あらすじ
勉強が楽しいはずない。特に子供が勉強しないのは「勉強は楽しい」という大人の偽善を見透かしているからである。まず教育者は誤魔化さずこれを認識すべきだ。でなければ子供が教師の演技を馬鹿馬鹿しく思い両者の信頼関係が損なわれる。僕は子供の頃あまりに美化された「勉強」に人生の大事な時間を捧げる必要があるか疑った。が、現在(正確には21歳から)は人は基本的に勉強すべきだと考える。そう至ったのは何故か? 人に勝つため、社会的な成功者になるためではない。ただ一点「個人的な願望」からそう考える理由を、本書で開陳する。
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Posted by ブクログ
相変わらず天才である。森博嗣による勉強とはなにか、教育のあるべき姿とは?
本人は天才なので淡々と語る。自分の研究をするための基礎学力としての小中高の勉強がある。記憶中心の学校の勉強は本来の勉強ではない。大学に入って知のフロンティアを知って世界で誰も知らないことを研究し始めてからが勉強の真価が発揮される。
本人は子供たちに対しても勉強しろとか言ったことはないそうである。それでも自分は国立大の助教授だったし、勉強してる親の姿を見せてたのが良いかもしれない的な。親も変わってるので子供も変わってるんだと思う。家庭の団欒とかは興味ないらしい。
至って本人はとても楽しそうな老後を過ごしているので良いと思う。それも勉強をしてるからこそ。勉強して教養を身につけると世界の解像度が上がるのは間違いない。どうでもいい事を極める為に勉強するのは悪くない。
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エッセイに近い形で綴られる勉強の価値の本。勉強の楽しさは、創造にある。自分は何をしたいのか、何を知りたいのか、どのように勉強したらいいのかを考えることが既に勉強の始まりであり、自ら行う勉強はきっと楽しい。
自分以外を基準にしたり、外にモチベーションを置きがちな勉強の意味を、改めて考えられてとても面白かった。
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森博嗣さんの本は飄々としていて、凝り固まった私の考えに新しい視点を与えてくれるので最近はまっていて、気になったタイトルがあったら手に取るようにしている。
現在、試験勉強をしたり英語の勉強をしたりと、勉強を日常に組み込んでいることもあり本書を読むことに。
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森さんによれば、勉強の楽しさは作りたいものへ近づくプロセスが生み出している。そのため、教える側が手を差し伸べすぎると勉強はつまらなくなってしまう。
学校教育ではかられる個人の能力さの優劣は、人間の優劣ではない(森さんは学校の集団教育に懐疑的)。学校の試験において数値で測られる経験を通じて「いかに知識を蓄積するか」が勉強であると勘違いしてしまう。
ただし、学校教育に意味がないわけではない。
子供の時にイヤイヤながらも広いジャンルを勉強したからこそ大人になって選択して学べるようになることもあるためだ。
ただ、多くの人が勘違いしているのが、「学びたい」という気持ちを「教えてもらいたい」と解釈してしまうことである。
本来、創造的な体験は、自分の頭の中から湧き出るもの、極めて個人的な経験であるため、外部からは、せいぜいヒント的なものしか得られない。「教えてもらう」姿勢では主体性がなくなってしまう。
そのため、自分を自分の先生にして学ぶのが一番いいのだが、そのためにどうすればよいか。森さんは「考えることから始めましょう」と述べている。
問いを考えたら、調べたり周囲に助けを求めるのではなく、まず自分が答える。
名前という知識があっても、それがどういうものかがわからないと教養とはいえない。そういった知識の集積はコンピュータのほうがはるかに得意だし、知識を収集しても本当の勉強ではない。答えることよりも問う方がずっと難しいのだ。
「気づく」と「思う」「考える」の違いについての森さんの考えが印象的だった。
「気づき」は、ある像について「思う」ときに、予期しないところから湧き上がる別の「思い」があり、それらを関連づけることをいう。
本当の楽しさは個人的なものであり、自分一人でも楽しくて仕方がないものではないだろうか。
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学校教育の中でいかに高得点・好成績をとるかを意識して来た身としては、目が開くことばかりだった。
制限時間のある試験は、発想できない子どもを作るのではないか?との問いかけにドキッとしたし、「勉強する」≠「教えてもらう」については反省するしかなかった…
数学の応用問題が苦手な自分には数学の面白さが今までわからずにいたのだが、「おもしろい数学」のような本を読んだりしてわかった気になるのではなく、自分の中から湧き上がる「これがしたい」「これはなぜだろう?」という動機によって動かされないと本当の面白さは分からないんだろうなと感じた。(N=1ではあるが)研究者の考えに触れられたような気がして、やはりおもしろい読書体験だった。
