寺地はるなのレビュー一覧
-
ネタバレ 購入済み
未来の有る話が良いな。「うさぎや」の真悟くんのように、未来に向かって、進んで行きたいと、思えるような。こんぺいとう商店街も、若い人達が、増えて来たみたいだし。
-
Posted by ブクログ
ネタバレみんな1人ひとりが特別でみんな違うことが普通なんだよねーーすごいよかった!
泣かないでくださいとか、いつまでも泣くなとか羽衣子や山添さんのご主人が言うのは、弱いからです。泣いている山添さんを受け止める体力がないからです。
羽衣子にとっての『特別』とか『ふつう』は、ただひとりの特別な人間と、同じようなその他大勢の人ってことなんかもしれん。けどぼくにとってはひとりひとりが違う状態が「ふつう』なんや。羽衣子はこの世にひとりしかおらんのやから、どこにでもおるわけがない。
記憶にはかたちがないから、壊れることもない。でも、薄れる。遠ざかる。だからとどめておくために物に託す。それを目にしたら、いつでも思い出せるように。ガラスの骨壺を求める人たちがそう思っているかどうかはわからないけど、すくなくともぼくはそう思っている。
呆れられたり、怒られたり。何度もそんなことを繰り返した。だけど、一度も母に見捨てられたと感じたことはなかった。それはほんとうに「あたりまえ」だろうか。じつはすごいことなんじゃないだろうか。
「うん。ありがとう」
これまでいろんな人に守られて生きてきた。その事実だけで、これからも生きていける。
ようわからへん。羽衣子はお母さんではないし、茂木くんもお父さんやまことくんとは違う人やのに。なりたくないとかなりたいとか関係なしに、誰かは誰かにはなられへん。
俺にとっては、道は道やからな。診断がどうとか、心底どうでもいい。俺は道にどんな障害があるかやのうてい道自身が今なにを見て、なにを考えてるかが知りたい。認めるってどういうことや。そら、なんかの障害とセットで特別な才能に恵まれた人間もおるんやろ。でも、障害があるからかならず才能もあるはず、みたいな考えかた、俺は嫌いや。それこそが差別と違うんか。あなたは他人と違った人間だけど、特別ななにかを持ってますね、ならこの世に存在していいですよ、認めてあげますよって言うてるみたいで、ぞっとするなあ。 -
Posted by ブクログ
親しいと感じている人のことでも、「よく考えてみたらこの人のことそんなに知らないな」と思うことがある。
大人になると殊更、過去や自分の事情については話す必要がないと思えばそんなに話さなくなるし、相手の過去や事情についても根掘り葉掘り聞くことはなくなる。
ふとした会話から「あ、そんな事情が」と思うことはあるけれど、だからと言って「知った」とも言い切れない。
主人公の清瀬(カフェ店長、アラサー)は、恋人の松木とすれ違いが続き、けして交際順調とは言えない関係になっていた。
ある日「松木が事故で重体だ」と連絡がくる。
友人の岩井と揉み合いになった挙句、歩道橋の階段から落ちたらしい、とのこと。
清瀬が戸惑いながらも事に対応していくなかで、松木が書き残していた日記のようなものが書かれたノートを発見する。
それを読んだ清瀬は、「知ったつもりになっていて、松木のことを何も知らなかった」と思う。
人を理解するとは?がテーマの小説なのだと思う。交際していたり、一緒に暮らしていたり、会話をしたり体の関係があったところで、それが「相手を理解している」ことには繋がらない。
「相手を知ろうとすること」がまず前提にあって、たとえば前のめりになって相手の話を聞いても、理解しきることはできない。その人自身になれないのだから。
だからこそ、傲慢にならず、決めつけず、わかった気にならず、「自分は何も知らない」ということを認めた上で関わっていく必要があるのだと思う。
話中の印象的な一節「川のほとりに立つ者は、水底にある石の数を知り得ない」
立って見ているだけでは、その中身までは見えないしわからない。傍観者ではなく、直接関わっていく立場にならなくては。
事故が起きたことによって、清瀬は松木を知っていく。松木本人との会話ではなく、松木が書いたノートの言葉や、周りの人の証言によって。
それは清瀬が「松木に関わっていく」ことを決めた証拠で、そのなかで静かに確実に2人の関係性は変化していく。
清瀬が店長を務めるカフェの従業員、品川との関係性も見どころ。品川は発達障害を抱えていて、自身もそれを自覚している。
仕事が出来るとは言い難い品川のことを、清瀬は初め「出来ない人、厄介な人」というラベルを貼って接する。
だけど松木が事故に遭ったことにより、その考え方や接し方にも変化が表れる。
人のことを決めつけずラベル貼りもせず接するって、なかなか難しいことなのだと思う。ひとつの出来事だけで決めつけたり、「この人はこういう人だ」という前提を無意識に自分に植え付けていたりする。
「知ろうとすること」だけで解決することではないけれど、まずスタートにそれがなければラベルは剥がせない。
関わることによって、知り得なかった相手の一面が見えてきたりする。「理解すること」は途方もないけど、関わることがその第一歩なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
読んでよかった!
