養老孟司のレビュー一覧
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「壁」シリーズはこの「人生の壁」が初めて。
私にはとても読みやすく、共感する部分も多かったので、他の「壁」シリーズも読みたいと思った。
全体を通して感じたのは、何でもかんでも意義を見出そうとする世の中、個人になりすぎているのかなと。
世の中が情報も多くルールもどんどん複雑になっていくに連れ、人間の頭も考え過ぎな傾向なのかもしれない。仕事の意義、生きる意味、自分なりの答えや目標を見出してそこに向かっていくことも大事かもしれないが、流れに身を任せてその場その場でベストを尽くす…というスタンスも必要だなと。
白黒どちらか正解を付けたがるのではなく、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、といろんな視点・意見があるという前提を忘れずにいようと思った。
〈その他共感した部分〉
・合理的、論理的でないものを排除しすぎた世の中→繋がりが薄くなった
・グローバリゼーション→キレイにスッキリ統一(西洋化)しようとしてもできるもんではない、無理が出てくる→内容を噛み砕き自国用に合わせてしていく必要がある?
・立派な標語を並べているのはやる気のない証拠。SDGsとか。
・★言葉はすべてを同じにする、統一するから。
生物的多様性の例
多様性は自然の中で感じるもので、多様性というひとつの単語でまとめてしまえるものではない。
感覚を言葉に簡単に置き換えられると思っているのが、現代人の大きな勘違い。 -
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「言葉はタダで元手はいらない。その程度のもの。」
・言葉をどこまで信じるか。言葉の内容ではなく言葉そのものの重みについて。人が言葉を信用しているかは、振り込め詐欺の流行を見ればわかる。口でいうのはタダで元手がいらない。元手がいらない商品は実態がないので、普通は信用出来ない。
・河合隼雄の"私はウソしかいいません"という口癖。典型的な自己言及の矛盾。「ウソしかいわない」のが本当なら、本当のことを言ってるのでこの叙述はそもそも成立しない。言葉なんてその程度のものということ。
・昔は本を読むなという教育を受けた。本を読むと考えなくなるという。古くはソクラテスもそういったらしい。現代社会では文字を読まないわけにはいかない。じゃあどうするかというとできるだけ言葉による危害をこうむらないようにするしかない。なにしろネットに悪口を書かれて傷つくのは日常茶飯事、自殺する子がいるくらいなので。
「意識中心の情報化社会では言葉が全てと思われがち」
「意識なんて人間のごく一部。言葉も同様。」
・言葉は意識が生み出したもの。現代は意識優先の脳化社会で、だから情報化社会になる。人生は意識のみになってしまった。情報とは"時間が経っても変化しないもの"を指す。
・人間は意識じゃない。寝てる時間は意識がないので、人生の三分の一は意識がない。意識は人間の一部に過ぎない。でもそれがすべてだという社会をわれわれは懸命に作ってきた。それを情報化社会という。意識は情報しか扱えない。言葉は情報の元だから、意識は言葉なら扱える。それだけのことである。
・スキーの本を数冊読んだがスキーは上手にならなかった。当たり前である。スキーは情報じゃないからである。
「情報は変わらない。人は変わる。」
「人が情報とみなされ、自分は変わらないと信じ始めた。」
・現代人は、「私はいつも同じ私」で、「いつまで経っても私の本質は変化しない」と考えて、それを「個性」と呼んで「大切にしなきゃ」という。いつまで経っても変化しないものは私ではなく情報である。それなら「同じ私」というのは、「情報としての私」ではないか。
・人間が「同じ」なわけはない。歳をとりついには死ぬ。諸行無常と古人がいったとおり。いつまで経っても同じなのは情報で、人間は情報じゃない。それを取り違えたから、言葉が重いような、重くないような、変なことになった。変わらないのは私、情報は日替わりだ、などと思ってしまう。とんでもない、百年経っても、今日の新聞記事はそのままですよ。
「全てが言葉になるわけじゃない。」
・人間が生きているって、そういうことじゃないでしょ。まさに生きて動いているんだから。情報化社会では、それをしばしば忘れてしまう。だから自殺する人が増えたんじゃないかと、邪推してしまう。
・生きて動いている人生は、かならずしも予想通りにはいかない。すべてが言葉になるわけでもない。赤ん坊は生きて動いているけど、言葉はありません。じゃあ、赤ちゃんに価値がないかといったら、ひょっとすると親より価値が高いかもしれないじゃないですか。
「情報とは常に過去である。」
・毎日インターネットで新しいことを知ったと思っているがインターネットの中にあるもの、つまり情報とは、つねに過去である。済んでしまったことしか入っていない。毎日のニュースもじつは同じ。ニュースをひたすら見ている人たちは「ともあれ、済んでしまったことだ」と思った方がいい。 -
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本著は、養老孟司氏と久石譲氏との対談をまとめた一冊であり、読み手も対談を聴講しているような感覚に没入できる良書である。
さて、音と記憶や体験は密接に脳内で聴覚を通じて結びつき感情に影響すると説く。「言葉」では表現しきれない感動や情動を、音楽や音が扱う点が強調されており、その通りだと思う。合わせて、創造性についても言及しており、耳(聴覚)は、単に情報を受け取るのではなく、脳のなかで様々な意味やイメージと結びつき「新しい世界」を作り出す働きを持っており、その過程を知ることで、音楽や音がもつ力、感じることの素晴らしさを再認識できると示唆している。
創作をする、作家や音楽家についても、創作においては「自分が選んで作る」のではなく、世界や脳の深層にすでに存在する“必然的な答え”を“感じて見つける”ことが本質であると繰り返され、物事の「あるべき形」や「正解」を感知する感性を養うこと、それが人生を豊かにし、人間本来の力を解放する鍵だと説く。
