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過去に死ななかった人はいない。人間の死亡率は100%なのだから――。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題に『バカの壁』の養老先生がズバリ解答! Q.自殺はダメ? A.「どうせ死ぬんだから慌てるんじゃねえ」 Q.生きがいとは何か? A.「そんな問いは暇の産物。トイレに行きたいときに考える?」 Q.なぜ人を殺してはいけないのか? A.「死は回復不能だから」……など、死にまつわるさまざまなテーマを通じて、現代人が生きていくための知恵を考える。逃げず、怖れず、考えた最終解答!
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Posted by ブクログ
96歳の年寄りの介護をしている者として、何時も死について考えているけれども、先生の本を読んで考え方やっぱりこれでいいんだな、と感じた。 なるようにしかならないし、考えたって仕方ない。 常に死について考えている母を看ていると、可哀想になるけれどこればっかりは、優しくはできない。変に優しくしていると...続きを読む寄りかかって来てこちらの精神が巻き込まれてしまうから。何事も客観的に前向きに捉えることだ。 今、生きることも、死んでいくことも、経過にしかない。 客観的に観ながらの介護、死に対する考えを母に教えてもらって毎日である。 それもそんなには続かないんだからな。
ズバリって感じで答えを提示するのではなく、こちらに考えることを促してくるというのか… 死についていろんな観点から論じているけど、私みたいなアホでも理解できるように、かなり優しい言葉を用いて書いてある本だと思いました。 自殺はやっぱり駄目。 自分が自殺した後、周囲にどんな影響を与えるのか考えてみな...続きを読むさいってことは、養老先生でも同じことを言うのだなと… 安楽死についても、「殺す側の気持ちが理解できてない」と言っていた? 内容が全部理解できたかと言うと多分できてない。 死とは何か→証明書が出たら。 ボケることを怖がらなくていい、困るのは自分ではないのだから。 死体は仲間外れって言葉もなんだか新鮮に響いた気がします。 大して生きてもないくせに、人生の意味なんか聞くんじゃない。 どのお言葉も胸に刺さるような、それでいてやさしい本。
死は観念ではなく、日々トイレでひねり出さねばならないウンコと同じく、有機的でどうにもならないものなのだという養老節に、毎度のごとく唸らされました。 都市化と共に生活の場から死も消えたというのは納得です。都市というのはクリーンで支配できるものに満ちています。汚らしいもの、秩序を乱すものは許されず、周...続きを読む辺に追いやられます。当然、臨終は病室においやられ、すぐに匂いを発する死体などもさっさと焼却処分される。野生動物の死骸すら、その日のうちに処理されて目につきません。 こうして本物の死はかくされ、無味乾燥かつ抽象的な数字におきかえられる一方で、フィクションの世界では残酷で派手な死が跳梁跋扈する。それで想像力ばかりが刺激されるから、無駄に恐怖心が高まってしまう訳です。新型コロナに対する世間の過剰反応にも、案外そんな理由があるのではないかと、本書を読みながら思いました。 養老先生は、フィクションに出てくる死体は嘘っぽいと言います。長年、解剖学に心血を注いだ専門家の言葉には重みがあります。きっと、私たちが思うよりも違うのでしょう。しかし、普段死体をまぢかに眺める機会のない私たちには、本質的な違いなど分かりようもありません。 昔、ミイラ展や人体の不思議展に行ったことがあります。どちらも本物の死体が展示されていました。興味深くエキサイティングではあったものの、ある意味では少し拍子抜けもしました。 なんだかミイラは大きな干物に見えたし、プラスティネーションはおどろくべき精巧な標本であり、私が思っていた死体ではなかったのです。今思えば、何かもっとおどろおどろしさがあるだろうと期待していたんだと思います。見世物小屋に求めるべき物を求めていたのです。 