あらすじ
母性に倦んだ母親のもとで育った少女・恵奈は、「カゾクヨナニー」という密やかな行為で、抑えきれない「家族欲」を解消していた。高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めたが、お互いを家族欲の対象に貶め合う生活は恵奈にはおぞましい。人が帰る所は本当に家族なのだろうか? 「おかえり」の懐かしい声のするドアを求め、人間の想像力の向こう側まで疾走する自分探しの物語。
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Posted by ブクログ
村田さんの言葉の作り方が好き。そして、よくここまで解像度を上げて物事を見れるなと思う。イカれてるのに、何故ここまで安心感に包まれるんだろうって不思議な読後感。
Posted by ブクログ
ネグレクトで育つた少女(小学生)が早く大人になって家を出たいと願いながら成長する物語
同じ様な内容は沢山あるが流石!
村田沙耶香さんの作品はハマる。
独特な気持ち悪さ満載だけど
母や主人公や弟の気持ちがわかる気がしたり個性がちゃんと描かれていて
最後は個性がぶっ飛び過ぎてちょっとわからなかったですがこれも作品の個性として大満足。
Posted by ブクログ
私たちはみんなシルバニアファミリーの世界でごっこ遊びをしているという感覚があったけど、それが見事に表現されていた
大体の人には生まれた時から初期搭載されてる無料パックとして家族システムがあって、そのパッケージが導入されていると、いわゆる家族が行う営みを行うようになる。シルバニアのお家で複数の生物が集まって家族としての振る舞いのパターンをなぞるような初期搭載がある。さらに家族パッケージを更新するためには恋愛という麻酔をかけてオペをする必要がある、と。麻酔という表現はかなり言い得ている。
カゾクヨクという概念は今まで考えたことがなかったが、それは生物学的にもともと備わっているものなのか、それとも家族という概念パッケージを購入した際に否応なしに付随してついてくる付録みたいなものなのか。消滅世界では、恋愛対象が市場で売り出されているから恋や性欲が生み出されている気がする、というセリフがあった気が。それと同様のことがカゾクヨクにも言えないか。カゾクという概念に自分を当てはめるなかで発生させられた欲が、パターン実行により解消されていく、それがカゾクするという営み。どうしても付きまとう欲を自慰行為で解消しているに過ぎないのに、家族というものが本来性のある自然の形だと思っているのが実に滑稽で、みんな人形みたいで怖い。
村田沙耶香さんの本は、シルバニアファミリーに閉じ込められて自分が人形になりつつあることにすら気づかず過ごしている人たちを、その世界から解放し野に放とうとしていて、本当に読んでいて気持ちがいい
私の悩み、違和感を理解して欲しい、と思える相手がいたら、この本を差し出す。ドンピシャ
ただ村田さんの本の登場人物のように、構造や枠組みを取っ払って野生に帰ることなんてできないので、狂気と知りながら宗教的な箱庭で周りと同じように狂って相対的に正常になることで適応を図るにとどまる。
だがこの違和感を傾聴してもらえている感覚が癒し
Posted by ブクログ
思春期特有の悩みを抱える少女の成長を描く小説……ではない!ラスト50ページで奇妙な世界に放り込まれる快感は、読んでいて手が震えるほどでした。やっぱり村田さんのこういうカタルシスの解放が大好き!
