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母性に倦んだ母親のもとで育った少女・恵奈は、「カゾクヨナニー」という密やかな行為で、抑えきれない「家族欲」を解消していた。高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めたが、お互いを家族欲の対象に貶め合う生活は恵奈にはおぞましい。人が帰る所は本当に家族なのだろうか? 「おかえり」の懐かしい声のするドアを求め、人間の想像力の向こう側まで疾走する自分探しの物語。
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Posted by ブクログ
村田さんの言葉の作り方が好き。そして、よくここまで解像度を上げて物事を見れるなと思う。イカれてるのに、何故ここまで安心感に包まれるんだろうって不思議な読後感。
ネグレクトで育つた少女(小学生)が早く大人になって家を出たいと願いながら成長する物語 同じ様な内容は沢山あるが流石! 村田沙耶香さんの作品はハマる。 独特な気持ち悪さ満載だけど 母や主人公や弟の気持ちがわかる気がしたり個性がちゃんと描かれていて 最後は個性がぶっ飛び過ぎてちょっとわからなかった...続きを読むですがこれも作品の個性として大満足。
私たちはみんなシルバニアファミリーの世界でごっこ遊びをしているという感覚があったけど、それが見事に表現されていた 大体の人には生まれた時から初期搭載されてる無料パックとして家族システムがあって、そのパッケージが導入されていると、いわゆる家族が行う営みを行うようになる。シルバニアのお家で複数の生物が集...続きを読むまって家族としての振る舞いのパターンをなぞるような初期搭載がある。さらに家族パッケージを更新するためには恋愛という麻酔をかけてオペをする必要がある、と。麻酔という表現はかなり言い得ている。 カゾクヨクという概念は今まで考えたことがなかったが、それは生物学的にもともと備わっているものなのか、それとも家族という概念パッケージを購入した際に否応なしに付随してついてくる付録みたいなものなのか。消滅世界では、恋愛対象が市場で売り出されているから恋や性欲が生み出されている気がする、というセリフがあった気が。それと同様のことがカゾクヨクにも言えないか。カゾクという概念に自分を当てはめるなかで発生させられた欲が、パターン実行により解消されていく、それがカゾクするという営み。どうしても付きまとう欲を自慰行為で解消しているに過ぎないのに、家族というものが本来性のある自然の形だと思っているのが実に滑稽で、みんな人形みたいで怖い。 村田沙耶香さんの本は、シルバニアファミリーに閉じ込められて自分が人形になりつつあることにすら気づかず過ごしている人たちを、その世界から解放し野に放とうとしていて、本当に読んでいて気持ちがいい 私の悩み、違和感を理解して欲しい、と思える相手がいたら、この本を差し出す。ドンピシャ ただ村田さんの本の登場人物のように、構造や枠組みを取っ払って野生に帰ることなんてできないので、狂気と知りながら宗教的な箱庭で周りと同じように狂って相対的に正常になることで適応を図るにとどまる。 だがこの違和感を傾聴してもらえている感覚が癒し
村田沙耶香さんの作品はいくつか読んだことがあるけど、その中でもかなり好きかも!エンディングが個人的にとても好きです♩
今まで読んだ本の中で一番怖かった。背筋がずっとぶるってる。先に読んだ消滅世界と似た展開ではあるんだけど、あっちは感情移入してた主人公に途中から置いていかれてしまったのが、こっちではラストまで着いていってしまった感じ。一緒に狂いそうだった、そういう怖さ。
家族に甘えたい頼りたいみたいな欲求?をカゾクヨナニーと称して行う主人公絵奈。彼女は家族の絆が薄いためそうして欲求を満たしていたが、友達や恋人との関わりを通して家族のあり方について考えるようになる。 最後は只の生命体になったみたいだけどよく分からない 大学で家族心理学の授業を受けたことがあります。教...続きを読む授曰く「家族とは今や意識的に維持しないと成り立たない」らしいのです。かつては家業や地域の祭事を行うために自然と家族は人間社会の最小単位として機能していたそうです。しかし現代ではそういった行事が必要ないですから、家族は家族らしい関わりを意識的にすることで維持するものらしいです。 じゃあもう家族なんて要らねーじゃん!って言いたいところですが、家族のあたたかさや安心感も捨てがたいという葛藤を描いた作品だと思います。
