寺地はるなのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
寺地はるなさんの初エッセイ。言うほど彼女の本をたくさん読んでいるわけではないが、それでも、『こういう人からあの作品たちは生まれたんだなー』となんとなく腑に落ちる感じがした。
共感するところもあれば、変わった人だなと思うところもあり、でもそれを「そうですか」と受け入れてくれる気がする。本書のなかにもたびたび「考え方は自由」「人それぞれ」といった趣旨の記述があるし。ユーモアもふんだんに盛り込まれていて、思わず吹き出してしまう部分もあり。読んでいて、肩の力が抜けていくような、…全部に共感したわけではないのに、それでも不思議な居心地の良さを感じるエッセイだった。
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Posted by ブクログ
ネタバレ2026.02.21
きっと無限に時間があったら、この本の良さを長々と書き連ねていたと思う。
あらすじとタイトルから勝手に、レトルトカレーが売れるまでのサクセスストーリーで、その過去の栄光を知ることにより祖父と孫のわだかまりが消えていく、、のようなストーリーを想像してしまっていたので、これからこの作品を読む人には全く別物だと言いたい。
カレーが幾度となく登場するのだが、それはこの作品にそっと花を添えているような、この物語を縁取るような枠のようなものだ。
主軸は『ガンコで「昭和の男」をまさに具現化したおじいちゃん』と、『潔癖症の孫』がひょんなことから一緒に住むことになり、関わることにより過去と現在の祖父の3人娘たちとの関係性がどんどん紐解かれていく家族の物語。
令和にはそぐわない、男はこうあるべき!の思想の強い祖父だが、それゆえまっすぐで芯の強い、でも不器用なところが最後には愛らしく思える。
潔癖症でなよなよした、昭和の祖父とは対照的な今時な多様性の社会を生きる令和の青年、桐矢。
ちぐはぐなこの2人が生み出す空気や対話がクスッとくるのもこの作品の好きなところだ。
きっと関西弁なのも親しみやすさが出ていていいのだろうなとも思う。方言の力はすごい。
もっとたくさんこの作品の良さがあるのに、それをうまく文章化できない自分の語彙力、表現力の無さにもどかしく思うが、読んだ後のじんわりと心があったかくなった作品であることは忘れたくないのでメモしておく。
タイトルがいい意味での裏切りであると冒頭に書いたが、まさにこのタイトルの文字通り、桐矢にとっての祖父との思い出を振り返ったとき、そこにはいつもカレーを食べていた2人がいたな、と思うとなんともしっくりくるタイトルだなあと思う。
美味しいものを誰かと共有する時間は、きっとかけがえのない時間だと教えてくれるこの本を、
美味しいものを共有したい相手にも勧めたいなと思う。
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Posted by ブクログ
ネタバレ子育てに疲れた人、親子関係で悩んでいる人、人と自分を比べてしまう人におすすめって書いてあったので、読んでみた。
物心がつく前に遠い親戚に引き取られ、離島である星母島で暮らす千尋。一度は本土に渡り就職するが、民宿を継ぐために恋人の麦生を連れて戻ってきて託児所を、ひらく。
離島を訪れる、悩みを抱えるお客さんとの出会いと別れの物語。
千尋がすごく芯を持っていて、強いなぁ。私は悩みを抱える客の方に感情移入してしまった。
"子どもを天使にしてはいけない。あなたがここにいて良かった。"私もまた、頑張ろう。とても、考えさせられるお話でした。
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2025年春、リフォームジュエリーの事業を畳むに伴ってしんみりとビルの退去作業しているところからスタートする。主人公が肩回して憧れのジュエリーデザイナーに明け暮れるお仕事小説かと思っていると、拍子抜けするかも(;´∀`)
5年刻みの副題がついており、普通なら学生時代を序章にして始まりそうだけど逆順にしてある。体調とか家族とか何かが微妙に変化していて、時の流れを感じるし、意外と4人でドライな関係を構築してるけど学生時代はどうだったんだ?と最後まで興味を持って読むことが出来ました。
『「古代、雨は神々が流す涙であると考えられていました。雨の中の雫はあつまって川となり、海へと流れ込み、やがて空にのぼっていく。その繰り返しが“永遠”を意味する、という説があります。」』
『いつか田村先生に伝えよう。わたしはずっと永遠の中にいたと。変化しながらゆるやかに繰り返し、続いていくことを「永遠」と呼ぶのだから。終わることも、変わっていくことも、離れることも、なにひとつ悲しいことではない。』
雫による永遠の循環…みたいな、表現が綺麗だなと思ったのでお気に入りです!
