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ブレイズメス1990はより多く手術代を支払ってくれる患者の命を優先するか否かみたいな医療制度そのものの矛盾とか医療は公共財かビジネスかとか医療倫理がメインテーマだった。
「耳慣れないアクセントの言葉が流れる。エールフランスなので機内放送はフランス語が優先、次が英語だ。その英語もフランス訛りのせいか、ふだん耳にするのとかけ離れている。気圧の変化のせいか、耳が痛い。機体が乱気流でがたがたと揺れる。「おい、シートベルトをつけろ、とさ」 隣の垣谷講師に言われ、世良はリクライニングシートを定位置に戻すと、ベルトを掛けた。 東城大学医学部総合外科学教室、通称佐伯外科の垣谷講師と世良雅志の小旅行は終わりを告げようとしている。十五時間以上かけてたどりついたパリ・シャルル・ド・ゴール国際空港から乗り継いでニースまで二時間弱のフライト。移動だけでほぼ丸一日費やしたことになる。 窓の外を見ると、眼下には雪を冠した山脈が連なっている。遠く銀色に光る夕暮れの海原が見え、マッチ箱のような家並みが海岸線にへばりついている。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「それがどうした? だいたいモナコ硬貨って何だ? オモチャの貨幣か?」 駒井は首を振って、言う。「モナコ公国は皇居の二倍程度の面積しかなか、世界で二番目に小さい独立国ですばい。財源は観光、特にカジノが主ですと。国防や一次、二次産業はフランスにおんぶにだっこ。だからモナコは、フランスの顔色を窺いながら生きてきたとです。でも独立国家なので独自の通貨を発行ばしとります。フランスでも使えますばってん、希少価値があってみんなしまいこんでしまうとで、ほとんど流通してないとです」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「モナコ公国は南仏の海岸線、風光明媚なコート・ダジュールのイタリア寄りに位置する立憲君主制の独立国家だ。独立国家といっても総面積は約二平方キロメートル、人口約三万人と、日本でいえば地方の小都市レベル以下、世界で二番目に小さい国家である。ちなみに一番小さな国家はローマにあるバチカン市国だ。 三十分もあれば国境線の端から端まで歩けてしまう。フランスとの国境には大きな岩が置かれ、モナコ公国の文字とふたりの修道僧が寄り添う姿が描かれているが、そこに必ず国境警備兵が配備されているわけでもない。だから気がつかないうちに国境を越えていた、などということは日常茶飯事だ。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「モナコには直接税がなかです。だから大金持ちがモナコの居住者になりたがるとです」 駒井は、とあるホテルの前で立ち止まる。「ここがオテル・エルミタージュですと。内部に『冬の庭』というアトリウムがあるとです。設計者は有名なエッフェル、あのエッフェル塔の設計者ですばい」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「真面目ですねえ。あんな学芸会で踊ることが、何の役に立つんですか?」 敬意を足蹴にされ、垣谷はむっとする。天城は手を打って笑う。「そうやって挨拶をエスプリで返されるとすぐ膨れっ面になるのが、日本人のいけないところです。それではフランス人に相手にされません。彼らは鼻持ちならない連中ですが、ひとつだけ尊敬すべき点があります。それは権威は笑い飛ばすくらいがちょうどいい、と考えている点です。そこは日本人とは正反対ですね」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「サッカーのことはよく知らないが、現実的なスポーツなんだな。スポーツはたいていスポーツマンシップとかのきれいごとを並べたがるものなんだが」「そうです。サッカーには建前がないんです」「なのにジュノが妙にきれいごとばかり言うのは、いいサッカー選手じゃなかったということか?」 世良はむっとして答える。「サッカーは俺の学生時代のすべてです。大会ではそれなりの成績を残しましたし」「それなら医学生のサッカー界がぬるいのかな」 世良は天城に言い返すのを諦めた。サッカーを知らない上司にバカにされても痛くも痒くもない。世良は横道に逸れた話を戻す。「俺のサッカー選手としての評価なんてどうでもいいです。それより隣の方の名前のことです。悪意なんていうネガティヴな名前は珍しいでしょう?」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「思うがままの病院を作りたい、という希望を持つ医師は大勢いる。だが、建築家を海外から呼び寄せる、という発想を持つ医師がどれほどいるだろうか。しかも建築の意味を祈りという高みに昇華し、その意思を達成しようと考える医師など皆無だ。 世良は大学病院の先輩医師の顔を思い出す。そんな選択をする医師の顔は浮かばない。敬愛する高階講師ですら、そんな発想は持ち合わせてはいないだろう。