私が特に共感したのは、「ホイヘンスの振り子時計」だ。最初はバラバラの動きでも、時間が経つと揃い始める仕組みを例に、人間同士や集団、音と感情も環境に「合わせる」現象を紹介しており、家族、結婚、友人、職場等など、誰かのポジティブな気持ちやネガティブな気持ちも周囲に振り子作用で伝染すると説き、この法則は、家族や友人、組織や、身近な人の気分や状態に周囲に悪影響を及ぼす可能性がある。逆に身近な人が成長したり成功したりすると周囲に良い影響を与えることだろう。
本著では環境や音楽についての周りで触れていたが、特に感銘を受けた。
人間という人生は一つの芸術作品である。これは本著の全てであり、その自分の人生も私やあなた自身で描き築き人生が終わるその瞬間の完成まで描き続ける姿勢が重要であり、本著の核心といえることだろう。 -
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養老孟司という人が、どのような人なのかが
"わかる"一冊。読んでも読んでも分からないのですが、何となく、言わんとしていることが分かる気がする、というと程度ですが。笑
理性を外したところに、"分かる"がある。
ああすればこうなる、という、理性的な方程式の外にあるものと過ごし、観察していくうちに、共鳴していく。
現代に生きる私たちは、つい、数字で片付けて、生身の現実を見るのを忘れてしまうけれど、それを思い出させてくれるのは、子どもと自然。
ふぅー。と、ひと息つきたい時に、読むと良い本です。数字で凝り固まり、疲れた私の心が、そこから解き放たれて、改めてモノの見方を考え直すことを、助けてくれます。
数字の情報は変わらないけど、人は絶えず変わり続ける、という言葉は、人生の燈にもなります。
違って、変わって、当たり前だということを肝に銘じていれば、目の前にある物にしっかり目が向くのでしょう。 -
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目が覚めると、意識が戻る。
でも、目が覚めたのに、身体が動かない。
それが金縛りだ。高校時代、何度か金縛りにあった。初めてなった時は怖くてパニックになった。
意識のスイッチは入っているが、運動系のスイッチが入っていない、そんなズレから起こるらしい。
養老孟司さんの本を読んでいると、脳のメカニズムに興味がわいてくる。
現代の都会生活が、意味に直結する感覚所与だけを残して意識中心になっていることに警鐘を鳴らしている。都会と田舎の参勤交代生活を提唱している理由がやっとわかってきた。
効率や経済で計れば、下位に置かれる感覚。デジタル化がさらに感覚を下に下に追いやっている。田んぼや森、山に行けば感覚が働き出し、鋭さを増していく。
意識と感覚のバランスを失っている現代だからこそ、感覚の復権、復元を訴えている。田舎育ちの昭和な私にはその主張がずっと入ってくる。
ヒトが本来もっているものに気づくための経験。それを子どもたちとも共有したい。
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アポロン的なものも大切だが、
時にはディオニソス的なものに身を任せるのもいい。
大学の先生の言葉がよみがえる。
科学者、哲学者、社会学者という肩書きや枠組みを超越している養老孟司さんと芸術家久石譲さんの対談。
面白くないわけがない。
言葉で表現できない感覚「クオリア」を忘れがちな生活。現実よりも言葉を優先してしまっていた自分にも気づいた。
言葉で表現できないものを表現するのが音楽であり、情報化と情報処理が決定的にちがうことが、認識できた。
CDを聴き込んでチケット買って演奏会に行って、音楽と出会う。映画も然り。
サブスク生活になれてしまって自分の気分でコントロールして、切れ切れデジタル生活しているなあ。
「出会い」の哲学に戻っていこうか。 -
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養老孟司氏と久石譲氏が交わす知の饗宴。解剖学者と音楽家が織り成すこの一冊には計り知れない発見が隠れていた。
まず、書店で本書の表紙に目を惹かれて迷わず購入。今でもこの出会いは奇跡だと感じている。科学、哲学、社会学など多岐に渡りその知を発してきた養老孟司氏と音楽家として世界を感動の世界に導いてきた久石譲氏の対談。これ以上に面白い対談はないのではないか?
冒頭から両者の知がぶつかり合い、新しい「知る」を目の当たりにした。現代社会にメスを入れる御二方の言葉には重みがあり、自分の奥深くに響いてくる。一度読んだだけでは到底、全てを受け止めるのは難しい。
普段の生活の中で、何か些細なきっかけからまた御二方の対談を通して知を吸収したいと思う時が来るだろう。 -
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ネタバレ論理的排除や個の尊重は社会共同体の側面を弱体化させる。共同体がしっかりしていれば人間関係が信頼に基づいているので、結果安心や信頼を元に無駄なコストがかからないのでは。
理論武装であいまいさを許さないことは、確かに個別では一理あるが、政治や国民など、集団という目線で見たときに、ある程度の曖昧さは必要。
GDP停滞や、「失われた30年」が本当に大事なことか?数字やお金が基準になりがちだが、自分が幸せならいいのでは?
未来が見えて、未来のことを考えてしまうので息苦しさが生まれる。自分が心地よいときを理解して、今を生きれば良い。
「とらわれない」「偏らない」「こだわらない」がコツ。
養老孟司さんの本を初めて読んだが、何か強い想いや悟っているのというものではなく、いい意味で関心がない。だからこそ先入観や思い込みに縛られずに物事をフラットに見ることができるのではないか。
人生に力が入りすぎて生きづらくなったときに読みたい一冊でした。