなく「生きていること自体」のスランプ。助けて、と誰かに言っても、誰も助けてくれない。誰かに助けられるのも、本当は困るし(そうだ!時と場合にもよるが、自分で乗り越えなきゃ、ですよね、助けてもらったとしたら後にひくし。ただ言ってみたいだけ、誰か助けてって)。
そういう時はどうするか。
そういう時には、水のたまった瓶の底に沈む小石のように、ただ一人しんとしている。
(そうか、ただ一人しんとする!) -
Posted by ブクログ
わたしには、1〜6までと7〜13では違うお話のように思えました。前半登場人物が増えていき取り止めもない日々が穏やかに過ぎていってとても心地よく感じました。後半になりオトヒコさんとユリエちゃんがいよいよ親密になって鈴本が現れてから、不思議なことがよくおこるようになるからかもしれません。やっぱりミドリ子は紅郎をそういう意味で好きだったということなのでしょうか、ふわふわしてわからないことがあるままのところが良かったです。
「ほんとはしっかりしてるんだけどね。しっかりしない自分が嬉しいみたいね」というユリエちゃんの言葉はまさに恋に恋する初期の頃を言い当てているように感じました。
余談ですが、ちょうどお昼に読み終えたので、昼食を湯豆腐にしました。手作りでなくパックだけど、おろす生姜でなくチューブだけど、ネギを刻むのが面倒で鰹節をたくさん振りかけたけど、しみじみ美味しかったです。小説に出てくるのと同じ食べ物を食べるのって特別な感じがしてうれしくなりますね。 -
Posted by ブクログ
穏やかな秋の日、お日様があたるお気に入りの場所でこの本を読むと、ほっこり癒されます。
解説でも書かれていますが(串間努さん著)、「川上さんにはもっと人にいえないような体験がきっとあるに違いないと思いますが、それは私も同じなので、大人なるものそのようなことは詮索しないものなのであります」
きっと大変な半生を送ってこられたのに、「なんとなく」な日常を、さらりとありのままに表現されている。読み手のほうは、ゆるく楽しんでおられる様子に安堵し笑えてしまう。そういう言葉選び、起こる出来事を面白く捉えられてクスっと笑えてしまう。肩の力を抜かせてもらえる。
例えばこんなところ、
お葬式の帰り道、河童に会ったという彼女(お知り合い?)のお話。河童に似た生き物、あるいは河童らしきものではなく河童。「ほんとうなの、その話」
そのたびに彼女は真面目な顔つきで深く頷くのであった。
のせられ、居るわけないと思いながら思わず河童の顔が浮かぶ。
これは自分(私)か、と思う所もあった。人の顔を正視するのが苦手なところとか、行きつけのお店を作るのが苦手(私の場合は、どこまで距離を近めていいか戸惑う、次もしゃべるのかと戸惑う)とか。そうそうほんとうに、と思うこと多い。
なんとなくな日々1
つくづく川上弘美さんは海沿いが似合うなと思う。東海道線下りに乗り、熱海方面に電車で揺られがたごと行く。一人でも、大事な人と二人でも良い(グループは合わなさそう)。
ここも好き
雨はなかなかやまない。わたしはやきとりの串を持ったまま、雨をじっと眺めている。春の雨をじっと眺めている。 -
Posted by ブクログ
タイトルのようにふわりとしてそれでいて濃い、印象的なエッセイでした。まるで、そこにあるかのように目の前に情景がうかびました。
例えば、地下鉄の広尾の駅を上がったところに見える「逃げ森」のお話とか。本当に目の前に緑の木々が広がり、都会の空気を感じることができました。
そして、11月になると散歩に行きたくなるお話。井の頭公園での場面。小学生の鼓笛隊のお話。鉄腕アトムを演奏する楽器の音が聞こえてきそう。あったな自分もそういう、目にしたけど語らないこと。なんてことない日常なのだけど。その風景は見る人によって、希望に満ちてはつらつしたものにも、もの悲しくも、ざわざわにも映る。どのようにもとれるありのままの描写に心はまりました。
