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Posted by ブクログ
前回読んだのは、恐らく30年くらい前だったと思う。
本書の白眉は、「物質である脳から、なぜ心が生まれるのか」という心身問題に対し、「脳は構造で心はその機能」という明快な回答を提示したところだと思う。
その当然の帰結として、脳がなくなれば心も消える。
しかし、死が近付くとその認識は堪えがたいため、「魂の座」のようなものを想定するようになるのだろう。
また、最近読んだ「ドグラ・マグラ」に出てきた正木博士の「脳は身体の電話交換局」というセリフが本書でも引用されている。
そこから、人間が言語や品物、そして貨幣を交換するのは、脳自体が神経細胞間で電気信号を絶えず交換するシステムだからに他ならない、という結論を出すのは養老先生の独創である。
さらに進んで、社会制度や経済活動とは、脳の内部メカニズムが外部世界にそのまま投影・投射された「脳の産物」なのである、とまで言い切ってしまうことには躊躇も覚えるが、本書の文体のせいか、妙に説得力を感じてしまう。
Posted by ブクログ
昔、ヒトは洞窟に住んだり、森で獣を捕まえたり、自然の中で生きていたが、文明が進むにつれ、建築物や道路、街路樹に囲まれた社会を作っていった。この社会は脳の大脳皮質が生み出した幻想。都会に住んでると、周囲のあらゆるモノゴトは単なる記号や情報にしか見えなくなってくる。自然から切り離されたデジタル世界に生きてる錯覚になる。でも、ネットとかで生々しい死体の写真や「九相詩絵巻」を見ると、「あぁ、ヒトも自然の一部なんだ」「あらゆる意識を生み出すのは脳という身体の器官なんだ」と気づいて背筋がゾッとする。心地よい幻想から目が覚めて、生々しい自然の中にいることに愕然とする。隠されるものは、一皮剥いだ死体、すなわち異形のものである。しかし、それがヒトの真の姿である。なぜなら、われわれがいかに進歩の中へ逃走しようと、それが自然なるものの真の姿だからである。ヒトを生み出したのは、その自然である。『唯脳論』1989
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サヴァンのカレンダー計算能力、眼前の景色を完全に記憶するカメラ・アイ、演奏された曲をその場で覚える、桁の大きい素数を順次追う能力。これら能力はヒト社会では役に立たない。要求されるのは言語を使って他人と共有する力。p.165『人間科学』2002
機能は場所が決まっていない。肺の場所は決まっているが、呼吸の場所は決まっていない。心臓の場所は決まっているが、循環の場所は決まっていない。筋肉の場所は決まっているが、運動の場所は決まっていない。脳の場所は決まっているが、意識の場所は決まっていない。▼人間は自分の内臓に発生するがん細胞を感知できない。人間が感知できるのは外界。『からだを読む』2002
一元論。壁の内側だけが世界で向こう側が見えない。自分は変わらないという根拠のない思い込み。自分が違う人になるかもしれないと思えば、絶対的な原理主義は主張できない。p.194。人間は悩むのが当たり前、生きている限り悩むものなのに、悩みがあること、全てがハッキリしないことを悪いことと思い、無理やり悩みを無くそうとして、確かなものが欲しくなり、科学・宗教を絶対視してしまう。p.121▼己の日常とは別の世界を見て自分で何かを考える。p.169。安易に「わかる」「話せばわかる」「絶対の真実がある」と思うな。思考停止して強固な壁の中に住むこと(一元論)は楽だが、向こう側・自分と違う立場のことは見えなくなる。話が通じなくなる。p.204『バカの壁』2003
『まともな人』2003
人間が自然であり、高度なシステムだと捉えれば、畏怖の念が湧いてくる。それは結局自分を尊重していることになる。p.23▼自分の死体は「ない死体」。親しい人の死体は「死体ではない死体」。他人の死体は「死体である死体」。p.82▼中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考えがあり、中国人は死んだ後も人は別人になるわけではないと考えている。p.109▼ハプスブルク家は死ぬと心臓だけ取り出して銀のケースに入れて教会におさめていた。p.149▼「どうせ死ぬから今死んでもいい」は「どうせ腹が減るから喰うのを止める」と同じ。p.174『死の壁』2004
元気な自分と死にそうな自分は別の人。死ぬのは私ではなく別の人。死体は私にとって想像ではなく、平たい現実。▼フツーの顔を何枚も重ねていくと美人(特別)になっていく。当たり前の極限がノーベル賞。▼与えられた自然状態に対して、人間社会がやり遂げたことを考えれば、日本は世界でも模範的な国家のひとつ。p.242『人生論』2004
『無思想の発見』2005
感覚の世界ではすべてが違うが、言葉の世界ではすべてが同じ。言葉の「リンゴ」は赤くても青くても、大きくても小さくてもリンゴ。マンガはその「違う」と「同じ」をつなぐところに位置している。感覚の世界が地面で「同じ」の世界が天井で、そこに唯一絶体の神がある。p.34。人間は12兆個の細胞からできたものすごく複雑なもの。人間の複雑さに比べたら、原爆なんておもちゃみたいに簡単。そういう簡単なものに、ややこしいものをこわす権利はない。p.143『マンガをもっと読みなさい』2005
人は眠るとき意識が切れている。起きていると意識がある状態が続き、眠っている間は意識は切れている。死ぬということは最後に意識が切れてもう戻ってこない状態をいう。人生は点線。▼人が抱く死への恐怖は生前のものであって、死後は意識はなく死への恐怖もない。『養老訓』2007
