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文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、そして心…あらゆるヒトの営みは脳に由来する。「情報」を縁とし、おびただしい「人工物」に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住む。脳の法則性という観点からヒトの活動を捉え直し、現代社会を「脳化社会」と喝破。一連の脳ブームの端緒を拓いたスリリングな論考。
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Posted by ブクログ
視覚と聴覚の連合、これが意味する内容の考察が興味深い。また、この感想を書く行為も脳による行為であることを自覚し、我々が脳社会の住人であることを想起する。
唯脳論とは何か。その定義に先ず惹きつけられる。ヒトの歴史は、「自然の世界」に対する、「脳の世界」の浸潤の歴史。ヒトが人である所以は、言語、芸術、科学、宗教等のシンボル機能により、物財の交換、創造が為されること。また、差異を説明しようと、言わば神学論争のような決着のつかぬ、相互の説得を為すこと。ユヴァ...続きを読むルノアハラリを彷彿させる論であり、寧ろ、これがオリジナルではとも感じさせられた。 都会が脳の産物であり、それを別著ではデジタル化とも表現していたが、確かに、最早、都市には自然は略残されいないのだろう。制度や建築物、あらゆる人間の営為は、確かに全て人工物だ。数少ない自然は、天候や災害、それと著者の愛する虫位だろうか。だから唯脳論なのかと、分かりやすい。 また、脳と心の関係性についての解説も秀逸。これは、構造と機能で表される。つまり、心臓と循環、肺と呼吸のような事だ。解剖学ならではの視点かと思うが、確かに循環や呼吸を心同様に切り出す事は出来ない。実物は構造の方なのだから。 数多ある養老孟司の著作、主張の原点とも言える代表作。これは、古典としても読むべきだろう。
養老先生の本は、この本から読み始めるのがオススメです。先生の書かれる本に通底する考え方、物の捉え方が書いてあります。
今考えていること、哲学や社会学を通っていたが、なにか、あっけなくまとめてもらえた感覚だ。一連の終わりみたいな位置だった。少しの間、読書がライトになりそうだ。脳ね。いや体ね。社会も世論も本音と建前ではもううまく出来上がるわけがない。性も死も伏せててなにを語れるんだと。無理に決まってる。食を語って埋葬を...続きを読む語らず。死も体もなし。死んだら画面から消えるゲームの世界。読後にちょっと思った。言わなかったことが言いたかったことだったり、ヒトに信念があるから自然は復讐するんだと、それを理解しない風潮はより悪化していると感じさせた。
昔、ヒトは洞窟に住んだり、森で獣を捕まえたり、自然の中で生きていたが、文明が進むにつれ、建築物や道路、街路樹に囲まれた社会を作っていった。この社会は脳の大脳皮質が生み出した幻想。都会に住んでると、周囲のあらゆるモノゴトは単なる記号や情報にしか見えなくなってくる。自然から切り離されたデジタル世界に生き...続きを読むてる錯覚になる。でも、ネットとかで生々しい死体の写真や「九相詩絵巻」を見ると、「あぁ、ヒトも自然の一部なんだ」「あらゆる意識を生み出すのは脳という身体の器官なんだ」と気づいて背筋がゾッとする。心地よい幻想から目が覚めて、生々しい自然の中にいることに愕然とする。隠されるものは、一皮剥いだ死体、すなわち異形のものである。しかし、それがヒトの真の姿である。なぜなら、われわれがいかに進歩の中へ逃走しようと、それが自然なるものの真の姿だからである。ヒトを生み出したのは、その自然である。『唯脳論』1989 *********************** サヴァンのカレンダー計算能力、眼前の景色を完全に記憶するカメラ・アイ、演奏された曲をその場で覚える、桁の大きい素数を順次追う能力。これら能力はヒト社会では役に立たない。要求されるのは言語を使って他人と共有する力。p.165『人間科学』2002 機能は場所が決まっていない。肺の場所は決まっているが、呼吸の場所は決まっていない。心臓の場所は決まっているが、循環の場所は決まっていない。筋肉の場所は決まっているが、運動の場所は決まっていない。