養老孟司のレビュー一覧
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じじい特有の色々もうわかりあおうとするのは面倒だ、という態度が、うっせーじゃあ書くなよ本なんか、と思ってイライラする。そういう不徹底がだらしない。わかりあうのが面倒ならコミュニケーションやめればいい。
要するにただ歳とって色々面倒になっただけで、でも書きたいことや言いたいことはある。
それはそれでいいんだから、それで認めて普通に書けばいい。余計なことを言うから、いけない。余計なことを我慢するのが面倒なくらいじじいになってるんだろう。
それが老いかね。まぁ、遺言と自ら言ってるのだからそんなとこ追求しなくても?って思うかもしれないけど、そこの態度は醜悪だ。
1つ前が方丈記だったからかもしれない。方丈記にはそういう面倒な言い訳はなかった。
そういうものを抜きにして、内容は面白い。
同一性と差異、というのは、まさに人間の情報編集の基礎である。あ、これを読んだのは松岡正剛の千夜千冊に取り上げられたからだ。
そもそも養老孟司にはあまり興味がない。
バカの壁、も、読んだら負けな気がして(まったく意味のない思いですが)読んでなかった。
バカの壁を読むことにバカの壁が透けて見える。
で、同一性と差異、タルドの模倣の法則や、バーバラ・スタフォードがそのあたりの僕の文脈だけど、スタフォードが
「違う違うという時代の同じ」というような意味のことを言ってたけども、この本では、「同じ同じという時代の違う」を指摘してる。
なるほど、この同一性と差異はどこからうまれるのか
それも興味がある
スタフォードを先に読んだせいもあるが、僕は、今は違う違うという時代と感じる。
共同幻想は細分化され、個々人の関心はバラバラになる。
でもこれは、プラトンとアリストテレスがラファエロの画面で示した所作に要約されて常に問われ続けてきたことでもあるのだろう。 -
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すごく面白かったし、わかりやすかった。
識字障害(ディスクレシア)
文字を音声に変換する部分に問題がある。
英語は綴りと発音の関係が複雑なので、それが識字障害が多い原因と言われている
文系は物事を言葉で割り切るからデジタル、理系は論理で解明しようとするからアナログ
哲学的な議論はどこまで突き詰めていっても、普遍的な法則は導き出せないのでは。
→脳は人によって違うわけだから、ある人の考えはその人の脳でなければ納得できないのかもしれない
人と人との会話は9割9分「どう思いますか?」で成り立っている
世の中の人が「どう思いますか?」と尋ねるのは、疑問をぶつけて相手から答えを聞き出したいからではなく、「この人は自分と同じ考えを持っているのか」、相手が敵か味方かを見極めようとしているだけ
人に見せびらかさないと楽しめないひとたち、一人で楽しめないのは、工夫して自分で問題を解決していないから
わからない、は、分かっているけど賛成できない、の意味を持つことが多い
科学的な実験にとって重要なのは「再現性」。なんもやっても同じ結果が得られないと、実験結果として認められない。
人間は「同じ」という能力を持っているのではないか。概念として認識する(≒抽象化する)能力。なかでも「言葉」が典型的。
認知的進化。
複数の現実があるということを、当たり前に受け止める大人になる。そっちから見るとそうなんだね、という認知ができると相手を本当に否定することはできなくなる。わたしは嫌!と言えるけど、あなたは間違ってる、とは言えない。⇦つまり、こういう考え方を持てるのが大人ってこと。
イタリアの言葉、「どん底に落ちたら、掘れ」
認知症の幻覚を体験すれば、認知症患者にかける言葉も、「そんなものは見えないよ」ではなく「あなたにはそう見えるんだね」に変わるだろう。
人間の感じる不条理や不合理は脳内現象であり、世界には不条理なことも不合理なこともない。この世界に矛盾はないが、脳の中では「矛盾している」と感じる意識が生じる。不合理の存在しない世界で、人間が不合理を感じること自体、不合理だが、そのことは一回飲み込んで考えてみる。
責任を与えなければ人は育たない
なぜ貨幣に価値があるのかを経済学的に説明するなら、次の人が受け取ってくれるという期待である。次の人が受け取ってくれる期待がどこから来るのかというと、次の次の人が受け取ってくれるという期待、さらには次の次の次の人.となってどこまでも続いていく。期待の連鎖が形成されると、人々はそれが実態だと感じ始める。自己言及的に価値が作られていく。 -
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これを読んだのは、だいぶ若いときだった。だから、がんについてあまり考えたことがなかったし、非常につらい病気だと思っていた。でも、本書を読んで、考え方が変わった。
まず、日本にはモルヒネに対する強い偏見がある。モルヒネは血液中に入ると危険だが、口から飲む分には安全である。これでがんの苦しみのほとんどは軽減されるという。
また、がんは死ぬまでに時間がかかる病気である。だから、人生の整理ができる。がんで亡くなった樹木希林さんもこう語っている。
「ガンになって死ぬのが一番幸せだと思います。畳の上で死ねるし、用意ができます。片付けしてその準備ができるのは最高だと思っています。」
