養老孟司のレビュー一覧
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『バカの壁』は、「他者を理解できないのは、自分の内側にある『バカの壁』のためである」という著者・養老孟司氏の主張を軸に展開される一冊である。同時に、現代社会がヒステリックに一元論へと傾斜していることへの警鐘でもあると感じた。
著者の思想の根底には、「表と裏」「陰と陽」「男と女」といったように、あらゆる物事には二面性が存在するという二元論的な世界観がある。これは、自分の考えが絶対ではないことを認め、異なる価値観や立場を受け入れようとする知的な姿勢の重要性を説くものだと理解した。
なかでも特に印象に残ったのは、「バカの壁」を脳科学の視点から説明している部分である。著者は、脳を神経細胞が形成する複雑な回路と捉え、人間の精神活動は外界からの刺激に対する反応であると説明する。その関係を y = ax + b(xは刺激、yは反応)という単純なモデルで表し、係数 a が人によって異なるため、同じ刺激を受けても反応は人それぞれ異なると説く。この違いこそが、それぞれの人間の「バカの壁」を形成しているという説明は、非常に示唆に富んでいると感じた。
私がこの本を初めて読んだのは2004年5月である。それから22年が経過した2026年の今日、養老氏の示した「外界からの刺激に対して反応する」という考え方は、皮肉にもAIの基本的な学習モデルにも通じるものとなり、その技術は社会に広く浸透している。では、AIにもまた、人間のような「バカの壁」が芽生えつつあるのだろうか。学習データやモデルの偏りによって生じる限界を考えると、この問いは決して突飛なものではないように思える。
奇しくも、この感想を書いている今日、NHKでは養老孟司氏の近況を取り上げたNHKスペシャルが放映されていた。20年以上前に著された本でありながら、その問題提起はAI時代を迎えた現代においてもなお色褪せることなく、新たな意味を持って私たちに問いかけ続けていると感じた。 -
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★養老センセイが「臨床医になりそびれた」「感情のコントロールが苦手。相手の感情もわからない。努めて分かるように勉強した。」とご自身のことを言っておられびっくりした。そうだったんだ。。。
★人が幸せを感じるのは、人の役に立つとき。やる気のない非行少年が変わったとき by宮口先生
★決め手になるのはモチベーション
見通し、目的、使命感 by宮口先生(ご自身の体験)
→これは分かる。学生時代の勉強は苦手というか苦行でその苦行を続けられなかったが、齢40になりちょこちょこ資格試験勉強するのが楽しくなってきた。それは今の仕事上の目的や問題意識(使命感というほどではないが)があるからかなと。
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大体の人生相談に対する養老さんの答えは、ほとんどこの三つ。「とらわれない、偏らない、こだわらない」だそうだ。悩みを抱えている多くの人は一つの見方にとらわれているから、この姿勢をもってみてはという。私は、新書は書き手の思想が強く、押し付けがましい印象を持っていたが、養老さんの言葉はわかりやすく、スッと頭に入ってきやすい。淡々と自身の思いを語っていて、そんな考え方もあるんだなぁと思わせてくれた。本人も読者にわかってもらいたいというよりかは、独り言に近いと言っていた。あとは自給率を上げる、食料・インフラ問題、体力は大事ともいっていたな。別の壁シリーズも読んでみようと思う。
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養老孟司さんと内田樹さん、この二人の思想家の対談なのだから、
話の方向性は想像がつく。
そして期待通り。
あえてこのブログで要約を書くまでもない。
いや、そんなものは存在しないのだ。
話は一つのキーワードから思わぬ展開を示す。
予定調和などないのだ。
二人が、それぞれの立場で身体感覚でとらえたこの世界を、
ことばとことばでぶつけあっているのだ。
心地よい言葉の応酬。
知的だ。
タイトルは何かつけなきゃいけないんだろうけど、立ち返る場所、ねえ。
日本人、ねえ、、、
日本人にフォーカスした部分もあるけど、
逆にそこにこだわらない部分もあったように思う。
ときどきふたりのやりとりがかみあわないことがあるが、
この対談本はそれもカットせずそのまま載せている。
なんだかほほえましい。
片方が突っ込みたくて、もう片方は違う話題にいきたい、といったことだ。
物忘れは年齢を重ねるごとにひどくはなってくるが、
思想的な成長はいくつになってもできる。
学習は必要だな。
そう思わせる二人の対談本。
第一章 情念と政治
第二章 陰謀論の時代をどう生きるか?~求められる「感情教育」