結局相手に伝えないと悪い印象を持たれてしまうんだろうなと改めて気付かされた。
友人にしろ自分にしろ本当の姿を探そうとしてしまったりするけど、確固たるものなんて誰も持ってなくて、良い部分も悪い部分もある。
最近邪悪な気持ちを抱いてしまう自分に嫌気がさしてたけどそれが自分を偽る行為にはならなくて、みんなそんな姿、心を持ってるんだと思うとそんな自分を認めたくなった。
相手を知ろうと思えば相手を知ることができるかというとそうではなくて、表面を見ただけではわからない部分もたくさんある
あなたの明日が良い日でありますように
このフレーズを大切にしていきたい! -
Posted by ブクログ
家族との関係や、自分らしく生きることの難しさについて深く考えさせられた。
主人公の兄妹は同じ家で育ちながらも考え方や価値観が大きく異なり、互いを理解できずにすれ違う場面が多かった。
しかし、それぞれが悩みや葛藤を抱えながらも前に進もうとする姿が印象的だった。
読み進めるうちに、人はすべてを分かり合うことはできなくても、相手を理解しようとする気持ちが大切なのだと感じました。
家族だからこそ難しいこともあるが、
それでもつながり続けようとする登場人物たちの姿に心を動かされた。
読み終えた後は温かい気持ちになり、自分の身近な人との関わり方について改めて考えたいと思える作品です。 -
Posted by ブクログ
性格が正反対な兄妹の関わり合いを描く、長編小説。寺地はるな先生の小説は初めて読んだけれど、とても自分好みの作家さんかもしれないと思った。穏やかで静かに進んでいく話なのに、物語にひきこむ力が凄い。あっという間に読み終えてしまった。
自分は全体的には道に共感できた。でも、道とは違うと思うことも当然あったし、羽衣子の語りに困惑し、共感することもあった。
だから、人は全員「ちがう」のが当たり前で、「普通」なんてないんだっていう道のセリフに、とても共感した。
羽衣子が、他人と真正面から向き合ったり、周囲の人を意識したり、「恥」を認識したりできるのが、眩しく思った。「特別」になりたいともがく気持ちに共感した。道の、自分のペースしか分からなくて、他人が微妙な顔をした時に困惑する気持ちも理解できた。感情として存在することと、自分が理解できるかは別という言葉も、自分の中に常にある意識と合致していた。
寺地はるな先生は、人の価値観や感情の表れ方、行動を掴んで、文章で表現することにとても長けている先生だと感じた。寺地はるな先生の別の作品も読んでみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ああ、これは私の話だ。希和は私だ。自分の気持ちを誤魔化しながら生きてきた。それが大人だと思っていた。よくあろうと、正しくあろうとしてきた。
何が悪い?
子供や夫にも、精一杯の態度で接する。言葉を飲み込むことも多々ある。
ましてや、職場やママ友に対してなんて、思ったことを言えるはずない。
誰もがそんな感じなんじゃないかな?
みんな、希和と同じじゃないかな?
マウントとりたがる意地悪なママ友達の一面も
女はこういうもの、と決めつける夫の一面も
あなたなんかたいした人にはなれないと
娘に言ってしまう母の一面も
自分の中にあったりする。
矛盾するようなんだけどね。
希和は学童で働きはじめる。
いろんな子供を取り巻く問題が明るみになる中で
様々な出会いを通じて、
自分の気持ちと向き合い、子供を信じ、
言葉にする術を実行していく。
私は本当に声の在りかがわからなくなっている。
もう成人している子供達に対しても、
30年近く共に過ごしている夫に対しても。
これは言わない方がよいと
思ってためんこだ感情が蓄積されて
膨張して爆発してしまうのだ。
悪い癖だとわかっていても
いつも繰り返してしまう。
他人には爆発させることはしないかわりに、
やけ食いして太ってしまったり。
もっと相手を信じていいのかも。
支配しようとせず、
自分の気持ちと言葉を持つこと。
一緒にいて楽な人って、
自分の気持ちを言葉にできてる人なのかも。
急に、今から変身できないけど、
訓練だと思って少しずつ
意識することは可能。
まずは自分の気持ちを受け止めよう。
考えすぎて
ぐるぐる思考に陥らないようにしよう。
さくっと言葉にしてみよう。
支配することから
解放されよう。
出会うべくして出会った一冊。
今の私に必要な本。