あらすじ
ふたつの時代をカレーがつなぐ
心にしみる“からうま”な物語
偏屈な祖父と二人で暮らすことになってしまった孫息子・桐矢。
昭和の高度成長期にレトルトカレーの営業マンとして働き、カレーを囲む時間だけは打ち解ける祖父が、半世紀の間、抱えてきた秘密とは――。
生きることのままならなさと愛おしさを描く、スパイシーな味わいの傑作小説。
【感動の声、続々!】
「ひとの持つどうしようもなさ、そこから生まれる愛おしさ。味わい深く余韻ある作品!」
――町田そのこさん
「あの時代を生きてきた祖父と、この時代を生きている僕。どうしようもない噛み合わなさと、どう向き合うか。
いま必要なテーマをじっくり煮込んだ、これぞテラチ風味の極うま長篇」
――瀧井朝世さん
「時を追って進む回想は、それまでただの頑固ジジイだった義景の人物像を、立体的に生々しく浮き上がらせてみせる。
なぜ自分の考えを押しつけるのか、なぜカレーを食べている時だけは幸せそうなのか、なぜ強いことを無条件に善だと考えるのか。
理不尽にも見えた義景の言動が、一人の人間の生きた証として胸に迫ってくるのだ」
――北大路公子さん(解説より)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
カレーが時代を超えて、人の生涯を支えてきたような、寄り添ってきたような物語だった。なんとも今の時代に明らかにそぐわない発言、行動をする祖父。だが、その祖父にも今まで生きてきた時間があり、それが祖父をつくっている。祖父の思いや価値観の形成を感じられて、納得はせずとも共感した。桐矢の感性が、好きだった。人に思ったことを言わない反面、徐々に祖父の影響か言うべきことをきちんとその時に伝えられる。それはその人に気づきを与えるし自分の成長にも繋がることに気づかせてくれた。そして、カレーがすっごく食べたくなった!
Posted by ブクログ
いろいろと厄介な父を、娘たちは持て余している。
83歳で一人暮らししているのも気になり、唯一男である孫の桐矢に、実家を出て祖父との同居を提案する。
穏やかでおしゃれな祖父とカレー屋さんでもやる、ほのぼのしたお話かと思ったらまるで違いますよ、そこのあなた。
とっても素晴らしい、昭和の家族のお話だった。
一気に読まされた。
約半年ぶりの読書再開、何か感想を・・・と思っても、言葉が出てこない。
他の人たちの素晴らしい感性と、言葉に感動してしまったので、それを読むことにします。
ただね・・・、義景、私の亡くなった父と、よく似てた。
声が大きくて、短気で怒りっぽくて、自分に男が生まれないことを残念がっていて、孫に男が生まれたら「これで(嫁である私が)勤めが果たせた」と言ってホッとするような人だったから、切なくなった。娘たちの嫌悪感もよくわかるし、実際私も理解できないことがたくさんあった。母は従順な人だったけど、最後は反抗してた。
他人事とは思えない読書体験でした。
Posted by ブクログ
草食/控えめ/令和男子
肉食/押せ押せ/昭和のおじい
犬と猿、ハブとマングース、レバーとミョウガのような組み合わせの祖父と孫の同居生活。
戦争が終わったのが1945年。
その年に生まれたとして、今80歳。
生まれたときとの環境の差を考えると
あまりに違いを感じて眩暈がする。
とはいうものの、
高圧的な態度からは適切に距離をとって生きていきたい所存です。
Posted by ブクログ
大阪ならではのラリーのようにテンポよく続く会話、所々に入るツッコミ、そのやり取りが面白すぎて夢中で読んだ。