いきなり「ぶはっ!」と笑えることろも沢山あった。
これはきっと笑わせようとされているのでなく、笑えてしまうのだ。
「魚の顔」「不明」「小説を書きはじめたころ」、このあたり、とても興味深く読めました。
「活字のよろこび」では著者の本、活字への強い思いが伝わってきました。
いちばんは「元気ない回路」に入りこんだときについて書かれている、読書日録。
この回路には、自分きらい、人きらい、もの考えない、もの考えすぎやらの路があって、入り込むとなかなか出られない。私も思い当たる。
そういう時、人と会う、お酒などのむ、なんていう方法もあるがそれがままならないとき、「本を読む」。
私も(私も、というか私はというか)、現実逃避したいとき(というか、頭の一部分で自分だけの楽しみや世界を持ちたいとき)本を読むということをする(前はそう読まなかったし現実逃避と思う所もそうなかったが)。
読んで癒すって、これはさみしいことか。と思ったりもした。
が、著者は、「そんなことはないと思う。(中略)好きな本を読んで、それからきのうあったことや、変なことや、おとといあった困ったことを思い出すと、それがたいしたことではなく思える」と言っておられ。とにかく「読む」ことを語っておられ嬉しくなった。
愛読書も沢山載っていて参考になった。
随分前の本ですが、これでかなり頭の中、川上さん漬けになった。(再読) -
Posted by ブクログ
リリ35歳。世間で言う、恵まれた結婚をしている。が、最近夫の幸夫のことがあまり好きではないと気づく。例えば、夫のふとした仕草。髭を剃るその掌の動き、とか。たてる音。はっきりとした咳払い、とか、そういう感じ。
リリは思う。そういうところが嫌いなのではない。幸夫を好きと信じてた頃はそれさえ愛していた、と。
なんなんだこの感情は?幸夫にではなく自分に向かっている感情って。
そんなころ、夜の公園をひとり歩くリリは、マウンテンバイクを飛ばしている9歳年下の暁と出会う。
夫幸夫は、リリの親友春名の猛烈な押しで関係を持つようになる。ありえないな、春名という女性。親友の夫に会った瞬間に。「リリは春名のその目に気づいた」とある。
しかも、春名は他にも複数の男性と関係を持つ。火中に身を投じるタイプなのでしょうか。
沢山心にはまるところがあったが、あえて一番は、幸夫が一番なのはリリだというところ。
リリ、君が私は好きなんだどうしてわかってくれないんだ。(心と体の求めるものは違う。)
幸夫が泣くところがある。
手を伸ばせば届きそうなところに幸せはあるのに、どうして、伝わらない。
リリはなぜ親友春名にぶつからない?幸夫に問い詰めない?読んでいてもどかしくてしかたなかった。あるいは春名は幸夫がリリの夫じゃなかったら、魅力を感じた?誘惑した?
不安、悲しみ、怒りや嫉妬そして喜び、それぞれの感情が入り混じっていた。
これは、夫幸夫、恋人暁を通して、リリと春名の、理屈でなく切っても切れない友情が描いてあると思う。
なぜなら、最後には、
春名、リリは心の中で呼びかける。
春名、あなたは今、さみしい?
あなたにあえないことだけが少しだけ私、さみしい。
最後に呼んでいるのは春名。
最終的にリリは、「今わたしここにいる」と、ほろほろと流れる時間の中。
子供を産むため、空をまっすぐに見上げ、リリは大きく強く、両の目を見開いた。
リリと春名が同じ感情を抱え持っている。
わたし、どうすればいいんだろう
わたし、どこにいるんだろう
わたし、どこに行くんだろう
わたし、ここにいるんだろう
という言葉。
(私的に)あまり波がなく、それがここちよく、とても心に触れて綺麗なストーリーだと思いました。