脳の場所は決まっているが、意識の場所は決まっていない。▼人間は自分の内臓に発生するがん細胞を感知できない。人間が感知できるのは外界。『からだを読む』2002 一元論。壁の内側だけが世界で向こう側が見えない。自分は変わらないという根拠のない思い込み。自分が違う人になるかもしれないと思えば、絶対的な原理主義は主張できない。p.194。人間は悩むのが当たり前、生きている限り悩むものなのに、悩みがあること、全てがハッキリしないことを悪いことと思い、無理やり悩みを無くそうとして、確かなものが欲しくなり、科学・宗教を絶対視してしまう。p.121▼己の日常とは別の世界を見て自分で何かを考える。p.169。安易に「わかる」「話せばわかる」「絶対の真実がある」と思うな。思考停止して強固な壁の中に住むこと(一元論)は楽だが、向こう側・自分と違う立場のことは見えなくなる。話が通じなくなる。p.204『バカの壁』2003 『まともな人』2003 人間が自然であり、高度なシステムだと捉えれば、畏怖の念が湧いてくる。それは結局自分を尊重していることになる。p.23▼自分の死体は「ない死体」。親しい人の死体は「死体ではない死体」。他人の死体は「死体である死体」。p.82▼中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考えがあり、中国人は死んだ後も人は別人になるわけではないと考えている。p.109▼ハプスブルク家は死ぬと心臓だけ取り出して銀のケースに入れて教会におさめていた。p.149▼「どうせ死ぬから今死んでもいい」は「どうせ腹が減るから喰うのを止める」と同じ。p.174『死の壁』2004 元気な自分と死にそうな自分は別の人。死ぬのは私ではなく別の人。死体は私にとって想像ではなく、平たい現実。▼フツーの顔を何枚も重ねていくと美人(特別)になっていく。当たり前の極限がノーベル賞。▼与えられた自然状態に対して、人間社会がやり遂げたことを考えれば、日本は世界でも模範的な国家のひとつ。p.242『人生論』2004 『無思想の発見』2005 感覚の世界ではすべてが違うが、言葉の世界ではすべてが同じ。言葉の「リンゴ」は赤くても青くても、大きくても小さくてもリンゴ。マンガはその「違う」と「同じ」をつなぐところに位置している。感覚の世界が地面で「同じ」の世界が天井で、そこに唯一絶体の神がある。p.34。人間は12兆個の細胞からできたものすごく複雑なもの。人間の複雑さに比べたら、原爆なんておもちゃみたいに簡単。そういう簡単なものに、ややこしいものをこわす権利はない。p.143『マンガをもっと読みなさい』2005 人は眠るとき意識が切れている。起きていると意識がある状態が続き、眠っている間は意識は切れている。死ぬということは最後に意識が切れてもう戻ってこない状態をいう。人生は点線。▼人が抱く死への恐怖は生前のものであって、死後は意識はなく死への恐怖もない。『養老訓』2007 現代人の悩みは人間関係の比重が大きすぎる。人間関係が肥大しすぎている。家族がどうだとか、友達がどうだとか。▼自然がない。花鳥風月。気ままな猫。方丈記。人間はあくまで自然の一部であり、自然の世界が縮小しすぎるのは良くない。▼日本人は7割が自分は無宗教と思っている。無宗教の「無」は仏教の無。『未来を変える選択』2012 個性は放っておいても誰にでもある。この世で生きていく上で大切なのは人といかに違うかではなく、人と同じところを探すこと。p.12。伝統芸能では徹底的に師匠の真似をさせられる。しかし、どこかがどうしても違ってくる。その違いが個性。弟子入りの段階から個性を伸ばせと言っても意味がない。p.34▼自分と世界との区別がつくのは、脳がそう線引きしているから。地図の中で自分の場所「矢印」はここと決めてくれているから。脳の空間定位の領野が壊れれば、自分と世界との区別はつかない。境目がない。p.19『「自分」の壁』2014 理系と文系の違いよりも、野外か実験室かの違いが大きい。『文系の壁』2015 同じの世界:見えているものが同じ,意識,数学,一神教,グローバル,イコール。違うの世界:見えているものが違う,感覚,芸術,多神教,ローカル,ノットイコール。現代社会は「同じの世界」に偏り,バランスを欠いている.たとえば,「白」という文字.これは意識でとらえると白色,感覚でとらえると黒色(文字は黒色だから).