じいちゃんが無茶苦茶すぎてただの老害にしか思えなかった、最初。
時代錯誤だし、男尊女卑ひどいし、頑固すぎるし、そりゃあ実の娘やら孫にも嫌われるよねぇ、と。
しかし章が進むにつれ在りし日のじいちゃんのエピソードに触れていくと、実は不器用な人間だと気付く。
不器用で表現がうまく出来ないが故に、誤解される事も多いのだと。
一緒に同居する事になった孫の桐矢、じいちゃんに振り回されて苛々、モヤモヤしながらも最後にはじいちゃんの事、自分なりに理解できるようになってたね。
この昭和ど真ん中のじいちゃん、令和ど真ん中の孫と周囲の人々を巻き込みながら様々なスパイスが絡み合ってできるカレーみたいな物語。
たまにはピリ辛、たまには甘口のように。
Posted by ブクログ
戦後を生き抜いた1人の男(頑固じいさん)の生き様を孫息子中心に描かれていて、その中でキーとなるのがレトルトカレーである。
おじいちゃんの思い、娘たちの思い、孫たちの思い、それぞれがうまく交わらないけど孫息子と暮らす中でそれぞれの距離が少し縮まったような気がします。
人間関係はうまくいかないことが多いけど、ちょっとした事でその人の本当の姿が見えたりするのかもしれない、
最後は泣けました。
Posted by ブクログ
いつのまにか自分の祖父と重ね合わせて入り込んで読んでいたこともあり、終章でブワっと涙が溢れた。悲しいんじゃなくて、すごく温かくて泣けた。
私の祖父も、ろくに話を聞かなかったり、決めつけたりする人。私や両親は、それを面倒に感じるけど、祖父なりの寂しさとか、生きてきた時代の正しさとか、色々ななものが入り混じって今の祖父がいるんだよなと気づかされる。まあ、価値観の違いに「もう!」と思うことがゼロにはならないだろうけど(笑)完璧に分かり合えなくたって良いし、悪口言ったっていいし、とにかくもっとたくさん話をしてみようと思った。
Posted by ブクログ
寺地はるなさんの本は20冊目。
思ったより読んでいた…。
作品の中でも分厚めな本作。
序盤では、このおじいさんのこと…どうしよう…好きになれるかなと不安がよぎりました。
でも読み進めるうちになんかそういうことじゃないかも、となんか溶けていった。
今の令和の時代から言うと価値観が古い固まったおじいさんと思ってしまうけど、現代の価値観に固執する側は、あるべき価値観を固めすぎているのでは?とちょっと気付きでした。
単純な実は悪な人が見えないところで良いことしてたとか、そういう構図の話ではなく。
詰まるところ全てにおいて対話が必要なのではと思いました。
最近は某氷上の師弟アニメにどハマりしている日々ですがお互いのことを大事に思っていても言葉にしないから勘違いして思い込んですれ違うなぁと思っています。
それと同じで、相手が発した言葉をネガティブに受け止めたことで、その後もそれが引っかかって勇気を出せず聞けない悪循環に陥り、関係がどこから手をつければいいのかわからないほどこじれるのかな。
ネガティブに思う言葉は、聞いた側と言った側では、背景や意図が細かく言えば違っていて、そこを擦り合わせていって摩擦を減らすのが望ましいとは思うけど、言い方や態度でその人と深く話したくないということもあり得るから全ての人とそれが可能になるわけではないとわかるけどせっかく夫婦になって子を成した2人がそうなってしまうことは切ないなと思いました。
どっちもどっちだし、どっちかが正しくてどっちかが、悪いとかもなくてただ当人たちが思うように必死に生きた結果をただ受け止める、という気持ち。