カゾクヨナニーで家族欲を満たす主人公の恵奈。恵奈の心理描写は読んでいて自分の持っていた家族という関係に対する違和感を肯定されたような気持ちになった。家族のことをシステムと表現するのはやや冷たさがあるけれども、家族とはいえただの人間。家庭の大変さに流されないように、家族という人間関係を上手く築けるかど...続きを読むうか家庭によって様々だと思う。最近は世間からの家族とはこうあるべきというイメージが強すぎるのだなと感じる。 この小説は万人受けはしないだろう。それでも、この小説を読めて良かった。
よくもここまで人の心理の解像度を上げられるなあと思うばかり。友達のミズキ、アリス、浩平、等々の登場人物がうまく繋がっていくのが面白い。クライマックスがホラー、、
「コンビニ人間」に続き圧倒された。 家族や恋とはなんなのか考えさせられるし、キラーフレーズの数々に圧倒されてしまう作品。 一度読み始めたら止まらない素晴らしい小説だった。 また村田沙耶香さんの作品を読もうと思う。
『家族ってなんだと思いますか?』 なんとも抽象的な質問からはじまった今回のレビュー。改めてそんなことを言われてもなかなか答えるのは難しいと思います。考えようによっては哲学的とも言えるこの質問ですが、問われた側としては、まずは自らの『家族』のことを思い浮かべると思います。 とは言え、『家族』の形に...続きを読むもさまざまなものがあると思います。何をもって『家族』と捉えるかという問題も出てくると思います。昨今の世の中、犬や猫も『家族』の一員と考える方も多数いらっしゃるでしょう。この問いには答える側の数だけ答えが用意されているようにも思います。 さてここに、『家族』について思いを深めていく一人の少女を主人公とした物語があります。”母性に倦んだ母親のもとで育った少女”を描くこの作品。そんな少女が『カゾクヨナニー』にはまっていく様を描くこの作品。そしてそれは、『あのトビラの向こうで、私たちの新しい未来が待ってる』と突き進む少女が『家族』の在り方を思う物語です。 『ごめんなさいね、ほんとに』と、『変に明るい調子で、早口に母が謝っているの』を聞くのは主人公の在原恵奈(ありはら えな)。『そりゃ、男の子同士ですからね、そういうこともあると思うんですよ。でもね、本当に、うちの子は少しも悪くなかったんですよ?勝手に玩具をとりあげられて、取り返そうとしたら一方的に殴られたんですから…』と『一気にまくしたて』る『母と同い年くらいの大人の女性』に、『うちは乱暴な家なんで…あたしからして、こんな感じなもんで。ごめんなさいね、本当に』と母親が『頭を下げ続け』る中に『さんざん文句を言ったあと、女性は帰ってい』きました。『怒られたら、なんか疲れちゃった。あー、甘いもの食べたい』と、『嫌なことがあると、ますます声が大きくなる』母親は、『大股でダイニングへと入ってい』きます。一方で『怒られも慰められもしないまま放置された啓太』は『立ち尽くしたまま』です。『啓太、入りなよ』と『家の中へと引き入れ』る恵奈は『啓太の膝から』血が出ているのを見つけ『ねえお母さん、啓太怪我してる』と言うも、絆創膏がトイレにあると言われ『なんでそんなところにあるの』と訊くと『トイレの棚の金具が壊れちゃって、ガムテープが見つからなくってさあ、絆創膏で止めたの、ははっ』と言われてしまいます。『弟の肘から血が垂れ』『慌ててティッシュで抑え』る恵奈に『さっきのおばさんの顔見た?目、吊り上げちゃって、可笑しかったあ…』、『なんで皆、自分の子供のこと、そんなに大切なんだろうね。ヒステリー起こしちゃうほどさあ』と言う母親。『あんまり、啓太の前でそういうこと言わないほうがいいよ』と諭す恵奈に『あーあ、またあたし、悪いこと言っちゃったのかなあ?あたしっていっつもそうなんだよね、デリカシーなくってさあ…』と笑う母親。そんな母親に『別にいいよ。あのおばさんみたいに、産んだからなんて理由で、好きになんかなってもらわなくても』と返す恵奈は『私たちだって、たまたまお母さんから出てきただけじゃん。だからって無理にお母さんのこと好きになる必要ないでしょ。お母さんも、私たちがたまたま自分のお腹から出てきたからって、無理することないよ。そんなのって、気持ち悪いもん』と続けます。 場面は変わり、教室の『ベランダのそばに立ち』、『漫画雑誌の付録についてきた』『小さなパスケースを』ポケットから出した恵奈。