村田沙耶香のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
友達から、好きだと思うとおすすめされて借りた本。正直自分から手に取ったものではなかったし、村田沙耶香の他の作品を読んで想像していたものは、生や性に関するパラレルワールドみたいな世界だったので気は進みませんでした。借り物だし、早く読んで返さなきゃという気持ちと、タイミング(私は積読が多すぎてどれも読みたいので決めるのが難しいのでルーレットアプリに積読本のタイトルを入力してルーレットを回して決めています)が重ならなければ一生読むことはなかったかもしれないと感じています。これまでの村田さんの作風とはだいぶ違っていて、瀬里奈の不思議な雰囲気と主人公の律に部分的に親近感を覚えてすらすらと読んでしまいました。
まず瀬里奈の不思議な感じ。一般的ではなくて、浮いていて、壊れやすそうで繊細なのにどこか大胆。私がもし瀬里奈や律と同じ教室にいたならば、小学生なりに気を惹かれていただろうなと思う。何を考えているんだろう、あの子これからどうなってしまうんだろうどうしてみんなと違うのかな。この感情が本を読む速度を上げました。そして、瀬里奈が律や物語の力によって変わっていく。それによって変わる周りの人たちや律の感情。それがまあリアルでとても興味深い。あー、この感情わかる、っていうのがたくさんあった。最初は気になって近づいて、偽善というか面白半分で頼まれてもいない世話を焼く。そのおかげで本人が変わり周囲も変わると、そうなったのは自分のおかげなのにと思ってそれがだんだん僻みだったり嫉妬に変わっていく。自分と同じ、近い…または自分より下だと思っていた人間がいつの間にか自分とは比べ物にならないほどの高いところにいた。このとき感じる嫌な感情がすっごい、リアルというかなんというか。
「あなたは環境が恵まれてるから努力しないでもそんなところにいれるんだ」
「私はあなたより頑張っているのに、あなたは許されて私は許されない」
こういう黒くて醜い救われない感情がどこかに隠れている。これって女の友情だけなのかな?男の人でそういう話はあまり聞かない。
律の、周りの評価ばかり気にしてしまう気持ちもとても共感できた。瀬里奈への感情にも。律のように、仕事などの役割があればそれを全うできる人もいれば仕事ですら上手く振る舞えない人もいる。私も、そんな考えはなかったけど仕事や苦手な人とかかわらなければいけないときは、“演技”をすることによって上手く、円滑に物事を進められるかもしれない。仕事中は自分の自我を消して店員に徹したりとか、そうするのも処世術なのかもしれない。そうしてみよう。
瀬里奈のように周りの評価を気にしない人、律のように周りの評価ばかりを気にしてしまう人、周りの普通と違うことにアイデンティティを生み出す人。いろんな人間がいる。私はどうなんだろうと考えた。周りの評価が気になるし、でもそれもバレたくなくて、うまくいかなくてそれならいっそその評価の外に出ちゃおう、比べられて悪く評価されるのが嫌ならされないような人間になろう。そんな感じなのかもしれない、自分って。
久しぶりにこんなに好きな作品に出会えた。また読み返そう
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Posted by ブクログ
掃除用具入れの「扉」を開けて安心できる閉ざされた異空間に逃げ込むように入っていった小学五年生の瀬里奈、その「扉」をくるみ割り人形を無理矢理読んで聞かせることで中から引き摺り出した律。
無理矢理こじ開けられた事でマリーになることが出来た瀬里奈は救われた気持ちだったのかはわからない。
律はその時の光景を思い出して大人になってクローゼットの隙間に異空間への繋がりを無意識に求めていたのかもしれない。そしてクローゼットの中に閉じ籠る事で少しだけ安心できる感覚を少し理解出来た。それは「扉」を開けてクローゼットに入る事で自分の中の「扉」を開けたのかもしれないし、間接的に瀬里奈が「扉」を開けてくれたのかもしれなかった。結果的にお互いがお互いのドアを開けた(開けるキッカケになった)2人。すべては曖昧で不安定だった。
ラストのシーンの非常階段の扉は、2人が一緒に開いた最初であり最後のドアだった。異世界へ繋がってなかった事が、「何か」に逃げなくても現実で不安を抱えながらでもなんとか進んでいける状態にやっと立てた2人の心情とリンクしている気がした。
そして「マウス」というタイトル。これは両義性であり多面性も持っていると思う。
マリーが勇敢に立ち向かい、ネズミの王を倒して王子の呪いを解く。恐怖や不安や呪いや内面の弱さのようなものに打ち勝つ。律から見た自分自身が臆病者の「mouse」であり、瀬里奈もまた同じ意味での「mouse」であり、違う意味での「mouse」でもある。つまり、かわいい子・魅力のある子という意味をも帯びた「マウス」は、恐怖の象徴と救いや魅力の象徴の両義性を表しているのだと思う。