寺地はるなさんの作品の特徴だと思っている、断罪しない、はっきり決着つけさせない、劇的すぎないという感じが程よく出ていてとても良いなと思いました。
良かったからこそ、あとがきがなんだか蛇足に思えてしまいました。
「橋」とか自分に返さなくて良いからまた誰かに、とか。
大事にしたいことが書いてありました。
Posted by ブクログ
家族から疎まれる偏屈な祖父と同居することになったお話。
こういうハートフルな話って個人的には正直そこまでお話として面白くはなかったりという印象を持つことが多いんですが思ったよりも楽しめました。なんだろうな?主な登場人物たち、義景桐矢をはじめとした小山田家まわり、がみんな善人でもあるけどあまり好きになれない要素もそれぞれ併せ持ってるあたりがただぬるい話じゃないというように思えたのかもしれない。
Posted by ブクログ
83歳の祖父は絵に描いたような男尊女卑、高圧的で頑固で粗暴で、不器用。
そんな祖父を苦手に思う25歳の孫 桐矢は潔癖気味、神経質で優柔不断、そして不器用。
性格も価値観も全く異なる二人の同居生活が始まる。
初っ端の祖父 義景さんの登場があまりにも強烈すぎてダメージを食らい心折れそうになったけど、戦中から戦後と激動の昭和を生き抜いてきた背景を知ると印象が変わった。口は悪いしデリカシーもないけど、どこか憎めない。対する孫の桐矢は現代的というか押しに弱くどこか頼りないけど、思慮深くて芯が強い。
義景さんの過去パートは時代背景のせいか割とシリアスめ、対する現代の桐矢視点は真反対のおじいちゃんとの生活、ちっとも噛み合わない二人のやりとりが騒々しく、でも平和的でほっとする。
二人の生活で劇的に何かが変わるわけではないけど一緒にカレーを食べる時間だけは距離が縮まる。少しずつ不器用な祖父の過去が垣間見えてきて…終盤、不器用に生きてきた祖父の秘密を知った後の桐矢の言葉がどれも心に響いた。
人と人の心をつなぐのは案外食事なのかもしれない。
Posted by ブクログ
あー⋯この祖父みたいな人、私も苦手だし嫌いだし関わりたくない。
でもそんな祖父にも経験して積み重ねてきたものがあって、いろんな気持ちもあって。
善人でもないけど、悪人でもないってことも分かってくる。
知ったからと言って、受け入れられるわけでも好きになれるわけでもないけど。それでいいんだと思う。
前半は少し退屈に感じてなかなか読み進められなかったけれど、後半は一気読み。
やっぱり寺地さんの作品、好きだ。
Posted by ブクログ
お祖父ちゃん、生きたまま終わって、桐矢の人生をもう少し見ていて欲しかった。けど、本の通りの方が現実的なんだろなと思いました。
ご都合主義な展開にならず、どれもそうだよなという受け止め方や流れになって、けど登場人物たちの考えや受け止め方は、どれもピリリと刺激されるものになっていて、最終盤のセリフは誰のどのものでも印象に残りました。
新谷さんの、やりがいに関する話。桐矢の傷つく権利の話。守りたい、弱いから守るべきものと思うこと。みんな自分の芯があって、そこから必然に感じること、ちょっと危うくても変えることは出来なくて、でもそれがあるから何とか生きてけるんだよな、と思いました。
Posted by ブクログ
年齢が離れれば生きてきた時代も違い考え方を理解するのも難しいものですが、人を大切に思う気持ちは年代を超えて同じなんだと思いました。
この小説みたいな、食べ物と家族のあたたかさを描いた物語はとても好きです!
