養老孟司のレビュー一覧
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バカの壁、超バカの壁に続いて読んだけど、ちょっと難しかった、、
消化不良感があるのでまた読みたいな
・感覚(違う)と概念(同じ)、これらは互いに補完するもの。日本は感覚が強い社会だったから、無思想のように見えている
完全な思想はないし、思想は万能ではない。感覚世界では、全てのことは別個のものとして扱われる。概念と感覚をいったりきたりしながら、自分を変えていくこと!怠けない!
「概念」の自分が重視されがちだけど、「感覚」としての自分(=身体)も忘れないこと
「意識と無意識を足して」、はじめてゼロになる P161
どんなに高い玉座の上に座るにしても、座っているのは自分の尻の上だ P171
より確実なものを人は求めようとする、ーーーもう一つ、楽をする方法がある。「こうだ」と決めてしまうことである。 P230 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分の人生を計画したい人があまりにも多すぎると。そうではなく、人生はひとりでに「なる」のだということ。
自己とははじめからあるものではなく、生きて行くうちにひとりでにできていくものなのだ。それをやる前からそれをすれば何を得られるのか、それは自分のためには必要かなど考えてしまうのは、現代病の一種だなと思う。
自分の知りたいことだけを知りたい、ジャンルに括りたがって、自分のなかで簡潔に完結させたがる。予定調和な人生を望む・・。私含め現代人に当てはまることが多くて、どきっとさせられた。仕事だけでなく生活でも効率化を求めるあまり、人生も効率で考えるようになってしまっているのかな・・。
自分の人生も思考も、計画的にレベルアップさせたいというような。
さらに刺さったのは、日本人は「何か自分のかわりに言ってくれる人を書籍やメディアの中でいつも探している」ということ。日本人は人の活字化された言葉の中に答えを探す民族で、出版文化が発達しているのもその影響では、と。けれどそれは自分の思考を放棄していること、その責任を持ちたくないということに繋がる。読書は好きだけれど、自分で考えず好きな言葉をただ追っているだけの読書をしているのは、とんでもなく怠惰なことなのだと気付けた。
読書の目的も、もうちょっと考え直さないとだな。
もっと自分自身で考えて、自分の言葉で生きていかなければ、所詮は借り物の思考、借り物の言葉で生きることになり、魅力的な人間にはなれないなと思った。 -
Posted by ブクログ
虫好きで有名な養老さんのエッセイ。語り口から人柄が伝わってくる。そもそも虫に対峙したいのに、その時間を奪って執筆させることへの反感が微笑ましい。豊富な写真が収められていて、虫の不思議さやイメージを補ってくれる。虫好きの同好の士とのラオスでの採集の旅は現場を彷彿とさせる。藪から棒、ではないが、虫探しで藪をたたき、アシナガバチに刺された事件も、災難ではあるが、現地の人が巣の中にいる子を食べてしまうくだりには呆気に取られ、驚かされてしまう。現代は、何事にも理由を求めがちだが、理由がないものやその行為に価値観を与える考え方に、養老さんらしさがよく出ている。
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確固たる「自分」というものはいるのか。
そんなのはいないのではないか。
というのが筆者の主張です。(養老氏は他の書籍でも同様のことを述べています)
「自分」なんてない。自分は他者と社会と他の生物と地球と繋がっているし、変化しているんだ。
大事なのは「人といかに違うか」ではなく、人と同じところを探すこと。世間と折り合いをつけて生きること。
しかし、戦後、「私」「個性」「独創性」ということを求められてきてからおかしくなってきた。
そのことを、世間との関わり、生物学としての面、江戸時代の日本などから説明しています。
その他、
政治に関わらない、世の中を変えようとしない話
意識は信用できない、言葉と現実は別ものの話
あふれる情報、情報過多に左右されないための話
人生は、ゴツゴツしたものである話
など、全体を通して、筆者の「人間はあくまでも自然の中の1つ」という考えが書かれています。
養老氏の切り口は「ゆったり」とした考え方、姿勢を与えてくれます。
よろしければ。
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Posted by ブクログ
藻谷氏のデータに基づいた話に、養老氏がうなずきつつも、ところどころワンポイントで口をはさむような印象だったか。養老氏は、日本は大地震で御破算になった方がいいんじゃないか、という。でもそれってさぁ。内田氏が別の本で、維新とかグローバリスト系の人たちの目論見って、加速主義で破滅まで行こうとしている、みたいな話に近いものがあると思った。養老氏は話が面白いから、維新ほどに拒否感は感じていなかったんだけど、そういうところは、なんとも?なところ。
あと印象に残っているのは、補助金だ、生活支援だといって、お金を刷ってお金をばらまいても、収支でみると市中に出回っているお金はずっと少ないという。みんな貯金にまわしたり、あるいは海外に流出しているということだろうねぇ、という意見はあぁそうなんだ、と考えさせられる。なかなか単純じゃないね。 -
Posted by ブクログ
本書は養老先生の初の自伝である。唐突だがこの本を読んで、木田元先生の『哲学は人生の役に立つのか』(PHP新書)という本を思い出した。題名だけを見ると哲学の有用性を説いた本のように思ってしまうが、内容は木田さんの自伝である。つまり、哲学が自分にどのように影響したかという視点から、ご自身の半生を語っている。
この本も木田さんの本と似ている。たとえば『唯脳論』や『バカの壁』を書いたとき、養老先生の人生に何が起こったか。これまでもそうしたエピソードは断片的に語られることはあったが、本書ではそれが一冊の本にまとめられている。私自身、初めて知る内容もあった。
ご存知のように養老先生は無類の読書好きで、本文にも書かれているように、つまらない本でも「なぜこの人はこんなことを考えたのだろう」と思って読んでしまうという。この視点はなかなか大事である。最近とくにSNSでは、相手を論破したり矛盾を突いたりすることに夢中で、その人が本当は何を言いたいのか、どうしてそんなことを言ったのか、そこを考えない人が多い。
たとえば、養老先生は「現代人は参勤交代せよ」という。1年のうち3ヶ月は田舎に行って、畑を耕す生活をしろというのである。こういう意見を言うと、すぐにそのアイデアが実現不可能な理由や、無意味であるという理屈を嬉々として述べる人が現れる。しかし、こういうのは本当は反論とは言わない。もちろん参勤交代を実行してくれたら一番いいわけだが、養老先生は都会人の生活から自然に触れることや体を動かすことが失われていると危惧しているのだ。そこを理解しないと、養老先生の本を読んでも何の意味もなくなってしまう。
これまた唐突だが、筆者の通っていた高校は長野県の白馬に寮があって、入学すると親睦を深めるために、全員で移動教室に行った。行きのバスで休憩のために降りたとき、友達が「グッチのカッコいい腕時計があったから買った」と見せてくれた。私はこんな田舎の土産物屋に本物のグッチがあるわけないと思って、「それはニセモノだよ。だまされてるよ」と言った。こっちは親切のつもりで、割と真剣に言った記憶がある。そうしたら、その友達はいい奴だったから怒らなかったけれど、ひとことだけ私に言った。「お前、友達なくすぞ」と。
その頃の私にはわからなかったが、本人が気に入った時計を見つけて喜んでいるのに、私はそれに水を差してしまったのである。人間関係というのは、正しいか正しくないかだけが大事なのではない。そういうことは後になって学んだ。私のつまらない人生でも、こんなふうに学べることはある。養老先生の人生から学べることは、もっとたくさんある。