試験等の目標に向かって頑張るのもいいが、それで本当に何がしたいのかを忘れないようにしたいと思ったし、心から楽しいと思える活動が見つけられれば幸せだろうなと思った。
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暗記ものの勉強を諦めた
たしかにそうだよな。自分で暗記するよりも、調べたり、メモしたり、大人になったらカンニングし放題だもん。限りある記憶HDをそこに割いてしまうのは勿体無い
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端的に分かりやすく、勉強とは何か? を書かれてました。
「勉強が楽しく感じられる条件は、知りたいが先でそのために勉強する」
には、物凄く同意。
森博嗣の本は、小説もだけど新書も面白いなあ。
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この本は全ての勉強に悩む人々にとって大いなるヒントになる一冊だと思う。
勉強する楽しさは自分一人で見つけなければならない。なぜ勉強するのか、何を勉強するのかを他人に問うてはならないということ。そこに勉強のいちばんの楽しさが潜んでいる。
筆者の生活は勉強を愉しむ人間のこうありたい姿そのものな気がする。
子供時代の謎が解ける一冊
勉強という大きな概念を丁寧に紐解いて解説した本です。
そりゃそうだ、と思う一方て、その発想はなかった…と唸りながら不思議と納得。
身も蓋もない話だけど、だからこそ本質がみえてくる…今作も森博嗣節が炸裂しています。
自分か子供時代に漠然と感じていた勉強をすることへの不満、反発、今もなんとなく残る子供時代に抱えていたモヤモヤや謎が解けたような気がします。
Posted by ブクログ
変な内容の本だと思いました。悪口、批判ではありません。変わった視点、理解するのに少し考え込んでしまう主張、おそらく書名で手にとった人のニーズと作者の執筆の意図がずれる可能性が高そうなこと、でも読み進めてしまう。
そのような本です。
象徴的なのが、次の一文です。なんとか我が子に勉強させたいと思って本書を手に取った人は、この解説に目が点になるのですが、それでも読み進めてしめうのです。
「ほとんどの人が既に理解していることなのに、教育者や指導者がけっして口にしない正解。すなわち、「人間には個人差がある」というのが答である。遺伝的なもの、生まれながらのものが、最終的には支配的になる。簡単にいうと、努力をしても、才能を超えることはできない。」
著者はとても地頭がよい方と思いました。橘さん、藤原さんの著者を読んだ時と類似する、面白さを感じました。
読後の受け止めついて、多くの人と語りたくなる、そんな作品でもありました。
Posted by ブクログ
森博嗣先生のミステリィが大好きなのでその一環で新書も読んでみようと思ったもの。森博嗣がどんな人物かが垣間見れて嬉しかった。抽象的な話が多いが、「どうして義務教育の勉強はつまらないのか?」「真の勉強とは」というテーマは納得させられた。子供から大人まで読んでみる価値がある本だと思う。
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私が学校教育に対して感じていたことがそのまま書かれているような本だった。「勉強すること」の本来の意味理解をするための手助けをしてくれるような本。
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かなり良かった。
「勉強は楽しくない」から始まり、「作りたいものがあって、それを実現するための勉強は楽しい」に落ち着く。
勉強というと受験のような競争が想起されるが、競争に意味はない。楽しいことが一番だし、勉強は最高に楽しい。
Posted by ブクログ
勉強と聞くと何を感じるか。
嫌い、わからない、やりたくない。
あまり良い思い出はない。
しかし大人になって、もっと勉強しておけばよかったと後悔している。
勉強というのは、人の能力を高めるすべての行為のこと。生きる人間の価値を高めるもの。
学ぶ目的、勉強というものの本質は何か考える。
ものすごく心に響いた名言がありすぎて、忘れないように繰り返し読む必要がある。
子供を持つ人にもおすすめします。
子供にきちんと勉強の説明ができるように。
勉強しない子供にイライラする前に、まずは自分が勉強すること。
一生懸命勉強している姿を見せることが、一番の教育になる。
大人になってからの勉強は、興味があることを、楽しく学びたい。
Posted by ブクログ
勉強は目的ではなく、ある目的のための過程である。よって、その過程である勉強が楽しくなるのは、勉強することで夢が叶うという目的(ゴール)が明確にある場合である。
義務教育は「学ぶという方法」方法を学ぶ場所であるため、「つまらないが我慢するしかない」