Posted by ブクログ
偏屈な祖父、なんだろうめっちゃこういう人知ってる。
知ってるというかウチの父親だな。
娘や孫たちのいたたまれなさや腹立たしさが分かる。わかりみしか無い。
こういう小説だと頑固爺さんも最後は心を入れ替えたり、実は良い人だったんだね。的な話になりがちだと思うのだが、
「悪い人じゃ無いんだけど…」止まりである。
そして爺さんの過去話を知ったところで、「そんな事があったら仕方ないのかもしれない」とは全くならない。
まあ、身内に近いのが居るので、そんなことぐらいでは誤魔化されんぞ。という思いもあるといえばある。
でも面白い。
主人公の言い回しというのか言葉のチョイスも面白い。
「さびしさの紛らわしかたで独創性見せつけんといてほしいわ」
とか、思わずニヤッとしてしまう。
キリヤくんのフラットな考え方は、私は好きだな。
Posted by ブクログ
3世代にわたる話が、祖父と孫の視点から語られている。3姉妹の世代の私は、1970年の大阪万博も親世代の祖父を看取った描写はありありと現実感をもって世代交代なんだなぁと感じられた。
大阪に滞在中に読み終わったのもタイムリー。
Posted by ブクログ
身内だったらちょっと恥ずかしいと思ってしまうような横暴な言動態度を取りがちな祖父。
でも毛嫌いするだけじゃ無く、一緒に住んだり食事をしたりするうちに違う部分も見つけて行く孫。
自分が傷つくなら、嫌な人とはなるべく関わらないでいましょう…もありだけど、近づいて初めてわかることもあるよね…。
Posted by ブクログ
苦手な祖父との同居、一緒にカレーを食べる時間が2人の関係を変えていく。家族といえど、分かり合えない部分も隠していた真実もある。祖父の不器用さが後々じわっと効いてきたなぁ。美味しいものを食べ分かち合うことで、人と人とが繋がる。
あぁ、カレーが食べたい!
Posted by ブクログ
ミステリ小説ならば真実は一つと言いたいところなのだが、これはミステリ小説にあらず。
だからキャラクターの数だけ真実が、正義が、価値観が、信条があり、それがキャラ同士でなかなか重なり合ってくれない。
例えそれが血族である祖父と孫の間でも、親子の間でさえ。
相手の背景を心情を知っても、その相手の真実を受け入れられるとは限らない。
押し付けがましいと突っぱねるも受け入れるも、それもまたその人の自由であり権利なので。
そんなことをつらつら思った作品だった。
「カレーが美味しいね」で済む話なら簡単でほっこりできる話だったんだけれども、そんなことは全くなく、何とも奥深い話だった。
Posted by ブクログ
主役は桐矢なのだろうけど、クソジジイ小山田義景の人生を家族とカレーを背景に描いた作品といったところでしょうか。
でも義景の気持ちに心を揺さぶられるような、ちょっと暖かくなるお話でよかったです。
Posted by ブクログ
デリカシーのない発言を連発して悪びれない昭和の男の悪いとこを煮詰めたようなクソジジイの祖父と、「男らしさ」が苦手で潔癖症の孫がいっしょに暮らす物語です。
寺地さんの作品の好きなところは、許したくなかったら許さなくていい、嫌いなままでいい、他人の好意や想いを受け取らなくていい、と言ってくれるところです。
たとえ、相手の事情が分かったからといって、許せたり好きになれる訳じゃない。
他人には他人の物語があり、自分には自分の物語がある。
そして、家族だから分かり合えるなんて幻想だよねと教えてくれる。
誤解が解け憎しみ合っていた家族が最後に分かり合う…みたいな感動モノによくある大団円が訪れないことの安心感があります。
Posted by ブクログ
孫である主人公からはどうしようもない老人に映る小山田義景という人間の生涯が、回想により徐々に実体を持って明らかになる構成に引き込まれた。
読者は双方の考え方や生き方に共感や理解を覚えるが、当人同士は最後まで分かりあうことがなく、すれ違いを抱えたまま終わるのも良かった。
お互いにわだかまり無く和解するという物語を予想していたが、清々しいまでに裏切られ、家族とはいえ実際のところは他人だよなぁ、という人間関係のやるせなさに、物語の美しさを感じた。
そしてやはり、読後はカレーが食べたくなる、そんな一冊でした。
Posted by ブクログ
「カレーの時間」というタイトルに惑わされてはいけない。まさに、解説の冒頭の一文通り。
最初は桐矢と同じように否定的なおじいちゃんの言葉の使い方や言動は絶対相容れないなと私も思った。けれどおじいちゃん側から見えてくるとまた景色は違ってくる。おじいちゃんが決していい人だった、と見直すわけではない。ただ、知ることで理解できる部分もある、ということ。
最後に単身赴任のお父さんが桐矢にいう言葉がすごく、よかった。それでいい。けど勿論変わることだってできるから。
タイトル惑わされてはいけないけれど、タイトルからの期待通り読みながらカレーを食べたくなることは間違いない!
