森博嗣のレビュー一覧
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ネタバレS &Mシリーズの3作目。
1.2作目はトリックが全く解けなかったが、今回は少しだけ推理が合っていたので嬉しかった笑
オリオン像が消えたわけではなく、逆の方角を見ているのでは?という所までは推理できたが、センターホールが回転したり、それを利用して殺人をした所までは思い付かなかった、、
赤と青の照明切り替えられるんかい、、
トリックはもちろん、本作は人間関係も面白かった。
萌絵のクラブ仲間が犀川の部屋に押しかけた時、「(萌絵の心のヒビについて)いったい誰が測っているんだ?ときいてやろうかと思ったが、度胸がなかった。汗が出ているかもしれない。」と犀川がタジタジなのは笑えた。最後の3. -
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「お人形がやったのです。それを私は見ていましたの。」
孤島のハイテク研究所で起こる密室殺人。どうやって殺されたのか、何故遺体が両手両足を切断されているのか、その複雑な謎に対して大学助教授の主人公が立ち向かう。往年の傑作と名高いミステリー作品。
!気に入った点
▪️今まで自分が読んだ小説よりもボリュームが多めだが、それに比例して状況描写や心理描写がしっかり丁寧に描かれている。
▪️登場人物の行動や思考にも説得力があり、特に主要な人物は読んでて好感が持てる。
!いまいちな点
▪️正直特にない。
強いて挙げるとするなら、描写が丁寧な分物語の動くスピード感みたいなものは控えめ。ただこれに関しては -
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冬はそう、「四季」の温もり
四季シリーズラストの作品、そして「四季」という一人の天才がどのような人物だったのか、どこから生まれ、どこへいくのかを書き表した作品。時系列も今までのシリーズとは違い、また過去や現在、未来が交錯するような複雑さ。
ただ純粋に四季という一人の女の子の中にある生きていくのことの縛りと死により得られる自由、人を天才だの凡人だのと定義づける社会の尺度といったものの中で、彼女の中にある人間との間に生まれる純粋な温もりを追い求めているように感じる。
彼女の頭の中では様々な実証実験も様々な結論づけも可能。そんな中で彼女が導き出す結論は、生きているということは何なのか、読んでい -
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秋はそう、「四季」の深まり
四季シリーズも3作品目となり、いよいよ少しずつ出されてきた伏線や繋がりが一気に回収されていき秋らしく実りのある、深まりのある一冊になっていた。
犀川先生と西之園さんの関係性もS &Mシリーズから少しずつ前に進んできたものが一層深まりを見せ、将来に向かってのカタチを探し始めていた。その中で二人にある「四季」の影が、西之園さんの心と行動に揺さぶりをかけていく中で、犀川先生との関わり、そして紅子さんとの関わりにより、「自分らしさ」を見つめ直していく過程、「自分らしさ」を受け入れていく過程がとてもよかった。
四季さんの一面にもまた違った見え方が、「春」のような -
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この上ない満足感。圧巻の一言。
ミステリーとしてもヒューマンドラマとしても極上の作品であった。
今後好きな作家を問われた際の回答には森博嗣の名が加わるだろう。
普段は自分の考えが上手く整理できるかと、少なからず億劫になる感想も今は思うがままに書いている。考えをまとめている場合などではない。
ここからは少し冷静に。
作中の登場人物も言っているように一見すると事件自体は地味なようにも感じた。
それでも退屈しなかったのは西畑刑事や萌絵が次々と仮説を立ててくれたおかげだろう。
巧妙なトリックも衝撃の犯人も最後まで見破ることができず、ミステリー作品として充分面白かった。
那古野の屋敷で銃声が響いたシー -
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夏はそう、「四季」の高まり
「四季」シリーズ二作目の今作品はより四季の内面に触れながら、S &MシリーズとVシリーズとの繋がり、補完を成す作品であった。個人的にいうとある登場人物の正体がはっきりと本人の口から出たのは初めてなのではないかなと思う。今までの伏線から読み解いてきた予想を、このように作品の中に落とし込んでくれているのもありがたい。
今作品で描写された四季の姿にはどうしても年相応の等身大の「女性」であってみたいといった気持ちと天才が故にもう全てがわかりきっているといった状況との狭間の中で、一夏の彼女の実証実験だったのではとも思ってしまう。叔父である聖二との関係性にもどこか、 -
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僕は、自分が楽しめることに、自分のお金を使っている。自分が一番楽しんだ時間、楽しめたことは、人に話さない。たとえば、僕は自分が写っている写真を一切撮らない。作家の仕事をしているため、ブログに載せる写真だけはデジカメで撮影しているけれど、ネットにアップしたあとは、即座に消去している。つまり、写真は僕には価値のないものなのだ(例外として、模型を作るための資料として撮影するものはある)。
写真を撮らなくても、美味しいものは、美味しく食べることができる。その美味しさを人にわかってもらう必要はない。自分が美味しいと感じることが、美味しさのすべてではないか。楽しさも、まったく同じ。自分が楽しいと感じること