多くの日本人にとって勉強とは「知識を頭に入れること」、すなわち「インプット」であるため、応用は「教わっていない」となってしまう。だから、「アウトプット」も勉強であると認識を改める必要がある。
スポーツであれば、運動場などインプットの成果をアウトプットする場と機会が多くあるが、勉強においてはテストぐらいしか知識を発揮する機会はない。このインプット過多で、アウトプット不足が勉強嫌いにつながっている。
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神田の三省堂書店神保町本店で、配っていた冊子『夏新書』からの一冊。
たくさんメモはとりましたが、書き写すのが大変なので、第7章の結論のみ書きます。
メモしたことは、自分が既に体験としてわかっていたことが多かったです。
わかっていたことをまとめて本にしてくれたような本でした。
第7章本当の勉強はとんでもなく楽しい
○自分が何をしたいのかを知らない人は、自分で楽しみを作れない。
どこかにあるはずだと探し続けるうちに、宣伝に引っ掛かり、釣り上げられる。そこで、ちょっとした楽しみに高額を支払い、それが人生の楽しみだと思い込んでしまう。本当の楽しみを知っている者から見ると、なんともったいない話。
自分の楽しみを見つけることが「勉強」といえる。
これが本来の「勉強」である。
○何を勉強したら良いのか、どんな方法が良いのか、という疑問を他者にぶつけないようにしてもらいたい。それを考えることが勉強の第一歩。
学校の勉強、競争のための勉強、人と同じ勉強、教えてもらう勉強では、その一歩を飛ばしてしまうから本来の楽しさは失われる。
○そして教育とは、大人が楽しく勉強しているところを子供たちに見せつけることなのだ。
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試験ではなく、学生に質問させてその質問の質で評価していたという話が印象的だった。
答える力よりも、問う力を鍛えるほうが、勉強になるというのが目から鱗でした。言われてみればその通りなのですが。
インプットよりもアウトプット力がいかに大事か。
先生の講義を聴くだけのスタイルは、ボーッとテレビを観ることと同じ受動的な行為。
飄々とした書きぶりが、よかった。
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勉強について様々な視点から考察したもの。身に付く勉強法は、人に教えること。人に教えるには、教える時間の何倍もの時間をかけて準備するという著者の経験からのコメントが印象に残った。
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他の方も書かれているように、抽象的かつ哲学的な印象を受け、途中少し退屈してしまった部分もあるが、これまでの自分自身と比較し、全体的に納得できる内容だった。また度々入る例えが分かりやすかった。
結局のところ勉強とは、能動的でないと楽しいと思えるようなものではないし、身に付くこともないという前提がある。だから受動的では意味がなく、子供に勉強しろと言っても必要性・重要性が分からないのも当然だし、勉強がつまらなく感じるのもごく自然なことである。自分自身もそうだった。
振り返ってみると、中学生まで相当頭が悪かったが、「もっと知りたい」と思える対象を見つけてから、驚くほど勉強することが苦にならず、むしろ楽しいと思えるようになったことをはっきりと覚えている。
デジタル技術が普及し、そもそも何もしなくても情報が入ってくる受動的な現代社会においては、主体的に行動すること自体が困難になりつつあるように感じる。また、「勉強=受験に合格していい学校に入る=いい会社に就職する」という考えが一般常識のようになってしまっているため、興味対象を見つけて勉強を楽しめるというのは、実はとても贅沢で幸せなことなのかもと感じた。
自分にはまだ子供はいないが、将来子供ができた際には、興味あるものを好きなように学ばせ、自分自身も楽しみながら学ぶ姿を見せることができればと思う。
Posted by ブクログ
フラットは目線で勉強について哲学する本。私にはやや抽象的すぎて読んでる途中だらけてしまった感が無いではないが、作者は恐らく私と似た『陰』の者として共感をするところ多々有り。
思うにやはり『陽』の者は勉強しなくてもそれなりに人生楽しめるがそうでない者は一人で楽しむ何かが必要なのではないか、とも。作者の名前は小説シータやパイなどで良く目にしていたが新書も書かれることを知りました。
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1冊の本の中でモチベーションが上がったり下がったりとせわしなかった。日々学びたいと自分では思っているつもりだったが、果たしてそれを実行に移していただろうか?本を読んだり趣味の知識を深めたりの今の自分の行動は勉強といえるだろうか?考えても考えても今のところ答えは出ない。これからも考え続ける事が勉強なのか?
