森博嗣のレビュー一覧
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ネタバレ最初から疑いの目を向けなかった人物が犯人だった。アリバイがあると思い込んでいたのに、「そうくるか」という驚き。前提ごとひっくり返される逆転の発想が凄かった。
謎を解き明かす過程で「境界条件」など数学的な言葉。数学の問題を解くように推理が進んでいく論理性が面白い。
寒地を再現する大学の実験施設。西之園が現場で「冒険」するシーンは手に汗を握った。
犯人は天才だと思った。シャッターの誤算がなければほぼ完璧だった(詰めの甘さはあったにせよ)。最後まで読むことで動機が少しずつ明かされ、行動の意味がパズルのようにつながっていく。読後の「納得感」はそこから来ている。残ったのは怖さよりも、常人には到達できない頭の良さへの敬意に近いもの。
「学問とは虚しいもの」「数学は役に立たない。役に立つ必要ないだろう?」とか。散りばめられてる金言が好き。
3巻購入予定。コミカライズ版も気になってる。 -
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傍観者にとって筋の通った「動機」と、殺人者にとって筋の通った「動機」とは
Vシリーズの1作品目。S &Mシリーズから舞台と登場人物を変え、始まった新シリーズは前回よりもはるかにキャラクター性に個性あり、そして前回の名作「すべてがFになる」を彷彿とさせるような殺人後の動機の独白であった。
読み進めるとS &Mシリーズは意外とキャラクターが大衆性のアイコンがある。犀川先生も理系の教授らしいあまり人に興味がない人でスタートしたし、西之園さんもよくあるヒロイン像としてスタートしていた。一方でVシリーズは女性の格好をすることが好きな男性キャラや、旦那と離婚しシングルで子育てしている女性キャラなど、その背景はまだ語られていないもののこれから明らかになるのにワクワクする、どこか大衆とは違うものを感じる。
殺人については森博嗣さんの得意とする密室。今回は被害者の殺されることによるメリットや殺される要因などを分析していけば筋が通った手段や犯人像を分析することができるし、この「手段」という面においては読み手に対してフェアな関係性である。
一方で「動機」や連続殺人の「法則性」が解き明かされるとそこには読み手と殺人犯の中で明らかな乖離を感じる。読み手としては大衆的な、客観的な筋の通った「動機」を求めているのに対し、殺人犯は個人的な、理解の範疇を超えた、一見筋が通っていない「動機」を提示する。この乖離こそが森ミステリの真骨頂でもあるのは「すべてはFになる」と同様、そこのオマージュの要素もあるのかなと感じた。
読み手にとって理解したいと思った「動機」。ただそれはあくまでも個の中に存在するものであり、皆が理解できる歩み寄れるものでは本質的にはない。猟奇的とか狂気的ではないが、その個に特化した「動機」をどのような角度から読み解くのかがこれからも求められていくのであろう。 -
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ネタバレ寂しいという感情が分からなくて読んだが、これは私のような人間に向けて書かれたものではないと感じた。
寂しいという感情がなぜマイナス感情として捉えられてしまうのか、孤独と寂しいという感情の関係、寂しいを昇華させる方法についてなどが書かれていて、「今どうしようもなく寂しくて、寂しいという感情を理解した上で寂しさを軽減したい」という人にはおすすめかもしれない。
本書を通じて最後に感じたのは、私は「寂しいという感情をあまり感じないことが寂しい」ということだった。この本は一貫して「寂しいという感情をマイナスとして捉えるのは間違っている」「その感情は人として必要な感情だ」ということを説いているが、初めに言った通り私はあまり寂しいがよく分からないし自覚したことがあまりないので、この本の感想は「寂しいをマイナスと捉えられるひとは寂しくないときをプラスに捉えることができるということで、私のような人間よりは感情の振れ幅が大きそう、幸せの最大値が違いそうだな」というものになった。
私は友人が周りに沢山いても、孤独の良さを知っているから「孤独を失った」と感じてしまう。しかし、自分から寂しくなる状況(孤独)を求めてひとりで過ごしていても、人が周りにいることの良さを知っているのに寂しいということを感じたことはないと思う、これが矛盾していて何故かはわからない。
仮説としては、今のところ人との繋がりが自分のキャパに対して丁度いいか時々超過してしまうからなのか、偶然自分の趣味が孤独と相性がいいためか、と思う。
とりあえず、寂しいを自覚できる人間は自分の生存本能を強く感じやすくて、早々に人に頼ることができるサインなんじゃないかと思った。寂しいを感じにくいということだけで自分を悲観するのはもったいないので、楽しく生きていこうと思うჱ̒( . ̫ . -
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ネタバレ他に比べると、とても読みやすい。
そして、練無と紫子の会話が楽しい。紅子は二人ほどは
話さないけど、存在感は大きい。
大人になっても、こういう友人がいたら楽しいだろうな…
ちょっと羨ましい。
実在(した)する人間の顔をかぶり、恨み、復讐を考え
るほどの人がそうそういるとは思えないけど、人は皆、
何かしらをかぶっているんじゃないかな。
人間は本当に複雑。
事件とは関係ないところでサプライズがあって、えっ!?
となった。笑った。
紅子の発言には今回も印象に残るものがいくつかあった
けど、今回はこれを残しておこう。
「報道というのは、私たちの目や耳を補強してくれてい
る、と思うでしょう?そうではなくて、足と頭を動かな
いようにしているだけなのよ」 -
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読み手の推理の「型」に犯人は、はまるだろうか?
S &Mシリーズもだいぶ終盤になってきており、今回の事件は複雑な同日の別空間、しかも密室での殺人というまたミステリーファンと実は「どうやって?」を解き明かしたくなる作品、そしていつもより結構分厚い。次の作品はもっと分厚い。
ミステリーファンとしては今までの読書体験から積み上げてきた自分の内部にある推理の型に当て嵌めながら推理を進めて、「どうやって」を明らかにしていき、推理の当たり外れに一喜一憂し、意外性のある動機、「どうして」を楽しむというのが一般的。そこに王道性とか、賛否両論とかを見出している。
一方で今作品、核心には触れないが一見「どうやって」が大事そうだけど、実は「どうして」の方が作品内で重要。あからかになった真相と動機に対して我々の推理の、思考の、倫理の「型」は当てはまるのかどうかを味わってほしい。
確かに反抗に及ぶものの思考回路を我々の常識の型に当てはめるということは無理があるケースがある。常識の外の行為を、常識の中から「観測」するのは難しい。
我々も生きていく中でどうしても自分の、自分たちの「枠組み」、「型」に当てはめ、他者とのコミュニケーションをとっている。だからこそ「型」にはまらない人に怒りや憤り、拒否などが生じる。しかしながら人は元来それぞれ異なるが故に他者が自分の「型」に必ず当てはまるといった「期待」や「願望」を捨て、目の前の事実に向き合うのも大切かもしれない。自分が抱いた勝手な「幻想」にヤキモキしないためにも。