Posted by ブクログ
今まで読んだ本の中で一番怖かった。背筋がずっとぶるってる。先に読んだ消滅世界と似た展開ではあるんだけど、あっちは感情移入してた主人公に途中から置いていかれてしまったのが、こっちではラストまで着いていってしまった感じ。一緒に狂いそうだった、そういう怖さ。
Posted by ブクログ
家族に甘えたい頼りたいみたいな欲求?をカゾクヨナニーと称して行う主人公絵奈。彼女は家族の絆が薄いためそうして欲求を満たしていたが、友達や恋人との関わりを通して家族のあり方について考えるようになる。
最後は只の生命体になったみたいだけどよく分からない
大学で家族心理学の授業を受けたことがあります。教授曰く「家族とは今や意識的に維持しないと成り立たない」らしいのです。かつては家業や地域の祭事を行うために自然と家族は人間社会の最小単位として機能していたそうです。しかし現代ではそういった行事が必要ないですから、家族は家族らしい関わりを意識的にすることで維持するものらしいです。
じゃあもう家族なんて要らねーじゃん!って言いたいところですが、家族のあたたかさや安心感も捨てがたいという葛藤を描いた作品だと思います。
Posted by ブクログ
カゾクヨナニーで家族欲を満たす主人公の恵奈。恵奈の心理描写は読んでいて自分の持っていた家族という関係に対する違和感を肯定されたような気持ちになった。家族のことをシステムと表現するのはやや冷たさがあるけれども、家族とはいえただの人間。家庭の大変さに流されないように、家族という人間関係を上手く築けるかどうか家庭によって様々だと思う。最近は世間からの家族とはこうあるべきというイメージが強すぎるのだなと感じる。
この小説は万人受けはしないだろう。それでも、この小説を読めて良かった。
Posted by ブクログ
本を読んで感じたことの言語化から逃げたくなくて、こんな風に感想を書くことを始めたのだけれど、この本は言葉に出来ない。
母性が欠如している母親に育てられた少女が、家族欲を満たすために始めた「カゾクヨナニー」。どんな欲望も工夫し、自分で満たしている少女が本物の家族を探す。
村田沙耶香ワールド全開。
とんでもないものを読んでしまった...
Posted by ブクログ
カーテンにくるまってオナニーする話生命式?の短編のなかで読んだことあるな〜、世界99もだけど短編の内容が長編まで膨らむことが村田さんのなかにあるんだろうか。
社会から家族を作れとか子供を産めとかそういうマジョリティ的な生き方を強いられそうになるとき、それってあなたの家族欲では?と思えるようになると思う。“家族”って何でそんな特別みたいに扱われるんだろう…。もちろん自分の両親や兄弟姉妹のことは大切なんだけど。それを自分から作りたいとはあんまり思ってなくて。「なぜ弟は母に欲望の処理を求めるのだろう」ってあって、愛されたいって欲望は家族欲なのかと腑に落ちて その処理をしたいされたいっていう双方向の矢印が伴わないってなったらただ自己処理すればいいって恵奈の考え方も本当にすごいな……
「家族」を辞書で引いて「システム」に辿り着くところが好きだった。家族ってそういう社会的な単位なだけで大きな社会のなかの部品でしかないし、社会を回していくためのシステムだな〜って妙に納得してしまった。
Posted by ブクログ
よくもここまで人の心理の解像度を上げられるなあと思うばかり。友達のミズキ、アリス、浩平、等々の登場人物がうまく繋がっていくのが面白い。クライマックスがホラー、、
Posted by ブクログ
「コンビニ人間」に続き圧倒された。
家族や恋とはなんなのか考えさせられるし、キラーフレーズの数々に圧倒されてしまう作品。
一度読み始めたら止まらない素晴らしい小説だった。
また村田沙耶香さんの作品を読もうと思う。
Posted by ブクログ
『家族ってなんだと思いますか?』
なんとも抽象的な質問からはじまった今回のレビュー。改めてそんなことを言われてもなかなか答えるのは難しいと思います。考えようによっては哲学的とも言えるこの質問ですが、問われた側としては、まずは自らの『家族』のことを思い浮かべると思います。
