Posted by ブクログ
2022年02月03日
『そのエネルギーがなぜ必要なのかというなら「意識という秩序活動」が要求するからである』―『1 人生は不要不急か』
養老先生の著書の感想を書くのはいつも難しいけれど、今回は輪をかけて言葉が出てこない感がある。それは、いつにもましてここに書かれている事柄が人生観、いや死生観に基づくものだと感じるからな...続きを読むのかも知れない。
半ば諦観のような響きのする言葉が並ぶようである。けれどそれが養老孟司の養老孟司たる所以。次から次への湧いてくる問題の種に意識が向かうからこその立ち位置なのだろう。養老先生には既に「遺言」という著書があるけれど、こちらもまた残しておきたい言葉の数々という位置付けなのかと想像する。
人生は河のようだと先人たちは繰り返し言う。「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」。その言葉の意味は飲み込めても、翻ってそれを自分の人生として眺め達観することはできるのか。先達の悟りのような境地の言葉を一つひとつ解剖して現代的な知識から(例えば動的平衡などという概念で)再構築するのが養老先生の特徴の一つであろうと思うけれど、最後に解脱することへの微かな躊躇のようなものが、達観、諦観の裏に見え隠れする。