律も瀬里奈も臆病で内気であっただろうし、何かに囚われ続けていたという意味での「mouse」であったのかもしれないし、でも同時にお互いがお互いの「扉」を開けて「扉」の外の世界へ踏み出させてくれた王子でもあったのかもしれない。
律が自分の事をネズミと例えているシーンにくるみ割り人形における「ネズミの王」を重ねるとさらに深みが出る。恐怖や不安で怯えさせる存在であり、そこを超えることで出会える新しい世界の入り口にもなり得る。つまり「恐れ」と「扉」は一続きであるということ。
「mouse=臆病で内気、だけどかわいい・魅力的」という辞書のシーンの2度目の描写で若干変化がある。それはまるで律と瀬里奈の内面の変化を映してるように見えた。
「ただの弱い存在」としか思えなかったけど、互いの「扉」を開け合うことで、弱さの中にも魅力的だと思える何かがあると気づけた。その視点の変化を、辞書の言葉の変化で象徴してるのではないかと思いました。
村田沙耶香さんにしてはライトめであるものの、計算されたシンプルさなのであろうかという勘繰り。だからこそ普段はあまりやらない考察みたいなことをやってしまったのかもしれない。
学生時代のカーストの中での位置どりであったり、バイトの描写であったり、似たような描写が多作品である部分は村田さん自身を投影している部分なんだろうなぁとインタビューなどを見るとそう思う。
過激な描写がなくとも共通した読後感があるのは、自分が村田沙耶香さんの作品に求めているものは必ずしも狂気とは限らないのだなと確認できました。 -
Posted by ブクログ
これ凄い好き。
私なんか全然本読んでないなーって思った。
若林さんがそもそも繋がっている、なんなら飲み仲間作家さんとの鼎談から始まって。初めましての作家さんも登壇してくるんだけどこんな会話繋がって凄いなー掘り下げてるなー面白いなーってのが連続するんだから。
タイムリーにみたかったなー。もっと対談して欲しい作家さんいるなー。私が好きな作家さんの本がお勧めされてて嬉しいなー。
もう紹介されてる本片っ端から全部読みたいっ!!すべての回でその時話題に上がったテーマでお勧めの本を作家さんが紹介するんだが、これが垂涎なんです。紹介の仕方にも唸る、だってどれもこれもすっごく読みたくなる。
沢山の本の中からキラっと光る物を探し当てた気分。 -
Posted by ブクログ
私たちはみんなシルバニアファミリーの世界でごっこ遊びをしているという感覚があったけど、それが見事に表現されていた
大体の人には生まれた時から初期搭載されてる無料パックとして家族システムがあって、そのパッケージが導入されていると、いわゆる家族が行う営みを行うようになる。シルバニアのお家で複数の生物が集まって家族としての振る舞いのパターンをなぞるような初期搭載がある。さらに家族パッケージを更新するためには恋愛という麻酔をかけてオペをする必要がある、と。麻酔という表現はかなり言い得ている。
カゾクヨクという概念は今まで考えたことがなかったが、それは生物学的にもともと備わっているものなのか、それとも家族という概念パッケージを購入した際に否応なしに付随してついてくる付録みたいなものなのか。消滅世界では、恋愛対象が市場で売り出されているから恋や性欲が生み出されている気がする、というセリフがあった気が。それと同様のことがカゾクヨクにも言えないか。カゾクという概念に自分を当てはめるなかで発生させられた欲が、パターン実行により解消されていく、それがカゾクするという営み。どうしても付きまとう欲を自慰行為で解消しているに過ぎないのに、家族というものが本来性のある自然の形だと思っているのが実に滑稽で、みんな人形みたいで怖い。
村田沙耶香さんの本は、シルバニアファミリーに閉じ込められて自分が人形になりつつあることにすら気づかず過ごしている人たちを、その世界から解放し野に放とうとしていて、本当に読んでいて気持ちがいい
私の悩み、違和感を理解して欲しい、と思える相手がいたら、この本を差し出す。ドンピシャ
ただ村田さんの本の登場人物のように、構造や枠組みを取っ払って野生に帰ることなんてできないので、狂気と知りながら宗教的な箱庭で周りと同じように狂って相対的に正常になることで適応を図るにとどまる。
だがこの違和感を傾聴してもらえている感覚が癒し -
匿名
ネタバレ 購入済み自分という個性のない空子の目線で、人間よりも下位の存在であるピョコルンと人間を管理する上位存在であるラロロリン人の立場の確立と、ディストピアの形成を描いた物語。
正直このディストピアは悪くないのではないかと思ってしまいました。現代の少子高齢化も妊娠、出産をピョコルンに投げれば改善するだろうし。統制された人格も今のSNSを見ていると悪くはないのかなと。
作中で、結局女性がピョコルンの尻拭いをしたり、完全に性欲がピョコルンに向ききらず子供が被害にあいそうになったりがリアルに感じました。
今後、人工子宮の研究や情報の規制等で、この話ほどの速度ではないが、似たような社会になっていく可能性はあると思う。そう思わせる作品でした。