とは言え、『家族』の形にもさまざまなものがあると思います。何をもって『家族』と捉えるかという問題も出てくると思います。昨今の世の中、犬や猫も『家族』の一員と考える方も多数いらっしゃるでしょう。この問いには答える側の数だけ答えが用意されているようにも思います。
さてここに、『家族』について思いを深めていく一人の少女を主人公とした物語があります。”母性に倦んだ母親のもとで育った少女”を描くこの作品。そんな少女が『カゾクヨナニー』にはまっていく様を描くこの作品。そしてそれは、『あのトビラの向こうで、私たちの新しい未来が待ってる』と突き進む少女が『家族』の在り方を思う物語です。
『ごめんなさいね、ほんとに』と、『変に明るい調子で、早口に母が謝っているの』を聞くのは主人公の在原恵奈(ありはら えな)。『そりゃ、男の子同士ですからね、そういうこともあると思うんですよ。でもね、本当に、うちの子は少しも悪くなかったんですよ?勝手に玩具をとりあげられて、取り返そうとしたら一方的に殴られたんですから…』と『一気にまくしたて』る『母と同い年くらいの大人の女性』に、『うちは乱暴な家なんで…あたしからして、こんな感じなもんで。ごめんなさいね、本当に』と母親が『頭を下げ続け』る中に『さんざん文句を言ったあと、女性は帰ってい』きました。『怒られたら、なんか疲れちゃった。あー、甘いもの食べたい』と、『嫌なことがあると、ますます声が大きくなる』母親は、『大股でダイニングへと入ってい』きます。一方で『怒られも慰められもしないまま放置された啓太』は『立ち尽くしたまま』です。『啓太、入りなよ』と『家の中へと引き入れ』る恵奈は『啓太の膝から』血が出ているのを見つけ『ねえお母さん、啓太怪我してる』と言うも、絆創膏がトイレにあると言われ『なんでそんなところにあるの』と訊くと『トイレの棚の金具が壊れちゃって、ガムテープが見つからなくってさあ、絆創膏で止めたの、ははっ』と言われてしまいます。『弟の肘から血が垂れ』『慌ててティッシュで抑え』る恵奈に『さっきのおばさんの顔見た?目、吊り上げちゃって、可笑しかったあ…』、『なんで皆、自分の子供のこと、そんなに大切なんだろうね。ヒステリー起こしちゃうほどさあ』と言う母親。『あんまり、啓太の前でそういうこと言わないほうがいいよ』と諭す恵奈に『あーあ、またあたし、悪いこと言っちゃったのかなあ?あたしっていっつもそうなんだよね、デリカシーなくってさあ…』と笑う母親。そんな母親に『別にいいよ。あのおばさんみたいに、産んだからなんて理由で、好きになんかなってもらわなくても』と返す恵奈は『私たちだって、たまたまお母さんから出てきただけじゃん。だからって無理にお母さんのこと好きになる必要ないでしょ。お母さんも、私たちがたまたま自分のお腹から出てきたからって、無理することないよ。そんなのって、気持ち悪いもん』と続けます。
場面は変わり、教室の『ベランダのそばに立ち』、『漫画雑誌の付録についてきた』『小さなパスケースを』ポケットから出した恵奈。『自分の初恋をずっと待っていた』という恵奈は、『それが起こったらすぐに相手の写真を手に入れて、こうして持ち歩くと決めてい』ます。そんな時、『恵奈ちゃん、何してるの?』と『仲のいい千絵ちゃんが近寄ってき』ます。『ううん。つまらないなあと思って』と返す恵奈ですが、『先生が入ってき』たので、『それぞれの席に戻』ります。