現代人の悩みは人間関係の比重が大きすぎる。人間関係が肥大しすぎている。家族がどうだとか、友達がどうだとか。▼自然がない。花鳥風月。気ままな猫。方丈記。人間はあくまで自然の一部であり、自然の世界が縮小しすぎるのは良くない。▼日本人は7割が自分は無宗教と思っている。無宗教の「無」は仏教の無。『未来を変える選択』2012
個性は放っておいても誰にでもある。この世で生きていく上で大切なのは人といかに違うかではなく、人と同じところを探すこと。p.12。伝統芸能では徹底的に師匠の真似をさせられる。しかし、どこかがどうしても違ってくる。その違いが個性。弟子入りの段階から個性を伸ばせと言っても意味がない。p.34▼自分と世界との区別がつくのは、脳がそう線引きしているから。地図の中で自分の場所「矢印」はここと決めてくれているから。脳の空間定位の領野が壊れれば、自分と世界との区別はつかない。境目がない。p.19『「自分」の壁』2014
理系と文系の違いよりも、野外か実験室かの違いが大きい。『文系の壁』2015
同じの世界:見えているものが同じ,意識,数学,一神教,グローバル,イコール。違うの世界:見えているものが違う,感覚,芸術,多神教,ローカル,ノットイコール。現代社会は「同じの世界」に偏り,バランスを欠いている.たとえば,「白」という文字.これは意識でとらえると白色,感覚でとらえると黒色(文字は黒色だから).鴨川はつねに鴨川だと思っているが,流れている水は常に違う水.私はつねに私だと思っているが,人の身体は物質的には7年で入れ替わって違うものになる.人間はイコールを理解できるが,動物はできない.猿の話.朝三暮四(ちょうさんぼし)目先の違いに囚われて,実際は同じであることに気付かない.都市社会はエアコンで「同じ」気温,照明で「同じ」明るさ,石の床は「同じ」堅さ.「違う」「変化」は排除される。人間関係は「同じ」が好まれ,「違う」「変化」は嫌われる.生身の人間は常に変化する.その「違い」や「変化」が面倒臭い.いらない.となる。*ペットは「死ぬ」から飼うのを嫌がる人がいるが,これも「死ぬ」という自然の「変化」を嫌う現代人の特徴なのかも.『遺言』2017
Posted by ブクログ
1990年代、アメリカでは「脳の10年(Decade of the Brain)」と言われた。しかし、同時期の日本はまだ「心の時代」だった。事件が起きればワイドショーで犯人の「心の闇」が語られ、エヴァンゲリオンが人気を呼び、大学の心理学科は10〜20倍の競争率だった。その頃に著者は、いち早く脳に着目していた。
しかし、この本は題名から想像されるような「脳がわかればすべてがわかる」という内容ではない。むしろ「人間は脳にわかることしかわからない」という限界について述べたと言ってもいい。つまり、人間は脳の中に閉じ込められている。
それはソフトだけでなくハードにおいても同じである。都会とは要するに脳が設計した空間である。その中には、脳にとって予測不可能なもの=自然は存在してはならない。だから街路樹は植えてもいいが、雑草は引っこ抜く。しかし、どれだけ自然を排除しても、最後にどうしても残る自然がある。それはわれわれの身体である。ここでも脳は限界に直面する。
脳ブームに先行しながら、脳神話の矛盾さえもすでに見通していた、時代の一歩も二歩も先を行った本。いまなお多くの示唆を与えてくれるエキサイティングな論考と言える。
Posted by ブクログ
「唯脳論」5
著者 養老孟司
出版 筑摩書房
p28より引用
“ところが、心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指し
ている。”
解剖学者である著者による、脳の働きと人間社会などについて
論じた一冊。
ヒトがヒトである所以についてから脳と身体についてまで、解
剖図などを交えながら書かれています。
上記の引用は、心と脳について書かれた項での一文。
子供の頃は、心は心臓の辺りにあると思っていましたが、ああい
う漫画的な表現はいつからされるようになったのでしょうか?
昔のSF等で描かれていた物などが、現実の世界に作られるよう
になっているのを見ると、文明社会は脳の産物という話について
納得することが出来るのではないでしょうか。
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Posted by ブクログ
”現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報器官だからである”(本書p007より)
この一文で始まる本書は、脳科学がここまで人口に膾炙する前、1989年に発表され、これからは”脳の時代である”ということを喝破した一冊である。『現代思想』に月1で連載された論考がベースになっており、脳を巡り様々なテーマが綴られていくが、その人文社会学までも射程圏内にある著者の知性の幅広さと、解剖学者としての長年の経験に基づくその知性の深さという、2つの力が見事に結実した知的論考と言える。
私が本書を手に取ったのは、敬愛する菊池成孔が「自身が選ぶ100冊」的な文章の中で選んでいた1冊であったからである。その選出の理由がよく分かったのは本書において言語と音楽、リズムについて記されている章を読んでからであった。
人間が言語を獲得した1つの仮説として「自分の発語を自分で聴く」というフィードバックサイクルの存在を提示した上で、同様のメカニズムが音楽においても存在していること(いうまでもなく楽器の演奏においては、常に自らの音を聴き、他人の音と合わせた上で音量・ピッチ・トーン・テンポなどを調整するというフィードバックが常に働く)を示す。その仮説を裏付ける材料として、失語症と失”音楽”症(理由なく急に楽器の演奏ができなくなる)は、脳内の近接領域の機能不全から起こっている・・・、という議論の流れなど、音楽愛好者にとってはこの上なくスリリングな知的興奮を味わわせてくれる。
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