あらすじ
東日本大震災以降の大問題。日本人はどこに住めばいいのか、どう住むべきか?
現代人は「脳化社会」の中に生きていると喝破した養老孟司氏と、ヒトの毎日の環境である住宅、都市の設計を行う建築家隈研吾氏が語り合います。
都市集中、過疎、自然喪失、高齢化、そして、震災、津波。21世紀、どこに住み、どう生きるのが幸せだろう。
養老「建築界では、津波についてどう対策を考えていたんですか」
隈「驚くべきことに、津波に関してはノーマークだったんです」
養老「原発事故は絶対に起こらないというのと同じメンタリティですね」
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Posted by ブクログ
栄光学園出身の2人が、現場主義、もしくは身体性といったことを基本にしながら、都市、建築、そして住まい方について論じる。
東日本大震災の後の対談だったようだが、水害が頻発する今読むと、大事なのは建物ではなく、立地であることなど、メッセージがより際立つ。
マイホームがファンタジーであるとの言い切り、だましだまし賃貸に住むことなど、励まされる。
今後の住まいを考える出発点になる一冊。
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震災後の対談は一部のようだけど、
震災を経て加筆修正されて問題が鮮明になったようだ。
考え方、視線の変え方、刺激のたくさんある本。
建築家は土地の問題から離されている、
コンクリートは信頼の上に成り立っている建築、
全国一律で進もうとするところからくる歪み、
サラリーマン感覚という頭の域を出ない怖さ、
コンピューターで計算できる形へ修正されていく自分のアイディア、
etc.etc...
時間がかかっても、
個別の事象に現場で体で対応していくことが、
復興に向けた一番の解決策なのだと思う。
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原発事業、植林の山崩れも戦後のつけ。戦後は続いている。
「家がプライベートな空間だと思ったときから、いろいろな間違いが始まったのではないかと僕は思っています。プライベートという思いがさらに進むと『私有』になる。自分の一生の財産であり、人生の目標だと思い込むと、ペンキのヒビ一本も許さなくなるでしょう。そうして、ヒビの入らないビニールクロス張りのマンションができあがり、サブプライム・ローンの破綻に行き着く。」
「人工圧力設計」とエネルギー問題。
「自分が快適に思える街ではなく、サラリーマンとしての自分の地位が保たれる街が、日本全国どこにでもできてしまっている。」
「だましだましをやるには現場が必要」
「サラリーマンは別名、現場のない人です。現場のない人のメンタリティで、震災復興プロジェクトもやられてしまう、というのは、危険なことです。」
「参勤交代」
「サラリーマンがみんなサバティカル(長期休暇)を持てばいいんです。」
「人は寒いから暖かくして、暑いから冷やすんだと考えるわけ。これは機能論と言われますが、でも、本当はそうじゃないんです。ひとが冷暖房を使う理由をよくよく詰めて考えると、気温一定という秩序を意識が要求しているからなんですよ。」
「国の診療制度だと今は出来高払いになっているから、あきらめた方がいい医者でも仕事を続けるし、あきらめた方がいい対象でも医療行為が続いてしまう。・・死ぬまで我慢の一生。」
「『だましだまし』という方法論が排除されているんですよね。」
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「だましだまし」に生き抜く。「だましだまし」の建築。日本の風土、日本人の生き方に合うのは今よりも少し肩の力を抜いたものなのかもしれない。
わたしには養老先生と隈さんが想像する社会がとても魅力的に感じた。
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いちばん印象に残ったのは、岡山の限界集落の話。「NHKの番組で岡山の高齢者だけの限界集落を取り上げていたのね。75歳以上の人だけが住んでいる集落が、岡山には720ほどあるそうなんです。…それで俺が思うには、限界集落が720もあるということは、そこがいかに住みやすいよい場所か、ということですね。…限界集落とか言って問題視する前に、どうしてそういう生き方こそ奨励しないのかね、と思って。」
東日本大震災後、1年以内に書かれた日経ビジネス連載のまとめなので、端々に生き方や暮らし方の再考が提言されている。コロナ禍の現状に置き換えても違和感がないので、本質的な議論がなされていたのだと感じる。暮らしを歴史的・政治的・経済的・機能的・国際的・精神的に捉えた秀逸な対談本。
Posted by ブクログ
コンクリートのマンションの小綺麗な部屋に住まわせ、時間や規則の拘束などにガチガチに縛り付けるように、小学生の息子を育てています。どのエピソードも納得なのですが、頭が痛いです。。。
本当にいつから日本はこんな窮屈な世間になってしまったんだろうと思いながら、そのスタイルから抜けられないー