第三章 居心地の悪い社会 ~子どもの自殺を考える
第四章 言葉に身体性を取り戻す
第五章 自然に学び、日本人が立ち返る場所を考える
第六章 死に直面して考えたこと -
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「人生の壁」に続き壁シリーズ2冊目。
この「バカの壁」は出版当時2003年。そこから20年以上経っているが、古いと感じる部分も少なく、2026年の自分に気付きを与えてくれた本になった。
養老さんの言うように、“もともと問題にはさまざまな回答があり得る”という認識を自身も持ちたいと思うものの、一つの正解・答えを出したい自分もいて、むしろそっちの自分の方がよく顔を出す気がする。それは、考え続けること、対話を続けることに疲れて楽な「一元論的」考え方を選びたくなってしまうからなんだろうな。
この本を読んで、特に気付きとなったのは、現代は「意識社会」「脳化社会」で「身体」や「無意識」を忘れてしまっているという考え方。
脳内での入出力ばかりで身体を使っていない。
「知行合一」という陽明学の考え方が紹介されていたが、“知ることと行うことが一致すべきだ“という考え方で、私にはとても共感できた。
この陽明学の例もそうだが、他の章でも過去の時代の思想や著作にいくつも触れられており、興味を惹かれた著作や考え方も多くあったので読んでみたいと思う。
“分かったつもり”になるのも、この本の内容を“正解”と思い込むのも思考停止を招いてしまいそうだから、あくまで一つの考え方として自分の中に取り込んでいきたい。
〈印象に残ったフレーズ〉
・ある程度の大人になると、入力はもちろんですが、出力も限定されてしまう。これは非常に不健康な状態。仕事が専門化していくということは、入出力が限定化されていくということ。限定化するということは、コンピュータならば一つのプログラムだけを繰り返しているようなもの。
健康な状態というのは、プログラムの編成替えをして常に様々な入出力をしていることなのかもしれない。
・身体を動かすことはそのまま新しい世界を知ることに繋がる。
・原理主義に身を委ねるのは手を離すことに相当する。谷底に真っ逆さまだけれど、それは離れている人から見ての状態で、本人は、落ちて気持ちがいい。
・楽をしたくなると、どうしてもできるだけ脳の中の係数を固定化したくなる。aを固定してしまう。それは一元論の方が楽で、思考停止状況が一番気持ちいいから。
・人生は家康型。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」
一歩上がれば、それだけ遠くが見えるようになるけれども、一歩上がるのは容易じゃない、荷物を背負っているから。しかし身体を動かさないと見えない風景は確実にある。 -
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ネタバレ「わかる」ということの曖昧さ、適当さから始まり、現代人の認識の中で実はあべこべになってしまっていることを独自の解釈で説明している。
特に、人間は日々変化するもので、情報は不変のものという認識は、自分の中では完全に逆になっていた。日々大量の情報が行き交うが、それ自体は不変のものという解釈には納得させられた。「知る」ということは、自らを変えることができ、情報を見る目が変わるということを知っていれば、無理やりでなくとも勉強をする意味が見出せると思う。
また、「人生の意味」についても、フランクルの「他人が人生の意味を考える手伝いをする」という解釈は、そもそもの人生の意味は何かということについては答えになっていないものの、1つの考え方としてためになるものだった。 -
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確固とした自分がある、私は私で変わらないと思い込んでいては、物を知ることができない
学問をして、自分が変わる=物を知ること
人間は否応なく変わっていく。だから、人生の何割かは空白にして、偶然を受け入れるようにしておかないといけない。人生は「ああすれば、こうなる」というわけにはいかない。
一人ひとりの一生はなんだか分からない、理由などないそんな一生。
どうなるかわからないけど、地道な努力=「手入れ」を続け、予測できないことを我慢する忍耐を持つ。そして、分からないことを空白のままにして何割ぐらいかわかれば、まあこんなところだろうと思ってつきあう辛抱が必要。
子育てだって、どれだけ頑張っても将来どうなるかなんて分からない。思い通りの大人になる保証なんてない。それでも、「手入れ」を続けるしかない。
昔の人たちは田畑の仕事を通じて、この当たり前のことをよく知っていた。
⭐️私は自分について結果を求めてしまうし、辞めたい癖を簡単に辞められない変わらないと自分責めてしまう。努力を続けても「治る」かどうかは分からないけど、続けるしかないと改めて思った。