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『勉強の価値』
1.著者 森博嗣さん
名古屋大学、大学院、博士、助教授を務め、47歳で独立、作家へ。
2.著書目的
勉強とは?どんな意味、価値があるのか?
3.著者の原体験
大学四年生の卒業論文で、初めて勉強が楽しいと感じる。
なぜならば、誰もが知らない、残っている謎を特定し、研究をすることに出会えたから。
4.著書、著者のスタンス
①大人が子供に勉強しなさいというのは?
大人が勉強を楽しんでいない、義務のような捉え方をしているから。
②勉強する、勉強しないは個人の勝手
著者は気にならないし、著者の課題ではない。
③知りたいが先にある
迷うは機会である。迷うから解決する術を見つけようとする。そこが、勉強の始まり。
④質問は、理解して初めてできる
大学で学生にはテスト、レポートを課さなかった。
質問を課した。
なぜならば、理解しなければ、質問は出来ないから。
⑤知識自体は即効性で意味あるものではない。
ただ、生きるという長いスパンにおいて、知っておいて良かったという資産のような役割を果たす。
5.読み終えて
「初めての機会、環境」に直面した場合、知りたいから勉強をする。
「あー、そのような考え方あるよね。」と自身と比較して納得した。
そう、知りたい分野が先に存在していて、読みたくなる、調べてみたくなる。そして、まとめて、棚卸し/比較しでみたくなる。
身体、技能、そしてこころの全ての領域における、知りたいこと。
いずれの分野においても、「迷いつづけて良い」のだという「勇気」を教えてもらえた。
Posted by ブクログ
勉強とは?理解とは? なぜ子供は勉強が嫌いになり、大人は勉強をやらせようとするのか。そんな常識を改めて俯瞰すると違和感がでることがわかった。
自分が作りたいこと叶えたいことを考えて勉強に熱中する経験をすることが大切で、そのためにも考え、アウトプットすることを意識して行いたい。
Posted by ブクログ
大人にとっての勉強の価値について、著者が思うところを述べる一冊。
著者が学生として、または国立大学に勤務しながら「勉強」と向き合ってきた経験を基に述べている。
小説「すべてがFになる」で著者のことは知っていたが、趣味の工作に関する新書も読んだことがあった。
本書にも創作に関する話が書いてあったので、読むことにした。
ものづくりが好きな人は、ものづくりが好きな人の文章を好きになりやすいようだ。
特段変わった結論が書かれているわけではない。だが、「今やっている勉強って何の意味があるのだろう」と、ふと頭に浮かんだことのある人が読めば、初心に立ち返ることができるかもしれない。
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勉強は何かをなしとげるための過程として必要なもの
(釘を打つ訓練)
目的が見えない場合はつまらなくて当然
好きな目的に向けての勉強なら楽しくなる
自分に合った目的に向けての準備となるから
勉強に勝ち負けはない
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勉強の価値や、現在の教育制度、勉強への意識等が書かれた本。
「勉強」と「学習」を使い分けた方が良いと思った。学校での学習はやらなければいけないから「勉強」になるが、著者が言うような自分を高めたり楽しんでやったりするものは「勉強」ではなく「学習」ではないか。そこの使い分けをした方が、意味がスッと取り込みやすくなると感じた。
学習することの価値は自分でも感じていたところだったが、インプットでなくアウトプット重視にすることが大事だと改めて確認した。
普段学習する中で、意欲的な時とそうでない時があり、意欲的でない場合は単なる飽きと、他者の存在を気にして自分に集中できていない時だと自分の分析ができた。
Posted by ブクログ
「勉強とは、釘を打つ練習である。」
だから、楽しいわけがない。
