あなたは、こんな依頼を受けたとしたらどうするでしょうか?
「ぼくの死体をよろしくたのむ」
いやいや、これはまずいでしょう。『ぼくの死体』というからには、目の前の人がこれから死にゆくことを意味します。どう考えてもやばい、やばすぎる!止めなきゃ!一刻も早く!そうあなたが行動すべき場面なはずです。
もちろん必ずしもこれから死を選ぶ人を前にした緊迫感のある場面とは限らないのかもしれません。病気療養中にある方から遺言のようにお願いを受けている場合かもしれません。しかし、どのような場面であっても『死体』を『よろしく』とたのまれることには動揺も走ります。
さてここに、「ぼくの死体をよろしくたのむ」という、言われた側が動揺を隠せない言葉を書名に冠した作品があります。短編を得意とされる川上弘美さんの18もの作品が詰まったこの作品。ものものしい書名に思わず手が伸びるこの作品。そしてそれは、さまざまな短編が同居する川上弘美さんの不思議世界を楽しめる短編集です。
『うしろ姿に胸がときめいたのは、生まれてはじめてのことだった』と、『半袖からのびた腕は、ほどよく日焼けし』、『三頭筋と二頭筋がきれいなバランスで上腕をかたちづくっている』という、『その人』のことを意識するのは主人公の鈴音(すずね)、35歳。『右のてのひらに』『小さな銀色のものを握っている』と気づいた鈴音は『そっと近づい』て、それが『ダンベル』であることを確認します。そして、『近づけば近づくほど、その人の筋肉が美しく張っていること』にも気づきます。『これまでのわたしの人生、筋肉なんていうものには、これっぱかしの関心も持ったことがなかったのに』と自問する鈴音は、『恋だ』と『直感し』ます。
場面は変わり、『次にその人を見たのは、公園だった』という鈴音は、『すべり台をはさんだ反対側』で『その人』が『腕立てふせ』をしているのを見つけます。『はっ、はっ、はっ』と『規則正しく、そして荒く、いつまでも続』く『息の音』。しかし、『砂場の子供がこぜりあいをして声をあげ、ほんのわずかな間気を取られているうちに、その人は姿を消し』てしまいます。『わたしは、恋をしたことがほとんどない』という鈴音は、『どうやって』『「つきあう」行為が始まるのか、実のところ』よくわからないという中にいます。『わたしは、一回も誰かに「告白」したこともないし、されたこともないのだ。いつも始まりは、なんとなく、だ』と思う鈴音は、『「つきあった」男の人は、三人いる』も『どれも、恋ではなかった』と『その人に会う』ことによって知りました。そして、『その人のすまいを、見つけた』鈴音。『そこは、公園のすぐ裏側にある神社の、小さな林の中』でした。『きれいに並べられたいくつかの箱と、青いビニールシートが、その人のすまいをかたちづくっていま』す。『静かにビニールシートの屋根の下に寝そべり、息をし』、『目を閉じ、あおむけになっていた』という『その人』。それを見て、『あれは、死体のポーズだ』と思う鈴音は、『ヨガの教室で、わたしがいちばん好きなポーズ』だと思います。そして、『寝そべっていると、立っている時よりもさらに、その人の体のうつくしさは際立』つと思う鈴音は、『ふらふらと』『その人の方へと歩いてい』きます。『青いビニールシートのすぐ端に』立ち『その人の髪は短かった。白いものが少し混じっている。ひげはたくわえておらず、眉はふとい』と思う鈴音は、『その人と、目があ』いました。『澄んだ、目だった』と思う鈴音に、『その人』は七生(ななお)と名乗ります。『七番目の子供だから』と、『口少ななその人にしては珍しく、自分から名前の由来を教えてくれ』ます。そして、『その人とは、このごろはいつも公園で会う』ようになったという鈴音は、『銀色のダンベルを一つ、もら』います。『欲しそうにしてるから』と言う『その人』。『その人の持っているものならば、わたしは何でも欲しかった。そして、その人が欲するものならば、何でもあげたかった』と思う鈴音。そして、『その人への恋は、完全な恋だった』という鈴音と七生のそれからが描かれていきます…という最初の短編〈鍵〉。大切な誰かのことを思う主人公が登場するこの作品のオープニングを鮮やかに見せる好編でした。
“恋でも恋じゃなくても、大切な誰かを思う熱情がそっと心に染み渡る、18篇の物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。「ぼくの死体をよろしくたのむ」という物々しさ漂う書名にまず目を引かれるこの作品ですが、一方で魚が四匹描かれた表紙を見てなんだか意味不明感も漂うとにかく不思議な作品です。そんな作品は、内容紹介にある通り18もの短編が収録されています。文庫本304ページに18編ですから一編あたりの分量は16ページ程度にすぎません。実際油断して読んでいると突き放すような唐突な幕切れに焦ってしまうような作品もあります。ただ、これはどんな短編集にでも言えることですが、”当たり外れ”は間違いなくあります。誤解を解くように言い直すとすると、その人に合う合わないという作品は必ず出てくるというところでしょうか?残念ながら私にもよく分からずじまいという作品が複数ありました。