つまり、これからの課題は、がんをどうやって治すかではなく、がんをどう生きるかという終末医療にかかっている。そういう発想を得られたことは、大きかった。 -
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1990年代、アメリカでは「脳の10年(Decade of the Brain)」と言われた。しかし、同時期の日本はまだ「心の時代」だった。事件が起きればワイドショーで犯人の「心の闇」が語られ、エヴァンゲリオンが人気を呼び、大学の心理学科は10〜20倍の競争率だった。その頃に著者は、いち早く脳に着目していた。
しかし、この本は題名から想像されるような「脳がわかればすべてがわかる」という内容ではない。むしろ「人間は脳にわかることしかわからない」という限界について述べたと言ってもいい。つまり、人間は脳の中に閉じ込められている。
それはソフトだけでなくハードにおいても同じである。都会とは要するに脳が設計した空間である。その中には、脳にとって予測不可能なもの=自然は存在してはならない。だから街路樹は植えてもいいが、雑草は引っこ抜く。しかし、どれだけ自然を排除しても、最後にどうしても残る自然がある。それはわれわれの身体である。ここでも脳は限界に直面する。
脳ブームに先行しながら、脳神話の矛盾さえもすでに見通していた、時代の一歩も二歩も先を行った本。いまなお多くの示唆を与えてくれるエキサイティングな論考と言える。 -
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遠い国の物語やことばを読んでゐて、その隔たりを感じることがあつた。あるひは、遠い国であつても同じ様な精神の人間に出会つた時、もつと身近に知つてゐたのなら、話してみたいことがたくさんあつた、そんな風に感じることもあつた。それは時に限らず、時間も同じで。遠い忘れてしまふくらい昔のひとに感じる隔たりと、引き合ふ寄り添ふ力。
どこかで感じてゐただけで、このやうに考へ、ひとつの形にしないできてしまつた。考へ続け、それを何ものかで表現し続けるといふことに耳を塞ぎ、またもや与へられるだけで流され続けてきてしまつた。知りたくて知りたくてたまらない。もつとことばがほしい。
養老先生はいつも考へ続け、生きてゐるひとだ。後どれくらい続けられるかはわからない。けれど、最後の最後まで考へ続けてゐるのだと思ふ。
構造と機能、感覚と概念、違ふと同じ。これらは相補的なものであつて正反対のものではない。なぜなら、どちらもことばによつて重なるところがあるからである。
純粋、といふものは概念では存在するが、感覚としてそれが存在するといふことはあり得ない。感覚からすれば存在しないが、概念からすれば存在する。どうもそんな風に人間はできてゐる。有るといへばあるし、無いといへばない。これこそ、無思想なのだと思ふ。
一見矛盾してゐるやうにみえるが、それは概念で捉へるのか、感覚で捉へるかの違ひに過ぎない。どちらもこのひとりの人間、脳のしてゐることなのだ。どうもそんな風に考へるより他ない。無意識の発見になぞらへた、無思想の発見。
無思想に裏打ちされてゐると考へると、いわしの頭も信心から、八百万の神々、無宗教が一変にあること、自分が漠然と感じてゐたことの正体に気づかされる。
無思想といふ思想、故に価値基準を世間・状況に委ねる。形を重んじながらも、簡単にその形を棄てられる。善し悪しはともかくとして、このやうになつてゐるのだとすれば、それに気づくことは少しは生きやすくなるだらう。
自分はかうだ、とひとつに決めてしまへば、それは再び自分ではない何かに委ね、不満となれば形をとりかへることになるだらう。しかし、この地球といふひとつの球体の上で、さう考へない者と生きてゐる以上、それだけで生きてゐては埒があかない。自分は変るし、変らない。柏手をうつこの右手と左手の間の存在。知ること、気づくことは、かうもひとを自由にする。 -
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現代の世の中で起きている様々な問題に対し、一つの補助線として意識(脳化、都市化、情報化)への過度な偏重を提示。
・人間と動物の違い。人間は意識、動物は感覚を重視する。ここから人間は感覚から入力に対し、意味を見出すようになった。
→意味のないものを排除する傾向が強まった(自然の排除。都市化)
・意識によって「同じ」を理解できるようになった。お金や数式、相手の心の理解などを生み出した。他方、感覚は「違い」を重視する。
・意識には科学的な定義はなく、脳によって支配されている。なのに意識は「自分が偉い!」と思ってしまう。
・少しでも意識から離れ、感覚に近いものを求める向きもあり、それが音楽やアートに繋がっている。
・政治の分断や自然保護なども意識と感覚の対立によるもの。特に少子化は都市化が進んでおり予測された社会の中で、子どもという自然に違い存在は予測不可能であり、避けられて当然
著者が今までの著書で述べてきたことのまとめであるように感じた。
会社役員や、政治家など意識中心で生きている人がなぜゴルフにハマるのか。作られたとはいえ自然が感じられ、自分は毎回同じスイングのつもりでも球が毎回違う方向に飛ぶ、予測不可能などスポーツだからなのかなと。
人間誰もが意識しないと「意識」偏重になってしまう。
だからこそ自然や感覚にもしっかり目を向けるように意識しないといけない。