『自分の初恋をずっと待っていた』という恵奈は、『それが起こったらすぐに相手の写真を手に入れて、こうして持ち歩くと決めてい』ます。そんな時、『恵奈ちゃん、何してるの?』と『仲のいい千絵ちゃんが近寄ってき』ます。『ううん。つまらないなあと思って』と返す恵奈ですが、『先生が入ってき』たので、『それぞれの席に戻』ります。 再度場面は変わり、『家に帰ると』『自分の部屋に入りドアを閉めた』恵奈は、『CDプレイヤーのスイッチを入れ』、『ニオナ、ただいまあ』と言いながら『窓に近づくと鍵をあけて勢いよく開』きます。『部屋にかえるといつも、すぐ窓をあける』恵奈は、『そうするとニオナが生きているみたいに膨らむから』です。『オナニーをしよ、ニオナ』、『ニオナ。ね、ほら、オナニーだよ』と『風に揺れ始めたニオナを見上げて小さく呟』く恵奈。それは、『正確には』『「カゾクヨナニー」と名づけている行為』です。『オナニーのパートナーだからという理由で私がそう呼んでいるカーテンの名前』という『ニオナはまるで私の声に応じるかのように風に膨らみ始め』ます。『立ったままニオナと外の風の間に挟まれ』、『はじめるよ』と、『低く呟く』と、『ただいまあ、ニオナ』と手を伸ばす恵奈は、『そのままニオナに抱きついて、お日さまの匂いがする彼の胸元に顔を埋め』ます。そして、『その匂いを嗅ぎながら、ニオナに顔全体をこすりつけ』る恵奈は、『ニオナ。私、今日体育のとき50メートル走で一番だったんだよ。偉い?』、『ニオナ。ね、あとね、今日やなことがあったの。宿題のプリント、山本さんと熊野さんに写させてって言われて、貸してあげたんどけど…』と、『自分の日常を吐き出しながら、ニオナに体中を撫でられ』ます。『ニオナ。ねえ、ニオナ』と『顔を埋めて呼びかけるたび、自分の名前が呼ばれているような気持ちになる』という恵奈。そんな恵奈が『カゾクヨナニー』に慰められながら日常を生きていく姿が描かれていきます。 “母性に倦んだ母親のもとで育った少女・恵奈は、「カゾクヨナニー」という密やかな行為で、抑えきれない「家族欲」を解消していた。高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めたが、お互いを家族欲の対象に貶め合う生活は恵奈にはおぞましい。人が帰る所は本当に家族なのだろうか?「おかえり」の懐かしい声のするドアを求め、人間の想像力の向こう側まで疾走する自分探しの物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。一見何が描かれているのか全くわからない表紙のイラストに付されたこれまた意味不明な書名が、これから何が起こるかわからないドキドキ感を醸し出してくれます。 さて、そんな物語を読み始めてまず気づくのが内容紹介に”母性に倦んだ母親”と記されている主人公・恵奈の母親である芳子の姿です。 (注) “倦む(うむ)”とは、疲れて飽きることや、意欲を失ってだるくなることを指します 『なんで皆、自分の子供のこと、そんなに大切なんだろうね』。 こんなことを娘に話しかける母親、それが芳子です。実の母親にこんなことを言われると普通には返す言葉が浮かばないと思います。また、恵奈のスニーカーを買いに出かけた先で母親はこんな言葉を発します。 『あんた、あんまり成長しないでよね。いちいち買い換えるの大変なんだからさあ』 こんな言葉を冗談でなく娘に言う母親・芳子は違和感しかない存在です。しかし、この感覚が普通に投げかけられ続けると娘の中にもある種の諦めの感情が湧き上がります。 『普通の母親からは温泉のように「湧いて出てくる」らしい感情が、母には存在していないのだった。母にとっては私たちの世話は仕事だった』。 これこそが内容紹介に記された”母性に倦んだ母親”ということの実態なのだと思います。『母性』に光を当てた小説というと、湊かなえさん「母性」が思い浮かびます。書名からストレートに『母性』を取り上げる同作では、”子どもを産んだ女性が全員、母親になれるわけではありません”という言葉の先に『母性』が欠如した苦しみを抱える女性の姿が描かれています。一方でこの村田沙耶香さんの作品でも、やはり、”母性に倦んだ母親”を描く中で、『母性』もしくはもう少し広く『家族愛』に飢えた主人公・恵奈があるものにそれを求めていく姿がキョーレツに描かれていきます。それこそが、怪しい響きを持ったこんな言葉がつけられた行為です。 ● 『カゾクヨナニー』の方法(笑) ・『淡い水色をした、つるつるとしたナイロン素材の』『カーテン』のことを『ニオナ』と呼ぶ ・『窓をあけ』『生きているみたいに膨らむ』『ニオナ』に抱きつく ・『オナニーをしよ、ニオナ』と呼びかけてはじめる ・『ニオナ。私、今日体育のとき50メートル走で一番だったんだよ。偉い?』とか、『ニオナ。ね、あとね、今日やなことがあったの。宿題のプリント、山本さんと熊野さんに写させてって言われて、貸してあげたんどけど…』とその日にあったことを語りながら『お日さまの匂いがする彼の胸元に顔を埋め』、『その匂いを嗅ぎながら、ニナオに顔全体をこすりつけ』る う〜ん、どうでしょうか?『オナニーをしよ、ニオナ』とはじまる行為は、文字の上からは、オイオイと突っ込みたくもなりますが、その日にあったことをカーテンの『ニオナ』に吐露している恵奈の姿を思うとなんとも言えない気持ちになってもきます。 『しっかりと手を繋いだ私とニナオは、名前を呼び合いながら何度も顔を寄せ合った。胃の少し下あたりで痛んでいた自分の欲望が、和らいできたのがわかる。欲望の「処理」が終わったのだ。私はすっとニナオから離れて、繋いでいた手を離した』。 そんな中に、 『今日はお終いだよ、ニオナ』 『自分の欲望が的確に処理されたのを感じ』『満足げに微笑む』恵奈の姿が描かれていく『カゾクヨナニー』の場面は物語中に幾度も繰り返し描かれていきます。一瞬引いてもしまいそうな行為ですが、その一方で描かれる”母性に倦んだ母親”の有り様が描かれるにつけそこには複雑な思いが読者を襲います。 “家族というものに対する飢餓感みたいなものが幼少期から、今もかな、ちょっと弱まりつつもずっとあります” そんな風におっしゃる村田沙耶香さんは、自らの経験も交えてこの作品誕生までの経緯を語られます。 “ぬいぐるみとか毛布に抱きついて発散することが多くあったのを自覚していました。それに加えて、家族って何なのかな、と思ったのが「タダイマトビラ」を書いたきっかけだった” そうです。『カゾクヨナニー』という一見キョーレツな行為が描かれていくこの作品の根底に流れるのは、『家族愛』に渇望する一人の少女の思いを描く物語なのです。 そんな物語では、主人公の恵奈の家族である母親の芳子、父親の洋一、そして弟の啓太の四人家族という在原家が壊れていく姿が描かれていきます。一方で作品冒頭で小学四年生だった恵奈は、中学生、高校生と大人の階段を上がっていきます。そこに描かれていくのは、『ドア』、『トビラ』といった言葉と共に描かれていく恵奈のその先への思いです。 『子供の頃から、私は、ずっとただ一つのトビラを探していた』。 物語の冒頭で告げられる言葉の中に見る『トビラ』に恵奈はこだわっていきます。 『あのトビラの向こうで、私たちの新しい未来が待ってる』。 大人に近づいていく恵奈の姿を描く中に、内容紹介にも記されている通り、物語は、”高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めた”恵奈の姿を描いていきます。そこに『家族』とはなんなのかを問いかけていく物語。 『「本当の家」なんて、ほんとはどこにもないんじゃないだろうか?家族になるというのは、皆で少しずつ、共有の噓をつくっていうことなんじゃないだろうか。家族という幻想に騙されたふりして、みんなで少しずつ噓をつく。それがドアの中の真実だったんじゃないだろうか』。 物語は後半へと入り激しさを増していきます。ある意味でいつもの通り読者を振り落とそうとするまでに難解な世界へと突き進む、”クレイジー沙耶香”の真骨頂とも言えるキョーレツ至極な展開が読者を襲います。そして、そんな物語が至る結末、そこには、『家族』とはなんなのだろう、という問いかけへの村田沙耶香さんらしい答えを垣間見る物語が描かれていました。 『いびつな家で苦しみながら頑張り続けるということが「家族」ということなのだろうか?』 そんな思いを自らに問いかけ続ける主人公の恵奈。「タダイマトビラ」というこの作品にはそんな恵奈が『家族』のあり方に思いを深めていく物語が描かれていました。『カゾクヨナニー』という発想のキョーレツさに驚くこの作品。物語後半の破壊力抜群な展開に村田沙耶香さんらしさを見るこの作品。 『家族ってなんだと思いますか?』という問いかけに思いを馳せてもしまう、そんな作品でした。
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