では、18の短編から私の印象に残った三つの短編をご紹介したいと思います。
・〈ずっと雨が降っていたような気がしたけれど〉: 『とろりとした、繊細なブラウスだった。店先で、そこだけにスポットライトが当たっているように見えた』というのは主人公の静香。『欲しい、と思った』静香ですが、『その日は、見るだけにしてお』きます。『迷えば迷うほど、手に入れた時の快楽は高まるんだよ』と『教えてくれたのは、慶太』だと思う静香は、『ください。はい、そのベージュの。いえ、一枚じゃなく、二枚。ええ。サイズも色も、同じのを』と買います。『同じものを、二つ。それがあたしのいつもの買い物のしかただ』という静香の部屋には『慶太だけが、ごくたまに』きます。『静香、まだそれ、続けてるの』、『そのマグも、二つあるの?』と訊く慶太…。
・〈銀座 午後二時 歌舞伎座あたり〉: 『どうしてわたしは今、こんなところにいるんだろう』と、『銀座のビルの、屋上で』『途方に暮れ』るのは主人公の寧子。『すぐ後ろには、男が一人いる』、『わたしは男の名前を知らない』という寧子は『わたしたちはこれから、一人の人間の命を救いにゆくのである』という今を思います。『そもそもの始まりは、男とぶつかったことだった』と振り返る寧子は、『男も、わたしも、互いに下を向いて』歩いていた中に、『体と体が、ぶつからんばかりにな』ります。しかし『ぶつかる瞬間に男が斜め前方へととっさに飛んだ』ことで最悪な事態は免れます。そんな時、寧子は『それ』を見つけます。『人間そっくり』という『それ』は『十五センチくらい』の『小さな人』でした…。
・〈バタフライ・エフェクト〉: 『二階堂梨沙』と『手帳の、九月一日の欄に』『書かれてい』るのを見て『これ、誰だ?』と『首をかしげる』のは『後藤光史』。『梨沙という名前の知り合いも、二階堂、という名字の知り合いも、一人として思いだせな』いのに『自身の手書き』があるのを見る光史。『同じころ』、『後藤光史』と『手帳の、九月一日のところに』『書かれている』のを見て、『みずからが書いた文字』にも関わらず、『その名には、さっぱり覚えがなかった』と『やはり首をかしげ』るのは『二階堂梨沙』。『九月一日は、三週間後の週明けの月曜日だ。会社に行き、家に帰るほかは、今のところ予定はない』と思う梨沙。なんの繋がりもない二人に訪れるまさかの瞬間が描かれていきます。
3つの短編に漂う違和感に気づかれたかと思います。『十五センチくらい』の『小さな人』という記述に違和感満載な〈銀座…〉などは川上さんの不思議世界がそのまんまに現れていそうですが、『同じものを、二つ』揃えることを常とする主人公に隠された理由が語られると思われる〈ずっと…〉にも興味が募ります。そして、〈バタフライ…〉については、『バタフライ・エフェクト』という言葉をご存知の方はその効果を結末に見る短編に興味がわくと思います。ここに紹介できなかった他の短編もそれぞれに面白さの視点の異なる作品が収録されています。これらの短編は、元は雑誌「クウネル」に連載されていた作品を再録したもののようですが、そのことについて作者の川上弘美さんはこんなことをおっしゃられています。
“最初の頃はよく、同じ号の「クウネル」の小特集から連想していました。ただ、途中からそれもやらなくなって、思いつくまま自由に書くようになりました”。
18の短編を読み終えて感じるのはまさにこの印象そのままです。川上さんが一切の制約を受けず思いつくままにその想像力を駆け巡らせた先に誕生した18の物語。ファンタジーっぽい作品から、ちょっと不思議な恋の物語、そして表題作でもある〈ぼくの死体をよろしくたのむ〉などなど、そこに展開するあまりにバラエティー豊かな内容には驚かざるを得ません。ただ、緊張感を呼ぶ書名から勝手に抱いた内容とは少し違っていたかな、そんな印象も受けることにはなりました。
『ぼくの死体と
晴美と
さくらを
よろしくたのむ』
表題作に登場する『紙片』に書かれた謎の記述の意味を思う作品をはじめ18もの短編が収録されたこの作品。川上弘美さんの短編世界の魅力を感じるこの作品。
あなたもきっと気にいる短編を見つけることができる、川上さんが綴る非常に幅の広い物語世界を味わうことのできる作品でした。