隈健吾さんの考え方については非常に共感できますね。私たちは大手ゼネコンより、地域や自然、未来的な思考ができる方を応援したいです。
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二人の対談が純粋に面白かった。
震災以前は、建築は津波に対してはノーマークだったのには驚いたが、100パーセント安全なんてものはないから、「だましだまし」やるというやり方が、きっと一番必要な姿勢なのだろう。
国策としての都市計画も大切かもしれないが、個々人が気持ちよく生活できる環境というのが何よりも大切だ。戦後の都市計画が、環境をダメにしたのであれば、これからはもう少し長い目で、企業も国も考えてほしい。
建築、解剖学に著者なりの共通点があったのも興味深かった。
Posted by ブクログ
最適解を足していくと「合成の誤謬」というやつが乗じますよね 自然災害の少なさ、規模の小ささは、自然への畏怖の勘定を失わせ、人間を傲慢にする。現場主義を衰退させる 忘れてならないことが一つある。現場主義の大前提は夢が存在することである
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隈さんを知ったのは何だったかな?
何かのTVなのは確か…で、養老先生との対談本だから、即買いしてやっと読み終えた。
だましだましやる…またしても名言だ! もう一つ、人は適応力が優れてあるから悪い環境でも適応してすぐ馴染んでしまう。
勉強になりました。
Posted by ブクログ
どの場所に対してもカンペキな建築というのは、そもそもムリ。だからと言って諦めるのではなくて施主とデベロッパーがアイデアを出しながら納得できるものを建てることは可能。しかし今の分業制の建築方法では、責任の所在がどこにあるのか不透明で誰が何を求めた建築物なのかがよくわからない。
(隈)津波から命を守る建築物といったら「地下」シェルター。土地の上の建物で地震にも津波からも逃れられるカンペキなものを求めるから問題が難しくなる。
だったら「だましだまし」の思想で、とりあえず津波から命を守るために「地下」に逃げ込める設備を作る。津波の表面は波の力が強いけれども、下はわりと弱い。
・ユートピア主義→どんな災害にも耐えうる理想的な建物を!
・現場主義→「だましだまし」やっていくなかで最適な建物を!
ユートピア主義+現場主義=最適解
・システム問題→あるものを形作る非常に複雑な要素をアタマが無視している。
(養)システム問題を避けるためには「参勤交代」のような、地方と都市の人間の入れ替わりが必要
Posted by ブクログ
「バカの壁」の養老孟司氏と建築家隈健吾氏の対談集です。
普通のおっさん的風貌の隈氏にはいつも親近感を感じますが、建築家ですので当然建築や都市計画への思考は深く、そこに養老氏の思考と絡まれば、単なる住まいや住み方のテーマから一気に飛躍しそうでなかなかしない感じがとても読みやすかったです。
隈氏の建築家としての個性があまり出てこないのは養老氏の懐の深さだと感じました。
大規模建築を独り歩きさせず、人目線から建築を見つめ直す視点は、その前提として、人間的な思考を繰り返してこそ得られるものだと感じました。
あまり専門的になり過ぎず、難しい言葉も少ないので一気読みできました。
Posted by ブクログ
脳と虫の専門家と建築の専門家の雑談という感じ。
現代建築がどこに向かっていくのか、住居と人間の関係の変化など考えさせられる内容がたくさんありました。
養老さんは昔からファンでしたが、隈さんにもかなり興味が湧きました。
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だましだましでいくというのは、つまりグレーゾーンを大きく取るということ。「受け身で考えるのが得意」な日本人が、強い理想・意思をもってグレーゾーンの中仕事を進めていくというのは、なかなか大変な気もします。
住まうことの流動性に関しては、感覚的にはとても馴染みます。(自分の意に反してそこに住まい続けるという事はかなりしんどい。)
今まで楽しく対談してきたけど、何やらお題をもらっているからそろそろまとめなくちゃならんね、という雰囲気にちょっと笑いました。
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まちづくりや建設業界にも現代日本人の共通構造が垣間見られる。震災復興やこれからの日本のまちづくりに「だましだまし」の知恵は必要不可欠かもしれない。医療も「負ける医療」の時代到来か。
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当たり前のように感じていた生活や考え方にアメリカ式が染み込んでいることに驚いた。
それが全部悪いとは思わないけれど、ちょっと見方を変えなきゃな、と思わせてくれた本。
こっちと日本で参勤交代とかサバティカルな生活は理想だなあ。
ラオスは少し憧れるけど、今の私に石油なしの生活が耐えられるかな...