ただ一点、スライスされた人体標本の頭部にうっすら毛が生えていたのだけは、なんだか今でも覚えています。理由は分かりませんが、それを見た時にはじめてこの人は生きていたんだと思えました。 不思議な感覚でした。これが養老先生言うところの「死体である死体」の存在感なのでしょうか。それはフィクションの世界にあるように、怖くもなく、グロテスクでもなく、ドラマチックでもありませんでした。目の前のこの人は、自分と同じように生きていたのに、たしかに今は死んでいる。自分も、いずれこの人のように死ぬのに、どうやら今は生きている。 この不思議さには果てがありませんでした。見つめれば見つめるほどに、分けがわからないけれど、何か心の深い部分に、慄然と鮮やかに響いてくるものがあったのです。哀しみでもなく恐怖でもありません。言葉にはならないものです。それが都市化によって私たちが失ったものなのかも知れません。 死とはなにか、生とはなにか。それは情報や論理だけで答えが出るものではなく、なんだか分からないけれども目の前に歴然と存在する有機的なシステムと向い合う中にしか、見えてこないものである、という、養老先生の言葉には、不思議と心安らぐものを感じました。 他にも色々と面白い話がありました。ただ最終的に心に残るのは、父親の死について、しんみり語る先生の後ろ姿です。何度も読んだ話ですが、とりわけ本書では響いてきます。
死亡診断書に書かれる時刻は、「社会の制度としての死」。 でも、生物学的な意味での「生死の境目」はどこにある? 心臓が止まった後も、細胞レベルでの活動は続いている。 筋線維に電気を流せば収縮する。 そもそもヒトの体を構成する細胞は常に入れ替わっていて、数年もすれば別人になっている。 当然あるものだと...続きを読む何となく思っていた「生死の境目」がわからなくなる。 「死者」に対する認識が国によって違うから、靖国問題などは揉める。 「自分の死」は自分にとっては意味がないものだが、周囲の人には影響を与える。立場を変えると、「周囲の人の死」を意味付けながら生きるのが人生。 「死」ほどには歴然としていないだけで、実は毎日が取り返しがつかない日。 思考がモヤモヤして、読後感を言葉にするのが難しい…「バカの壁」もそうだった。 普段あまり考えない(考えようとしない)ことを敢えて考えさせられるからかもしれない。
一人称、二人称、三人称の死という考え方がすごく腑に落ちました わたしはこれまで、存在しない一人称の死をずっと怖がっていたのかと思いました (怖いのは変わらないけれど、しょうがないと理解できた気がする)
死というものを生活に紐づけて考えることで、人々が死に対する考え方が変わる。どう捉え、そこから何を考えていくのかを考慮して行動するキッカケとなる一冊だった。
バカの壁の続編であり、死に焦点を当てて書かれている。 生と死の区別、境目が科学的には極めて曖昧であるという点は非常に興味深かった。 またなぜ人を殺してはいけないのか、という問いに対して、「殺したら元には戻らないから」という、単純明快な答えを返している点も印象深い。 また死の人称という考え方も面白く...続きを読む、中でも一人称の死、は存在しないから考えたり悩む必要はない、というところは心に残った。一人称の死を考えるより二人称の死をどう受け止め、死を不幸としない、考え方、生き方をすることが大切。
社会の在り方や問題点について、「死」を視点に述べられていて、面白かった。「死」はどこから「死」なのか、なぜ死んだら名前(戒名)が変わるのか、死体は「モノではなくヒト」、日本では死んだらメンバーズクラブ(共同体)から脱会させられる、など、死の概念的な思索、死と社会の関係性について、漠然とだけど、理解出...続きを読む来た。 他にも現代社会は「死体」が身近では無くなった、人間が情報化(不変の存在と思われるようになった)してしまった、都市化やエリートの消滅により安楽死の問題において、医者側の負担や責任を考えなくなったり、その他の人々もエリートにそういう仕事を押し付けているという、後ろめたさが無くなった、という考えが印象に残った。 あと「死」という概念的なものを、「一人称の死」、「二人称の死」、「三人称の死」、と文字化して、「死」を細分化していた所が凄いなと思った。 自分は「死」について深く考えたことがなかったし、「死」を視点に物事や社会を見ていなかったから、これを機に考えていけたらなと思った。
