養老孟司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
歳をとって死んでいくことについて、ふだん漠然と感じ始めたことを、話しているくだりに出会った。
養老氏と南直哉師というお坊さんの対談のところ。
「
南 「死ぬ」ということを考えるとき、いま、一番ボピュラーで人気があるのあ、こちらの世界からあちらの世界に行くという考え方でしょうね。しかしそれは、ただの「移動」ですから、基本的には、誰も死なないことだとも言えます。天国だろうが地獄だろうが、ともかく「同じ自分」が行くことになっている。 (中略) つまり、みんな「自己」というものがずっと続くと思っている。
(中略)
―養老先生はどう思われますか
(中略)
養老 はい。一つ防護策がありますね。自我というか、自分の中に限定するものを、できるだけ広げてしまうという手がありますね。
」
今、実家に帰るとそろそろ80になる父は、いつもソファに座ってテレビをみている。もともとブルドーザーみたいにパワフルな人だったが、すっかりおじいちゃんになって、話しかけると基本的に上機嫌だ。なんというか、自分から働きかけるよりも、まわりを自分の中に映し出して観察しているだけという感じを受けるんだよね。
幸田露伴や鶴見俊輔といった文学者、哲学者は晩年、自分の言葉を発するのをやめ、ただひたすら本を読んでいたという。
それって同じことで、外に対して自分を開いていっているのかもしれないな、とも思うのだ。
自我、という視点に立つと、生まれる前、俺の自我は存在しなかった。生まれ、成長し、いろいろ経験する中で自我が固まっていき、歳をとりながら、その自我がまた開いていく。
生まれて、生きて、死んでいくとは、そういうことなのかもしれない。
そのうち、またどこかにとけこんでいくのだ。
それは、とけてなくなるということではない。
いつまで自分の命が続くかはわからないけれど、そろそろ折り返しは超えているだろう。
師について、50そこそこの俺がまだ語る次元でもないんだけど、そんなことを考えた。
本書は南直哉(お坊さん)、小林武彦(生命科学の先生)、藻谷浩介(里山資本主義の人)、阿川佐和子(聞く力が有名なタレントさん)と言った方々との話。
どのかたの話も、面白かった。南直哉さんとの対談で感銘を受けたところは、先日書いたところ。
老いる、という現象について、人口減の今の時代だからこそこれまでの見方をかえるべきだ、というやりとりも面白かった。
藻谷氏の資本主義とは本来、里山資本主義というのもなかなか刺激的な話でさ。本来、投資して利子を得るという活動は再生可能であってこそ成立する。
現在、多く観られる弱肉強食的な資本主義は、本来の資本主義ではない。なぜなら、強者が総どりしていたら、持続はしていけないから。
投資と利子の関係とは、本来さまざまな里の木や環境を手入れして、そこから得られる収穫を受けてとるものなのだという考え方は感心した。
それって、最近いわれるコモンを再生しようという考え方に通じるねぇ。
最後の阿川佐和子氏との対談も、お父上やお母上の晩年の介護の実体験から、さまざまな話が聞けて興味深かった。 -
Posted by ブクログ
色んな話題に話が飛ぶように見えて、どの難しい話題でも一つ一つの言葉にしっかりした芯があるなぁと感じました。今までに培ってきた知識や経験、色々な人との付き合いがこのお二人を作り上げてこられたのだと。
どんな難しい話題にもお互いについていけなくなることは全く無く、スゴい!のひと言でした。
お二人の読書にも驚かされました。
この本で感じたことは、
①自分を中心にした一方だけの意見ではいけないということ。
②日本人は同調しやすい国民性があるので流されてしまわないように。(鵜呑みにしない)
③多方向からの見方、聞く力を育てて、自分の軸を育てていくこと。(そして物事に柔軟に)
ということです。 -
Posted by ブクログ
人生の問題に正解はない、そもそも本に書いてあることを全部絶対正しいなんて思わないでくれ
実際に、何でも、「調べればわかる」「見ればわかる」というようなことはありません
ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。人生の最終解答は、「死ぬこと」だということです。
気になったことは、以下です。
なぜ人を殺してはいけないのか
⇒ 二度と作れないもの だから