2026.2 -
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以前出版社主催の寺地さんのお話会で受けた印象そのもので、実直で嘘のない、お母さんじみてない感じが好きだ。自分の人格を強く保っている感じ、とても素敵だ。
『浮遊霊ブラジル』
p.103 よく、子どもを近所の公園に連れて行ってあそんだ。「遊びにつきあう」ではない。鬼ごっこでは必死のパッチで走り、砂場では地の底目指して穴を掘り、ブラソコは天まで届けと高くこいた。要するに、全力で自分の子どもと遊んでいた。体力的につらいなという日も多かった。仕事で悩んでいる時はとてもじゃないが子どものテンションについていけなかった。それでもこんなふうに一緒に遊べるのは今だけで、「大人と会話ができる」ことよりもずっと重要な時間だということは知っていたから、今この瞬間を大切にしようと思っていた。
子どもは中学生になった。もう親と公園で遊ぶ年齢ではなくなった。このあいた学校帰
りに友人と公園で楽しそうにおしゃべりしているところを見かけた。
声はかけなかった。彼にはもう彼の世界がある。さびしさはとくに感じず、ただ寝不足の身体にムチ打って公園を駆けめぐった日々のことを、なつかしく思い出した。
誰かと楽しく過ごした記憶は、自分の人生や相手との関係性を簡単にあきらめたり、いいかげんに投げ出したりさせない、ストッパーのような役目をはたす。だから子どもには友人やこれから出会う人と、たくさん楽しい記憶をつくってほしい。親との記憶はなくしてくれてもかまわない。私が覚えていたら、それでじゅうぶんだから。 -
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自分の思春期の頃を思い出した。
学生の頃って、他者を通して自分を見るしかなくて、
自分は自分、これでいいんだってなかなか思えないよね。
周りを見て、わたしも頭良くなりたいなとか、可愛くなりたいなとか。諸々。
今でこそ、人は人、自分は自分と思えるけど、
自分のいいところも、悪いところもわかってきたのは
お恥ずかしながら、
社会人3年目になった今ぐらいからで、
本当最近だなと思うんですよね。。
他者からの評価と、自己の内省を繰り返して、
自分とはなにか、分かっていくんじゃないかなと思っているわたし。
実は寺地はるなさんの作品は初めてですが、
他にも読んでみたい。
装丁をみると、
自分を中心として花が広がっているイラストが、可能性の広がりにも見えるし、女の子(主人公の天かな?)の眼差しは、花々に囲まれているのに、ここではないどこか遠くをみていて、苦しさを感じている表情にも見えて。人の多面性を表してるのかなとか、考えてみたり。
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居なくなった弟は色んな顔を持っている。
私も人によってきっとキャラが少し違う。
そんな共通点から気になり読んでみた。
所詮親も人。
自己都合で生きてしまうものなのかもしれないと思うと自分が親になるのが怖くなった。
事勿れ主義は言わば自分を振りにさせない自己防衛だからこそ、誰も救わない。自分すらも救いはしない。
そんな当たり前のことに気づかされるお話でした。
子供は親の道具ではない。
そんなのわかってる。
でも、気が付けば自分の為に動かし、自分に都合いい形の教育を強いてるのかもしれない。
貴方の為に言っている。
私はこの言葉が大嫌い。
この言葉を使う人で
本気で私の心配をしている人はいないと思う。
でも、言葉は何故か残る。自分を否定したと言う事実と共に。
だからこそ、全て消して消えたい時があるのかもしれない。
弟が1番楽な自分で歩けていて欲しいと思うそんなお話でした。