寺地はるなのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
わかば洋傘店を取り巻く女性たちの物語。離婚してぴかぴかの一人暮らしを手に入れた初佳。お一人様USJを満喫する杏子。しっかり者のお姉ちゃんを止められないみつほ。大きなリュックを手放せない苑美。母の死から踏み出せない美禰子。
初佳が浮気して離婚を申し出る夫をあっけらかんと放り出したことにびっくり。夫の「きみたちは悪くない」と言う常套句に「わたしが悪くないのは知っている」と返すのがカッコいい。これ以上に反論できない言葉があるだろうか。そして家も彼女にとっては不要なものなので捨てる。初佳に拍手。
杏子は、元カレの「若返ったかも」などと言うセリフに「あなたは老けました」と返す。そこで引こうとしない元カレが怖い。
みつほがマモヤンに送った傘の花のエピソードがとても素敵だ。きっとマモヤンの生涯の宝物だ。
苑美が輝美に見出された才能を生かして大阪支店で働く日が来ることを願う。苑美にターコイズブルーの傘をプレゼントした輝美にも拍手。
現状が大きく変わることはなくても、前を向く彼女たちが、しなやかで美しい。
そして「雨が降ったら傘をさせ」わかば洋傘店のスノさんと太一親子がとても良い。傘屋さん、がんばって。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ想像豊かな人はその分傷つくことが多いし、自分が想像して傷ついただけで何も変えられないことが世の中には沢山あるけど、それでも色んな視点を想像して、知ろうとできる人でいたいなー!と思ったけど、最近の私は子どもが入院生活送ってたり、亡くなったり、海外で貧しい生活をしてる子どもと出会ったりしても、休みの日にはふつうに笑って生活できる自分を知って悲しくなったり、でも悲しんでも何も変わりはしないし、それなら休日は思いっきり自分のために生きて、安全な看護できた方がいいしーーとかも思ったり、、まぁどんな自分も受け入れていくしかない!となったのと、品川さんは、これまでに周りの人が当たり前に受け入れていたら最初から自分のこと伝えられてたのかなーって思った、、結論、想像する!でも自分が傷つきすぎない、でも、周りの人は傷つけないよう想像する、!ただ、想像してもどうしようもないこともいっぱいあるんだよなーーでも出来るだけ多くの人がいい日になりますよーに!
がんばり屋。それは清瀬の長所だ。でもたまにその長所はそのまま、他人への狭量さという短所に変わってしまう。
そういうのを浅はかやとか努力が足りんとか言う人は、その状況におらんかった人や。俺はそういう批判はしたくない。「その場を乗り切る」を繰り返して生きてる人っていっぱいおるやんか。
蝉の死骸など目にとめることなく歩けるほうが、あるいは目にとまっても別段心を動かされぬ人間のほうが、人生はたぶんずっと容易い。それでも清瀬は、これからも蝉の死骸に気づく人間でありたい。願わくば岩井さんのように、自分以外の存在の悲しみに思いを馳せられる人間になりたいとも。無神経に他者を踏みにじるよりはずっといいはずだ。
清瀬が「そんな人間」にならずに済んだのは清瀬自身が努力したからではない。恵まれていただけだ。
これまで、鍵多の美しい物語を読んできた。傷ついた人びとが他者に救われ、再生する物語に、幾度も涙を流してきた。物語の中の人びとは、差し出された手を振り払わない。途中までは主人公に反発していても、最終話までには心を開いて相手に感謝する。読んでいるあいだ、清瀬はそれを然るべき展開だと感じ、本を閉じた後もずっと疑ったことがなかった。それこそがいちばんの罪かもしれないと、清瀬は今ようやく思い知る。手を差し伸べられた人間はすべからく感謝し、他人の支援を、配慮を、素直に受け入れるべきだと決めつけていた。