⇒ 殺すのは簡単、でも後戻りできない
人間が死ぬということが知識としてはわかっていても、実際にはわかっていない
そもそも、人間とは移り変わるもの。平家物語でも、方丈記でも、中世文学に流れているものは、人とは変わっていくものであると語っています。
中世に描かれた「九相詩絵巻」。そこに描かれているのは、生きた美女が死んで、腐っていき、最後は、骸骨になるまで。人間型の骸骨だったのがバラバラになるところまでが描かれている
中世は、死がとても身近なものだったのです
逆に、現代人にとって「死」は実在ではなくなってきている。
生とは何かがわからないと、死とは何かもわからない
脳死が、部分的な脳死が、ほんとうの死なのかどうかは実はわからない
生死の境目、死の瞬間が厳格に存在しているというのは勝手な思い込みにすぎない
臓器移植が始まる前までは、死とは、 ①自発呼吸が止まる ②心拍がとまる ③瞳孔が開く であったのに、現代は、「ハテ?」となっている。
死体って、もの、それとも人。塩をきよめに使うというのは、穢れとみているから、死体とは穢れ
戒名とは、死んだから別のものになったから、死んだ奴は我々の仲間ではない
日本人は、火葬を拒否する人はあまりいません。でも、イラン人は火葬して問題になる。それは宗教で火葬を禁じているから。
靖国のルール、死者は別もの、だから、神さまとしておまつりしても問題はないという考え
7章からは、別の論点となります。
一元論に陥ったときに、人は絶対の真実があると思い込んでいます
「みんなのため」は、本当にいろんなことをしなければならない。決して、「みんなと一緒のことをする」ではない
乃木希典の覚悟、兵を死にやった重さを背負わなければならなかった。人の上に立つ人というのは、本来こういう覚悟がなくてはいけない。
みんなが嫌がることは、エリートがやっていた。エリートとはいうのは本来はある種の汚れ仕事を引き受ける立場の人だった。現在は、エリートが存在しにくくなったということになります。
エリート教育がなくなってしまっているのが根本です。多くのトップ、指導者に自分が生死を握っているという意識がなくなっているのもそのせいです。
死の恐怖は存在しない。 死んだらどうなるかというようなことで悩んでも仕方がないのです。自分の死について延々と悩んでも仕方がないことです
老醜うんぬんというのはありまでも、他人が見ての話であって、当人の問題ではありません。
周囲の死を乗り越えてきた者が生き延びる。「神に愛される者は早死にする」
目次
序章 「バカの壁」の向う側
第1章 なぜ人を殺してはいけないのか
第2章 不死の病
第3章 生死の境目
第4章 死体の人称
第5章 死体は仲間はずれ
第6章 脳死と村八分
第7章 テロ・戦争・大学紛争
第8章 安楽死とエリート
終章 死と人事異動
あとがき
ISBN:9784106100611
出版社:新潮社
判型:新書
ページ数:192ページ
定価:760円(本体)
発売日:2004年04月15日 -
Posted by ブクログ
子どもへの過剰な配慮は、かえって成長を阻害するだけ。
この言葉に強く共感しました。今は学校でケガをするとちょっとしたケガでも問い合わせがくる。遊んでいてケガをするくらい、私たちが子どもの頃、よくあったし、子どもとはそういうもの。そういう経験を通して、「ケガをしない」体の動かし方、遊び方を知る。
「自分で考えることの大切さ」も書かれていたが、これもその通り。できる限り自分で考えられる子どもに育てていきたい。しかし、それには時間が必要。もう少し学習指導要領の内容を減らし、余裕をもたないと難しい。
国として方針の大転換を図る必要があると言える。 -
Posted by ブクログ
現在2023年4月末。先日、まもなく新型コロナが5類になることが正式決定されたとニュースで流れた。
この本に掲載されているインタビューや手記は2020年。コロナ禍がいよいよ始まり、おそらく世界中の誰もが、今まで非日常と思ってきたことを日常的なものとしなくてはならないという不安に覆われはじめてきた、そんな時期の発言だ。そのような意味では、更に数年後、コロナ禍を振り返るための格好の史料となりうると思った。
この本の中で多くの識者たちが言及していたと思うが、人間にとって一番厄介なのは、人間の心の中に生じる差別、偏見、批判なのだ。どのような状況下にあっても生じるこの心の動きに、私たちはどのように打ち勝っていけばいいのだろうか?