稲垣えみ子のレビュー一覧
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アフロで有名な稲垣さんが朝日新聞を退社してから1ヶ月ぐらい経った時に書いた本。どういう経緯で会社を辞めたのか、辞めた後どういう風に考えて生きていこうとしているのか、そして実際どうなのかっていうところが書かれている。
独特の視点ではあるが、会社を辞めるということについて考えるときに、読むと役に立つのではないかと思った。
以下注目点
・大事なのは一人ということ。
・クレジットカードは会社間の補助システム。
・経済成長は日本人の自立ではなくて依存を生んでしまったのではないか
・人がどうすれば喜ぶかを考えるのは何よりも創造的で心躍る行為だ
・健康診断を受ければやめてしまった
・仕事とは他人を喜ばせたり助けたりすること -
Posted by ブクログ
希望が持てる本だった。
元々の物価高、そのうえに戦争や石油問題など、この先どうなるのかと不安な毎日。
稲垣さんほどではないが、物を少なくしてきたこの数年。
あれ?備蓄が必要な日々がやってきた?
目指していたプチミニマル生活は、いつでもどこでも必要なものが手に入る時代だからこそできることだったのか。
と迷いが生じていたこの1、2ヶ月。
買い置きも減らしていたのに、少し多めに買うようになって(まったく手に入らないことにはならないにしても確実に物価は上がるだろうから生活防衛のためにある程度の買い置きはしておかないとと思った)、物が増え、はみ出たもので見た目がスッキリしない。
物を持たない、それでも幸せだ、いやそれこそ幸せだと、素直に3ヶ月前までなら爽やかに読み終えたと思う。物に執着しない、今ここにある幸せを感じる。宗教者のような、修行者のような心に意外と近づけるかもと思わせてくれた。
先行き不透明な時代に、どう考えても自分は老い、国は下り坂の時代に、今までと同じような暮らしは無理がある。
頭で理解してたことをこの先否応なく体験することになるかもしれない。わざわざ選択してではなく、なし崩し的に。
そう追い込まれたとしても、自分から選択したかのように誇りを持って、持たない生活を送ればいいか。
確かに希望を持って読み終えたのは事実だし、いいタイミングで読めたとは思う。でも、このタイミングだからこそ、なんか抵抗したいような気もあり、ちょっと書いているうちにわからなくなってきた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ会社で仕事をしてきて、このままでいいのかと思うようになったときに、巡りあった本。会社のやめ方って書いてあるのに、アフロのことが書かれていて、ちょっと面白そう。と思って手に取ってみた。
この本で印象に残ったことはおおきく2つ。
1つ目は、考え方、暮らし方はイノベーションできること。
バリバリに仕事に向かってきた人が、
お金の使い方、仕事への考え方のイノベートしていく様子は
とてもリアルで、特に働き盛りの女性の1つのモデルを見たような感じがした。その過程でアフロにしたのかと思うと、クスッと笑えちゃう。
2つ目は会社に依存なくとも仕事ができるようになっていくと、自分らしく毎日を過ごせそうだなと思ったこと。
どうやら仕事をすることは本来楽しくて、それは別に会社でなくとも良さそうであることが伺えた。でも、日本という社会は、会社に依存したり、そこにしがみつかない人は損をしやすい構造になっていそうだと気づけたこと。
私自身は、自分らしく生きていく方が、損をしない。ということよりも重要だと思うから、もっと依存せずに、仕事に向き合える人になっていけるようになりたいと思った。それは副業・兼業とかいうことでなく、もっといろんな社会の見えない言葉になっていない当たり前を認識して、本当にそうなのか。と問いながら、考え方・暮らし方をアップデートしていくような。そんな感じをちょっとずつ取り入れていけるといいな。 -
Posted by ブクログ
原発再稼働のニュースを聞いて、世の中のフクザツな事情を理解していない私の頭には、「え、たった十数年前にあんなことを経験したばかりなのに、なんで?意味がわからない」という言葉しか浮かんでこなかった。
稲垣えみ子さんが節電生活を始めて冷蔵庫を捨てるに至ったことは『もうレシピ本はいらない』で読んで知っていたが、その出発点は、東日本大震災のときの原発事故を受けての「個人的脱原発計画」にあったことは知らなかった。もしかしたら『レシピ』の本にも書いてあったかもしれないが、少なくともそれを読んだときの私は受け取っていなかった。だが今回いちばん心に残ったのはその部分だ。
原発事故が起きたとき、稲垣さんの心に浮かんだのは、これからどうなってしまうんだろうという不安だけではなく、「これはもしかして自分のせいでもあるのではないか」という思いだったという。このような中途半端な引用だけだと、「自分のせいって⋯驕るなよ」という冷笑も誘ってしまうかもしれないけれど、これまで自分が何とも思わずに(いやどちらかというと善だと思って)重ねてきた営為が、巡り巡って何かだいじなものを傷つけているのではないか、積もり積もって何か取り返しのつかない崩壊をもたらしたのではないか、そういう疑念に気づいてしまうと、もう気づいていなかったころの意識には戻れなくなってしまう⋯そんな感覚であれば、今の私は理解できる気がする。
掃き掃除、拭き掃除、手洗い洗濯、干し野菜、冷暖房なしで暑さにも寒さにも無敵になる風流生活⋯私もやってみたい!それはそれで、やってみたいのだが、でも稲垣さんの電気との戦い(?)をそのまま私が模倣しても意味がない。私は何と戦いたいのだっけ。違う違う、戦闘モードになったり、高邁な理想や自己実現の夢を掲げたりしなくてもいいはずだ。何を守りたいのか、何には成り果てたくないのか、今持っているものは何だったか――自分を嫌いにならない動き方がわかるにはまだ、もう少し、静かな時間が必要そうだけど、そのつかみ方のヒントの気配くらいは感じられた気がする。
明るく楽しい文章とイラストで、素敵。爽やかな気分になれた。