できることが増えるのは、ええことかもしれんけど。あれでよかったんかな、と今でも思う。なんやろ、努力ってたしかに尊いけど、努力だけが正解なんかな。近眼の人はメガネをかける。努力して視力あげなさいなんて誰も言わん。足怪我したら、杖使う。でもいっちゃんは『努力』を求められる。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。でも清瀬は水底の石がそれぞれ違うことを知っている。川自身も知らない石が沈んでいることも。あるものは尖り、あるものはなめらかに丸く、またあるものは結晶を宿して淡く光る。人は石を様々な名で呼びわける。怒り。痛み。慈しみ。あるいは、希望。
-
Posted by ブクログ
書店でこの本を見かけたとき、まずタイトルと表紙に強く目を奪われた。「水を縫う」とは、一体どういうことなのだろう。その不思議な言葉に惹かれ、私は吸い込まれるようにこの本を手に取り、物語の世界へと入り込んでいった。
ページをめくると、そこに描かれていたのは、世間の言う「普通」から少しはみ出した個性を持つ、愛おしい登場人物たちだった。刺繍を心から愛する男子高校生の清澄(きよすみ)、「可愛いもの」を頑なに避けて生きる姉の水青(みお)、そして、不器用ながらも子どもたちを愛するがゆえに、その思いが時に歪んだ形で伝わってしまう母親のさつ子。それぞれが「男らしさ」「女らしさ」「親らしさ」といった世間の価値観に戸惑い、葛藤しながらも、自分らしい生き方を模索している。その姿は、「普通」とは誰が決めるものなのか、そして「自分らしさ」とは何なのかを、静かに問いかけてくるようだった。
登場人物たちのやり取りの中で、私の胸に最も深く刺さり、本を閉じた今も忘れられない言葉がある。それは、「失敗する権利」という言葉だ。
これまで私は、親とは子どもがつらい思いをしそうになったら、先回りして障害物を取り除き、失敗を回避させてあげるのが当然の役割だと思っていた。傷つかないように、苦しまないように、安全な道を用意してあげることこそが愛情だと信じて疑わなかった。しかし、この作品の中で「失敗する権利」という言葉に出会った瞬間、その考えは大きく揺さぶられた。
失敗を先回りして奪うことは、子どもが自ら考え、悩み、傷つき、そこから学び直す機会まで奪ってしまうことなのかもしれない。失敗する権利とは、決して子どもを突き放すことではない。転んでも、その子が自分の力で立ち上がることを信じ、必要なときにはそっと寄り添いながら見守るという、もう一つの深い愛情の形なのだと気づかされた。
また、この作品を読み終えたとき、改めてタイトルの「水を縫う」という言葉について考えた。水は形を持たず、縫い合わせることもできない。だからこそ、「水を縫う」とは、本来は形にできないものを無理に形づくろうとする行為の象徴なのではないだろうか。子どもの個性や価値観、生き方もまた、水のように自由で移ろいやすいものである。それを「普通」という枠に当てはめようとするのではなく、その人らしさをそのまま受け止め、流れる水のように見守ることの大切さを、この作品は教えてくれたように思う。
『水を縫う』は、性別や家族のあり方について描いた物語であると同時に、「自分らしく生きるとは何か」「人をありのまま受け入れるとはどういうことか」を静かに問いかけた。 -
Posted by ブクログ
父が亡くなり、読書から少し離れていたところ、寺地さんのこの本になにか共感するものがあるかも、と思い手に取りました。
實成は父が亡くなったあと『モヤヤン』を時々みるようになる。ただただ、夜の散歩でひたすら歩く。そんな時、いろんな不安、境遇をかかえたメンバーが集まってきた。余計なことは言わずに歩く。
言葉にしたくない、次どうやって進んだらいいのかわからない。そんな人達が少しずつ前に進んでいく。
實成の善く生きるとは。静かですがジワジワくる優しいお話でした。
散歩って前を向いて歩いているので、話しやすい。
私が印象に残ったのは、實成のお母さんが『わたしのさみしさはわたしのもんや。娘や息子ごときがどうこうできる問題やない』ときっぱり言った言葉です。
勝手にわかった風に言わないで欲しいし、自分で解決したいし、私はそんなに弱くない。私の何がわかるんだ!ってめちゃくちゃ共感しました!