Posted by ブクログ
建築って結構アバウトなんですね。気が軽くなりました。
現場主義、原理主義じゃなくて、というのに共感。
あと、カトリックの学校って、やっぱりいいのかな。娘にきちんと教育を受けさせよう。
Posted by ブクログ
養老さんと隈さんの対談をまとめた一冊。震災を受けてこの手の題材は多数出版されているなか、この二人の対談に興味があり、一読。
震災、エネルギー問題から、都市計画、高層マンション、経済問題まで様々な事柄が「住まう」という視点から語られている。
対談形式なので読みやすく、共感し、学ぶことが多い。
特に自分自身が最近考える住宅の私有という感覚についての考察がよかった。(とは言え、私有を問題視している隈さんがスーパーハイスペックの住宅、間違いなくエネルギー依存している住宅を作っているんだからそこは切り離していいのかという疑問はある)
Posted by ブクログ
建築においても、いかに頭の中が、経済に支配されているか考えさせられる。郊外一戸建、分譲マンションetc。
サラリーマン的発想では思い切った建物や、長い視点での都市計画はできない。
実体験として、“わかり”ながらみながら物事をすすめることの大切さ、逆に頭の中だけ、パソコンの中だけで仕事する怖さがわかる。
ユートピアは危険としながらも、大きな夢があるからこそ、現場という複雑でやっかいなものと折り合いをつけてゆく、勇気と活力が与えられる。
この本は、住まうことにも多様性や、流動性がもっと許容する社会があってよいといってくれている気がする。
Posted by ブクログ
負ける、だましだまし、というあたりがキーワードの、まさにこの二人らしい展開です。モンゴルのパオの中が公共空間、外がプライバシーの守られる場、という視点。それはそこでは当たり前でも、日本では驚くのです。そうした発想が、日本のヘイソクカンを打ち破れるかなと期待します。もちろん養老氏の参勤交代論で締め。
Posted by ブクログ
面白いです。
今の自分達の考えが「振れ幅が大きく」なってることにも気がつくし、だましだましって「グレーゾーン」でもあると解釈すると、それを排除しようとしてた昨今。「アッ」と思うところ満載の本でした。
Posted by ブクログ
・大御所二人の対談だが、思ったよりくだけた内容。学術的なものではない。
・隈さんが養老さんに気を使っている雰囲気が随所にあり。予定調和すぎてつまらなくなっている。
・全編「だましだまし」という共通のテーマで流れを作っている。
・隈さんはコルビュジエを批判しているような口調だったが、最後に海にちかい小さな小屋に住み、溺死したことに共感していたのはどうなのだろう?