再度場面は変わり、『家に帰ると』『自分の部屋に入りドアを閉めた』恵奈は、『CDプレイヤーのスイッチを入れ』、『ニオナ、ただいまあ』と言いながら『窓に近づくと鍵をあけて勢いよく開』きます。『部屋にかえるといつも、すぐ窓をあける』恵奈は、『そうするとニオナが生きているみたいに膨らむから』です。『オナニーをしよ、ニオナ』、『ニオナ。ね、ほら、オナニーだよ』と『風に揺れ始めたニオナを見上げて小さく呟』く恵奈。それは、『正確には』『「カゾクヨナニー」と名づけている行為』です。『オナニーのパートナーだからという理由で私がそう呼んでいるカーテンの名前』という『ニオナはまるで私の声に応じるかのように風に膨らみ始め』ます。『立ったままニオナと外の風の間に挟まれ』、『はじめるよ』と、『低く呟く』と、『ただいまあ、ニオナ』と手を伸ばす恵奈は、『そのままニオナに抱きついて、お日さまの匂いがする彼の胸元に顔を埋め』ます。そして、『その匂いを嗅ぎながら、ニオナに顔全体をこすりつけ』る恵奈は、『ニオナ。私、今日体育のとき50メートル走で一番だったんだよ。偉い?』、『ニオナ。ね、あとね、今日やなことがあったの。宿題のプリント、山本さんと熊野さんに写させてって言われて、貸してあげたんどけど…』と、『自分の日常を吐き出しながら、ニオナに体中を撫でられ』ます。『ニオナ。ねえ、ニオナ』と『顔を埋めて呼びかけるたび、自分の名前が呼ばれているような気持ちになる』という恵奈。そんな恵奈が『カゾクヨナニー』に慰められながら日常を生きていく姿が描かれていきます。
“母性に倦んだ母親のもとで育った少女・恵奈は、「カゾクヨナニー」という密やかな行為で、抑えきれない「家族欲」を解消していた。高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めたが、お互いを家族欲の対象に貶め合う生活は恵奈にはおぞましい。人が帰る所は本当に家族なのだろうか?「おかえり」の懐かしい声のするドアを求め、人間の想像力の向こう側まで疾走する自分探しの物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。一見何が描かれているのか全くわからない表紙のイラストに付されたこれまた意味不明な書名が、これから何が起こるかわからないドキドキ感を醸し出してくれます。
さて、そんな物語を読み始めてまず気づくのが内容紹介に”母性に倦んだ母親”と記されている主人公・恵奈の母親である芳子の姿です。
(注) “倦む(うむ)”とは、疲れて飽きることや、意欲を失ってだるくなることを指します
『なんで皆、自分の子供のこと、そんなに大切なんだろうね』。
こんなことを娘に話しかける母親、それが芳子です。実の母親にこんなことを言われると普通には返す言葉が浮かばないと思います。また、恵奈のスニーカーを買いに出かけた先で母親はこんな言葉を発します。
『あんた、あんまり成長しないでよね。いちいち買い換えるの大変なんだからさあ』
こんな言葉を冗談でなく娘に言う母親・芳子は違和感しかない存在です。しかし、この感覚が普通に投げかけられ続けると娘の中にもある種の諦めの感情が湧き上がります。
『普通の母親からは温泉のように「湧いて出てくる」らしい感情が、母には存在していないのだった。母にとっては私たちの世話は仕事だった』。
これこそが内容紹介に記された”母性に倦んだ母親”ということの実態なのだと思います。『母性』に光を当てた小説というと、湊かなえさん「母性」が思い浮かびます。書名からストレートに『母性』を取り上げる同作では、”子どもを産んだ女性が全員、母親になれるわけではありません”という言葉の先に『母性』が欠如した苦しみを抱える女性の姿が描かれています。一方でこの村田沙耶香さんの作品でも、やはり、”母性に倦んだ母親”を描く中で、『母性』もしくはもう少し広く『家族愛』に飢えた主人公・恵奈があるものにそれを求めていく姿がキョーレツに描かれていきます。それこそが、怪しい響きを持ったこんな言葉がつけられた行為です。
● 『カゾクヨナニー』の方法(笑)
・『淡い水色をした、つるつるとしたナイロン素材の』『カーテン』のことを『ニオナ』と呼ぶ
・『窓をあけ』『生きているみたいに膨らむ』『ニオナ』に抱きつく
・『オナニーをしよ、ニオナ』と呼びかけてはじめる
・『ニオナ。私、今日体育のとき50メートル走で一番だったんだよ。偉い?』とか、『ニオナ。ね、あとね、今日やなことがあったの。宿題のプリント、山本さんと熊野さんに写させてって言われて、貸してあげたんどけど…』とその日にあったことを語りながら『お日さまの匂いがする彼の胸元に顔を埋め』、『その匂いを嗅ぎながら、ニナオに顔全体をこすりつけ』る