著書の後半で印象的だったのが以下
「私に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなこと(様々な問題について)を考えて眠れないんですから」
80歳とはいえ研究者としてまだまだ悩みは尽きないんだなー。
だからこそあえて意識から離れるために、虫取りするかな。 -
購入済み
話を聞きたい
世の中が何かおかしくなっていると思うこの頃。格差社会はもはや経済面だけじゃない、現代日本の厳しい現実。自分と他人、人間の本質と自分の煩雑な生活について考えてみる。人生の大先輩の思考に触れる一冊。
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新しい本と思ったが、以前出ていたものの復刊らしい。
最初の方は、「死」のとらえ方など、
すでに読んだ感のある内容だったけど、
学生運動にまつわる話が出てきたあたりから、
いろいろ刺激を受けつつ読んだ。
「変わらないもの」「変わるもの」の言葉の意味合いが、
文章の中で入れ替わっていくのに注意しつつ読み進む。
変わっていくのは自分。時勢によって変わっていく社会。
その中で変わらないものを追求するのが学問。
学問は役に立つ、結果がすぐ出る、個人の業績に繋がる、
ようなものではない。
問題の根本を考え反省しないでいるから、
戦時中と同じことが学生紛争の中で亡霊のようによみがえる。
「原理主義」な頭の人が「この非常時に」と言い出す恐ろしさ。
この先も、同じことが別の局面で起こらないとは言えない。
対象を選ぶと間違うが、方法を選べば応用が効く。
頭で考えて意味がないと決めると何も動かなくなる。
動いてみないと覚えない、わからないことがたくんさんあるのに。 -
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昆虫を追って暮らす解剖学者と、黒姫の自然と共に生きる作家。現代の日本人が失ってしまった「身体感覚」の大切さを語る。
そもそも人間は体内にだって無数の細菌を飼っていて共存しているように、常に自然環境や他の生物と密接に生きているはずであるのに、そのつながりを否定してしまう「都会」という生活環境が、さまざまな問題を生んでいる。もちろんそのくらしは快適で、人間は危険や苦しみを避けてここに至ったのも事実なんだけれど、行き過ぎた都市化はやはり問題を生じている。
養老先生が提唱しているように「参勤交代」〜都市と田舎を強制的に行き来させるような施策も、意外に面白いのかも知れない。私自身、田舎暮らしにはおおいに興味を持っているのだけれども…。 -
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竹村公太郎氏との対談集で、久々に養老孟司氏の言説に触れ、読もうと思ったのがこの本。以前、読んでいたが、レビューを書いていなかったので、読みなおした。
内容は、
第1章 私的な私、公的な私
第2章 だれが自分を創るのか
第3章 われわれに思想はあるのか
第4章 無思想という思想
第5章 ゼロの発見
第6章 無思想の由来
第7章 モノと思想
第8章 気持ちはじかに伝わる
第9章 じゃあどうするのか
となっている。
解剖学者として、モノとしての人間の「脳」を観察してきた理系の思想分析のアプローチである。
しかしながら、古今東西の思想家・哲学家の造詣も深い。
そんな養老氏の論理的な「無思想の発見」。
インド人が発見し、中国語で学習した「般若心経」「0」を一番理解しているのは日本人だ(笑)。
「無思想」という「思想」を一神教のメンバーに理解させることは、困難を極めるだろう。
しかしながら、遠い将来、「無思想」という「思想」のすばらしさが世界を席巻する日を夢見て・・・・ -
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ネタバレ非常に面白かった。
養老氏が若手理系識者4人と対談している本。
「理系と文系」と対比させて対談しているのはしょっぱなの森博嗣氏の対談。
あ~なるほどな~と思ったのは文系の方が理屈っぽい、それは言葉で割り切るからだという表現。氏が意図している所を完全に理解しているかどうかわからないが、理系の人が数字に拘るのはざっくり映像的にイメージしたいからイメージを共有させないと成り立たないというのが理系同士の会話。
続く藤井直敬氏はVRをやっている人。養老氏は多重構造で成り立っているこの世界を認知するためにはVR,SRというのは間違いなく人を進化させると語る。
次の鈴木健氏は複雑系の科学の専門家でありながらプログラマーさらにはニュースアプリ「スマートニュース」まで立ち上げるという偉人。彼の著書である「なめらかな社会とその敵」の内容を中心に対談は進んでいく。印象深いのは次の須田桃子氏の対談の時と同様、養老先生の科学の難しさ、限界について語っておられる。
「サイエンスのルールは笑うべきもの。例えば再現性の担保。それを生き物に当てはめるのは難しい」
「人間とは「同じ」と思う能力を開発した。また「交換」するという事を覚えた」
「あるものはしょうがないという認識が大事」
「「全ての細胞は細胞から生じる」という19世紀のルドルフ・ルイドリッヒ・カール・ウィルヒョーの言葉を忘れ過ぎ。ドーキンス理論なんて最たるもの」
次は氏の「唯脳論」を読んでみたいと思う。