人生の問題に正解はない、そもそも本に書いてあることを全部絶対正しいなんて思わないでくれ 実際に、何でも、「調べればわかる」「見ればわかる」というようなことはありません ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。人生の最終解答は、「死ぬこと」だということです。 気になったことは、以下です。 なぜ...続きを読む人を殺してはいけないのか ⇒ 二度と作れないもの だから ⇒ 殺すのは簡単、でも後戻りできない 人間が死ぬということが知識としてはわかっていても、実際にはわかっていない そもそも、人間とは移り変わるもの。平家物語でも、方丈記でも、中世文学に流れているものは、人とは変わっていくものであると語っています。 中世に描かれた「九相詩絵巻」。そこに描かれているのは、生きた美女が死んで、腐っていき、最後は、骸骨になるまで。人間型の骸骨だったのがバラバラになるところまでが描かれている 中世は、死がとても身近なものだったのです 逆に、現代人にとって「死」は実在ではなくなってきている。 生とは何かがわからないと、死とは何かもわからない 脳死が、部分的な脳死が、ほんとうの死なのかどうかは実はわからない 生死の境目、死の瞬間が厳格に存在しているというのは勝手な思い込みにすぎない 臓器移植が始まる前までは、死とは、 ①自発呼吸が止まる ②心拍がとまる ③瞳孔が開く であったのに、現代は、「ハテ?」となっている。 死体って、もの、それとも人。塩をきよめに使うというのは、穢れとみているから、死体とは穢れ 戒名とは、死んだから別のものになったから、死んだ奴は我々の仲間ではない 日本人は、火葬を拒否する人はあまりいません。でも、イラン人は火葬して問題になる。それは宗教で火葬を禁じているから。 靖国のルール、死者は別もの、だから、神さまとしておまつりしても問題はないという考え 7章からは、別の論点となります。 一元論に陥ったときに、人は絶対の真実があると思い込んでいます 「みんなのため」は、本当にいろんなことをしなければならない。決して、「みんなと一緒のことをする」ではない 乃木希典の覚悟、兵を死にやった重さを背負わなければならなかった。人の上に立つ人というのは、本来こういう覚悟がなくてはいけない。 みんなが嫌がることは、エリートがやっていた。エリートとはいうのは本来はある種の汚れ仕事を引き受ける立場の人だった。現在は、エリートが存在しにくくなったということになります。 エリート教育がなくなってしまっているのが根本です。多くのトップ、指導者に自分が生死を握っているという意識がなくなっているのもそのせいです。 死の恐怖は存在しない。 死んだらどうなるかというようなことで悩んでも仕方がないのです。自分の死について延々と悩んでも仕方がないことです 老醜うんぬんというのはありまでも、他人が見ての話であって、当人の問題ではありません。 周囲の死を乗り越えてきた者が生き延びる。「神に愛される者は早死にする」 目次 序章 「バカの壁」の向う側 第1章 なぜ人を殺してはいけないのか 第2章 不死の病 第3章 生死の境目 第4章 死体の人称 第5章 死体は仲間はずれ 第6章 脳死と村八分 第7章 テロ・戦争・大学紛争 第8章 安楽死とエリート 終章 死と人事異動 あとがき ISBN:9784106100611 出版社:新潮社 判型:新書 ページ数:192ページ 定価:760円(本体) 発売日:2004年04月15日
神に愛された人ほど早く死ぬと言う言葉 自殺してしまった友達もきっと愛されたから死んでしまったのだろう 都市化が進んで人の心は離れて行ってしまっている。 しかし、3人称の死が増えてもなお、心が痛むのならきっと人は性善説である証明なのだと思う。 全ての人間を愛せなくてもせめて目の前にいる大切な人を愛し...続きを読むたいと思った。
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