う〜ん、どうでしょうか?『オナニーをしよ、ニオナ』とはじまる行為は、文字の上からは、オイオイと突っ込みたくもなりますが、その日にあったことをカーテンの『ニオナ』に吐露している恵奈の姿を思うとなんとも言えない気持ちになってもきます。
『しっかりと手を繋いだ私とニナオは、名前を呼び合いながら何度も顔を寄せ合った。胃の少し下あたりで痛んでいた自分の欲望が、和らいできたのがわかる。欲望の「処理」が終わったのだ。私はすっとニナオから離れて、繋いでいた手を離した』。
そんな中に、
『今日はお終いだよ、ニオナ』
『自分の欲望が的確に処理されたのを感じ』『満足げに微笑む』恵奈の姿が描かれていく『カゾクヨナニー』の場面は物語中に幾度も繰り返し描かれていきます。一瞬引いてもしまいそうな行為ですが、その一方で描かれる”母性に倦んだ母親”の有り様が描かれるにつけそこには複雑な思いが読者を襲います。
“家族というものに対する飢餓感みたいなものが幼少期から、今もかな、ちょっと弱まりつつもずっとあります”
そんな風におっしゃる村田沙耶香さんは、自らの経験も交えてこの作品誕生までの経緯を語られます。
“ぬいぐるみとか毛布に抱きついて発散することが多くあったのを自覚していました。それに加えて、家族って何なのかな、と思ったのが「タダイマトビラ」を書いたきっかけだった”
そうです。『カゾクヨナニー』という一見キョーレツな行為が描かれていくこの作品の根底に流れるのは、『家族愛』に渇望する一人の少女の思いを描く物語なのです。
そんな物語では、主人公の恵奈の家族である母親の芳子、父親の洋一、そして弟の啓太の四人家族という在原家が壊れていく姿が描かれていきます。一方で作品冒頭で小学四年生だった恵奈は、中学生、高校生と大人の階段を上がっていきます。そこに描かれていくのは、『ドア』、『トビラ』といった言葉と共に描かれていく恵奈のその先への思いです。
『子供の頃から、私は、ずっとただ一つのトビラを探していた』。
物語の冒頭で告げられる言葉の中に見る『トビラ』に恵奈はこだわっていきます。
『あのトビラの向こうで、私たちの新しい未来が待ってる』。
大人に近づいていく恵奈の姿を描く中に、内容紹介にも記されている通り、物語は、”高校に入り、家を逃れて恋人と同棲を始めた”恵奈の姿を描いていきます。そこに『家族』とはなんなのかを問いかけていく物語。
『「本当の家」なんて、ほんとはどこにもないんじゃないだろうか?家族になるというのは、皆で少しずつ、共有の噓をつくっていうことなんじゃないだろうか。家族という幻想に騙されたふりして、みんなで少しずつ噓をつく。それがドアの中の真実だったんじゃないだろうか』。
物語は後半へと入り激しさを増していきます。ある意味でいつもの通り読者を振り落とそうとするまでに難解な世界へと突き進む、”クレイジー沙耶香”の真骨頂とも言えるキョーレツ至極な展開が読者を襲います。そして、そんな物語が至る結末、そこには、『家族』とはなんなのだろう、という問いかけへの村田沙耶香さんらしい答えを垣間見る物語が描かれていました。
『いびつな家で苦しみながら頑張り続けるということが「家族」ということなのだろうか?』
そんな思いを自らに問いかけ続ける主人公の恵奈。「タダイマトビラ」というこの作品にはそんな恵奈が『家族』のあり方に思いを深めていく物語が描かれていました。『カゾクヨナニー』という発想のキョーレツさに驚くこの作品。物語後半の破壊力抜群な展開に村田沙耶香さんらしさを見るこの作品。
『家族ってなんだと思いますか?』という問いかけに思いを馳せてもしまう、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
村田さんはとにかく、私たちがぼやーっと考えていたようなことを言語化して物語にするのが得意。だからこそ読み進めれば進めるほど、その世界観に飛び込みやすい。この作品も他作品同様に、気持ち悪さとリアルさが合い混ざって構成されていて、絶妙。私は好き!