楽しくなるとしたら、それは、その練習の先に作りたいものが見えている時だ。
勉強を楽しいものに見せかける教育とは、音楽に合わせて釘を打ちましょうと言うとの同じ。
試験で競わせるのは、釘打ちコンテストをするのと同じ。
どちらも本質ではない。
作りたいものが見つかるまで、釘打ち練習は楽しいわけがない。だから勉強が面白くない君は正しいと、と教えた方が良い。
なるほど。
本書冒頭のまえがき部分だけで、この切れ味である。
なにしろ局面局面での切れ味がすごい。
「『勉強が何の役に立つのか』と問われた時に僕は『あなたは何の役に立つのか?』と問うことにしている」
「義務教育において、1番大切な目標は、『自分の勉強の発見』だ、と僕は考えている。これを掴んだ子供には、もう学校の先生は必要ない。」
「早く未来の目標を決めなさい、と子供を急き立てるのは間違っている、と僕は考える。何故なら、子供はまだ広い視野を持っていない。そんな状態で、未来の可能性を限定することは、あまり得策とは言えない。」
「人の意見に反対するような場合、『あなたはこれも知らないのか?』といった物言いをする人が多い。(略)丁寧に説明し、『知った上でも意見は同じですか?』と尋ねれば済む話である。」
本書前半からいくつか、グッと来たところを抜粋した。
まことに切れ味が鋭い。
この本に問題があるとしたら、この本を読んで勉強を始める人はたぶんいないということだろう。
そういう人は多分、怒っちゃうから。
勉強してきた人は(少なくとも)そんなに腹を立てずに読めるし、共感することや、新たな気付きがあるだろう。
Posted by ブクログ
詰め込み教育による暗記力の優劣を勉強が出来る事と日本では言われてきた。ネット普及により知識を携える事の価値はどんどん減ってきている。自分で考える能力に勉強の価値を見出すべきだろう。勉強とは本来楽しく自主的にやりたがる物であるという著者の考えは理想論に近いような気がする。読むと考え方が楽になるような気がするが少し極論すぎるのでイマイチだった。
Posted by ブクログ
筆者も本の中で伝えているが、
本書は子供向けの本ではないし,子供に勉強させたい親が読んでも,ほぼ意味がない。
これは確かにその通り。
本書では大人がする勉強について論じている。
子ども時代にやっていたのは本当の勉強ではないんだよ。
子供が学校で習っているのは,大人になってから本当に楽しい勉強ができるための基礎体力をつけているようなものなんだよ。
本来の勉強はもっと楽しくてワクワクするものなんだよ。
と主張している。
そういう意味では、
学校で教わる勉強への筆者の立場は明快で、キレイゴトではなく本質を突いている点はとても同意できる。以下がその抜粋です。
「その学習は全然楽しいものではない。だが,のちのちの自分の可能性を狭めることつながるので,騙されたと思ってやっておくしかない。「楽しくないけれど,我慢しなさい」と説得することが正しい。」
Posted by ブクログ
「なんで勉強しなくてはいけないのか」という問いは中高生くらいまでは多くの学生が胸に宿す疑問だと思います。また大学生以降も「こんなの意味あんの?」「んなの将来使わないでしょー」という発言に形を変え、同質の疑問を引きずることもしばしばだと思います。
そんな、子供に問われて困ってしまうような疑問について、私の人生の中では一番しっくりくる回答を本作で頂いたと感じました。
・・・
その回答は本作のまえがきで早々に出てきました。ちょっと長いですが引用です。
「さて、(子供が)明確な目的を持つためには、少なからず人生経験が必要だろう。世の中には何があるのか。自分の可能性はどの範囲なのか。そういったことは、二十年くらい生きていないと理解することができない。つまり、夢を見るためには、最低限の基礎的なことを学ぶ必要がある。
そうしたうえで、自分はこれがしたい、というものを見つける。それからが、本当の勉強の始まりである。もう、そうなれば「楽しさ」というエネルギィによって、たとえ誰かに止められても前進し続けることになるだろう。