鴨川はつねに鴨川だと思っているが,流れている水は常に違う水.私はつねに私だと思っているが,人の身体は物質的には7年で入れ替わって違うものになる.人間はイコールを理解できるが,動物はできない.猿の話.朝三暮四(ちょうさんぼし)目先の違いに囚われて,実際は同じであることに気付かない.都市社会はエアコンで「同じ」気温,照明で「同じ」明るさ,石の床は「同じ」堅さ.「違う」「変化」は排除される。人間関係は「同じ」が好まれ,「違う」「変化」は嫌われる.生身の人間は常に変化する.その「違い」や「変化」が面倒臭い.いらない.となる。*ペットは「死ぬ」から飼うのを嫌がる人がいるが,これも「死ぬ」という自然の「変化」を嫌う現代人の特徴なのかも.『遺言』2017
たぶん4年ぶりくらいの再読。 ようやく少しずつ分かるようになってきたような気がする。 でも、養老さんの知識の量や考えの深さが半端無いから言われていることがなかなか理解できない。 わたしの脳の中に養老さんの脳の中にあるのと同じ構造がなく、その機能が働かなければわかるということはない。 ただ、学習...続きを読むによって脳は変化するから、もし今回すこしはわかったような気になれたとしたらこの4年間でわたしの脳も少しは変化したのかもしれない。 それにしても養老さんは素敵だ! Mahalo
「唯脳論」5 著者 養老孟司 出版 筑摩書房 p28より引用 “ところが、心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指し ている。” 解剖学者である著者による、脳の働きと人間社会などについて 論じた一冊。 ヒトがヒトである所以についてから脳と身体についてまで、解 剖図などを交えながら書かれ...続きを読むています。 上記の引用は、心と脳について書かれた項での一文。 子供の頃は、心は心臓の辺りにあると思っていましたが、ああい う漫画的な表現はいつからされるようになったのでしょうか? 昔のSF等で描かれていた物などが、現実の世界に作られるよう になっているのを見ると、文明社会は脳の産物という話について 納得することが出来るのではないでしょうか。 ーーーーー
なかなか理解できたと思えず、何度も読み直し。”唯脳論”を主張している○○学者がほかにいるのだろうか。”唯脳論”の考え方は、非の打ち所がなく、かつ、養老孟司が唯一唱えているように思える。”唯脳論”の考え方は、もっと評価されていいように思うのだが。
”現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報器官だからである”(本書p007より) この一文で始まる本書は、脳科学がここまで人口に膾炙する前、1989年に発表され、これからは”脳の時代である”ということを喝破した...続きを読む一冊である。『現代思想』に月1で連載された論考がベースになっており、脳を巡り様々なテーマが綴られていくが、その人文社会学までも射程圏内にある著者の知性の幅広さと、解剖学者としての長年の経験に基づくその知性の深さという、2つの力が見事に結実した知的論考と言える。 私が本書を手に取ったのは、敬愛する菊池成孔が「自身が選ぶ100冊」的な文章の中で選んでいた1冊であったからである。その選出の理由がよく分かったのは本書において言語と音楽、リズムについて記されている章を読んでからであった。 人間が言語を獲得した1つの仮説として「自分の発語を自分で聴く」というフィードバックサイクルの存在を提示した上で、同様のメカニズムが音楽においても存在していること(いうまでもなく楽器の演奏においては、常に自らの音を聴き、他人の音と合わせた上で音量・ピッチ・トーン・テンポなどを調整するというフィードバックが常に働く)を示す。その仮説を裏付ける材料として、失語症と失”音楽”症(理由なく急に楽器の演奏ができなくなる)は、脳内の近接領域の機能不全から起こっている・・・、という議論の流れなど、音楽愛好者にとってはこの上なくスリリングな知的興奮を味わわせてくれる。
・意識とは、脳が脳のことを考えることだ ・下等生物には、意識がなくて、人間に意識があるのは、脳が進化してきた過程にある ・末梢神経と脳の神経細胞は地図関係にある (だから足がない人も足が痛むことがある) ・言語でも知覚言語と音声言語で違う
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