Posted by ブクログ
衝撃。全く想像もつかない結末。斜め上を行きすぎてページをめくる手が止まらなかった。
ラストはどう受け止めたらいいのかわからないけどこの混乱が癖になりそう。
村田沙耶香さんの本は初めて読みましたが、他の本も読みたいと思います。
Posted by ブクログ
当たり前すぎて認知もしてないようなことにスポットライトを当てて、狂気的なまでに分解してしまう村田さん。あまりにも気持ち悪くて、でもそれがたまらなく快感で、社会のなかでうまくやろうとしてる自分がいつも馬鹿馬鹿しくなる。私の毎日に必要不可欠な作家さん。
Posted by ブクログ
いやもうほんとに、村田沙耶香さんの頭の中ってどうなってるんですかね…。普段何考えて生きてたらこんな話が思いつくのか、不思議だし不気味すぎる。私がこれまでに読んだ村田さんの作品の中では今のところダントツぶっ飛んでる話だった。「タダイマトビラ」ってタイトルから、ラストこんなふうに終わるなんて思いつかない。自分の価値観が揺らぐような名作本は数あれど、価値観云々以前に、そもそも自分の人間たる所以が揺らぐというか…とにかくめちゃくちゃなモンスター作品です。今夜は頭が混乱してうまく眠れなさそう…。
Posted by ブクログ
中毒なのか、、、?
村田さんの本を見つけると手にとって「しまう」。
また今回も、とんでもない小説なんだろうな、と思いながら読む。
当たってた。
とんでもなかったし、読後感がとても良くない。(褒めてます)
いつもだいたい悲惨なことになるし、怖いし気持ち悪いしキツいんだけど、何で読みたいと思って「しまう」んだろう。
村田さんの小説に流れる、現世を生きている居心地の悪さだとか、この世の色々なものを気持ち悪いと思う感覚に、共感できるところがあるからなんだと思う。
気持ち悪いけど、わかる。わかるから怖い。
Posted by ブクログ
ありがちなネグレクトの話かなと思わせてからのラストシーンは衝撃的。ある種の救いなのかも。
ラストシーンで執拗なほど「かわいい」「愛しい」との言葉か使われているのが印象的。これらの感情はある意味で自身とは距離を置いた言葉でもあるんだなと思わされた。
Posted by ブクログ
村田沙耶香教があったとして、その経典のよう
旧約聖書のようでもあり、人類補完計画に向かう人々のようでもあり
自分が手に入れようとしていたものが、自分の足元にあって嫌悪し諦めていたものだったと気付いた時の主人公の絶望と、ある意味の解放へ向かう捻れる世界観が凄まじい
でもまだマイルド村田沙耶香かな
Posted by ブクログ
主人公が人間は入れ替わりでその存在を繋いでいく生命体にすぎないと気づいたのは理解ができるが、それを他者(家族)に強要したがる理由がわからなかった。ただ家族に対してカゾクヨナニーを各々楽しんでるんだなーと嘲っとくだけでよかったのでは?本書を読む限り主人公は他者を説得するより自己解決で満足できる性格に感じた。
あと瑞稀の存在がわからない。ただ渚さんに会わせるため?独り立ちに強い意志を持っている性格がどう主人公に影響したのかがも謎。
ラストの壮大な映画を観ているような気持ちにさせてくれる描写が好きです。
Posted by ブクログ
すげ
ラストはよく分かんなかったけど、よく考えたらずっとよくわかんなかったのかも
家族に正解はないと思うので、何が正しくてどれが間違ってるとか考えること自体疲れちゃうね
理想の押し付けしてるだけなのかも
あと私は自分の脳みそ騙せない、感情型だからさ、頭で解っても心が解らないとダメなんだよね
Posted by ブクログ
一気読みした。途中まではついていけてたけど、最後はもうよく分かんなくなっちゃった。地球星人と似ているところがあったけど、地球星人の方が分かりやすく面白かった。
村田沙耶香さんの作品はやばいってことがわかった。
Posted by ブクログ
村田沙耶香ワールドというものがこれか、という感じ。
日常に支障をきたす。