したがって、勉強は大人のためのものである。子供が学校で習っているのは、大人になってから本当に楽しい勉強ができるための基礎体力をつけているようなものだ。
本書は、子供向けの本ではないし、子供に勉強させたい親が読んでも、ほぼ意味がない。もし子供に勉強させたかったら、まず親が勉強すること。親が勉強に熱中している姿を見せること。そうすれば、「なにか楽しいことがあるのだな」という雰囲気が子供に伝わるはずである。教育とは、本来そういうものではないか、と僕は考えている。(P.31-P.32)
つまり子供の勉強は基礎体力作り、本当の勉強は自ら興味を持って取り組むもの。自分が好きで勝手にやることこそが勉強、とまあこういうことですね。
・・・
こうして始まった氏の勉強論には、確かにしたりしたりと膝を打つ内容が随所に見られました。
曰く、勉強というのは人の能力を高めるすべての行為。人それぞれにやり方があり、机の勉強だけが勉強というわけではないこと(1章)。曰く、勉強は勝つためにするのではないし、受け取り手の意欲がない限り成立しないのが教育であるということ(2章)。曰く、勉強の価値とはその内容の獲得ではなく、その過程で自己を知ることができるということ(4章)。曰く、得意不得意は問題ではなく単なる他人との差でしかないこと、また不得意・苦手の名の下で教科を排除するとその方面の可能性を失ってしまうこと(6章)、等々です。
・・・
こうした氏の意見は、近年のハウツー本にあるような嫌な勉強をなるべく効率的に・そして嫌ではないように自己暗示的に言い聞かせる?かのごときメソッドとは対極にあるかもしれません。それらで述べられる勉強の意義とは大抵は実利的・近視眼的であろうと思います。別にそれが悪いわけではありませんし、そもそも目指すところが異なるので比較すること自体間違いかもしれませんが…。
他方、好きになってしまい自発的に学ぶ行為こそ勉強という方向であることを考えれば、本書の先には読書猿氏のごとき「どのように学ぶか」という独学の地平が開けることと思います。
・・・
ということで元名大教授の勉強論でした。
語り口が平易で分かりやすく、内容も子供から成人にまで広く関わりのあるものだったと思います。その点では、筆者自身子供向けではないと言及されているものの、勉強が嫌いなお子さんから再度勉強を始めてみたいという大人の方まで、ひろく読書に値する作品であると感じました。
Posted by ブクログ
著者が書いている通り、子供時代の勉強は、確かに基礎トレみたいなもので、面白さとは程遠いものかも知れない。それは、自ら学びたいものを追求できるのでは無く、身に付けるべき事を広く強制的に学ぶ事になるからだ。このつまらなさを乗り越えた先に、その基礎を活かして研究する事に、勉強の楽しさがある。
よく議論になる小学校教育や詰め込み式カリキュラムの是非について。天才を育成するには日本式の教育では駄目だと。つまり、こうした義務教育の基礎的な要否については、意見が割れている。私は、著者のように、学問の体系を広く関知する意味でも現状のカリキュラムは必要だとする考えだ。
一方で、押しつけ教育が、だからと言ってつまらないものと言い切るのも拙速。押しつけられようが、それをクリアする事に、知的欲求は擽られ、ゲーム感覚でそこそこに学校教育は楽しかった記憶がある。先生に意見を言う、質問してみるだけで、随分鮮やかな授業になるのだが、そのモチベーションや授業スタイル次第では無いのだろうか。
Posted by ブクログ
勉強は大人がするもの。
子供には楽しくないけど我慢しなさい。
何かの役に立つことが、人間の価値。
大人は食べていくための金を稼ぐことだけが制約。
研究とは何がわかっていなくてどこに疑問点があるのかを考えること、謎を見つけること。
親が勉強している姿が、子供への1番の教育。
森家はTVを小学生の時は見せなかった。
自分は自分。
才能は多くの数を必要としない。
学生からの質問で点数をつけた。理解度がわかる。
発想することが人間で1番大切。
自分の楽しみを見つけることが勉強。