矛盾してるが、ありのままの私を受け入れたい、受け入れて欲しいという思いもある。
私は地道な努力はしていると自負してるが、でも自分にも他人にも厳しすぎると気づいた。人生に余裕、空白を持ちたい。予測できないことを我慢する忍耐、どうなるか分からない将来への辛抱を持ちたい。
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大好きな養老先生の本。個人主義と日本について、個性とは何か、情報との関わり方、悪化している日本をどうしたら変えられるか、の話だった。
特に面白かったのは、
◯自分、自己、自我、自意識等々、それは結局のところ、(地図上の)「今自分はどこにいるかを示す矢印」くらいのものに過ぎないのではないか。
という見方。このくらいの自意識が個人的には好きだ。若い世代の方々を見ていると、びっくりするほど自意識が過剰になってきているのがわかる。子供がいる世代ですら、自己主張ばかり強くなっていっているのを感じる。そういった流れの中で、自己をこのように捉える感覚はなかなか浸透はしないだろうが、浸透することを切に願わずにはいられない。
他に、参勤交代をすると良い、という考えが面白かった。
◯世の中を動かすにはビックピクチャーが必要。参勤交代はビックピクチャーの1つ。都市に住む人に、年間数ヶ月は田舎に住むことを義務づける。まずは官僚から実践させる。そうすれば日本は確実に変わる。
また、仕事は状況込みのものという考えが印象的でした。
◯確かにその頃、(養老先生が当時働いていた)東大にいるのは面倒でした。本来の仕事である研究とは別の厄介事が常にたくさんついてまわる状況でも、そういう状況にある大学と向き合うことも、仕事の1部だから、そこから逃げてはいけない。そう考えたのです。
労働者の権利とか、働き方改革とかが叫ばれている世の中の風潮に、この考え方は逆行するように思います。実際に、今の職場は、最初に契約したこと以外の仕事をどんどん振られ、◯時間以内に労働時間を収めないといけない(書類上)、賃金もそれ以上は出ない、という規則の中、やる気が出ず、仕事も質も下げてやっていました。でも、養老先生の言葉を考えると、そういう心持ちで働いても、自分の人としての成長はないと反省した。心身ともに疲弊していてやる気は正直出ませんが、養老先生の言葉を念頭に仕事に向かうと、何か変わっていく気がする。
◯自分のことが嫌いで、自殺を考えているような人であっても、本能的には自分を「えこひいき」して、世界よりも自分の方を大事に考えています。
これは、最近自分をとても可愛がったり大切にしている人を見て、なんか嫌だなぁとモヤモヤしていた気持ちに突き刺さった。先日読んだ鳥羽和久さんの本の中で、「自分の弱さを自分で囲い込んで、それを守ることで、かえって外に出られなくしている人が増えた」というようなことが書かれていた。この考え方も確かに、、と思った。
自分を「えこひいき」する、量の程度の問題は大いにあると思うが、本能的に人はそうするものだと改めて頭に置いておけば、他人の気になる(自分過保護)も少しは許容できるようになりそうだ。
他に、原発事故の話で、原発問題が政治問題になっているから、安全対策がうまくいかないという話がとても印象的だった。参議院を長期的な問題を話し合う機関に変えてしまえば、自然環境などをもっと議論でき、良い方に向くという考えが書かれていた。
養老先生の考え方は、どの本を読んでも斬新でありながら理にかなっていて、欲深くなく、個人的にとても好きな考え方だと余計に好きになってしまう。今度、隣の市に講演に来てくださる予定なので、人生初の、推しに会いに行くような心待ちになっている。
以下備忘録
第1章 「自分」は、地図上の現在地の矢印に過ぎない。自分よりも他人を知ったほうがいい。意識は自分をえこひいきする。
第2章 本当の自分は最後に残る。
第3章 私の体は私だけのものではない。
体内はウィルスだらけ、シロアリとアメーバの関係
第4章 エネルギー問題は自分自身の問題
長期的な議論をする場が必要。長期的テーマ(エネルギー、自然など)を国家レベルで議論する役割を参議院が担えば良いのではないか。参議院を国政のアドバイザーのような位置づけにする。
第5章 日本のシステムは生きている。
政治問題化の弊害、江戸の不思議な人材登用、いじめなど
第6章 絆には良し悪しがある。
第7章 政治は現実を動かさない。
参勤交代の勧め。
第8章 「自分」以外の存在を意識する
親孝行の本当の意味
親高校は、子供に対して、「お前はお前だけのものじゃないよ」と言うことを実は教えていた。
第9章 あふれる情報に左右されないために
情報過多の問題、メタメッセージの怖さ
第10章 自信は「自分」で育てるもの
厄介だから生きている、仕事は状況込みのもの、人生はゴツゴツしたもの、自分の胃袋を知る