Posted by ブクログ
日本のサラリーマン的な非合理性あるある、合成の誤謬などを2人がトーク。
軽めの雑談。
・建築学会は津波の心配をしていなかった。計算できないリスクはないことにするという悪癖のせい。
・コンクリート建築をつくりたがるのは計算しやすいから。木造は計算が難しい、経験則の世界。
・大きなものを回せば雇用が確保できるというシステムが個人も会社も社会をも飲み込んでしまった。
・2人はイエズス会系高校の先輩後輩。
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養老先生と隈研吾氏の対談。
同じ学校の先輩後輩とは知らなかったが、
かなりシンパシーを感じあってる二人だと思った。
面白かったけど、要所要所で理想論もあって、
異論もたくさん起こりそうだった。
コンクリ打ちっ放しの無機質な建築は好まないとは、
あの方のことを言っているのかしら。
Posted by ブクログ
割と最近の著、有名なお二方の対談は
視点も面白くメカラウロコ、、、たびたび。
どうも、一生懸命な日本人は
なんでもやりすぎる嫌いがあるらしい。。。
傾斜度の大きな山肌、
国産の木を伐採して使った後
どうせ使うからと原生林を杉や檜に全て変えてしまった。
傾斜度の大きな山肌は
その土地にあった原生林を構成する木であるならば
大雨が降ろうと、崖崩れも早々起こらない
ところが根っこが粘らない杉や檜を
そんな土地に均一に植えてしまうと
あっという間に土砂災害が。。。
また風光明媚な海岸線に一斉に走らせた道路。
そんな道路をただただ眺めがいいと作ったおかげで
海岸線が破壊され砂浜が消えてしまうことも。
地形はどうやって形作られたか?
山から流れる川が作る土砂、堆積物
大きな海洋からの波、風にも作られた海岸線。
そこにはまっすぐに作ってしまうことで
今まで起こらなかった災害もおこったり、
今まで防がれていた自然からの大きな影響を
クッションのように遮っていた
なんともいい具合の地形をなくすことにもなったり。
人は長い間自然とだましだまし付き合ってきた。
制圧する力はないことを知っていたからだ。
また、今では珍しくもないコンクリート建築。
シャープで現代的なその工法は
手先が器用で真面目な日本の大工さんがいればこそ。
コンクリートは生真面目にベニア板を並べ、
コンクリートを流すが、
一旦乾いてしまえば、中に何が入っているのかわからない。
真面目な日本の大工さんの信用にかかってる。
どことは言わないが、、、
コンクリートの中にゴミが入ったり
鉄筋が少なかったり、、、
目には見えないからこそ、
人の信用の上に成り立つ工法なのだ。
お二人はもっと木を使った建築も!とも言っている。
実に興味深い対談でした。
Posted by ブクログ
養老さんと隈さんの、ともだおれ対談が書籍になったもの。
だましだまし生きていこう、というコンセプトは重要。何でも綺麗に行くわけでもなく、完璧ではなくても、状況を見ながらやっていこうというもの。復興にもそういう考え方は必要だろう。
理系的なものが、文系的なマーケティングに翻弄される、というのはありがちなことだろう。文系を否定するのではないだろうが、売らんかなが強すぎると、本来の姿を歪めてしまうということか。
復興のための、サラリーマンのサバティカル、ボランティアタウンづくりとうのは非常に共感できる。
Posted by ブクログ
日本の建築士がサラリーマンで占められていることの問題点を指摘されていたが、現代日本人の志向が全般的にそういう方向にあるということの結果が就業の形式をサラリーマンにしているのではないかと思っている。サラリーマンという形式によって面白みが無くなる傾向は否めないが、決して皆が自己を殺して表現しているということもなかろうし、面白みよりも「安く」かつ高い品質を求める需要先を考えれば、資材等の集中購買化等も避けて通れない選択なのだと思う。また、何よりサラリーマン建築士でも個性的な良い建物の設計を追究していることは間違いなく、成果があげられたときにはそういった建築物にも正当な評価を与えて欲しいと願っている。
Posted by ブクログ
養老先生、隈さんの視点が随所に記載されており、面白かった。震災後の日本人の暮らし方、価値観が記載され、特に、養老先生の田舎と都市の参勤交代のライフスタイルの提案に興味を惹かれた。これは、以前お会いしたロハスを進める日大工学部の機械科先生と共通するところがあった。
Posted by ブクログ
これからの『都市計画』と『住む』という事をしっかりと考えていくことが、これからの日本の復興への鍵へとなるのではないかと考えます。家への価値観を少し変わりました。