高階講師は薄暗い大学病院という塔の中を駆けめぐり、こぼれ落ちそうになる命をすくい上げることにしか興味がない。そして今の東城大学医学部付属病院は、そういう人種で占められている。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「やだわ、世良先生。私、黄金だらけの地球儀なんて下品なものより、ゴッホのひまわりの方がずっと好きです」「じゃあ桜宮水族館の深海館にリクエストして、ゴッホのひまわりを買ってもらおうか」 花房は首を振る。「要りません。ボンクラボヤが可愛かったから、あそこはあのままでいいんです」「あんなへんてこな生き物が好みなんだ。ぽかんと口を開けているだけなのに」「ずっと眺めていると、なんだか癒されちゃって」「そう言えばこの間、ウチの大学の海洋研究所の所長が、最近、ボンクラボヤに続いて、ウスボンヤリボヤとかいう新種を見つけたらしいよ」「桜宮湾って新種の宝庫なのかしら」 ふたりの会話が途切れた。花房は周囲を見回し、ため息をつく。「みなさん、きれいですね。日本がお金持ちになったのは本当なのかも。でも私なんてお洋服もみすぼらしいし……」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「「人によってさまざまなものをカネよりも大切だと思うだろうが、上杉会長のように功を成した人物にとって、金銭はもはや欲望の対象ではない。彼のような成功者が最後に欲しがるものは何だ?」 世良はじっと考えこむ。やがて力なく首を振る。天城はひと言で答える。「それは、名誉だ」 天城は続ける。「名誉とは、他人が誉め称えてくれて初めて成立する。手術が成功すれば、上杉会長は財産の半分を寄付し、スリジエ・ハートセンター創設基金を作る約束をした。それは地域の一大医療センターとなり、上杉会長とその分身、ウエスギ・モーターズは公共福祉に貢献するという名誉を手にする。桜宮市から大小さまざまな特典のキックバックを受けるという実利もある。その寄付という形をとるメリットを最大限に享受できるようにするために、わざわざ桜宮市の釜田市長の懐刀、村雨秘書にまでお越しいただいたわけだ」」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「本読みとしての幸せとは一体何だろうと考えたとき、それはもちろん面白い一冊の本を読むこと、それまで知らなかった本の魅力を発見すること、その読後感をたっぷりと味わうことであるというのは当然過ぎて論を俟たないところですが、それに次ぐ幸せは何かと言えば、これはまったく個人的な見解ではありますけれど、その『面白い一冊の本』を著した作者の本がたくさん書店に並んでいるのを見ることであると、僕は考えています。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「基本的に僕は、読み終わった本の感想を、人と語り合うみたいなことはあまりしないのですが、海堂小説をどういう順番で読み、そしてどんな感想を持ったかという話を誰かとしたら、それがかなり白熱する議論になるだろうことは想像に難くありません。 もちろん、あるシリーズでは脇役だったキャラクターが、別のシリーズでは主役級の活躍を見せるといった展開にも胸が躍ります。本書『ブレイズメス 1990』、それに本書の前作となる『ブラックペアン 1988』にもそのような仕掛けがあり、それに気付いたときの「ああ!」という感覚は、是非味わっていただきたい絶品です。ここで詳しく、あの本に出てくるあの人物がこの本に、とか、このキャラクターはのちにあの本に出てきちゃうんだよと、逐一説明したいのは山々なのですが、それは野暮も極まりないことなので、当然ながらしません。私的に人物相関図と年表を描いて楽しむというのは、やや本読みの幸福からは逸脱してしまっている気もしますけれど、そんなことさえしたくなるほどに、そして実際にやってしまうほどに、海堂ワールドの人間関係、因果関係はエキサイティングなのです。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著
「2018年春、「ブラックペアン」がドラマ化され、新たな読者を獲得しました。でもネットでは、私の既刊が書店にないという声が多数ありました。一日二百点以上の新刊が刊行される現状では過去の作品が全て書店に並ぶことはありえず、やむをえないことですが、だからといって商業流通の問題で、私の物語に興味を持ってくれた読者をむざむざ逃してしまったのはなんとも無念。というわけで過去の作品を読者に届けたくて、電子書籍刊行に踏み切ることにしたのです。あとがきの最後に「桜宮サーガ」の作品群の年表と作品相関図を付けるのも、興味を持ったら全作品読破してくださいね、という作者の隠された意図の発露です(隠してない)。人間のコンプリート欲を刺激する隠れ戦略(全然隠してない)に乗ってもらえれば、より深く作品世界を楽しんでいただけることでしょう。」
—『ブレイズメス1990【電子特典付き】 ブラックペアンシリーズ (講談社文庫)』海堂尊著