Posted by ブクログ
おそらく、この本のテーマは「愛」と「時間」だと思う。
たとえ狭くても自分の世界を快適に保ちたい今どきの若者・桐矢と、ガサツで声が大きく、配慮のない昔気質の男・義景。性格も生き方も正反対の二人が、少しだけ一緒に暮らし、義景が亡くなるまでの物語である。
祖父の義景は、三人の娘や孫たちにまで避けられ、嫌われ、恨まれている。妻は三人の娘を捨てて家を出ていったが、実は別の男性のもとへ行っていたことが後に明らかになる。
義景は過去にさまざまな経験をしてきたが、それを表に出さないために誰からも理解されない。そして、彼自身も理解されたいとは思っていない。彼の本当の姿を知っているのは、読者だけ。
実際、物語の中で、義景が万博公園で子どもの重みに涙したり(これは意外だった)、思春期の娘を理解できず呆然としたり、子育てに苦労する姿が描かれる。そうした瞬間に、彼の中にある人間的な部分ふと垣間見える。
しかし、この物語は「昭和の頑固な男が実は優しかった」「みんなが誤解を解いてハッピーエンド」といった安易な話ではない。問題はすべて解決するわけではなく、互いの誤解も残る。主人公の桐矢も、特別に強く成長するわけではない。それでも、登場人物それぞれが少しずつ変化していくのが心地よい。その“わずかな変化”こそが、この物語の温かさだと感じた。
読後、特に心に残ったのは「時間は流れ去るものではなく、地層のように積み重なっていくもの」という一文である。過去の出来事も感情も、完全に消えることはなく、自分の中に積み重なっていく。そうした“時間の厚み”の中で人は変わり続け、形成されていくものだと、この作品を通して感じた。
Posted by ブクログ
カレーライフ竹内真以来のお題で食いつく文庫本。カレーがめちゃくちゃ食べたいとならないか〜孫の日常とおじいちゃんの回想と、最後どうなるかと思ったらおじいちゃんが弱って行く 根がとてもいい人で娘と孫思い、と全然無鉄砲とちゃう。孫とおじいちゃんと同居して何かが生まれた筈だけど自分は辿り着けず寺地はるなさんの伝えたいことが見つけられないよう。情け無いってこと
Posted by ブクログ
いわゆるジャケ買いした1冊。
完全にだまされた。題名と表紙の柔らかさに勝手にほのぼのとした物語だと思い込んだ。
でもこんなだまされかたなら、まただまされたいかもと思える位、テンポも中身も心地よいいっさつだった。
三姉妹の母を持つ「桐矢」はいとこも女性だらけという完全な女系家族に生まれる。
男だからと古い固定観念を持つ祖父「義景」は
みんなから嫌われていた。
桐矢もがさつで、何にでもすぐに悪口を言う祖父が苦手だった。
祖父も高齢となり、1人で暮らし続けていくことを心配する娘たちに祖父「義景」はこう言い放つ。
「桐矢とだったら暮らしてもいい」
そんなこんなで始まった、祖父と孫の同居生活。
心温まる祖父と孫の交流なんてものはなく
相手を理解出来ない、何ならしたくない
でも分かるかもしれない、という不思議な関係が
時折挟まれるカレーの時間を通して伝わってくる。
祖父「義景」の過去のパートと
孫の「桐矢」の今のパートが交互に描かれているので読者は義景の背景も知ることが、出来て胸に迫るものがあるが、当然ながら本の中の人たちは知らないわけでもどかしい気持ちでいた。
終盤、「桐矢」が「それぞれの思いや物語を丸ごと理解する必要なんてない。自分で解釈して、傷つく権利がある。そこからどうするかは自分で決める」という姿を見て、「令和男子」下手にセンチメンタルになることもなく、しなやかでかっこいいじゃないかと思った。