母性も父性も不在の家庭で育つ主人公が、両親に育てられることが当たり前のしくみの中で、家族ってなに?と考え、結局、言語や文化を習得する前の動物に戻ろうっていう、原点回帰みたいな物語。
一人称に「お父さん」「お母さん」「お姉ちゃん」などをもつ日本人は、とくに家族制度へのこだわりが強い。
狭い文化圏の殻の中で思考する癖を打ち破って、ひらかれた世界を見せてくれる、そんな物語。
ただ、地球星人と似通った物語構造のような気がして、今ひとつ物足りなかったなという感じ。
Posted by ブクログ
好きなれないけど、黙々と読んでしまった。
恵奈が何を得たかったのかよく分からなかった。せっかく家族になれそうな人と一時的にでも一緒に暮らしてたのに、恋人が自分でカゾクヨナニーしてると気づいたときから、壊れてしまった恵奈の狂い加減が理解できなかった。なぜ恋人とカゾクヨナニーを切り離すのか、よく分からなかった。
最後は人間になる前の生命体に帰るとかいう話になってますます分からなかった。
家族とはなんなのか考えるきっかけを与えてもらった。
Posted by ブクログ
社会倫理の小説 わたしの大好きなジャンル
村田さんの世界観にハマっていて読む
短編ぽくて読みやすいかなと思ったけど、短編…ではない?でも、面白くてすぐ読んじゃった
渋谷行きの電車の中…帰りは音楽を聴きながら
そうでもないと、村田世界に持ってかれる!
そういうわけじゃないけど、集中できる音楽と共に小説読むのは、とても良い
村田さんの小説に出てくる主人公は、
何か社会に違和感を持っていて、終盤爆発して、すげえやばくなる笑
それが病みつきになって、また別作品を読みたくなる
次は何を読みましょう
Posted by ブクログ
村田沙耶香ワールド全開の作品だった。後味が少し悪く感じた。母性の欠如した家庭で育った恵奈がニナオと呼ばれるもので「カゾクヨナニー」なるものをする様子はなんとも奇妙だった。
Posted by ブクログ
かわいいかわいい人類。
とあるツイートのこの言葉を思い出した。主人公の私が最終的にホモ・サピエンスを「愛おしい」「かわいい」と捉える心理がとても興味深い。「終わりをもっとかわいく捉えたい」。女の子にとって「かわいい」とは何なのだろう。そのヒントのようなものが、この小説にはあった気がする。
物語が進むにつれて「壊れて」いっているのは明白で、それにしたって最終的には言葉が鳴き声みたいに細切れになっていくのはとても真理な気がして震えた。この圧倒的な飛躍。どこか早見純っぽくもあって、不思議と読後感は悪くない。
Posted by ブクログ
文庫本解説の樋口毅宏さんが、感想を代弁してくれている為引用させてもらう。
村田沙耶香さんの小説は、
「あたまがおかしい。最高。」これにつきる。
常識、意識をぶち壊し全く違うものを見せてくれる。
ラストは気分が悪くなるような描写、それでも光がさしているような終わり方。
家族や常識とはナニだろうか。
Posted by ブクログ
家族愛に嫌悪感を抱く一方で家族愛に飢えてる、なんかそういう簡単に分類できないことや矛盾てあるよなあ
ニナオとのカゾクヨナニーの時間はずっともう自分の一部で、自分の中だけの自分にだけ都合のよい理想のかたちだから絶対的に特別なもので
家族欲を欲したときにしてたカゾクヨナニーを、恋人が自分に!ってときのあの領域侵食された汚されたような侮辱感、なんかすごいわかる気がした
特に母へのモノ観察するような言い回し、この感じ安定してすき
メモ
「それは本当に食べたくて食べているのではなくて、これしきのトラブルをまったく意に介せず呑気に大学芋を食べるサバサバとした自分でいたいのだった」
「唇を舐めるとまるで、弟が吸いたがっている甘い蜜のような味が舌に絡みついてきて、私は顔をしかめた」
「ワカメの量を間違えて具だらけになった吐瀉物のような味噌汁を、私は微笑んで受け取った」
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解説の村田沙耶香作品への感想、ほんとそれですよね